明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
無機質、無感情、機械的、人とは思えない。…それらは全て一人の女性に当てられた評価だった。
彼女は機械的に喋り、機械的に行動し、機械的に生きる。はた目から見れば彼女は機械のように見えるだろう。
事実、彼女自身もそれは承知している。鉱石病に罹り、意思を蝕まれ、そうならざるを得なかったことを知る人間は少ない。彼女は機械であることを、受け入れた。
「…それじゃあ、フィリオプシス。私が留守の間、イフリータのことをお願い…」
彼女の前で彼女に語り掛ける眼鏡をかけた知的な女性…オリヴィア・サイレンスは彼女へ向けて話していた。
「お任せください、サイレンスさん。こうして彼女の世話を任されるのは17回目です。私も慣れてきました。」
「そう…それならば良いのだけれど。彼女の気分によって対応が結構変わってくるから…今日は多分大丈夫。ドクターのおかげで上機嫌だったから。」
「情報提供感謝します。マニュアル通りに進めていきます。」
「ま、マニュアル…そんな物があったのね…。ごめんなさい、今日は貴方に任せるわ。この用事は私も外せないから。」
「はい。サイレンスさんにとってこの学会がどれほど重要なモノかは私もしっかりと認識しています。貴方の留守はお任せください。」
彼女にとってサイレンス医師は同僚でいて今の上司だ。彼女はサイレンスの腕を信用しているし、サイレンスも彼女の腕をライン生命に居た時から知っている。だから互いの手腕は信頼をしているし、一見話し合いすら難しそうに思える組み合わせだが彼女もサイレンスもお互いの人柄を知っているため自然と話も続く。
「…イフリータが貴方に何かをしたら遠慮せずに叱って。あの子はまだまだ子供だから…」
それがサイレンスの去り際の一言だった。果たしてこの言葉を貰うのも何度目だったか。データベースに照合すればまだ三回目だった。それから間もなく彼女は歩き出した。
ロドス・アイランドは施設そのものが移動する移動施設だ。そしてその規模は国が所有する移動都市に比べては当然劣るがそれでも一つの企業が所有する移動施設に比べたらそれはあまりにも強大だった。それを所有するほど一大勢力として頭一つ抜けているロドスには多種多様な人員が雇用されていた。彼女もまたその一人であり、出奔してきたとはいえライン生命において研究員であった彼女は重宝される存在だ。
元ライン生命医科学研究所アナリスト 現ロドス・アイランド医療班所属オペレーター、フィリオプシス…それが今の彼女の肩書だった。
それからしばらく歩いた彼女が辿り着いたのはオペレーターたちの居住区にある一つの部屋。ネームプレートには「サイレンス」と書かれている。彼女はそこの目の前で一度立ち止まるとノックをして返事を待った。
「開いてるぞー。」
中から聞こえた声は幼いが、低く棘を持っているそんな声だった。彼女はそれを確認すると扉を開いた。そんな彼女の来訪に振り返る一人の少女がいた。
「…ああ、なんだ。オマエか。今日はオマエがサイレンスの代わりか?」
何処か気だるげに目を細めながら来客を見詰めた彼女は机にそのまま突っ伏した。
「5日ぶりです、イフリータ。サイレンスさんが留守の間、私と共に留守番をしましょう。」
「…わっーてるよ。」
そして机に突っ伏したまま彼女を見つめる少女の名前を「イフリータ」と言った。
元ライン生命治験対象「イフリータ」。それが彼女の前職だった。そもそも職業でもない。暴れん坊で乱暴者、短気な少女…それが周囲から見たイフリータの評価だった。
「…ドクターの宿題を確認。現在進めているようです。」
誰かに言うまでもなく彼女は呟く。それはもう何か理由があるわけでもなくそうなってしまっただけだ。だから理由は今更ない。
「…そうだ、ならよオレサマがやってる宿題、オマエが教えてくれよ、オマエもサイレンスのどうりょう?…ならアタマ、良いんだろ。」
そして彼女の脳内で審議がすぐに始まった。宿題は彼女の成長のためにあるものだ、ここで手助けをしてしまったら彼女の成長の阻害になるのではないか?だがしかし待って欲しい、彼女は本当に問題が分からない場合教える教師もいないときに詰まっているとそれは何も進歩しないのではないだろうか。ここはヒントを与え、彼女に理解を促させることが最善なのではないだろうか。 そんな考えが一瞬で彼女の脳内を駆け抜けて決議した。
「3対7で決議が可決されました。これよりイフリータに宿題を教えます。」
「お、おうそれはありがてぇが誰に向かって言ってるんだ…?」
「大人の事情です。」
それから彼女はイフリータの横に立ち、宿題を見始めた。
「まあ三角形は何とか分かったけどよ…公式に当てはめればいんだろ?三角形の公式は底辺×高さ÷2…けどこの逆から考える問題が分からねえ。なんだよ、Cとするって。もう訳が分からねぇ。」
イフリータからはお手上げという声音が聞こえる。彼女にとってまだ理解が及ばない場所になるらしい。
「それほど難しく考える必要はありません。いいですか、公式を当てはめていけば簡単に分かります。まずは面積が既に求められているので公式に当てはめましょう。そして高さはこの数値です。残るは底辺だけですのでここを計算すればCの答えは求まります。」
「…おお、ホントだ。分かりやすいな…こうすりゃ確かに一目瞭然って奴だな。」
「まずは式に当てはめてみるということも大切な課程のうちの一つです。慌てず一つずつ書いていきましょう。」
「な、なるほどな…」
それからしばらくイフリータは黙々と宿題に取り組んでいた。知恵熱を暴走させることもなく彼女自身も自分がすらすらと解いていることに驚いているのか多少驚愕を含んだ表情で。そして…
「出来た…」
やったという表情でノートを見詰める彼女の表情はニッと笑っていた。彼女が訪ねて来た最初の仏頂面に比べて劇的な変化だ。
「ヒヒっ、オマエありがとな。オレサマもこんなにスラスラと解けるのは知らなかったぜ。」
「私がしたことは少しのアドバイスだけです。解けたのは紛れもなく貴方の頭脳のおかげです。イフリータ。」
「そ、それってオレサマまた頭良くなったってことだよな…」
嬉しそうにイフリータは微笑んだ。そしてノートを閉じると何かを思ったのかまた振り向き、彼女へと声をかけた。
「オマエ、結構わかりやすく教えてくれたんだな。もっと分かりにくく回りくどく言われるかと思った。」
「それはスマートではありません。教えるならば簡潔に、分かりやすく教える必要があります。」
「…いや、やっぱ分かんねえや…まあいいか…とりあえずオレサマはもう宿題をやったから自由にしていいよな!」
「許可します。それとこれをサイレンスさんから持たされています。」
ガサゴソと彼女が取り出したソレはイフリータの好物だった。
「唐辛子チップス!良いのか!」
「歯磨きをすること、とのことです。」
「分かった!やる、やるから食う!」
イフリータはそのお菓子が好物だった。嬉々としてそれを受け取った彼女はベッドに腰を掛けながら食べ始めた。
「なぁ、オマエ…名前なんて言ったっけ。」
「フィリオプシス、です。」
「ああ…そういやそんな名前だったな。なんか長くて覚えにくいんだよなぁ…んでよフィリオプシス。」
「はい、質問なら可能な限りはお答えします。」
「オマエも白衣の連中の一人だったんだろ?でもなんでロドスに居るんだ?ていうかあの時オレサマとサイレンスと一緒に来てたのはなんでだ?」
サイレンス、イフリータはともにライン生命から飛び出て来た。その際フィリオプシスも同行し、ロドスに加わった。
「解答します…それは私がライン生命において危うい立場だったからです。私は鉱石病にり患し、稀有な症状を抱えています。大脳付近にオリジニウムが侵入し脳神経に異常を来して今のような喋り方しかできなくなりました。元々種族としての影響もありますが私のこの症状は鉱石病患者の中でも珍しくこのままライン生命に属していると『治験』の対象にも成り得たため…」
「…難しいんだよ。もっと、こう簡単に言ってくれよ…」
「貴方と同じ実験台になり得たからです。」
その瞬間イフリータの顔色は何げなく聞いたというものから暗い色を帯びた。彼女の忌むべき過去の一つが思い浮かんだ。
「…確かにソイツはあそこには居られねえか。」
それから彼女は黙り込んでしまった。不味いことを聞いたと幼いながらもイフリータは察した。
「ですが…」
そして彼女はそのまま言葉をつづけた。
「私はライン生命で貴方たちを見てきました。」
それから語りだす彼女の言葉。
「サイレンスさん、サリアさん、そしてあなた。私は遠巻きで見てきました。」
彼女は積極的に過去に絡んでいるわけでもない、彼女はあくまでもその立場は中立的なモノであった。
「確かにあの場で貴方に行われていたものは決して褒められるものでもないでしょう。そして非難されるべきものです。しかし人類は未だ鉱石病というものに対して有効打を得ていません。そのためには時には倫理に囚われないことも必要になります。あの場は貴方の犠牲を割り切って使おうとしていました。そしてその結果人類のためになっているという一面は否定しきれません。」
イフリータの顔には既に疑問符が浮かんでいた。彼女に小難しい話は似合わないのだ。
「私は…その点では中立を保ちどちらかに与する点はありません。ですが…個人的な望みがありました。」
「望み…?」
「これはただの機械の漏らしたエラーです。聞き流してください。」
そして彼女は…
「貴方達の行く末を見届けたい」
そう、小さな声で呟いた。
「ただいま…」
日はすっかり落ちて深夜。サイレンスは漸く自分の部屋へと戻れた。そして彼女が部屋に入ってみた光景は…
「フィリオプシス、貴方…」
フィリオプシスは人差し指を口の上に立てしっーというポーズをした。
「…良かったね、イフリータ。」
彼女の膝の上ですやすやと眠るイフリータにサイレンスは微笑んだ。