【N.C.999】
ちょっとした押し問答の末、ようやくレドはベンチの反対の端に座った。
「一つだけ掴めました。どうぞ」
レドに担がれたとき、とっさに掴んだものを差し出す。それは、包装紙に包まれた小さく丸いチョコだった。
「あ……。ありがとう。でも、いいよ。君にあげる」
「別にいいです。……チョコレート、好きなんじゃないんですか?」
「…………俺が?」
お前以外いないだろ。わざわざ買ってるくせに。
無理やり押し付けると、レドは渋々といった感じで受け取った。そしてチョコを口の中に入れ、ボソッと呟く。
「……甘くて苦い」
先ほどとは比べ物にならないほどテンションが低かった。落差すげーなおい。
しかし、チョコレートを食べた感想がこれとはつまり、
「ざらざらじゃない、なめらかなやつの方が好きなんですか?」
「ん?そんなタイプのチョコレートもあるんだ?」
「……?」
まあいい。とにかくこいつを問い詰めよう。へっへっへ、俺の進行方向に立ち塞がったことを後悔するんだな。
「どうしてベンチで殴れ、なんて言い出したんですか?」
「それはその、ごめん、ちょっと動揺しただけだから」
「どうして動揺したんですか。動揺するとどうしてベンチで殴られないといけないんですか」
「勘弁してくれ……」
「ふーん……。変な言動ばっっっっっっかりで、こっちも困ってるんです。指を切り落とすのが謝罪とか、ダメな奴とか、わけわかんないことも言い出すし」
レドは観念したようにがくりとうなだれる。そして長い長い溜息ののちに、
「ふいに、色々あった友人を思い出して……。君に、彼女の言葉や姿を重ね合わせていることに気がついて、自己嫌悪から殴ってもらいたくなった……」
え、えええぇ……。だとしても、なんでベンチを鈍器に?
てか、その友人と何があったんだよ。そいつとオレを重ね合わせたということは、女装しているオレと共通点があったのか?性別は女のようだが……ヒラヒラか?ヒラヒラしてたのか?
そういや、顔が好みとか突拍子もないことも言ってたな。
待てよ?
思い出すとつい動揺……。
椅子で殴る……。
顔が好み……。
……何かの拍子にオレがオレであることがバレるのは避けたい。
オレはレドをじっと見つめる。
「な、何かな?」
こいつの直感、実は大したことないのではないか。マジで気づかなそうだ。
つまり、レドにとって今のオレはオレではない。
「うん」
……。
じゃあ、いっかぁ!
オレはぐいっと距離を詰めた。
「ねぇねぇねぇ!」
「ッ!?」
ふっ、間合いに入る速度に驚いたか。さっきのは地味にショックだったので、仕返し成功だ。
何から話そう。聞きたいことも言いたいことも、たくさんあったのだ。
「『色々あった』というのは……チジョーのもつれですね?」
「意味、わかって言ってる?笑顔で聞く内容じゃないからね?」
まあな。わかってるぜ。
「友人とチジョーのもつれの末、シュラバになったんでしょう」
「待って待って」
レドはシュラバの影響で心が不安定になったんだな。オレは本で読んだから知ってるんだ。
「相手を出し抜いてサンカクカンケーに勝てばいいんです。そうすれば動揺することもなくなります」
うむ、そうしたら安心だ。なにより奇行に走るレドを見なくてすむ。
良いことを言ってやったぜと思っていると、
「俺とあの子は
レドが予想外に大きい声を出してきて、ビックリした。
なんだろ、怒ってんのか?
「あー……。喧嘩別れして、気まずいだけなんだ」
「喧嘩?」
面倒くさがってやっていなかった事柄について、相手はしっかりとやる派だったから言い合いになったとかか。
「…………め」
グレイは口うるさく怒るんだよなーと思っていると、レドはこの世の終わりみたいな顔をして言った。
「面と向かって、『嫌いだ』って言われた……」
「…………それだけ?」
喧嘩じゃなくて、一方的に嫌われているだけじゃね?
「あとは物投げられたり、後ろから頭殴られかけたり、現在進行形で逃げられてたり……」
そいつ、本当に友人か?
「まず、逃げられるか攻撃されるかで、まともに話ができるところまでもっていけない。それを乗り越えても…………。はぁ……下手に刺激すれば、爆発して壊れるかもしれない」
爆弾か何かか?
……はっ、そうか。
そいつのせいでレドはストレスを受け、おかしくなってしまったのだ。じゃあ、友人とやらを排除すればまた元に戻るのか?……ダメだ。今はすでに会えてない状況だから、排除後とそんなに変わらない。ゆえに、排除はあまり好ましくない。うむ、仲直りしかねーな。
「逃げて会話もろくにできないようなら、狭くて逃げ場のない場所に追い込んで、弱点をついて取り押さえるのはできないんですか?」
「……逃げ場のない場所、か。密室なら壁を壊す勢いで逃げそうだよなぁ。殴ったり蹴ったりは基本だから」
端的に言って、やべー奴じゃん!?
「やり返さないとダメですよ、そいつ!」
「理屈としてはそうだけど、感情的には手を出したくない……」
「じゃあ頭突きはどうです?」
「頭突きなら、まあ……」
殴る蹴るはやりたくないのに、頭突きはいいのかよ。提案したのはオレだが。
「なんというか……狭いところに収まらないっていうか……。そうだ、存在感がありそうな人ですね」
極力遠回しに人物評を述べると、
「存在感はむしろなかった。無意識にしょっちゅう気配消しててさ、あいつ。凶暴なくせに……、透明で、儚くて、詩に出てくる妖精みたいで、目を離した隙に消えてしまいそうな……。最後に会った日を最後に完全に足取りが追えなくなったから、消えているようなものか……?……どこかで野垂れ死んでたらどうしよう」
野垂れ死ぬ?友人に向かって、野垂れ死ぬ?その言葉のチョイスはおかしくね?
……人間の話だと思っていたが、実は犬か猫なのかもしれない。
「腕、バリバリにひっかいてきそうな感じですか?」
「うん?まあ、そんな感じはあるかと言えばあるなぁ……。そういえば、腕アザだらけにされたこともあったっけ」
やはり人間ではなかったか……。猫だな、正体見破ったり。
「人前には姿を表したがらないから、面識がある時点で、俺は他の人類よりもリードしている気がしたんだけどなぁ……」
深く深くため息をついたレドは、目を遠くする。
「最初に話しかけた時は不機嫌で、愛想も全然なくて、眉間に似合わない皺寄せてばっかりでさ……。そこからなんとか少し会話できるようになったと思えば、今度は明らかに避けられるわ、でも時々無防備に近づいてくるわ、こっちから近づくと逃げるわ、妖精・珍獣呼ばわりされて周りから遠巻きにされてたわ、肝心なことは何も言わずどこかに逃げるわ……。……結局……数えるほどしか、俺には笑いかけてくれなかった」
いや、猫は言うこと基本聞かんだろ。オレたち人間が、奴らにじゅ、じゅ……えーと、そうだ、じゅーじゅんさを期待するのは時間の無駄だぞ。
「そういうこともありますよ。ほら、たまには気まぐれで、仲良くなれてたこともあったんですよね」
「……あった、と自分では解釈している」
何だ、その微妙な表現は。
「気持ち悪いと言われた、一回目の大逃走後、三ヶ月空いて会ったときだ。急に名前呼びされたんだ。今まで一度も呼んだことなかったのに。……俺も未だにあいつの名前、ちゃんと呼んだことないけど」
仲良しエピソード、名前呼びされるようになったことだけ?そもそも猫が喋るか?実はレドが一方的に話しかけているとかではなく?……うちの猫も喋るし、あり得るか。
それにしても……『一回目の大逃走』?
「一回目ってことは……」
「二回目は、嫌いと言われて逃げられ、音信不通。三回目は、あのまま見逃がさないと頭を殴ってきそうだったから、逃がしてしまった。……聞きたいこともまた増えたし、やっぱり逃がすんじゃなかった」
なるほど。
思わせぶりな態度を取った挙句、嫌い嫌いと攻撃して逃げる、と。
心の奥底から思ったことを言った。
「そんな奴の、どこが良いんですか?」
「………………………………顔」
猫に美醜とかある???
それにしても、ここまで特定の物について熱心に語るレドの姿は初めてだ。推定変な猫に対して、ずいぶんと入れ込んでいるようだが……。まあ、うちの猫も女優の厄介なファンだし、それと同じだな。
ちょうどタイミングぴったりに、猫がスカートの内側からのっそりと出てきて、膝の上に乗った。
「あれ?その猫、どこにいたの?」
「あなたが私を担いだ時から、スカートの中にいましたよ」
「……ん???」
別猫だが少しは気が紛れるだろうと思い、自分の膝から猫を引き剥がしてレドの膝へ渡した。
「どうぞ」
「どうぞ!?」
猫が膝から降りようとする素振りを見せたので、「魚、缶詰」と呟いて動きを止める。
レドは恐る恐る猫に手を伸ばした。そして、
「生き物の柔らかさだ」
呆然としていた。なんだかその様子がおかしくて笑ってしまう。
笑われたのがよほど恥ずかしかったのか、レドは顔を背けて、変に上ずった声になっていた。
「珍しいな、この子。俺が近くにいても逃げないなんて。ああ、動物にはいつも嫌われてばかりだからさ」
うむ、確かにコイツはよく言ってた。だから、生きている動物は全然触れないって。
撫でるでもなく、ただ猫の背中に手を置いていただけのレドは、しばらくすると猫に向けてわざわざ話しかけた。
「ありがとう。もういいよ」
それを聞いた猫は膝から飛び降りて、ちょっと離れたところに座る。その軽やかな動きをレドは目で追っていた。
「……無意識にあいつの顔を探すのを止められないなんて、馬鹿だよなぁ」
うむ、暗い。
声も顔も暗い。
別猫を与えた結果、気を紛らせるどころか逆に想いが強くなってしまったようだ。逃げ出した猫じゃないと元気になれないらしい。仕方ねー奴だなー、もー。
「じゃあ、ちゃんと探しにいきましょう」
オレは立ち上がった。
「へ……?」
「なんとなく探すから見つからないんですよ」
「探すって、あいつを?そんな、どこを」
「いそうな場所です。心当たりならバッチリです」
猫なら任せておけ。オレには反則技があるからな。
少し離れたところにいた女優馬鹿猫に近寄り、オレは小声で話しかける。
「おい、お前。猫がたくさんいそうな場所片っ端から行くぞ。案内しろ」
猫は一旦口を開き、またすぐ閉じた。何が言いたい。
「……まあよいか」
やれやれと首を振り、猫は歩き出す。
「いつまで座ってるんですか」
「ちょっと待って、何か勘違───!?」
ごちゃごちゃうるさいので、手を軽く引いて立ち上がらせる。
「大丈夫、あなたが心配するような地区には近づきません。さあ行きましょう!」
よーしっ。レドの猫、見つけてやるぜ!
「こやつ、本来の目的を忘れておるな……」
§ § §
先頭を歩く猫を追いながら、オレは探し物について聞いてみることにした。
「見た目はどんな感じですか?毛とか」
「毛?……毛???亜麻色で、サラサラで、ふわふわしていて、時々ピョコピョコ動いたりもする。体格は少し小柄。瞳はガラス玉みたいにキラキラしてて───」
異様に話が長かったので半分くらい聞き流したことで得た情報によると、レドの探し物は仔猫の可能性が浮上した。こりゃ、でかくなってるかもしんねーな。
しばらくして、猫が足を止める。少し離れたところに他の猫がたくさんいたが、何匹かは逃げていく。
「……猫の集会所?」
う~、どいつもこいつも全部違うけど、わからん。一番近くにいた野良猫を捕まえてレドにつき出す。
「どうですか?探し物はありますか?」
「……ん?」
反応は芳しくなかった。目的のブツならもっと喜びそうだから違うな。野良猫をぽいっと手放す。
「なさそうですね。今度はこっちです!」
この場所にはいなかったらしいので、猫にこっそり指示を送り、次の目的地に向かうことにした。
オレたちは結構な距離を練り歩いた。
「どうですか?」
「……これはなかなか厳しいかな」
「違いましたか。次こそは」
人が集まって賑わう市場、町の通りに並ぶ静かな家々の横を進み、
「どうですか?」
「こんなに猫を見たのは久しぶりかもしれない」
「……いないんですね」
誰もが知っている大きな通りだけでなく、知る人ぞ知る小さな道を行く猫を追った。
しかし、
「全然見つからない……。おい、猫、どういうことだ」
「余は悪くない」
猫とこそこそ話していると、
「そのー、ずっと言いたかったんだけど、実は……」
レドは気まずそうな顔をしていた。
「なんですか?」
「 俺が探しているのは……猫ではなくて、人なんだ」
え?
え……?
がぁぁぁぁああああ~んっ!!!
「そんな、今までやってきたこと、全部無駄……?」
嘘だろ……。役に立てなかった……。
「あー!あー!無駄じゃないっ!今日君がこんなに頑張ってくれたの全部、無駄じゃなかったから!!!俺ももう少し頑張ってみようって、元気出たから!」
……ふーん。ふーん。ふーんっ。まっ、オレの顔が好みと始めに言っておいて、顔が良いとした対象が猫だったら、オレに対して失礼にもほどがあるからな。納得してやろう。
「紛らわしい言い方しないでください。別に私は気にしてませんけど」
「本当に悪かったよ」
「だから別に全然気にしてませんし怒ってねー……ですけど」
もっと早く言ってくれればいいのに。探している人と仲直りしたいのか疑わしいぜ、全く。
いや、もしかしたら本当は仲直りしたくないのかもしれない。
誉められる部分は顔だけで、人を心配させておいて対話には応じず、暴力的で理不尽。人間なら笑えないレベルで酷いが、猫だったからまあいいかと思っていた。
しかし現実はそうではなかった。聞くに堪えない、あまりにも酷い人間だった。マジでなんでこんなやつと友人になるんだ?
「……どうして、その友人と仲直りしたいんですか?話を聞く限り、他人を振り回す野蛮な人じゃないですか。その人と関わるせいで、これから酷い目に遭ってしまいそうな気すらします」
正直、今はもう関わりがないんだから、このままでいた方がいいと思う。
そんなオレの願いも露知らず、レドは言う。
「確かにすぐ拗ねるし、人を振り回す奴ではある。だけど、良いところもあるから」
たぶんそこを良いと思ってるのはお前だけだぜ。
……限りなく低い可能性だが、誉められる点がどこかにある?
「良いところって?」
「……顔が、顔が良い……っ!めちゃくちゃ良いんだ……っ!!!」
おい。
「……せめて性格が良いとか、そーゆーのは」
「性格はあまり良くない。……悪いわけでもない」
誉めるところ、マジで顔しかないのか。それでいいのか。全体的にはどうなんだ。
「が、外見が良い?」
「外見は……そうだな、ジャムの瓶を固く閉めてから渡して、その蓋を開けている姿を眺めていたい感じの外見かな。開けられなくて悔しがってても、開けられて自慢げにしてても、どちらも良いと俺は思う」
やたら具体的なのに理解できたことがほぼなくてビックリした。オレかレド、どっちかが馬鹿なのかもしれない。
というか、瓶の蓋くらい、開けて渡してあげろよ……。
考えれば考えるほどわからなくなってきた。
もういい、この話やめやめ。これ以上はオレの頭が限界だっ。
「ふ、ふんっ、せいぜいその人と仲直りできるといいですね」
「うん、ありがとう」
「……ただのいやみに───」
「───でもそれ以上に失望されたいな」
「マジになってどうす…………え゛?失望?」
「まずは今ある好感度、ゼロまで下げたい」
「いやおかしいだろ」
なんで?