全てを呑み込む、渓流の闇の中、
切れた雲の隙間から、
闇に浮かび上がる、巨大な影。
月影を受けて煌く、総身の
強靭な四肢の先端で輝く、鋭利な
頭頂部から尾まで続く、黄土色の甲殻。
突き抜ける風に
遥かなる天を
無数に飛び回る黄金の
「無双の狩人」は
背電殻が突き立つ
解き放たれるは、蒼き一閃。
月下に轟くは――
*
紅葉が見頃を迎えた頃……、ユクモ村は、観光客で溢れかえっていた。
良質な温泉が湧き出るこの村では、紅葉の時期に、観光客のピークを迎える。そして、もうすぐ祭りが開催されようとしていた。
村が賑わう中、ユクモ村のハンターズギルドを兼ねた集会浴場では、物々しい雰囲気が漂っていた。
「この村に、かつてない危機が訪れようとしております」村長は、対面するソラとレオンに向かって言う。
「かつてない……危機?」ソラが訊き返した。
「えぇ……。調査員の報告によりますと、渓流に【ジンオウガ】が現れた、と……」
「……ジンオウガ?」
「えぇ。普段は、渓流の奥深く……いえ、ここから遠く離れた場所に住んでいるモンスターです。過去にもユクモ村近辺に出没したことはありますが、それも一瞬の出来事で……」
「でも、今回は違う、ってことですか?」
村長は、こっくりと頷く。
「そうですの。実は、かなり長い間、渓流近辺に滞在していたものと思われます」
「どんなモンスターなんですか?」
「それは、言葉で聴くよりも文献を見た方が早いでしょう……」村長は、着物の裾から数枚の文書を取り出した。「こちらです」
一枚目には、概要を説明したと思われる文が記されていた。
ジンオウガ――
別称、「
またの名、「
蒼い鱗と
特殊な雷光虫を引き付け、雷を操る。
強靭な四肢を持ち、
尖爪の一閃は、
掠めただけで意識を刈り取る。
そして二枚目には、絵が描かれていた。天に向かって生えた角、鋭い鉤爪、大きな尾が特徴的に描かれている。
「ジンオウガは、とても強力なモンスターなのです」
「あ、そうか……」レオンは
「えっ、何なに?」ソラはレオンの顔を
「その……ジンオウガが現れたから、モンスターが立て続けに現れたんじゃないか……、と思って」
「えぇ。ギルドの方でも、そういった見解で落ち着いておりますの」
「アオアシラ、ドスジャギィ、クルペッコ、リオレイア……」ソラは指を折って数えている。「みんな、ジンオウガに追われるようにして渓流にやって来た、ってこと……?」
「そう。つまり、この地域で生態系の頂点に立つ者、ってわけ」
「王様?」
「うん、そういう解釈でいいと思う。王が現れたから、皆、慌てたんだろう」
「それで……」村長は声のトーンを少し落として言った。「本題は、ここからです」
彼女の言葉に、ソラたちの背筋がぴんと伸びる。何を言われるかはわかってはいても、改められると、やはり緊張感は出てくるものである。
村長は、ゆっくりと口を開いた。
「あなた方に、ジンオウガを討伐していただきたいのです――」
予想通りの言葉だった。しかし、その重みはいつも以上に大きく、濃厚に感じられた。
「お分かりのように、村にはたくさんの方がいらしています。皆様に混乱を招かぬよう、早急に討伐していただきたいのです」
「そういうことなら……」
ソラは、強い眼差しで村長の目を見る。
「任せてください。わたしたちが、必ず、討伐します」
「本当に、頼もしくなりましたね……」村長は笑みを浮かべた。「あなたのお父様がいらっしゃったなら、さぞ喜ばれることでしょう……」
「あ、そういえば……。最近、お父さんからの便りがないんですけど、村長、何か耳にされてないですか?」
「お怪我をなさったという報告もありませんし、お仕事が立て込んでおられるのでしょう。近いうちに戻られますよ」
「そうですか……」
最近、ソラは、早く父親に会いたいと思うようになっていた。
寂しさもあるが、一番大きいのは、以前とは違う自分を、成長した自分を見てもらいたい、ということだった。
(ジンオウガ討伐……)
危険な仕事だ、とソラは思う。同時に、この狩猟を達成できれば、自分の成長ぶりをさらにアピールする材料にすることができるとも考えた。
しかし、そればかりでないのも事実。
村長は、『かつてない危機』と言った。それは、ジンオウガが、アオアシラよりも、ドスジャギィよりも、クルペッコよりも、リオレイアよりも強力で……、危険な存在であることを示す。
今までは、何となく狩猟依頼を達成してきたという感じもある(とくに、最近はリザの活躍でまともに大型モンスターとやりあっていない)けれど、今回はそうはいかない……。
(ちょっと怖くなってきたかも……)
緊張と恐怖。経験したことのない事態に直面したとき、たいてい、この二つの感情が表層化する。
最近は緊張こそしなくなってきたものの、恐怖というものは、時を経ても慣れが来るものではない。
「それで……」村長が口をきく。「緊急は要しますが、今は落ち着いている模様です。狩りに行かれる時間も、早い方が好ましいですが、しっかりとした準備も必要かと思われますので、明日以降でどうでしょうか?」
「そう、ですね……」ソラは少し考える。「今日、ジンオウガを見に行くだけ行ってもいいですか?」
「えぇ、構いませんわ。くれぐれも、お気をつけて……」
「じゃあ行こっか、レオン」
「あぁ……そうだな」
ソラが先陣を切るように歩き出したので、レオンは彼女の背を追う。アトモアイルーのナナとタイガも同行している。
(少し、たくましくなったか……)
ソラの後ろ姿を見つめながら、レオンは思った。
(本人に『たくましいな』なんて言ったら怒られそうだけど)
ユクモギルドを出たところの石段を下り、彼らは渓流へと続く小道へ入る。ここから渓流のベースキャンプまでは十数分だ。
「さすがに、下見はしておかないとまずいよな」歩いて向かう途中、レオンが言った。
「――彼を知り、己を知れば……、百戦すともあやうからず、だよね?」ソラは首を捻って、レオンの方に顔だけを向ける。
「おっ。難しい言葉知ってるな」
「ちょっとは勉強してるんだもーん」
胸を張るソラを横目に、レオンは微笑んだ。
「……それにしても、タイミング悪いな。姉貴がまだいてくれてたら、まえみたいにラクにいくかもしれないのに」
前回のリオレイア戦は、レオンの姉、リザの活躍によって、飛竜相手に何の損害も出さずに狩猟を終えたのだ。それも、討伐をすることなく、お
「うん……、もしかしたら、わかってて行っちゃったのかもしれないね。わたしのために、この狩りを置いてくれてたとか」
「そうだとすれば、随分と厄介な置き土産だな……」レオンは鼻息を洩らす。
「でも、わたし、頑張るよ」
「ソラ、いつになく気合い入ってるよな」
「うーん、最近、サボり気味だからかな……」えへへ、とソラは子どもっぽい笑顔を作ってみせる。
「たしかに、それは
「アンタもよね?」レオンたちの後をついていくナナは、横にいるタイガに少しにやついた顔を向けた。
「ま、薪割りは上手くなったニャ?」
腰に手を当て、威張るようなポーズを取るタイガに、ナナは「ふーん」と白けた表情を繰り出す。
「……な、何ニャ?」
「別に。ま……、狩りのときはがんばりなさいよ」
「言われなくとも、やってやるニャ!」
そんな会話を展開して、彼らは渓流のベースキャンプに到着した。
瞬間、
「……」
レオンは口を少し開けて、辺りをキョロキョロと見回す。
ソラも、何かを感じ取ったのか、落ち着かない様子だった。それは、ナナやタイガも同様である。
「な……」タイガが口を開く。「なんか、いつもと雰囲気が違う感じがするニャ?」
「あぁ、そうだな。確かに、その通りだ……」レオンは、聴覚や嗅覚を少しだけ研ぎ澄ます。
そう遠くはない場所から聴こえる流水の音、風に乗ってやってくる多様な香り……。
そのどれもが、わずかだが、普段と違っている。
(先入観か?)
ジンオウガというモンスターがいると聞かされていたので、そのせいで、いつもとは異なる印象を受けたのかもしれなかった。
しかし、その違和感は、そこにいる全員が感じ取っている。
(つまり、この空気は……)
レオンは
「……行く前から、すごくおもたぁい感じがするね」ソラが呟く。
「そんな気がする、だけで済んだらいいんだけどな……」
悪い勘や予感は、ほとんどの場合において当たる。当たっているというよりは、そう感じることによって、無意識のうちに行動の方向性を決めているのかもしれない。だから、悪い方へことが運ぶのだ。
「とにかく、そいつの姿を見てみるまでは何もわからないな」
「百聞は一見に
「その通り」
「どこにいるの?」
「たぶん……、あのエリアだ。ソラにとって不吉な場所」
レオンのその言葉に、ソラの表情が止まり、背筋がぴんと伸びる。
「――」
彼女が唾をごくりと飲み込む音が聞こえた。
「…………こわくなってきた」微かな呟き。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」ソラは首を振った。そして、ぐっと拳を作った手を勢いよく上げる。「それじゃ、ジンオウガの
「……おう」
レオンは、下げたままのソラの手が震えているのに気付いた。
(……まぁ、怖いよな、普通は……)
でも、行動や言葉で、その恐怖に打ち克とうとしている。たいした奴だな……、とレオンは思う。
ほんの数か月前まで、臆病なガーグァみたいだったのに、今は、前しか向いていないブルファンゴみたいだ。
(ブルファンゴじゃ悪いかな)
――そして彼らは、【渓流】に足を踏み入れた。
*
渓流、エリア5。
草陰に身を包んだ狩人たちは、
無双の狩人――ジンオウガ。
四足歩行する、蒼鱗の躰。その巨体が歩くたび、微かな振動が伝わってくる。
「――」
あまりの巨大さと、言葉では言い表せない奇妙なオーラに圧倒されて、ソラは言葉が出せない。
「どうりで、ほかのモンスターが逃げるわけだ……」レオンは声を潜めて言う。
ベースキャンプ到着時に彼らが感じた違和感――それは、モンスターの気配がまるで感じられないことだった。
もちろん、ここまでの道中で、モンスターには一匹も会っていない。わずかな変化に敏感な野生のモンスターは、ジンオウガの存在に感づいて、既に逃げてしまっているか、身を潜めているのだろう。
それだけ、ジンオウガが強力なモンスターであることを示している。
「……たしかに、こんなのが渓流にうろついてたら、村の人たちだけじゃなくて、ユクモに来てる皆にも被害が出そうだね……」
「ま、ジンオウガのほうも、悪さをしようとして来てるわけじゃないんだろうけど」レオンは、姉の言葉を思い出しながら言う。「被害を抑えるなら撃退するだけでも十分だが、今回ばかりは討伐するしかないよな……」
「うん……」ソラは、唇を結んだまま頷いた。
「そろそろ帰るか?」
「ううん……」ソラは首を振ると、真剣な眼差しをジンオウガに向けた。「もうちょっと、観察してくよ」
数分ほどして、彼女は小さく息を吐いた。
「何かわかったか?」レオンが訊く。
「あ、え……と、大きさはわかったよ」
「ま……それくらいだよな。実際、闘ってみないとわからないことも多い」
「あと、特別な雷光虫を引き寄せる……って文書に書いてあったから見てたんだけど、そんな雷光虫なんて見えなかった」
「そういえばそうだったな」
「雷光虫……って、シビレ罠の材料だったよね」
「そうだな。衝撃が加わると放電する性質がある虫」
「そんなものを引き付けて、どうするつもりなんだろう……?」
「闘えばわかる。そうじゃないか?」
ソラがゆっくりと頷くのを確認して、レオンはエリア5から去ろうとする。その彼に、皆が続いていく。
雷狼竜にその眼光を向けられていることなど、つゆ知らず……。