【N.C. 998】
「……ああ、ピエールさん?もしかして会ったのかい?」
ピエールという湖にいた男について、案内所の女性たちに聞いてみたところ、いくつかのことがわかった。
彼はこの町の出身であり、昔は役場で真面目に働いていたらしい。しかし、ある日突然仕事を辞め、湖のほとりに小屋を建てて現在まで潜水艇製作に勤しんでいるとのことだ。真面目だった人間の急な転身に、最初のうちは町民もなんだなんだと様子を窺うこともあったが、今はもう興味を持つ者もいないんだとか。
「湖に潜ってどうするつもりなのかは知らないけど、死体が浮いてますみたいな話だけは勘弁してもらいもんだね」
「そうねぇ。だんだん都会のほうに人が出ていっちまってるってのに、町に変な噂が立つのはちょっとねぇ……」
彼女らはやれやれといった様子でそう締めくくった。
問題となったグレイ待ちの一週間の過ごし方は、前半は観光を装い、後半は森の中でこそこそ野宿する予定になった。いつまでも町に滞在するのは悪目立ちすると思ったからである。
そういうわけで帽子を目深にかぶってオレは町に出ることにした。ちなみに猫はグレイのほうについていった。
町の小高いところには湖を望む事の出来る展望台があるため、行ってみると他にもチラホラ観光客がいる。湖は森に囲まれていることから、直接行くよりかはこうして町の安全なところから見る者が圧倒的に多いようだ。ピエールの小屋周辺を見ることができないかと身を乗り出してみたものの、地形や距離の都合でここからはあまりよく見えなかった。
「お嬢さん、そんな風にしていたら危ないよ」
はたから見たら少し危なげな行動見えたらしく、近くにいた小柄な男性に声をかけられる。
男性は神官の格好をしている。展望台の近くにはこの国でメジャーな宗教の小さな神殿があったことから、そこの人間だろう。
「何を見ようとしていたんだい?」
「……昨日たまたま湖のほうへ行ったら、奇妙な物を作っている小屋があったので、少し気になって」
オレはピエールの小屋の方角を指差す。神官の男性はどこか懐かしむような口調で返した。
「なるほど……、ピエールのか。それじゃあ、もう湖のほうはかなり歩いて見に行った感じなのかな。どんな様子だったのかい?」
「少し湖の中を潜水艇で潜っていました」
「そうか。あいつはすごいなあ」
彼は小屋の方向を見ながらしみじみとしている。結構フランクに呼んでいるあたり、この神官の男はピエールと知り合いなんだろうか。
オレの疑問を知ってか知らずか、男性は静かに言った。
「あそこの小屋の主、ピエールとは古い友人なんだよ。……突然話しかけてしまってすまなかったね。僕はエドワード。そこの神殿で神官をしている者だよ」
友人か……。
オレはピエールさんのことについて少し気になっていたことがあったため、つい聞いてしまった。
「『自分の身で湖の中を見たい』と言ってましたけど、昔魔術師が行った調査では底に何もなかったんですよね。なんでそこまでピエールさんは頑張ってるんですか?」
案内所の女性によれば、たった一人でかなりの期間を潜水艇製作に費やしている。それも仕事を辞めてまでだ。何が彼をそこまで突き動かしているんだろうか。
男性は目をぱちくりとさせていた。
……しまった、初対面なのに突然質問をぶつけたのは不味かった。
何か取り繕うことを言わなければ。
慌てて適当に話そうとすると、
「久しぶりにピエールのことが話題になったから、なんだか懐かしくなってしまったな……。お嬢さん、おじさんの昔話に付き合ってくれるかい?」
そう言って、エドワードは微笑んだ。
「もともと潜水艇を作って冒険することは、ピエールだけじゃない、僕らの夢だったんだ」
「僕ら?」
「ああ、僕とピエールとあともう一人、子供の頃いつも三人でつるんで遊んでいたんだよ。今はこんなおじさんになってしまったけどね」
このおっさんやあのおっさんにも子供の頃があったのか……。常識的に考えれば当たり前なのだが、ちょっと驚いてしまう。
「あの日は特に水がきれいな日だった。いつものように三人でここに集まって湖を見たとき、何か底でキラリと光った気がしたんだ。あの頃はまだ、魔術師による湖底の調査も行われていなくて、この湖には太古の町が眠っているんだって信じていたから、僕らは調べに湖へ走った」
「光った!?それって何色だ!?あ、いや、だったんですか」
「え?い、色かい?そこまではちょっと……」
もしかして隕石の欠片かと思い、話の腰を折ってしまった。だが、エドワードも相当昔のことのため覚えていないようである。オレは話の続きを促した。
「それで、どこまで話したかな。そうそう、まず真っ先に着いた僕が湖に飛び込んだ。しかし、運悪く足をつってしまって溺れたんだ。けれど一緒にいた二人が危険を顧みず助けてくれたことで、どうにか助かったんだよ。あとで大人からは大目玉を食らったなあ」
これってオレの人生何回分くらい昔の話なんだろうと聞きながら考えてしまう。
このおっさんが大人に怒られるくらいの年齢……。三回分くらい前?うーん、想像つかない。
「そのとき、三人で見た水の中の世界は今でも覚えているよ」
エドワードは湖を眺めている。
「溺れてるっていう危機的な状況なのにのんきに思ってしまった。なんて青くてキレイな世界なんだろうって。水の中はね、下にいけばいくほど青くなっていくんだ。もっとよく見たかった。だから僕らはいつか三人でこの湖の底を自分達の力で探検しよう、いや湖だけじゃなくて、海の底まで探検しに行こうって約束をしたよ。それで若い時は潜水艇ノーチラス号をどう作るか話し合ったものだ」
「……ピエールさん、潜水艇にその名前つけてました」
彼は溺れた時にあの潜水艇のことをノーチラス号と呼び、自身の身よりもそちらの方を優先していた。自分だけの物じゃないからそう振舞ったのかもしれない。
オレの言葉に寂しそうに笑った彼は続けた。
「けれど、幼馴染の一人は色々あって首都で働くと町を出ていってしまった。町に残った私もあいつも年を取るにつれてお互い忙しくなって、家庭に生活の中心が移って、あまり会わなくなって……。お嬢さんくらいの歳頃だとまだわかりにくいかもしれないけれど、時間というのはあっという間に過ぎていってしまう。歳をとればとるほど、過去から遠ざかる速度は速くなるんだ。昔のことはどんどん思い出せなくなってしまう。現に私は、あの頃のことを今日みたいに思い出すのは、もうほとんどなくなった」
この人とは逆に、ピエールは昔のことを忘れないでいるから、今も潜水艇を作ろうとしていることになる。過去を忘れるのが普通なら、それでも思い出し続けている人間は何なんだろうか。
「けれどピエールだけはその時の夢を追い続けているんだろう。どんなことに対しても、昔からあいつが一番粘り強かったからね」
「……それは悪いことなんですか?」
「神官の僕がこんなことを言っては信仰が浅いと怒られてしまいそうだが……、善悪なんて所詮人間が決めたことさ。だから少なくとも僕は、夢を追い続けることを悪いなんて言えない。……さて、このでお嬢さんの悩みに対して、少しは解決の助けになったかな?」
「悩みって……、別にそんなことはないですけど」
「ははは。そうか。もし何か話したいことがあれば神殿においで」
「はあ」
「それから手前みそだけど、そこの神殿は国内でも有数の歴史を誇っているんだ。あと一か月もしたら新年だから、それを祝う祭りの準備もしている。ぜひ見ていってくれ」
最後に俺はエドワードに一つだけ質問した。
「あの、今はもう手伝おうとは思わないんですか」
「湖の底はとっくに調べつくされているんだよ、お嬢さん。いまさら僕にできることなんて何もない」
§ § §
グレイとピエールが白熱した議論を一日中展開している様子を少し眺めたりしてみたが、オレには何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
しかし人手は必要そうなので、湖に潜水艇を浮かべて試験をしているのを手伝ったりもしている。日を追うごとに沈む時間が長くなっている気がした。
そうしているうちに、この町への滞在は後半期間へ突入した。
宿から引き上げて森の中で食料調達したりと、のんびりしている暇はないはずなのだが、オレはのびのびと過ごしてしまっている。
ピエールは潜水艦以外は眼中にないのか、こちらがコソコソとしていても特に詮索してくることはなかった。グレイは潜水艇作成の戦力として大きく貢献しているらしく、この数日で随分と親しくなった様子だ。
さらに何事もなく時間は過ぎて、明日で一週間になった日。今夜もオレとグレイ、ピエール、ついでに猫も焚き火を囲んでいると、喜びを隠しきれない声での提案がきた。
「明日、湖底まで潜水試験する。そこで提案なんだが、二人とも私と一緒にノーチラス号に乗ってみないかい?ノーチラス号は三人乗りなんだ」
「お師匠が心配してそうな安全性はもう確保されてますよ!」
ノーチラス号は三人乗り。先日のエドワードという神官の話を思い出すと、オレたちじゃなくて、本当は……。
「大きいほうの少年はどうかね?」
「まあ、考えときます」
「そうかそうか」
まだ緑色の葉が燃えてパチパチと音を立てる中、ピエールは感心した様子で言った。
「いやはや、グレイくんはすごいな。君のおかげでもう最終試験だ。……最初はこんな子供が、と正直侮っていた。すまない」
「そんな!元からほとんど完成していたじゃないですか。僕がいなくてもいずれできたはずです。むしろ僕の方が我儘を言って無理やり手を出して、すみませんでした」
「なんで互いに謝りあってんだよ」
突っ込みを入れると、グレイはぼそっと呟く。
「だって僕、ちょっとズルをしてますし」
「はあ?」
あまりにも声が小さかったので流石のオレにも聞き取ることができなかった。聞き返してみても、「なんでもないです」とごまかされていると、猫がすり寄ってきたので魚をくれてやる。調子のいいやつめ。
「グレイくんの将来が楽しみだよ。君はきっと素晴らしい技術者になる。私よりもずっとね」
「ピエールさんはすごい人です!!!一人でずっと頑張ってきたんですから」
グレイに褒められたにもかかわらず、浮かない顔をして彼は返した。
「……これは自分一人の力じゃないんだ。友人たちの力なんだよ。このノーチラス号を直接設計したのも、どんな材料や技術を使うのか決めたのも、若いころの友人たちによるもので、私がやったのはこんなものにしたいという構想だった。だから、さっき『元からほとんど完成していた』と言っていたね。それは私の力じゃない」
「……っ、でも、今実際にノーチラス号を製作しているのはピエールさんです」
「私は不相応にも子供の夢をいつまでも忘れられないで、周りからは変人だと指差されている。ただ、それだけだよ」
焚火に照らされた中年男性の座っている姿は、どこか一回り小さく見えた。
「友人二人がどんどん大人になってノーチラス号を忘れていく中、自分だけがいつまでも覚えていて……。まるで自分だけが彼らのようには成長できずに置いていかれて、彼らの遠ざかる背中を眺め続けているような気がずっとしていた。いや、今もずっとしている」
ピエールは煙草を取り出して火をつけた。煙が上へ登っていく。
「それでも歳だけは取ってしまってね……。歳を重ねると、自分でできることが増えてくる。自分ではできないこともわかるようになる」
「ピエールさん……」
「私は凡人だ。子供の頃は湖や海の底にはどんな世界が広がっているのか、夢見たものだが、大人になると自分の限界を理解してしまった」
「でも、今ここで潜水艇を作っているってことは、諦められなかったってことですよね?」
グレイの言葉に彼は曖昧に笑っていた。
焚火を片づけていると、ピエールは今まで触れてこなかったことを聞いてきた。
「君たちは兄弟で旅行しているかい?グレイくんは大きいほうの少年の呼び方がなんとも不思議だが……」
「え、えーと」
「ああ。そういえば、探し物があると言っていたね」
冷や汗を流しているグレイの頭を掴み、代わりにオレが答える。
「まあそんなところです」
「あいたたたた、何するんですか!?」
……なんかこいつ、身長伸びてないか?
オレの微妙な視線に気がついたのか、誇らしげにこのクソガキは言ってのけた。
「僕の背があなたを超す日も近、いだだだだだだだだだだっ!!!!!」
突然のグレイの奇声に驚いた様子ながらも、ピエールは微笑ましいものを見るような顔つきになって言った。
「君たちの探し物、見つかると良いなあ」
最初は明るくて元気なマッドサイエンティスト系お姉さんを出そうとしていたんですが、気がついたらおっさん三人になっていました。