明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
それはなんてことのない休憩の一幕だった。彼は意外なことにお茶を淹れることも心得がありこういった小休止にお茶を淹れてくれた。
「ありがとう、イグゼキュター。いつも君は助けられてるよ。」
「礼は不要です。現在の私の仕事は貴方のお世話です。これも業務です。」
「相変わらず君は堅いね…」
ラテラーノ公証人役場法定執行人。それが彼に与えられた肩書であり名前であった、彼は法律を守る番人であり、法律に背くものを裁く処刑人でもあった。今彼はロドスに協定しに従いオペレーターとして滞在している。
彼はただ淡々と法律を執行し、背くものを赤い海に還してきた。彼は善良なラテラーノ人だ。むしろ秩序を守る側の人物といってもいい。だけれども彼の光臨は光を失い真っ黒に染まっている。
聞く話によればサンクタ族が同族を殺めた時、光臨は黒くなっていくという。そして堕天使なる存在が出来上がると。けれども彼は普通のサンクタ族に過ぎない。彼は法を執行して来た過程で大量の同族を執行した。故にこそ光臨は黒く染まった。けれどもそれは彼が極悪人という証明にはならない。
「どうか致しましたか。ドクター。私の顔に何か付いていらっしゃいますか。」
「いいや、何でもないよ、ただ少し考え事をしていただけだ。」
彼は笑わない、鉄面皮という表現すら生ぬるいほどに彼の表情は動かない。彼が表情を動かないのはもうこのロドスにおける全てのオペレーターの共通認識だ。感情表現が苦手なオペレーターというのはスカジやテキサスと言った面々がいるが少なくとも彼女らには感情が備わっており、わずかでもちゃんと表情は動かす。感動が少ないだけであってちゃんと感動する心は持ち合わせている。
だが彼にはそんなものすらないとも思わせるほど、表情筋が仕事していない。笑いも、怒りも、哀しみも、喜びも、全部何処かへ置き去ってしまったとでも思わせるかのように無感動、無感情、無表情だった。だからそんな彼が何の感慨もなくレユニオンムーブメントを撃ち殺す様を見て彼を不気味がった人々はまるで機械のようだと彼を指して揶揄した。そしてそれを否定できる材料もなかった。
「…先ほどからドクターは私の顔を見詰めたまま黙り込んでいます、何かを伝えたいのならば早めに言う事を進言します。」
成程、彼はまさに機械のようだった。何もその瞳に感情を映さず、ただ淡々とやるべきことに従うロボットとそう認識されているだろう。だが彼はそんな他者からの評価も気にせず、動ぜずまた淡々と任務をこなすだけだろう。
「いや。それほど深いことを考えているわけじゃない。私は常にロドスの未来をどうするかなど考えているわけでもなく、目の前のことを考えることもある。」
「つまり、ドクターは現在何について考えているのでしょう。」
そして対面の彼に向けて視線を渡した。
「君についてだよ、君は契約が満了になればどうなるのかなとそう思っていたんだ。」
「契約内容の再確認ですか?それならば今一度ロドス・アイランドと公証人役場で交わされた協定に関して復唱いたしますが。」
「いいや、そういうことじゃないんだ。契約が切れれば君のオペレーター情報は消されてそのまままた過去のように執行人としての仕事を続けるだろう。契約ではそうなっている。私も勿論それは承知している。ただ、君とは少なからず仕事を共にしてきたつもりだ。」
「…そうですね。ドクター。貴方とは現在記録しているだけでも二二七回、仕事を共にしました。」
そんなイグゼキュターに彼は苦笑を漏らした、こういうところは出会ってから一ミリも変わってない。だからこそ逆に安心するものすらあるのだが…
「君にこういうことを説いても無駄かもしれないが…私は少なからず執着というものを持ち合わせて生きている。争いがなく人を殺す必要がない日常に関しては尊いものと認識しているし、それの世界を作るために多少の執着を抱いている。人ととのつながりも惜しいし、別れとて必ず訪れるものとはいえやはり躊躇いが起きる。だから執着を抱えて生きているんだ。」
「ドクター。つまりあなたは、私との別れが惜しいという事ですか?」
「はは、バッサリと聞いてくるね、君…まあそうさ、否定できないし肯定するよ。私はイグゼキュター、君との別れに一抹の寂しさを覚えている。」
その言葉は普段ポーカーフェイスで腹芸をして生きている彼からすればかなりストレートに出た本音だった。そんな言葉を聞いてイグゼキュターは少し黙り込み、考え込むような動作をした。普段の彼を知る者からすればその彼の行動はあまりにも意外なものだった。
彼は直ぐに返答する。まるで最初から答えを持ち合わせていたかのように数秒で返答し、有無を言わせないスピードで話を進める。それが彼を機械と言わしめる所以だが。そんな彼が数秒とはいえ黙り込み、考え込んだのだ。そして考えた末に漏らされた言葉は実に少なかった。
「困ります。」
彼はまた顔色を変えずにそう言った。けれども顔色は変わってないが声音には困惑の色が塗り込まれていた。確かに彼は今困惑している。
「そう私にまっすぐと感情をぶつけてくる人物がいるのはどれほど久しぶりなのでしょうか。また対応に困ります。」
そして彼はまた数秒黙り込んだ。そこでドクターは少しだけ言葉を掛けた。
「君も人間さ。そういう感情を向けられることもあるだろう?」
何てことのないただの質問に過ぎない。
「いえ、有りませんでした。生まれてからただの一度も。」
彼は真顔で反論した。だからこその困惑だと言わんばかりに。そして彼はまた口を開いた。
「少しばかり身の上話というものになりますが構わないでしょうか。」
その様子にドクターはただコクっと頷いて神妙な面持ちで聞くことにした。
「私の生まれはただの何てことのないラテラーノの一般家庭でした。世間から見れば穏やかな夫妻とその子供が平和に暮らしている。そう見えたでしょう。…ですがその実、家族間に愛情というものは存在していませんでした。仮面夫婦と呼ばれる形態で、父は愛人を作り、当たり前のように帰らず、母も母でそれを承知の上で彼女もまた頻繁に夜に出ていくのが普通でした。彼らはお互いの浮気について承知していたでしょう。そしてそれで不干渉を貫いた。家族と言う形を保っていたのは彼らが地位のある人物でありその喧伝に扱えると判断したからでしょう。打算と思惑だけで作られた家族に愛情は存在しませんでした。当然そんな家庭に生まれた私は真っ当な育ち方もしませんでした、だから夫婦間どちらにとっても疫病神と呼べる存在だったかもしれません。」
彼は早口で語った、感情はないが普段の彼に比べていやに饒舌だった。そして言葉を一度区切りまた語り始めた。
「対外的には仲の良い家族はすぐに崩壊しました。あの件を気に彼らはどちらも死に、私は行く当てもなく適当な孤児院に押し付けられました。」
幼かった少年にその扱いはあまりにも酷であっただろう。だが彼はそんなことすら感慨を抱かなく機械的に続けていた。
「孤児院で私は法律について学びました。そこの院長が趣味で法典を持っていることが始まりでした。…それからです、私の中に法が全て、真実という考えが芽生えたのは。」
あれほど饒舌に語っていた言葉はそこで急に途切れた、纏めるのならば彼は幼いころから愛情を向けられずに育ったため今現在でも他者のことが分からない。そしてそんな彼のオリジンがあったからこそ今の機械染みた彼を形作っているという事だ。
「私にそのような感情を向けて来たのは貴方が初めてです。この感情を戸惑い、というのでしょうね。」
感情と彼は声に出しているがその表情に一ミリも変化は見られない、けれども確かに彼の中に感情は芽生えた。
「…やはり君は機械ではないよ。間違いなく君も人間だ。感情を覚えるというのは人が人たる所以だからね。」
「成程、これが感情…」
そしてイグゼキュターは少しだけ考え込み、また言葉を紡ぐ、今日の彼はやけに饒舌だった。
「ドクター。先ほどの質問ですが契約が満了になれば私はまた以前の職務に戻ります。そしてロドスからも離れるでしょう。」
「そういう契約だからね、個人の感情を抜きにしても契約は守らねばロドスは真っ当な組織とは言えなくなる。だからそれは守ると保証するよ。」
「ありがとうございます。私も私が約定に反することは望みません。ただ…」
そして珍しく彼が言葉を濁らせた。視線はドクターを捉えて話そうとはしていないが口が動いていない。重い沈黙の後彼はたっぷり一分をかけて言葉を探していた。
「意外なものですね。私にこんな感慨が生まれるなど。」
「…イグゼキュター?」
「私を未練を作らせるなど…貴方は何よりも罪深いお方だ。」
そしてその鉄面皮が少しだけ動いた…ようにドクターには見えた。
「私にとって法こそ真実です。法を破る者には裁きをこれからも与えるでしょう。」
そしてイグゼキュターは立ち上がり、執務室から出ていく。当直が交代の時間だ。そしてその退出間際に振り返り…
「ですが貴方のためならば私は法を破ることに躊躇わない。」
それからドクターは当直できていたアーミヤに揺すられるまで呆けていた。