【N.C.999】
なんでこんなことになっているんだろう。
「はあ゛あああぁぁぁぁ~……」
テンションダダ下がりになっている中、その主たる原因の女が後ろでオレの背中のファスナーを上げた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねーよ。……なんでいちいちオレの着替えに、ちょっかい出してくるんだよっ!」
「あなたがちゃんとリボンを結ばないからじゃない」
「めんどくせーんだよ!!!服がっ!悪い!!!」
「ジッとしてなさい。さもないとスカートの丈つめるわよ」
「うぐっ……」
リボンが曲がっている、バランスがいまいち、などとブツブツ文句を言うクリュティエは、ようやく納得がいったのか、
「次は西に行く予定。ドーラだけじゃなく、アプシントスの本拠地もあるから、そこを探して叩くための調査になるわねぇ。軍の動きも見ておきたいし、首都を経由するつもり。……ほら、もう行っていいわよ」
そう言って、オレから一歩離れた。
考えてみれば、クリュティエに限った話ではないがあちこちで行動するためのお金も、たくさん必要なはず。それらがなくなれば……。
「たくさんのお金が一度になくなるときってどんなときだ?」
「え?……先物取引で大失敗した、みたいな感じかしら?」
「さきものとりひき」
「どうしたのよ、急に」
これは違う気がする。
お金がかかること……。うーん……、シークレットブーツ……、あとは…………家賃?
「部屋いっぱい借りても、お金をたくさん使うということか……」
「何を考えているのかはわからないけれど、不動産投資も止めときなさい」
§ § §
空いた時間で、オレはクリュティエたちの拠点となっている建物を少々調べた。バレない外からの侵入経路はあるか、屋根裏や床下には忍び込めるか、襲撃するとしたらどうするか、物を隠すならどこか……。一見ごく普通の建物だが、なかなかガードが堅い。
首都を経由して西に行くと言っていたから、その道中のほうが今の環境よりも逃げやすいし、あわよくば打撃を与えられるかもしれない。
……などと思ってみたものの、心はずっとくすぶっていた。
これも全部、先日に突如行われた変態行為のせいだ。あの後またケロっとして、いつも通り余裕綽々になっていたので、余計腹が立つ。
そういうわけで、今日は商会が街の計算機に大量のパンチカードを持っていく日だったので、気晴らしもかねて手伝いについていくことにした。
モヤモヤしながら紙の束を運んでいけば、外からすでに煙が見えている建物内部にたどり着いた。計算機用の蒸気機関とそれを動かす機関士、計算機自体を扱うのは計算士が見える。誰だ誰だとヒソヒソ言われて居心地の悪い思いをしつつ、機械に飲み込まれていく紙を眺めていると、機関士たちの会話が聞こえた。
「全く。こんな
「さぁ。結局、世の中蒸気機関だ手紙だなんだになってるからな。聞いたか?電線や電話線の話。いたちごっこらしいぞ。敷いても、すぐ盗まれたり切られたりするから」
「あー、平和になれば俺ら失業かー」
「そしたらこの鉄の塊盗んじまおうぜ」
「あっはっは、やるときは呼んでくださいよ」
電線とやらは知らんが、電話って、線を通して離れたところに音が出せる機械だったよな。第二課に置いてあって、そこから隣の建物との会話にほんの少しだけ使ったことがある。普通の声と比べて雑音が多いし、あの距離なら直接会いに行って話してもたいして変わらないので、使用者は少なかった。
長距離間で使われていないのはなんでだろうと思っていたが、外だと線を切っちゃう人間がいるからなのか。「部外者が入ってこないようなところでしか、まともに設置できない」とスプルースさんが愚痴っていたのは、そういうことだったんだ。今さらになってわかった。
「……あ゛っ」
オレはあることを思い出した。たしか『前回』……。
『ほら、あそこに切って下さいと言わんばかりに置いてある線があるでしょう?あれを、邪魔する奴もろとも壊してきなさい』
街と街の間に敷かれていた謎の線を言われるままに切ったり壊したりしてたけど、あれ、離れた街同士でも会話ができるようにするための電話線だったんじゃ……?やべー、犯人の一人、オレだったんか。
今さらわかってもどうにもならねーな、と思いながら数時間くらい計算機の作業を眺めていると、計算にはもうしばらく時間がかかるから戻っていいよと声を掛けられた。
今この瞬間、オレに注意を強く向けて、かつ、やっかいな者はいない。
……このまま、逃げられる。
商会に戻る人たちに混じり、外にひっそりと出る。
一人でどこにでも行ける。それで、問題ないじゃないか。
……ダメだ。取られたものを取り返さないといけない。
「……何やってんだろ、オレ」
「お嬢ちゃんお嬢ちゃん」
声がした。裏路地にいる見知らぬ男からだ。
「一人かい?」
「おう」
近くにいるのは、目の前の人物を除くと二人だが、一緒に行動しているわけではないから数えなくていいや。
オレの返答を聞いた男は、視線だけキョロキョロとさ迷わせている。怪しいやつだな。
何を言い出すのかと身構えていると、
「お菓子あげるからついておいで」
えっ。もらえんの?
「いけませんよ」
前に出ようとしたとき、後ろから手が伸びてきたので避けた。その間に見知らぬ男は慌てて逃げていく。
「物で釣られて、怪しい人間についていってはいけません、はい」
後ろにいた人物に向き直り、オレは胸を張って反論する。
「釣られてない」
「何を根拠に、そんな堂々と……?」
ヒューは顔を引きつらせていた。
§ § §
結局、元いた建物に戻って来てしまった。
オレよりも自由に歩き回っている猫が足元に寄ってきた。首根っこをつかみ持ち上げる。ちょうどいい。体をキレイにしていないのにベットの上に飛び乗ってこようとしたりするので、足を拭く嫌がらせを行ってやろう。
水場にあったエプロンを勝手に借りて、水がかからない位置に高そうな手袋を放った。
そして、気配を察知して逃げ出そうとする生暖かい猫を片手で抑え、もう片方の手で水場の蛇口をひねり、冷たい水に触れる。
「オレになんか用か」
声をかけてきてから、いつまでも近くにいるヒューに文句を言った。
クリュティエに取っ捕まってから見かける機会はあったが、話したことは全くないので、親しい間柄ではない。もともと用もなく話すような人間でもない。
肩をすくめながらヒューは返した。
「見張りですよ」
「それは他に下手くそなのがいる」
「おや、ご存知でしたか」
猫の足だけを拭こうと思ったが、せっかくなので全身を洗うことにした。ちょうど他に人がいれば、こいつうるさくねーし。
ヒューは水場の端の椅子に座ると話し出した。
「去年の夏ごろの首都で、アプシントスとオーキッド派が手を組んでドーラを盗みだそうとしたゴタゴタ……。空き家を爆破させた者がいまして、私がやったんじゃないかと、オーキッド派から疑われてしまったことがあったんです、はい」
「へー」
「これはいけないと思いまして、現場を探ってみたところ、不発していた火薬を見つけました。不思議と配合の割合や仕掛けが私と非常に似ていまして……。どちらで習ったのですか?」
「さーな、忘れた。お前だって、爆発物の取り扱いなんて、どこで習ったんだ」
「鉱山です。昔働いていたんですよ」
「……へー」
「自己紹介をしっかりとしたことはありませんでしたね、私は」
「知ってる、ヒューだろ」
「覚えていただけているとはありがたい」
「二回も逃げられればな」
……口では知ってると言いつつも、あまりヒューのことで知っていることは多くない。
初めて会ったときの印象は薄かった。気がついたら、『最低限は覚えないと、役割なく、ただ生きているだけになってしまいますよ』と、彼から火薬の調合やそれに関係した計算、爆発物の取り扱い、多少雑でも出来る起爆の仕掛けなどを教えてもらった。どう考えても最低限じゃない。今最も役に立っている知識ではあるが。
見るだけでおおよその数字のあたりをつけられるようになれ、とか言われたっけ。ただ、読み書きは教えてもらえなかったから、読めるようになったのは数字だけだったな……。
だが、どうも口止めされていることがあったらしく、余計なおしゃべりはあまりなかった。質問を投げかけてもまともに取り合ってくれることもなかった。見てわかったことといえば、クリュティエの起こした過激なことには普通に引いていたが、なんやかんやで自発的に従っており、あの女から信頼を得ていたことくらいだ。
魔術に関しては風起こしと身体強化が使えるが、前者はたいした威力はなく(爆破や煙幕の仕掛けとしてヒモを切るときに使えないかと、小さい範囲に集中させる試行錯誤もしたが、最終的に魔術いらないという結論に達したとか)、後者は並程度。真っ向勝負ならあまり強くなかった。
なんだかんだであの頃、一番顔を合わせていた人間はヒューだったかもしれない。
オレが過去を振り返りながら猫を水浸しにしていると、ヒューはとんでもないことを言い出した。
「彼女はあなたを可愛がりたくて仕方ないようですよ。少しばかりイメージ改善をして頂ければ、はい」
「ぶっ殺そうとしてくる人間を、どういう理屈で可愛がろうとすんだ。おかしいだろ」
いずれも防がれてしまっているが、オレはフォークや皿、筆記用具につるはしなどを、顔面目掛けてぶん投げている。そんなことしてくる人間を可愛がろうとはしないと思う。
「なんでも、あなたの顔が姉に似ていて、懐かしくなるからだと」
「はあ?姉ぇ?」
「姉の子どもかとも思ったそうですが、年齢が合わないので単なる他人の空似だそうです。文句言ってましたよ。……この話を聞いたことは、できれば黙っていてくださいね。くわばらくわばら」
なんだその話。意味がわからん。
「だから、あなたに対して悪意があって行動しているわけではない、ということは理解していただきたいです、はい」
猫を洗う手を止め、思わずいぶかしげに見る。
「あなたがおとなしく可愛がられると、彼女の機嫌が良くなる。彼女の機嫌が良くなると、こちらも色々と楽になる。良いことずくめだと思いませんか?」
「良くない」
そっちが本音だな、畜生。
猫をワシャワシャと拭く。オレはあんなやつに可愛がられたくない。
「あいつが……、あいつが悪いんだ。この前なんて、突然後ろから抱きついてきやがった……。変態だ……。……クスリでもやってんじゃねーの」
ここぞとばかりに罵ろうとした言葉は、即座にヒューに否定された。
「それはないと思いますよ。彼女はそういったものは大嫌いですから、三年ほど前に一斉摘発を行われた際は、商会としてかなり協力的でいらっしゃいました、はい」
「けっ、ほんとかよ」
「彼女の印象を良くしようキャンペーンです」
「それ言っちゃうのはどうなんだよ」
一通り洗い終え、猫をタオルで包んで帰ろうとしたオレは、立ち去る前にヒューに聞く。
「……ところで、首都での空き家爆破、お前なら何点つける?」
「68点、雑な仕事が目立ちます」
「ふーん。何点満点?」
「170点満点です」
素直に40点と言え。
ちなみに、怪しい男とのやり取りは、クリュティエに黙っていてくれとヒューに頼んだが、普通に報告されてた。しかもめちゃくちゃ怒られて、
「時々警戒心がカイギュウ*1並みだわ……。ひどい……あれよりひどい……」
と言われる始末。なんだがまぬけ扱いされている気がする。
オレは考えなしに、素直についていこうとしたわけではない。ついていった結果、お菓子がもらえるならそれでよし、変なことをしてこようとすれば返り討ちにすればいいから、何も問題ないじゃん。
そう弁解したら、投げ技や関節技などをかけられまくった。可愛がりたいとか絶対嘘だ。
こうして、やはりこのクソババアは精神的かつ肉体的に加虐趣味という結論を得たオレに、再び首都に行かなくてはいけない日が近づいていた。
蒸気機関のことを考えれば考えるほど、電気すげーと思ってしまう今日この頃。