【N.C. 999】
「……よぉ、久しぶり。エポック社に侵入したのはお前だな?」
片手を挙げてレドが言った。
待ち構えていたことから予想すると、アバドーンやアプシントスを釣るために、軍が囮となる情報を流していた。大神殿にある
大神殿と手を組んでいるなら、襲撃に備えて警備の人数が多くなっていたことにも納得がいく。
ジョセフは元憲兵。その伝手で、新聞記者という立場から、囮情報を流すのを手伝ったという可能性が浮かび上がる。新聞社での行動も、どこまでかはわからないが嘘だったというわけだ。彼と同じような協力者が何人もいて、様々な形で餌をばらまいていたんだろう。
しかし、エポック社に二回訪れた際には、そのどちらのときも待ち構えていなかったことから、協力者と完全に連携を取っていたわけではない……?
「あと、アバドーンのクリュティエと戦闘になっただろ」
「げっ」
嫌な名前を聞いてしまって、思わず反応してしまった。
「全く、湖からここまでどうやって来たんだか。一応、駅は見張ってたんだけどな。……まさか徒歩?いや、遭難確実の山もあるし、よっぽどの方向感覚がないと……」
「誰が教えるかっつーの」
ちょっと迷ったとは言えない。
現状を好転させるのに最も簡単なのは、レドとジョセフを生死構わず、ここで行動不能にすることだ。そして、オレにとって最も難しいのは、確実に生かした上で行動不能にすること。人を気絶だけさせるのは結構大変なのだ。
残された選択肢として逃走を選んだオレは周囲を確認した。
まず、今いる場所。
人気のない路地で、道の間隔は広くないし、建物も民家でそれほど高くない。横はすぐ壁がある。
ジョセフはオレを警戒しつつ、ジリジリと後退していた。それからここに人が集まってくる気配はない。オレを偶然見かけたジョセフがそのあとを追跡し、レドはどこかのタイミングで合流して、先回りしたみたいだ。時間が経つにつれて、増援があるかもしれない。早く逃げた方がいい。
「聞きたいことは、つもり積もって山ほどあるんだ。だから、大人しくついてきて欲しいんだけど」
確かにこいつの視点からすると、知人が突然殺人犯で襲いかかってきて、何かを盗んで逃げてそのままなわけで。どういうことだよ!とはなると思う。
「嫌だ」
「だろうなぁ」
ため息をついたレドは、私服で大きく妙な形のケースを背負っていた。ケース自体はやや目立つものの、この姿を見て、すぐに軍の人間だと気がつくのは難しい。こいつみたいに、他にも一般人に国家魔術師が紛れているかもしれないと考えると、うんざりする。人混みに隠れるのはやめよう。
来た道を戻るのは得策じゃないな。人が多いから面倒だ。姿を隠すための煙幕も火事に間違えられて、逆に人が集まってくる可能性がある。
そうすると残されるのは……。
前に目線を向けたとき、黙っていたジョセフが口を開いた。
「アイリスさん、いや、アコラスさんでしたか」
「別に、オレなんかに丁寧に喋んなくても良いんだけど?」
「嘘をついてしまったのは申し訳ないと思っています。ですが、あれは返していただき……」
ジョセフが言い終わる前に、オレは前方、つまりレドやジョセフのいる方向に向かって駆け出す。
「ちっ、こっちに来るかっ!」
レドは背負ったケースを燃やし尽くしたと思ったら、剣を構えていた。ただし、ジョセフが中間点にいる。これでは向こうも攻撃しにくい。
「っつ」
が、やはり高度な魔術の操作によって、ジョセフをきれいに避ける軌道で炎が迫る。
行き先変更だ。横の外壁を蹴り、屋根の上に登った。
相手もすぐに追ってくる。
勝機はある。不審者の連行の様子から見るにおそらく、騒ぎを起こしたり大きくさせることなく、向こうは事態を終息させたい。つまり、周りに目立つ攻撃をして来ない。現に来るのは物理攻撃だけ。
「うわっ!?猫?カラス?」
「それにしては大きい音だよ?何だろう……」
屋根の下から驚く声。
さらに、この辺りは民家だ。周りを巻き込むようなことはできないはず。
「盗んだ物も大人しく返せよな!」
「そんなのもう返した!しっかり確認しろバーカ!!!」
「はあ?どこに!?」
酔っ払った編集長のポケットに突っ込んだから、すぐには見つからないと思うが。
屋根の上がうるさくても、それ以上に町はまだ騒がしい。好都合だ。北側に向かって走っているため、標高が低くく未だに明るい南側が良く見えた。逆に北側は暗い。どこかで降りてこの暗闇に紛れたい。
とはいえ町の中心から離れても、まだ追ってきているのだ。
相手が身体強化の魔術を使っていてもなお、攻撃を避けながらの逃走にはオレに分がある。だが、駄目押しが欲しい。
…住民には悪いけど!
走っている足が着地する瞬間、強く踏んで屋根の一部を破壊する。そうしてできた欠片をレドに向かってぶん投げた。
レドが防御すると同時に屋根を飛び降りる。が、先日降った雪か雨による氷が地面に張っていたので、身を捻って少し着地点をずらす。
しかし、オレはしっかりお尋ね者にはなっていたみたいだ。こそこそと行動していたのは、無駄ではなかったということである。早いとこ町を脱出したい。
それにしても、ジョセフがあの紙一枚に対して、あれほど真剣に返して欲しいと言ってくるとは思わなかった。イヴァナの物かと推測していたのだが、そうではなかったのか。
こうして走っている間にも、レドとの距離が開いてきた。向こうは焦っているのか、さっきよりも炎の魔術を使ってきている。そのおかげで、広場の方にはなかった地面の氷が、少し融けていた。
そして、その瞬間は不意に訪れた。相手を撒こうと、角を曲がりに曲がって、あえて同じ道を二度通ったときだ。
ビシャッと水たまりを踏んだ。視界の隅で光るものを知覚したと同時、
「いっ」
全身を強烈な痛みが駆け巡った。痛みを口に出そうにも体がうまく動かず、その場で倒れ伏す。
水溜まりは大きく長く、どこかに繋がっていた。
「安心してください。一時的にマヒする程度です。ここまで調整するのは非常に面倒なんですよ」
そう言いながら現れたのはブレウだった。
舌がうまく回らないのでに悪態すらつけない。
そっちを見ようにも見れずにいる間に、レドが飛び降りてくる。
「ブレウ、流石っ!」
「レドもですよ。即興の作戦なのに、どうにか誘導ありがとうございます。……まさか、こんな形で捕まえることになるとは」
感電で動けないうちに、後ろに手を回されて手足を拘束される。そして、持っている武器もバレた物は回収された。レドが呆れ顔になる。
「どれだけ隠し持ってんの?」
「体重の一割くらいはありそうですね……」
「帽子の中にもありそう……、うわっ、ホントに入ってた」
二人は何か探しているようだが、回収した物の中からは見つからなかったらしい。
「ネロがいれば、もう少し見てもらえたんですが、彼女は今どこにいるのやら」
「あいつ、肝心なときにしかいないからな……」
そうしてオレは簑虫状態にされ、ブレウに担がれた。
「詳しい話は後で聞かせてもらいますよ。早く支部へ戻りましょう」
「はいよ。それにしても……こうやってると誘拐犯みたいな感じだ」
「頭に袋でもかぶせますか?」
「やめてくれ」
「この、好き勝手、言い、やがって……っ!」
手錠を引き千切ろうにも結構硬く、関節を外しても抜けられない構造になっている。
藻掻いていると、
「ヘタに暴れられると、こちらとしても同じ手段を何回も使わざるを得ないのですが」
……クソっ、電撃で動けないよりかは、大人しくして隙を探したほうがいいか。
それに、使用者にも感電のリスクがある雷の魔術を、今のブレウが暴れたオレを抱えた状態で、どこまで正確に使えるかはわからない。威力が出る雷の魔術の使い手は大変……、らしいからな。再び麻痺させる脅しは、ブラフの可能性もある。それも含めて隙を窺おう。
「お前もよく知ってる人の命令で、あっちこっち探させられたよ。俺達はお前に対して言いたいことが山ほどあるから覚悟しとけ」
「知るか」
「それからウィステさん、心配してるぞ」
「……ふん。うるせー」
「驚異的な身体能力に、突出した五感による直感……。いざ敵にすると、大変面倒なことがわかりました。うまく誘導しようにも、直前で道を変えて回避されたりと、野性動物を相手にしているようでしたよ」
このクソ野郎のメガネを今こそ叩き割りたいが、あいにく戦闘時は魔術で視力強化を施しているため、今はつけていない。悔しい。
「何カ所かのアプシントスやアバドーンの拠点を襲撃したのもお前だな」
「うるせー」
「おかげさまで何回も手口を見るうちに、踏み込んだだけでわかるようになったよ」
首都を発って以後、あちこち移動しているときに見つけたところを、手当たり次第に潰して金品を巻き上げていたが、そこまで足取りを追われていたのか。駅を見張っているとかも言っていたし、徒歩が最強の移動手段である。
レドは不思議そうに言った。
「でもエポック社は、いつもとなんか違ったような……」
そりゃあ、襲撃するのと調べに行くのは違うだろう。
オレがそう思っていると、
「部屋の中をあんなに荒らすなんて、らしくない」
「……荒らした?」
「ん?」
「どういうことだ?」
見たものは持ち帰ってしまった一枚を除いて、すべて元に戻している。
「どうもこうも、室内の物が散乱して、盗まれた物もあって、ひどい有り様だったことだよ」
「盗まれた物は」
「取材に使ったスケッチブックやノートだろ、ってなんでお前が聞くんだよ」
耳に入ってきた言葉に首を振る。
「違う……。持っていったのは紙一枚だし、だいたい、オレが入ったときはすでに室内は汚かった」
いつの間にか、レドもブレウも立ち止まっていた。
今まで聞いたことから、一つの推論を口にする。
「まさか……、オレより先に侵入した人間がいた……?」
§ § §
アコラスが屋根の上を走っていた頃。
時計台の最上階から町を眺めていたグレイは、一緒にいる黒髪の少女に声をかけた。
「あのー、お姉さん。そろそろ降りましょう」
「もういいの?」
「はい」
二人は等間隔に灯りのついた、四角らせん状の階段を降りていく。下りは特に会話もなかったが、突然、
「……ネロ」
呟いた少女にグレイは聞き返す。
「はい?」
「私はネロ。よろしく」
「は、はあ。よろしくお願いします」
何かと思えば名前だった。唐突な自己紹介にグレイは困惑する。
(今さら名乗られても……。あ、これは僕も自己紹介しないといけない流れ?)
悩んでいると、目の前に大きな黒い影が現れた。誰かが登ってきたらしい。
グレイは話をそらすのにタイミングがいいと感じた。その人物は、シルエットから憲兵のようだ。それを視認したタイミングで、人影はゆっくりと倒れる。
「え?ちょ、ちょっと!?」
グレイが慌てて近寄り、声をかけるが反応がない。そこで気がつく。あったはずの彼の右腕がない。揺さぶろうとしたところで、急に視界が反転した。
一体何が。
状況を理解する前に、コンマ数秒前までいた場所に大きな打撃痕ができている。
「……は」
気がつくと倒れた人間の上には、ナニカが覆い被さっていた。
ぐちゃぐちゃと場違いな音がする。
ここでようやくグレイは理解した。
自分はネロに引っ張られていたのだ。
「ひっ」
そして、目にしてしまった。
灯りに照らされた四つん這いのナニカが、人を食べているのを。
ブヨブヨとした胴体。
関節のおかしい手足。
動物のような四足歩行の姿勢。
そしてなにより、それが人の形をかろうじてなしていること。
「う、うわぁぁぁああああああ!??!!?」
化物が人間を食いちぎり、咀嚼し、飲み込んでいく。まずは柔らかい腹。そこから内臓。腕、足の順でちぎりとられ、残りの胴体。そして最後に残った頭。誰かのうめき声が聞こえるが、それも次第に聞こえなくなった。
瞬く間にそこにいたはずの者は、化物の胃袋に納められた。
「掴まって」
ネロは降りてきた階段を駆け登りだした。
少し遅れて、化物は不格好な四足歩行で追いかけてくる。
「ああああれって!」
「舌噛むから、歯くいしばって」
ネロは背に大きな楽器ケース、片腕にはグレイを抱えていた。そのハンデがあってもなお、少女の体躯では、一般的にあり得ない速度で走る。しかし、化物もまた負けていなかった。四足に慣れていないように見える非効率な足運びながらも、猛烈に階段を這いあがってくる。
ネロが空いている片手で壁に触れる。手のひらの軌跡を合わせて横や斜め方向に、柱が生成されていく。
「ま、魔術!?こんな生成速度で!?」
柱は障害物になっていた。ここでネロは一気に大きく跳躍して、途中の階層にある、開けた小部屋に到達した。
扉を閉め、ネロはグレイを降ろすと、楽器ケースの中に入っていた物を取り出す。
「刃の付いた棒……?」
「先、上に行ってて」
背丈より長い柄、その先には曲がった刃がついていたが、刃の向きや位置がおかしい。刃と柄が細い逆V字を成し、刃が折り畳まれた形状なのだ。ネロは柄の中間についたレバーを動かす。レバー操作に連動して、刃が柄に対して90度開いた。その形状はまさしく、
「か、鎌ですか!?」
「私の実家農家なの」
「え」
「農家なの」
「こんな時に何を言っているかちょっとよくわからないんですが」
扉にぶつかる音と共に部屋自体が振動する。
突然襲われて思考が正常に働いていなかったが、グレイはようやくここで冷静に考えをめぐらせることができるようになっていた。化物は、グレイにとっては二度目の目撃となる、ネフィリムだ。一度目は首都での時のこと。アコラスに言われ、爆弾を仕掛けてボヤ騒ぎを起こした後、その場所に現れたのを見て以来である。
悪い予想は当たって、アプシントスがこの町に現れたこと。そして、緊迫した状況でも、のんびりとした雰囲気のネロがネフィリムと戦おうとしていることに、グレイは焦りを感じた。
「狭いところでは、長物は不利ですよ!?」
時計台は高い建造物だが、広いスペースが確保されているわけではない。長い鎌を振り回すのは、得策ではないだろう。
しかし、ネロはどこ吹く風で返す。
「大丈夫。私、国家魔術師第一課だから」
(や、やっぱりー!)
グレイは、お荷物を抱えても落ちない走力、その走力と平行して披露された魔術の練度、突如取り出された武器からもしかして、とは思っていた。少なくとも戦い慣れていないグレイや一般人には、身体強化の魔術を使って全力疾走しながら別の魔術を使うなど、逆立ちしながら足で鉛筆を持って絵を書くようなものである。
(じゃ、じゃあ、平気なのかな……?それはそれとして、この人からも逃げたほうがいいのかな……?)
グレイの沈黙に何を思ったのか、ネロは再び口を開いた。
「私のおばあちゃん、草刈りがものすごくうまかったの。小さいころに真似して、やってやったら、私もうまく刈れた」
「すみません、本当に大丈夫ですか?いや助けてもらったのはありがたいので、このようなことを言うのは大変恐縮なのですが」
ネロは扉に向かって構えた。
「上はここよりか安全なはず。行って」
「お姉さん!」
扉が破られ、腕のような前足が姿を現す。
しかし、その存在をグレイが認識したときには、すでに切り落とされていた。
前足を失ったネフィリムはバランスを崩して、藻掻いている。その切断面からは、新たな腕が生えようとしていた。
「そう、やってみれば案外、草も人も変わらない」
腕を刈り取った彼女は、相変わらずのんびりとした声色で、藻掻くモノの首を落とした。
街並みの画像を検索して出てきた雰囲気のある家を参考に、小さい煙突を壊すか、屋根の瓦的な物を壊すか悩んで時間を無駄に消費しました。屋根を壊されたお宅はきっとこの後雨漏りだと思います。