【N.C. 998】
ネフィリムはピクリとも動かなくなった。
槍が引き抜かれて、ぼとりと体が地面に落ちる。
胴体も切り取られた足も、再生する気配は全くない。
後ろの方でリーンが嘔吐している姿が見えた。
黒い塊をじっと見つめていたブレウが静かに話し出す。
「ビオレッタさんが、情報を流していたんですね」
「……お前、何言ってんだ」
「リーンが偶然聞いていたんです。君がビオレッタさんに課長に頼まれた仕事について相談を持ち掛けていた、と」
「…………」
それなりに周囲は気にしていたつもりだったんだが。リーンのやつ、気配消してやがったな。
「ですがそれは少し不自然です。何かしら事情を知ってそうな君が、内密に頼まれたことを簡単に人に話したりするでしょうか」
「相談くらい、オレだってするさ」
「君もしくは第三課は、国家魔術師を複数人殺した犯人側への内通者だと、ビオレッタさん、いやビオレッタに疑いをかけた。だからわざと話した。違いますか?」
……そうか、『君は第三課として動いているんですか?』と聞いてきたのは、これを確認するためだったのか。
「他にも疑問点があります。君の持っている『それ』は何なんですか?ビオレッタとその背後にいる者たちが手に入れようとした物ですよね」
「おい。一つ、訂正してやる。今回のことはオレが勝手にやったことだ。ローザ課長はオレにもこれの在処を伝えていなかった」
本当なら自分の手で完全に息の根を止めてやりたかった。他の誰にも譲りたくなかった。……残念だよ、ブレウ。お前に止めを奪われるなんて。
その時、ネロが声をかけてきた。
「アコ。あなたは『ユフラ』を知っている?」
「ネロ、いきなりどうしたんですか?」
「は?……おい待て、そいつってアプシントスのボスじゃなかったか」
「どう?」
「……そんなのオレも知りたいくらいだ」
「なら、いい」
なんでこんな人物の名前が、ネロの口から飛び出してきたんだ?
ネロと何か関係があるのだろうか。
ユフラは『前回』でも会うことのなかった謎の多い人間だ。
「ちょっと待て。黙ってさっきから聞いてれば、内通者だのなんだのって……。まさか、ネイブさんが死んだのは」
そんな中、近くから駆けつけてくる声や足音が聞こえてきた。
時間切れみたいだ。今ちょうどいい位置にいるから楽に撤退もできるだろう。
「君の単独行動……。ウィステさんの件への報復ですか」
「違ぇよ。あの女なんてどうでもいい。オレはただ暴れたいだけだ。ビオレッタもちょうどよく堂々と殺せそうだったからやっただけ。他の奴らも皆そうだ」
どうか、ウィステ先輩がこのことで少しでも気に病むことがありませんように。
「他……?」
「ああ、そうそう。ブレウ、お前が時々言ってきた一般市民殺し、やったのはオレだ。お前は犯人にのうのうと推理披露してたってわけだ。残念だったな」
言い終わるや否や飛んできた矢を、つかんでへし折る。
「さてと。今日のところは逃げさせてもらう」
もともと仕掛けておいたものを起動させた。
……空き家を調べた甲斐があったというものだ。
「なっ!逃がすか!!!」
真っ先にレドが接近してこようとするのと同時に両脇の建物が爆発し、路地に大量の瓦礫と埃が舞い込んでくる。
「オレには爆破のノウハウがあるんだよ!」
捨て台詞を吐いて、瓦礫に巻き込まれないようとにかく走る。
後ろから聞こえてくる声に振り返ることなく、今度こそオレはその場から逃走に成功したのだった。
§ § §
首都を出て、第12地区の外側に広がる森に入る。
そこには猫がひっそりといた。
「会議場の方はなんとかなったようだぞ」
「僕地味に頑張りましたからね!」
最低限の荷物を持ったグレイが突然目の前に現れる。
そうか、うまく行ったか。そっちは他人頼みだったからな。良かった。
「しばらく首都には近寄れねぇな」
「当たり前である。あれだけの事件があれば流石に警戒体制が強まるだろう」
首都の方を見ると、まだ少し煙が上がっていた。しかし、何かが壊れるような音は聞こえてこない。
「顔隠してた仮面ないですけど、誰かにバレたんですか?」
「ああ。とりあえず逃げてきた。……もともと軍に入ったのは内通者探しのためだ。もういる必要ないからな。辞めだ辞め」
「雑な退職だなあ」
「オレはお前みたいに姿が見えなくなる魔術なんて使えないんだよ。それ、どうなってるんだ」
「えー、これはですね、光を……、どこから説明したほうがいいでしょうか」
「……なんか難しいことをしてることは知ってる」
「…………うん、じゃあまた今度ちゃんと説明します。なんで物が見えるのかって話から」
猫が足元でニャーと鳴いた。
「内通者を排除したわけだが、お主はこれからどう動く?」
「軍の方はもう大丈夫だろ。また新たな裏切り者発生、とかなったら困るけど。その辺りは今回のことで相当ピリピリするだろうし、なんとかなると信じたい。……それでまあ、隕石の欠片を全部壊すことにした。手始めにこれを奪ってきたぞ」
「脱走兵なのに加えて、強盗殺人犯じゃないですかやだー」
懐から箱を取り出す。
今は箱を閉じている状態だ。先ほどの様子を見るに、この箱にいれておけば隕石の欠片はネフィリムには見つけられないらしい。
“また逃げるの?”
「あーあ、しばらくは逃亡生活かぁ。生活の質が落ちるのは嫌だなー。……ローザ課長でしたっけ。それ集めると危ないってわかってそうな人がいるなら、任せっちゃってもいい気がしますけど。だからお師匠、もう大人しくお縄についてもいいのでは?僕はあなたに脅迫されて働かされていた小さな子供として振舞うので。事実小さな子供なので」
「ふざけんなこのクソガキ。……仮に他の欠片を軍が管理していても、なぜ今まで壊してなかったのか不明だし、アバドーンやアプシントスに奪われる可能性があるくらいなら、オレがぶっ壊した方がいい。それに、これを集めることで『天使』が復活するなら、首都にも置いておきたくない」
「物騒ですねぇ。で、隕石の欠片って、いったいいくつあるんですか?」
「知らん」
「幸先が悪い返答やめてください……」
会話をしながら暗い森の中を進んでいく。
首都からは遠ざかっていく。
“……りたい、……ぇりたい”
一年もいなかったけど、首都はオレにとって居心地のいい場所だったかもしれない。だからもうここから離れなければ。ここに俺みたいな人間はいちゃいけない。
“見たくない物から目を背けてるんだね”
「お師匠は隕石の欠片も壊し終わったら、どうするんですか?そこまでいけば、この世界ってとりあえず隕石関連は安全ですよね」
「そうだな、そこまで頑張れたら……、アイリスにでも会いに行こうかな。最後に話したとき、何か言ってたのをもう一度聞き直したい」
「アイリス?誰ですかそれ」
「さぁ」
「さぁ、ってまたお師匠は適当なことを言う……」
猫は黙ってついてきていた。
誰の物かわからない声もまた、ついてきていた。
§ § §
満天の星の下、とある場所にて。
「良い知らせと悪い知らせがあるのですが……。どちらからお聞きになりますか?」
ひょろりとした男が、切り株に腰かけている女に話しかける。
女の足元には微かに息の根がある人間が転がっていた。
「そうねぇ。悪い方からにしましょうか」
「オーキッド様がアプシントスと手を組みました」
「あらあら。あのビビリな男、せっかくクリムノンがいるのに……。ついに自分の手の者の力すら信じられなくなったのね。愉快だわぁ。それで?良い知らせは?」
見に纏う黄色いローブの裾からはポタポタと水が流れ出ていく。その水は足元の人間の顔を覆っていった。
「先日首都で、手を組んだ彼らに動きがあったのですが、失敗したようです。軍に忍び込ませていた内通者は排除され、上層部潰しもできなかった。おかげでオーキッド様の権威は失墜、アプシントスも今回使った例の手駒、ネフィリムを軍に確保され、大きな打撃を受けた様子です」
「ネフィリム……。ああ、あのオモチャのことね。ヒュウ、話はそれだけ?」
「いえ。あともう一つ、面白い話を耳にしまして」
「ふぅん。もったいぶらずに早く言いなさい」
少し不機嫌になった女と呼応するかのように水はうねり、倒れた者の口、鼻、耳、目を侵し、完全に沈黙させる。
その様子を見ていた男は若干引きつつも、話を続けた。
「オーキッド様やアプシントスが手にいれようとしていたのは、『
「……今は軍が持っているということかしら?」
「それが、第三者に奪われたようです。軍は隠蔽しようとしていますが、事件の直後脱走兵が一人出ており、彼または彼女が持って逃げ出した可能性があります」
「それじゃあ、その子に会ったら譲ってもらわないと。もし譲ってくれないのなら……、お仕置きね」
女はクスクスと笑う。
「……探しに行かなくてよろしいのですか?」
「
「は、はあ……。アプシントスは魔力子研究やネフィリム開発だけでなく、空間の歪みについても研究していました。これは
「そうかもね。でも最後に全てを
夜空を見上げたクリュティエは、待ち遠しさを抑えきれない様子で言った。
「もうすぐ千年だもの。キレイになったこの地上で、早くあの方と二人きりで会いたいわ」
次回から無職です。