【N.C. 998】
緊張と焦りが極限まで高まったのか、自分の心臓の音が良く聞こえるなと、どこか他人事のように思ってしまう。
「……
こいつは今持っている石を寄越せ、と言った。そんなものは、一つ、いや、二つしかない。オレ達が隕石の欠片と呼んでいる物のことだろう。
オレがなぜ隕石の欠片、クリュティエの言う
クリュティエは頬杖をつき、眉間にしわを寄せた。
「そう、言うこと聞いてくれないなんて……」
『言うことを聞いてくれないなんて、またお仕置きね。それとも、あの子にやってもらった方がいいのかしら』
とっさに首を触ってしまう。泥水でできた刃がいくつも飛んでくる中、オレは森の中へ逃げた。
「かくれんぼ?ふふふ、困った子ねぇ。どこに隠れたの?」
くそっ、どうする……。クリュティエは基本単独で動くため、他の人間はさほど気にしなくてもいいはずだ。しかし、もしも他にいたら。いや、そんなこと気にする余裕なんてない。
木の陰に隠れているが、こうして対策を考えている間にも近くの木に水の刃があたる。あの刃を避け、水のカーテンを突破して接近しなければ、オレに攻撃手段はない。
魔術師は基本的に、魔術による生成物を手やMARGOTから発生させる。原理的には体表面からならどこからでもできるが、魔術を使うのは手足を動かすのと同じ感覚で行うためか、ほとんどの者は手や足からだ。
しかし、この女は違う。体表面のどこからでも水を生成することができるのだ。そのあらゆるところから生み出される水は足元から半径2mにわたって展開されていて、隠れて近づこうとしても水の揺れによって察知される。制御できる水の量は限度があるらしいが、それを確かめる方法が今ない。手持ちの拳銃にしたって、撃とうにも混じり物の水の壁によって防がれるし、そもそもオレの腕では当たらないので、こちらの位置がバレるだけ。どうにか気がつかれず接近して手持ちの刃物で襲おうにも、水が操れる限りはこれまた混じり物の水で防がれる。投げてダメージを与えられるほどの大きさや硬さの物も足元には落ちていない。
使える物はないか、あたりを見渡しても木しかなかった。そりゃあそうだ、森だし。畜生!
何度も水の刃を受けた木のうち一本が倒れる。
「あらあら、危ない」
お前のやってることの方があぶねーよ。
……いや、これは使えるか?
幸か不幸か近くにも倒れそうな木があった。木の高さ、クリュティエとの距離を目測する。
「急に飛び出してきたわね。かくれんぼは終わりかしら?……なっ!?」
渾身の力で蹴りの入った木は、蓄積されたダメージもあいまって倒れていく。その方向は狙い通りクリュティエのいる方向だ。あともう一本くらい食らっとけ!
「くっ……!」
展開していた水が倒木という質量を伴った攻撃の防御に割かれる。
さらに向けられた拳銃に視線だけ向けたクリュティエは水の盾を作った。
しかしその盾は、銃弾を防ぐにはあまりにも弱弱しかった。
「くたばれぇぇぇええっ!」
「しまったっ……!」
水の盾を別の物に切り替える前に、クリュティエに向かってナイフを振り下ろす。
『そのナイフをそのまま振り下ろすだけでいいのよ?大丈夫、
昔言われたことをそっくりそのままお前に返して、今度はオレがお前の止めを刺してやる!
「なーんてね」
刃がクリュティエに届くのを見届けることはできなかった。
「そんなっ!?」
流体でできた縄が首のまわりに纏わりつく。ナイフは新たな水の盾によって動かすことができず、拳銃は手から落とされた。
「可愛い顔してるから、つい嬉しくて……、ごめんなさいね?」
こ、こいつ……!まだまだ余裕だったってわけか……!!
「一生懸命なあなたのこと見てたら、すこし欲しくなっちゃったわ」
「がっ……!」
『いつまでも
首と腕が動かせず、逃げられない。じわじわと首が絞められていった。
生理的に出てきた涙でかすむ視界の端がキラリと光る。微笑むクリュティエが見える。
逃げられなくて、怖い。
でもそれ以上に心底、腹の立った。
こんなところではオレは終われない。
こんなやつに怯えて、何もできないオレでいたくない……!
「あら、なぁにその目」
「……こ……ぁ」
「何を言ってるの?」
だから、訝しげに見てくるこの女に言ってやった。
「……この、クソババアって言ったんだよ……っ!!!」
首に巻き付いていた水の縄を操られ、そのまま近くの木に叩きつけられる。
「はあ……!はあ…っ!!!」
けれどそのおかげで、首を絞めていた物は外れた。
「まずはその口調をどうにかしたほうがいいわね!!!」
再びクリュティエの水が迫ったとき、
「お師匠!」
声と共に黒い箱が投げ込まれる。その箱からは先がどこにもつながっていない、二本の細い線が伸びていた。
「なにを……!?」
線をつかんで、その先端をクリュティエに直接繋がる水へ接触させる。
あの電池ってのは随分電気を蓄えてるみたいだったからな……っ!
「ああああああああああぁぁぁぁあああ!?!!!??」
バチッという大きな音と女の絶叫が響く。
魔術による水は直ちに地面へ落ちて、ただの液体と化す。それを操っていた者は倒れ、痙攣していた。
「はあ……、いくらお前でも、無防備に感電すれば動けないだろ」
すぐに距離を取ったものの、自分が感電しなかったのが不思議だ。……そうか、手袋を返し忘れていたから、平気だったのか。
危機を救ってくれた箱は投げられた衝撃で歪み、中の液体が少し漏れ出している。その匂いなのか、刺激臭が少しした。
「おーい、大丈夫かい!??」
「お師匠!!!」
声のした方に目だけ向けると、男性二人と子供一人が駆け寄ってきている。
「無事ですか!?」
「まあ、なんとかな」
「グレイくんが慌てて戻ってきたと思ったら……、突然襲い掛かってきたなんて、この女性は一体何者なんだ!?」
「それよりもピエール、町に戻って憲兵を呼んでこなくては。お嬢さんも怪我をしているようだし」
どうやらグレイはピエールとエドワードに助けを求めに行ったらしかった。
電池とやらを投げてくれたのは助かったが、憲兵を呼ばれるのは困る。
あ、電池……、壊れてるじゃん……。
大きさと飛距離的にグレイが投げられたとは考えられない。ピエールかエドワード、二人のうちどちらかが投げてくれたのだろう。
ホッとした様子になっていたグレイが、歪んだ箱を見て顔を青くする。
「ピエールさん、すみません。電池壊れちゃってますよね……」
「いいや、気にしなくていいんだよ。エドワードに投げてもらうように言ったのは私だし、お嬢ちゃんが無事だったことの方が大事さ。それにまた作ればいいんだから」
クリュティエはまだ行動不能のようだが、死んだわけではない。このまま放置しておくのは危険だ。それに、木が倒れる大きな音がした。たとえ呼ばなくても、異変に気がついた町民や憲兵が来るのは時間の問題だろう。
魔術が使えるくらい回復する前に首を落とし、ピエールらが混乱している間にグレイを抱えて逃走する。
……よし、これでいこう。
倒れたクリュティエに駆け寄ろうとしたが、本能的に立ち止まる。それと同時に、目の前に何かがまた投げ込まれた。
その物体を認識したのと、回避行動に出たのはどちらが先だっただろうか。
鋭い閃光から身を守ろうとした両腕をおろすと、エドワードの慌てた声が聞こえた。
「うわあ!?な、何なんだ、さっきから!??!?!」
しかし、それに返答することなく、クリュティエの近くに現れた人物に警戒する。
「あ、の、ガキを、はや、く……!」
「しかしクリュティエ様、そろそろ町の衛兵もやってきそうなので、ここは退却しましょう。それと手を出すなと言われていたのを守っていたのですが、この場合はセーフですよね」
もう喋るくらいには回復しているのか……っ。
とぎれとぎれの言葉に、妙に落ち着いた声で返答したのは、ヒュウであった。
この男の言う通り、微かに何人か人がこちらに向かっている気配がする。それに一瞬気をとられた隙に、
「どこかでお嬢さん、お会いしましたか?いやはや気のせいか。それでは、ここは失礼させていただきます」
再び閃光と煙幕が場を包む。それを無視し、自分の感覚を頼りに追いかけようとすると、オレに向かって木が何本か倒れてきた。そのうちの一本がグレイたちのほうに向かう。
「ぐっ……!」
彼らを下敷きにする間に、木の根元側に転がり込んでどうにか支える。
「うわわわわわっ、てこの原理的にはすごく力がかかってますよ!」
「いいから、ささっとそこどけ!!!」
「はい!ごめんなさい!」
三人の位置を確認して、ゆっくり木を下ろす。
こうしているうちに、クリュティエとヒュウの姿は消えてしまった。
「はあ……」
溜息をついていると、中年男性二人がポカーンとオレを見ていた。
「た、たまげた……。随分と怪力な」
「身体強化、とりわけ筋力の強化の魔術では?」
「まあそんなところです」
適当にごまかしたところで、いよいよ「あっちでまた木が倒れたみたいだぞ!」という声が聞こえてきた。
「おい、人が来る。オレ達も逃げるぞ」
「え……。ちょっとお師匠!?」
グレイと鞄を無理やり小脇に抱え、ピエールたちに背を向ける。
「お嬢ちゃん!?そんな体でどこへ!??!?」
「すみません、ピエールさんにエドワードさん!こんな形ですが、ありがとうございました!」
グレイの言葉を聞いてもなお、困惑している様子の彼らを置いて走り出したとき、
「ここをまっすぐ進めば、非常に大きな木がある!そこから左手に行けば、街道に出られるぞ!」
思わず振り向くと、エドワードがこちらに向かって言っていた。それを見たピエールが続ける。
「また会おう、私の小さな友人たち」
手を振っている二人に、抱えられているグレイも、無理やり後ろを見て手を振る。
「はいっ、いつか、また……っ!」
オレの手はグレイと猫入り鞄で塞がっていた。
§ § §
森で何本もの木が倒され、異変に気がついた町民や憲兵たちが駆けつけてきた後、ピエールとエドワードは説明に追われた。
黄色のフードの魔術師の女が少女に襲い掛かっていたことや、ひょろりとした男性と共に魔術師の女は消えてしまったこと。
襲われていた少女もまた、一緒にいた少年とどこかに行ってしまったこと。
今のピエールだけであれば妄言として片づけられていたかもしれないが、神官であるエドワードもいたため、この証言は一応信じられることとなった。
「あの子たちは、一体、何者だったんだろう」
軍の地方支部からも調査が来るなど慌ただしかったが、2日経ってひと段落付いたピエールとエドワードは夜、神殿で話をしていた。
ピエールはあの一週間、久しぶりに誰かと同じ時間を共有した。少年だと勘違いしていた少女のほうはそうでもなかったが、グレイと名乗った少年とは、とにかくたくさん話をした。しかし、どこから来たのかという話や、旅行にしては二人とも若いし何か訳アリの様子だったが、それらについて聞くことはついぞなかった。思えば少女のほうは結局、名前も知らないままだったのである。
「君は彼女たちがどこに行ったのか、憲兵に言わなかったね」
「そういうお前は、森から街道へ出る道を教えたじゃないか」
「あの時はなんとなく、そうしたほうがいいと思ったんだ」
「私も似たようなものだよ」
謎の襲撃者が去った後、少女達は焦ったように逃げようとしていた。それを見てエドワードは思わず道を教えてしまった。ピエールもまた、以前より感じていた訳アリの様子もあって、ついに憲兵に彼らの行方を聞かれた時、わからないと答えたのであった。
「しかし、エドワード。お前はあのお嬢ちゃんとどこで知り合ったんだい?」
「それはね……」
二人が団らんをしていると、扉が叩かれる音がした。もうとっくに日が沈んでいるにもかかわらず、神殿に新たな来訪者が現れたようだった。町民がこの時間に来ることはないので、観光客だろうかとエドワードは対応するために立ち上がる。
「今日はもうこんな時間ですので、また明日来ていただけると……」
「エドワードさん、俺だ、ハリーだ」
「ハリーさん?どうしたんだ、急に。待ってくれ、今開けるから」
訪れたのは意外にも憲兵であるハリーだった。知り合いだったため、慌ててエドワードは扉を開ける。するとそこにいたのは彼一人だけではなかった。
「あー、この兄ちゃんたち、さっきこの町についたらしいんだが……。急ぎで、この前のことを聞きたいらしくてな。なんでも、国家魔術師さんだってよ」
少し困ったように後ろにいる者たちを見る。服装を見るに軍の人間だが、青年というには少し若い。そのうちの一人が代表して口を開いた。
「こんな夜分遅くに申し訳ありません。あなた方が遭遇したという、黄色いローブの女について、もう一度お話していただきたいのと、……それから少女の方についても、詳しくお聞きしたいんです」