夕焼けの空からオレンジ色の光が注ぐ教室。
そこは第一高校においてもある意味で特別な部屋、生徒会室である。
そんな生徒会室には3つの陰がある。
それは大雑把ではあるが、その形から3人の人の姿であることを表している。
「それで、先ほどはどういうつもりですか教授?」
そう僅かばかりの鋭さを含めた言葉を発したのは、第一高校生徒会長の七草真由美である。
その顔はいつもの朗らかな笑顔ではなく。
怒気や弾劾するようなものは含んでないにせよ、至って真面目なものであった。
「“どういうつもり”というと?」
そう真由美の質問に対して、質問で返すのは同高校において、特別講師の立場にいるジェームズ・モリアーティだ。
彼は何のことかわからないと言った風な様子で真由美を見る。
「惚けないで下さい。先ほどの校門前であったことです。何故、あのような振る舞いをしたのか、納得のいく説明をお願いします。」
「どういうことだ、真由美?」
そう言って、追求する真由美の発言の意味を問うのは風紀委員長の渡辺摩利である。
彼女もまた先ほど校門前にて起きた、一科生と二科生の衝突の現場にいた人間だが、彼女には真由美がモリアーティに対して何に疑問を持ち、問いただそうとしているのか分からず、不思議そうな顔をしている。
そんな摩利に対して、真由美は答える。
しかし、その眼差しはあくまでもモリアーティを見ていた。
「おそらく、ことの顛末は詳細は異なれど教授が仰った通りでしょう。それ自体には問題はありません。」
「ならば、どうしたというんだ?」
2人の会話にモリアーティはさも他人事のように笑みを浮かべながら聞いている。
その態度が普段は温厚な真由美の神経を徐々にではあるが逆撫でした。
そして、真由美は自らの疑問の核心に迫る言葉を発する。
「教授が仰った内容が、“本当に予想であるならば”ということです。」
「なら真由美、予想ではないとするなら何だというだ?」
その摩利の疑問に真由美は順を追って説明を始める。
「いい摩利。教授は仕事の息抜きの散歩の為にたまたま私たちがいた校門前に来たと言っていた。けれど、それにはおかしい点がいくつかある。」
「おかしい点?」
「まず第一に教授が仕事をしていたというのが本当なら、いたのは職員室かもしくは教授自身の研究室。でも、その二つはどちらも校舎から離れている。何故、仕事が残っている状態で、わざわざ校門前に来たのか。」
真由美の言葉に摩利も一度は目を見開くが、少し考えたような顔すると真由美に向けて言った。
「確かにわざわざ遠く離れた校門に来るのは気になるが、そこまでのことか?気分転換のために少し足を伸ばすこともあるだろう?」
「えぇ、確かにそうね。」
でも、と真由美は続ける。
そして、それこそが真由美が今回の件での最も引っかかった点であった。
「では、何故ただの散歩にCADが必要だったのかしら?」
その言葉に今度こそ摩利の目が見開く。
そして、そのまま目線を真由美見つめている方向へと向けた。
そこにはモリアーティがもつ杖があった。
真由美は目線をモリアーティの顔の方に上げ、尋ねた。
「教授、確認しますが。その杖は貴方のCADで間違いありませんね?改めて、お聞かせ下さい。ジェームズ・モリアーティ教授。」
真由美と摩利、2人の目がモリアーティに集中する。
「魔法の規定外使用という突発的な緊急的状況に、たまたま散歩をしていた講師がたまたまCADを持っていた理由を…。もしかして、あのような状況になる前から貴方は事態の経緯を見ていたのではないのですか?」
真由美の言葉がモリアーティに鋭く放たれる。
摩利もまた真剣な表情でモリアーティを見据えた。
しかし、モリアーティ自身は焦った様子を見せることもなく、言った。
「だとしたら、どうするのかね。七草生徒会長?」
「問題が起きようとしていた状況を目前にしながら、その対処をしていなかったとなれば名誉講師といえど大問題です。場合によっては、然るべき処置をとらせて頂くことになります。」
張り詰めた空気が生徒会室を支配する。
真由美と摩利、そしてモリアーティも互いに目線を決して逸らさない。
すると、来室を知らせる生徒会室のチャイムが鳴った。
モリアーティは目線で真由美に「出なくていいのかね?」と訴えかける。
真由美としては、この状態で緊張を解くことはしたくなかったが、生徒会長が在室にも関わらず居留守を使うこともまた問題である為、渋々と来客の確認をした。
「はい、どなたですか?」
「すまない、ここにモリアーティ教授はいるかな?」
その声は真由美達もよく知る教師のものだった。
「はい、いらっしゃいますが…」
そう言って、真由美が部屋の開場をすると声の主である教師が入って来た。
彼は入室して直ぐにモリアーティの姿を確認すると、小走りで駆け寄って来て言った。
「あぁ、教授。ここにいらしたんですね。直ぐに戻ると言っていたのに中々お戻りにならないので、探しましたよ。」
「おっと、すまないね。早めに戻るつもりだったのだが、彼女達と大事な話をしていたのでね。何、これが終わったらすぐに戻ろう。」
その会話を聞き、真由美は今話していた問題を裏付ける証拠を聞き出そうと、入室して来た教師に尋ねた。
「あの、少しよろしいでしょうか?」
「ん?なんだい、七草?」
「モリアーティ教授がお出かけになったのは何時頃のことでしたか?」
教師は真由美の質問の意図が分からなかったが、特に気にした様子はなく答えた。
「えっと、まぁなかなか戻ってこないとは言ったけれど、いつもの教授の散歩にしては長いなって思うぐらいだから…。そうだな、下校時間の大体20分ぐらい前かな、もしかしたらもっと短いかもしれない。」
予想を裏切るその答えに、真由美は目を見開く。
真由美達がちょうど部屋を出た時間が15分ほど前。
下校時間を過ぎる生徒がいないよう見回りに出たのがその時間だ。
一方、モリアーティがいたとされる職員室から校門まではゆっくりと歩いて20分ほどある。
それこそ、散歩をしていたのなら大体そのぐらいの時間がかかってもおかしくない。
そして、モリアーティが現れたのは真由美達の後である。
そうなると事の一部始終を見ていたには辻褄が合わなかった。
「そうですか、ありがとうございます。」
と、真由美が言うと教師はモリアーティと真由美達に挨拶をして出て行った。
先ほどまでとは異なる沈黙が部屋に漂う。
「さて、真由美くん。他に聞きたいことはあるかね?」
と、モリアーティが真由美に向かって言う。
その口調はとても穏やかだった。
生徒会長とはいえ二回りも年下の生徒に要らぬ嫌疑をかけられたのだ、
いくら大人であっても気持ちの良いものではない。
嫌味の一つでも言うものだが、モリアーティの言葉にはそんなものは微塵も感じられなかった。
それはまるで、内気な生徒に質問を投げかけているような、まさに教育者然とした姿だった。
真由美も自分自身で自らがしたことについて重々承知しているからであろう、
気落ちしたような様子で目の前の特別講師を見た。
「さて、まずは私の疑いが晴れたことに安堵した。そして、真由美クンの推理はなかなかのものだったよ」
「いえ、失礼しました」
「申し訳ありません、教授」
と、モリアーティに頭を下げる真由美と摩利。
しかし、モリアーティはそんなことは気にしていないと二人を制した。
「とは言え、君たちが疑問を持ったのも当然と言えよう。何故ならば、私が校門でいがみ合っていた生徒達を傍観していたことの疑いは晴れたわけだが、何故CADを持っていたかの謎は解けていないのだからね」
と、語るモリアーティの言葉に二人はハッとしたように我に帰る。
そして、そんな驚いている二人に対し椅子に座るように進めるとモリアーティは続けて言った。
「さて、おそらく真由美が私に疑問を持っていた理由として挙げられるのは君自身が言っていたように二点。第一に何故あのタイミングに居合わせたのか、第二にそしてその状況下において何故CADを持っていたのかだ。」
「はい、そうです。」
「そして、その問いに対する答えは実に単純明快だ。私は今日の放課後、校門前で先ほどの一年生達の間で何か問題が起きると予想していたのだよ。」
その言葉に二人はまたしても目を見開いた。
そして、目の前の老紳士は続けて語る。
「そして、コレを聴いた君達はまたしても疑問を持つだろう。何故、そのようなことが予想できたのか、そして何故それを予測できたのならその時点で止めなかったのかだ。後者に関しては、今となっては私も反省するばかりだ、それこそ真由美君の言うところの然るべき処置を受けるべきだと考えている。」
「では、何故そうしなかったのかをお聞かせ願えますか?」
「うむ。それには前者の疑問から答える必要がある。私はあの騒動が起きるよりも前、正確に言えば昼の時点で何かが起こると予想はしていた。そのきっかけとなったのは、昼食時たまたま食堂で目にしたことに由来する。」
「昼食時に食堂でですか?」
と、その言葉に首をかしげる摩利。
するとモリアーティは二人に昼食時に件の一年生達が先ほど同じような諍いをしていたことを話した。その場は多少のいざこざはあったものの特に問題は起きずに解決したことも付け加えて言った。
そして、その場で注意をしなかったのは他にも多くの生徒がいた為に、問題を大きくすることを避けたのだと。
「だが、様子を見たところ原因はやはり司波深雪くんが一科生よりも兄である達也くんがいる二科生と行動を共にすることを望んでいるのを森崎くんをはじめとした一科生の生徒達が不満に思ったといったところだった。」
その内容に顔をしかめる真由美。
摩利もまた呆れたような顔でため息をついた。
「まぁ、午後の見学は一科生と二科生はそれぞれ別のグループとして行われるから、まぁ午後に何か起きることはまずないだろう。となると、問題はその垣根が解き放たれる放課後に何か起きるのではと考えられる。しかも、今度は学内における使用を防ぐ為に預けておいたCADを持っているわけだから、その危険性は容易に見当がつく。」
「なるほど、その為にCADを?」
モリアーティの説明を聴き、摩利は納得した。
「CADの使用禁止を理解してるとはいえ、多感な年頃の若者だ。冷静さを失い魔法を使用する予想を考えてのことだったが、まさか本当にそのようになるとは…。何かの際の対処としてこの杖をもっていたわけだよ。もっとも真由美くんの見事な遠隔魔法によるキャンセルがあったおかげで杞憂となったがね。」
と、モリアーティは称賛の言葉を真由美に贈る。
すると、真由美は新たに生まれた疑問をぶつける。
「でも、どうして校門だと分かったんですか?」
「うむ、もう重々分かっていると思うが、司波深雪くんは達也くんと極力そばにいることを望んでいる。となると、放課後に彼女が起こす行動は自ずと共に下校する為に待ち合わせすることになるだろう。この場合、教室での待ち合わせは考えられない。昼の件があったのだから好き好んでそれぞれの教室には行かんだろう。となると、待ち合わせ場所は誰もが共通して目指す場所、つまりは校門となるわけさ。」
モリアーティのその説明に二人はただただ感嘆した。
先ほどの校門での状況把握もそうだが、今の予測に関しても正直に言って常軌を逸していた。
昼食時の僅かないざこざを目にしただけで、コレほどまで未来視に近い予測を行うなど、常人には不可能だ。
そう考えていると、モリアーティは二人を見て言った。
その眼差しはそれまでの穏やかなものとは異なり、一抹の厳しさがあった。
「さて、これを踏まえて君達二人には言っておこう。」
その初めて見る真剣な表情に真由美はもちろん摩利もまたたじろぐ。
一体、何だろうと。
礼を失した疑いをかけたことによる叱責とも思ったが、そうではなさそうだ。
そして、モリアーティは二人に言った。
「少しばかり、生徒会長、風紀委員長としての気概が足りなくはないかね?」
「「っ!!」」
その言葉に身を正す二人。
そんな二人を、第一高校の象徴たる生徒を前にモリアーティは続ける。
「君達が優秀な生徒であることは承知している。君達のその立場が何よりの証明だ。しかし、入学2日目にしてあわや傷害の可能性があったかもしれない事件が起きてしまった。」
「それは…」
反論の出来ないモリアーティの言葉に真由美は俯き、
摩利は悔しさを極力顔に出さずに拳を握りしめた。
「一科生と二科生の軋轢を誰よりも知っているのであれば、先ほどのような事態の予測は出来るだろう。いや、予測できないにしても予想することはできるはずだ、そしてその為の対処を事前に設けることもね。」
「「はい…」」
「君達が優秀なのは周知の事実だ。おそらく、真由美くんならもし光井ほのかくん以外の生徒が魔法を行使したとしても、即座に対応できただろう。しかし、それが出来たからと言って、それが本来の君の役目かね、違うだろう?」
その言葉は真由美にとって非常に重くのしかかるものだった。
そう、発生した事案を処理するのではなく、発生そのものが起きない状況を整えることこそが生徒会長の務めに他ならない。
「そして、摩利くん。君は当初は状況の説明を起動式を展開しながら問いただそうとした。しかし生徒会長の真由美くん、そして風紀委員長の君がいる時点で一年生達は萎縮していた。そのような状況で正確な状況の説明ができると思うかな?確かに風紀委員には不正に対して、力を行使する必要がある。それにより、事態の収束はなるだろうが、力によって押しつけられた意思は反発を生む。それでは一時的な措置にしか過ぎない。風紀委員もまた何故そのようなことが起こったのかを正確に把握する必要があるのではないかな。」
「おっしゃる通りかと…。」
風紀委員は校内において警察的な役割を持つと言われている。
だが、モリアーティの言う通り、力による解決のみを重点においては真の意味で風紀を正すことにはならないのだと摩利もまた改めて認識させられた。
最高学年となり生徒を代表し、第一高校の先頭に立つ二人にモリアーティの言葉が鋭く突き刺さる。
いつからか、二人はその優秀さと真由美に至っては十師族という背景ゆえに、周りから指摘されるということを忘れていたのかもしれないと思った。
そんな二人にモリアーティは語りかけた。
「真由美くん、摩利くん。顔を上げてもらえるかな?」
「「はい」」
「気を落とさせてしまって申し訳ない。だが、今言ったことはやはり老人の戯言に過ぎない。だが、それでも君たちの何倍も生きている分、私は様々な人間を見てきた。その上で言うのであれば君たちは困難と知りながら、現状をよしとせずにこの第一高校がより良いものになるよう邁進している。誰かに課せられたのではなく自らの意思で、志を同じくするものと手を取り合ってだ。」
そして、モリアーティは伏目がちになっている二人の顔を見ながらはっきりと言った。
「良いかい、誰が何と言おうと、それは素晴らしいことなのさ。だからこそ、私が伝えたことを考えてみて欲しい。」
「モリアーティ教授」
真由美と摩利の目に光が戻る。
すると、モリアーティは満足したような笑みを浮かべて言った。
「もちろん、その志は私も深く共感している。だからこそ、覚えておきたまえ。君たちが志し、そしてその掲げた目標は君たちだけのものではないのだと。それは今の在学生だけに関わらず、君たちが卒業した後にも継がれるべきものだと言うことを。君たちの役目は、そんないずれその志を継ぐ者達の為の道を少しずつでも歩みを進めて築くことだと、私は思うよ。」
そして、モリアーティは二人の肩を軽く叩く。
彼女達の顔はもはや先ほどとは打って変わって、晴れ晴れとしたものだった。
「もちろん、私も出来ることがあれば協力は惜しまない。これでも、君たちの教師の一人だからね。もっとも私に出来ることなどたかが知れているが、それでもよければいつでも来なさい。何せ暇を持て余している身だ、悩める少女達の相談をお茶をしながら乗るくらいの時間ならあるつもりだよ」
「はい、是非」
「よろしくお願いします」
モリアーティの言葉に二人もまた笑顔で答える。
そうして、モリアーティは二人に帰路の安全を促すと、生徒会室を後にした。
夕日のオレンジ色の光が刺す教室の中
大きくなった影は二になり、そこにはあった。
to be continued