【N.C.997】
予定がないと思っていたらブレウの実家に連行されたり、そこで誰にでもしっぽを振る番犬にならない犬を抱きあげたら恐怖で失禁されたり、2年半ぶりに伯父と会ったり、リーンが海を見に行くと息まいたものの曇りでがっかりしていたり、ブレウが年上の幼馴染みに信じられないほどの好青年風で接して皆でビビったり、どこかで見たことのあるような人と会ったりした夏季休暇が明け、まだ暑さが残る秋。
久しぶりに会ったアコは、なぜか自身の胸を服の上からペタペタと触っていた。
「な、何をやっていらっしゃる……?」
「ああ?別に胸触ってみただけだが」
見ればわかる。細い彼女の指が彼女自身の胸部に触れている。
「そうではなくてですね。何故そんなことをしていらっしゃるのでしょうか?」
「知らんうちに、やや成長がみられたから」
なぜそんな他人事のように話しているんだ。
「失ったものの代わりに得たのがコレか……。けっ」
いつもより元気がない。リーン頼む、今すぐ来てくれ。どうしてこういうときに限っていないんだ。
まずやんわりと、男にはそういう話をしないでくれと伝えることにした。
「そういう話題は、リーンにふった方がいいんじゃないかな?」
「はあ!?リーンに!?!??なんで!?」
が、やや顔を赤くして反論された。
「なんで、って……」
リーンが一応女だからだよ、と口に出す前に、
「恥ずかしいからヤダ」
プイッとそっぽを向かれる。
「は……」
「……おい?どうした?」
「…………」
「おいっ!!!」
「ハッ!?」
リーンは恥ずかしくて、俺は恥ずかしくない?
「くっ、瓶の蓋開けられなさそうな顔して……!」
「蓋?」
「……どうして俺に言うのはアリで、リーンに言うのはナシなのかな?」
「そりゃあ、お前だし……。あ、触るか?」
そんな、筋トレでついた筋肉を触るくらいの感覚でいらっしゃるーっ!?
「揉むのはなしな、いてーから」
リーンさーん!!!早くーっ!走らず急いで歩きで助けてくれーっ!危険がゆっくりだー!
どーんとこいと言わんばかりに胸を叩くその手は、自分よりも小さくて、白くて、傷一つなくて、キレイだった。……いくら身体強化の魔術が得意だからと言って、全く体を鍛えることなく、あのような怪力になるのだろうか。使う魔力子の量を通常よりも多くすれば可能かもしれないが、彼女は自身の保有量について小さいと語っていた。やはり何かがおかしいがそんなことより今はもっと大切なことがあって頭がいっぱいであった。
「さ、さわ、やめ、やっぱ、さわり、さわ、さわ……今は保留にする」
「ふーん。触っても減るもんじゃねーんだけどな。……減るほどの脂肪もねー」
とりあえず、聞かされるこちらはどう反応すればいいかわからないので、あまりそういう話はしないでくれと頼む。すると、素直に「うん」と頷いてくれた。
これにて一件落着かと思ったが、アコは襟をパタパタとあおぎ始めた。
「にしても今日はあちぃー……」
その様子を腕を組みながら観察する。……上着の前ボタンがかなり開いているな。あ、ちょっ、なんか線───、
「ん?……何あらぬ方向向いてんの?それに顔赤くね?」
「暑いからかな暑いからだなほんと俺暑いのは苦手だからあはははははは」
「ふーん」
彼女は急に回り込んできた。下から顔を覗きこまれ───あ゛っ、顔が良い───、何をされるのかと身構えていると、
「そぉいっ!」
頬に少し冷たいものが当たっていた。
「ふっふーん。冷たいだろ」
否、頬を両手で包まれていた。
「どうだ、ビックリしたか?オレって体温低めらしいからな」
自信満々に言い放っている。足元を見れば、背伸びをしていた。
「どーして黙ったままなんだ?……ふっ、もしかして、ビックリしすぎて声が出なっびぎゃっ」
片手で頬に触れた。ビクッと少し身じろぎしたが、払われることはない。
「な、なんだよ、目付き
指の近くで美しい瞳が不安気に揺れている。
はっは~ん……さてはこれ……、
「怒ってる……?」
夢かぁっ!!!!!
「手熱くね?発熱してるんじゃねーか?」
もう片方の手も頬に添えると、困惑した顔になる。だが、手はまだ払われない。
「うぐぐぐぐ……ぁ……熱い!急に冷たい手で触ったの、そんなに怒ってんの!?」
顔がだんだん赤くなってきた。
「なんかしゃべれよ……」
しかも、弱気になっている。
夢ってすごいな!?!??
胸触るか聞かれたり頬に手を添えられたり顔を赤くされたりするなんて、現実であるはずがなかったのだ。
しかもこの夢、以前見たときよりも熱量がすごい。
「お前にだったら、俺は───」
「あっ。リーンだ」
え。
油の切れた機械が出すような音が出ているんじゃないかと思うくらい、首がぎこちなく動いた。
「いいいいや?わわわ私は何も見てないよ?ああでもアコちゃんが汚されちゃういやいやアコちゃんは13歳以上の女の子でアコちゃんから触ってたたししし二人とも顔真っ赤だし見てない見てない見てない……おおおおおおぁぁぁあああ!」
リーンが走って逃げていく。
俺は黙ったまま、頬から手を離した。
「うげー、熱かった……。リーンどこ行った?」
アコは自身の手のひらを顔にあてて、リーンの走っていった先と俺を交互に見ている。
「……なあ、俺の頬を思いっきり殴ってくれないか?」
「は?そんなことしたら首の骨折れるぜ?」
「なんでも良いから俺を痛めつけてくれ」
「……じゃあ」
ゴッ。
脛を蹴られた。
すごく痛い。
……………………ふぅ。
俺も走って逃げた。
「おはよう、レド。目付き悪いな」
「どうせまた、いやらしいことでも考えているんでしょう」
「はははっ、そうだね───」
「……今日の俺は機嫌が悪い」
「声ひっくっ!」
§ § §
近くの神殿を通りかかったある日、秋分はこの前過ぎたのに人が集まっていた。
「なあヴァイス。今日って何かあったっけ」
「いや特になかったと……あー、葬式やってるのか~」
「へぇ、棺桶の隣に立っている人の?」
「知らないよそんなの……待てや」
興味なさげだったヴァイスが急に焦り出す。
「レド急にどうしたの?幽霊?いつもの珍獣ちゃんの幻覚?」
「何を言っているんだお前は」
「それはこっちのセリフなんだよ」
ヴァイスがおかしなことを言い出したので、認識合わせを試みたが話がどうも噛み合わない。見かねたらしきブレウが口を挟んできた。
「レド、生前葬はここでは標準ではありません」
「そうなんだ……?」
ブレウの話によるとほぼ全ての葬式は死後に実施であるとのこと。死後に実施することがあるのは聞いていたが、三割くらいだと勝手に思っていた。
「ブレウはよくわかったね。僕にはさっぱりだったよ」
「『葬式を死後に行うのは変わっている』という、とても変わったことを言われて困っている者から相談がありまして」
……なるほど。だからあのときあんな反応をされたのか。
今さらではあるが納得していると、オカルト話をするときと同じテンションのブレウに、村の葬式の話を教えるよう言われた。
そんなに面白い話なんてないけどなぁ。
「俺たちの村ではある程度の歳になると、あらかじめ葬式をするんだ」
「それじゃあレドは、もうお葬式してんの?」
『形代』は失くしてしまったけれど、一応やっている。肯定すると、ヴァイスが顔をひきつらせた。
「あらかじめ、って何に備えてんのさ???」
「村から遠いところで死んでしまったら遺体を持ち帰るのが大変だろう。先に葬式をして、『形代』───木で人形っぽいものを作ったり、人によっては大切なものにすることもあるな───、それを墓に入れてラーヴァに捧げる。そうすることで、遠い地で死んでも魂が還ってこられる場所を作っておくんだ」
……あれ?ひきつった表情が戻らないな。安心させるために、俺は一言付け加えた。
「それにほら、敵に仲間の遺体を盾にされても、葬式はすませてあるから大丈夫」
「そこはあらかじめ、敵に遺体を盾にされないようにしようよ。何が大丈夫なのかわからないよ」
「そ、そんな」
「どうして僕がさもひどいことを言ったみたいな反応してるんだい?」
まあ、仲間の遺体を無視して敵を攻撃するのは、こちらも良い気分はしないので、皆そうそうやらないんだけども。
「すでに生前葬をした者が、村で普通にお亡くなりになったときは、再度葬儀を行うのですか?それとも、その辺に放るのでしょうか」
やけにウキウキとしたブレウが聞いてきたが、その辺に放る、って……、お前……。
「『形代』が納められた墓に埋葬するだけだよ。特別何かする、ってことはないかな」
打ち捨てられた死体も埋葬された死体も、あるいは形代も、やがては朽ち果てて地に還る。しかし、野ざらしにしなくともよい環境なら、しないに越したことはないのだ。
「なるほど。それと一つ引っ掛かっていたのですが、『形代』とは、本来は身代わりになるものなのでは?レドが言うところによると、『形代』の方が本体になっていませんか?」
「うーん……。うまい言葉が見当たらなくてだな……、近い表現で言ったんだ」
「ほう。それでは、君の村には『形代』に別の呼び方がある、ということですか。それは何と?」
「自分の名前」
「なんか怖」
さっきからやけにヴァイスがドン引きしているが、怖いだなんだといった話なら、一昨日くらいにブレウとネロが話していた、イーリオ教の生贄長距離走の方が圧倒的に怖いと思う。……真偽はともかくとして。生贄の心臓をえぐり出して頭を切り落とすという行為を、湾に沿って一定距離間隔ごとに神子が行うという儀式らしいが、もはや何が目的だかさっぱりわからない。箱に詰めるという話は、また別なのだろうか。……偽の方が強そうだな。
他にここと違う風習はあるか、と根掘り葉掘り聞かれているうちに、故郷のことをあっさり話せている自分に驚いた。思い出すのも久しぶりだ。あれほど頭からずっと離れずにいた出来事もあったのに。
ここぞとばかりにブレウが質問し、それに答えることをしばらく続ける。ある時、ヴァイスがポツリと言った。
「古代の山の民みたいな感じで、いかにも恐ろしげなお面被って、侵入者射ってそう」
「あのなぁ。そんなもの皆被ってないから」
怪しい本でも読んだのか、と疑ってしまう彼の発言に俺は言い返した。全く失礼な。だいたい、面をつけたら、敵に顔を覚えてもらえないだろう。
「じゃあ……、一番強いやつが村長!みたいな決め方してそう」
「いいや、村で一番強い者が自分を最もうまく使いこなせる人物を選ぶんだ。ちなみに一番強い人物が自分が村長になりたいと言い出したら、序列二位から十位までが三日三晩囲んで棒で叩く」
つい、指で額に触れる。番外だけど補佐で参加して、気を抜いていたら額割られたっけ。あの時は驚いたなぁ。
「戦闘民族的な何かで?」
「あのな……そんな不名誉な言い方は止めてくれ。むしろ、ラーヴァの教え───、村で守られている規律の下、戦闘行為を良しとはしていないからな。一方的な攻撃なんてもってのほかだ」
……今の自分には守る義務のないルールだ。けれど、判定基準が与えられ、自分で考えなくてよくなるから、
「あれ?すごく怒ったレドが、逃げる僕たちを一方的に追いかけ回したりしたこと、あったよね」
「……喧嘩の売り買いがあったから問題ない、としている」
「ルールを都合良く解釈してないかい?」
§ § §
秋が深まり、冬が見えてくる夜。俺は部屋で独り言を呟いた。
「アコ、かぁ……」
どうも不思議としっくりこない。呼び慣れていないからだろうか。
なぜ今さら名前呼びをしようとしているのかというと、リーンに『レドくんって、アコちゃんのこと、名前で呼ばないよね。いつも二人称ばっかりだよ?』と言われて、あることに気がついてしまったためである。ちなみにリーンの話し方は、『アコちゃん……アコちゃんが……汚されてしまった……。私はこれから泥をすすって生きていく……』と言って、もとに戻っていた。
……アコも、俺の名前を呼んだことはないよな。
いまだにまともな自己紹介すらしていないことと、彼女の物事への関心の向け方的に、俺の名前を知っているかすら怪しい。
対して俺があの子のことで知っていることは……確実なのは名前。それから、おそらく暖かくて大味な食べ物が好きで、寒いのは苦手で、それから、それから……。
「……知っていることが少なすぎる」
趣味も、出身も、誕生日も、家族はいるかも、一番嬉しかった思い出も、好きなことも、嫌いなことも、これからの目標も、何も知らない。
聞いてもなぁ……。普通の質問でも、彼女はまともに取り合ってくれず、はぐらかしてくることが結構多いのだ。答えてくれるのだろうか。……それでいて、こちらが喋ろうとしたことを未来予知でもしたのかというくらいに、ぴたりと先読みして、質問の答えを先に言ってきたりもするのだから、読めない。
いっそ踏み込んで、数打ちゃ当たる方式で、今以上にあれこれ聞いてみるか。しかし……、もう少し仲良くなってからの方が……。仲良く……例えば、名前呼びとか。
「うーん、アコ、さん?いや、これよりかはやっぱりアコの方が」
モゴモゴと名前を呼んでみたものの、途中で恥ずかしくなりやめる。
こういうときは一人部屋でよかったと思う。
最近数字が良いと喜ばれる、いつもの検査を終え、暗くなり始めた時間帯に校内を歩いているとアコの姿を見つけた。
なぜか教官たちに囲まれており、彼女が撃つたびにあれやこれやと話しているので、射撃が非常にうまいのかと思いきや、どれもびっくりするくらい外れていた。そもそも銃はそんなに命中率はよくないが、動かない的に対してあれはひどい。わざとはずしているのではないか、というレベルだ。
そのうち教官たちは議論に熱を上げ、彼女は蚊帳の外でぽつんと立っていた。
……よし。
自然に、ごく自然にだ。今さら急に名前呼びしてきた、とは思わせない自然さを出していこう。
「ア───」
まるで誰かに教えられたかのごとく、声をかける直前にアコは振り返ってきた。
「───あっあっあ~、今日は喉の調子が何か変だな。おっかしいな~、声変わりは終わったはずなのにな~。……おっ、どうした?」
とっさのごまかしに、彼女は不思議そうな顔をしている。
「てめーこそどうした」
「いや、何も問題ないので気にしないでください、頼むから。ところで、こんな時間まで何をやっているんだ?」
聞いてみると、出来が悪かったため居残りになったが、撃っても撃っても全然ダメ。本人の特性を鑑み、近づいて殴ったほうが早い、という結論に落ち着きはしたものの、あまりも当たらなかったことに、教官たちは勝手に分析で盛り上がっているらしい。
若干落ち込んでいる様子の彼女は、触角がへたれていた。
「得手不得手は誰にでもあるからな。そういうこともあるって」
「うむ……」
「今日はこれで終わりにしていいか聞いてきたら?」
「おー」
話が終わる気配のない教官たちに、アコはててて……と駆け寄り、短く言葉を交わすと、再びこちらに戻ってきた。
「今日のところは帰っていいってよ」
「よかったな」
そして、俺たちは自然と歩き出した。
「ったく、全然終わんねーし。ほったらかしにされるし。結局次補講だし。何だったんだ」
アコは落ち込みがちだったものの、次第にぷんぷん怒り始めた。顔が良い……。
「まあまあ。人間、何かに熱中になっていると、他のことには意識が薄れがちになるものだから」
「それあんたのことじゃない」
そうそう俺の……、───いつもと何かが違う!?
ぎょっとして横をみれば、いつも通りの雰囲気のアコが、手を握ったり開いたりを何回かしてから、ポケットに突っ込んでいる。
「さみー」
ハッとして、もっと大切なことに気がついた。
今……1メートル以内の距離感で、一緒に歩いている!?!??
「もしかしたらこれは夢かもしれない」
「おいどうした。頭打ったか」
「元気元気超元気」
「お、おー」
少し引かれた。よし、現実だ。
「夢だったら、もっと滅茶苦茶なはずだよな」
何気ない、ただの独り言のつもりだったが、思わぬ反応が返ってきた。
「夢が滅茶苦茶?……そんなことあっか?」
「夢って結構抽象的で、つじつまの合わない内容だったりするだろう。夢を見ているときはわからなくても、起きてみるとおかしいことに気がつくようなさ。それを『滅茶苦茶だ』と言ったつもりだったんだけど……」
「ちゅーしょーてき……?」
アコは本気で不思議がっている様子だ。さっぱりわからないと顔に書いてある。
試しにどんな夢を見るのかと彼女に問うと、
「この間の筆記試験の前夜、試験範囲の講義見たぜ」
「それでも、過去の体験と完全に一致する内容ではないだろう?どんな夢でも、曖昧なところや現実とは違ったことがあったりとか」
「……?いつも現実の光景と全く同じだろ。違うことなんてあんの?」
「え?」
「は?」
過去の体験と全く同じものを夢で見るなんてことあるか?そうであるならば、随分変わった……、いや、自分と違うから変わってるなんて決めつけるのは良くないな。そういう人もいるんだろう。
アコのことをまた一つ知ってしまったな……と感動しながら門を出たところで、彼女は俺とは異なる方向、町の外の方へ足を向けていた。
「なあ、いったいどこへ行こうとしてるんだ?」
アコはふふんと鼻をならす。そして、胸を張って、あることを言った。
「───ねぇ、レド?聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。顔が良いよな」
呆れた目で見てきたヴァイスは言った。
「本当に、いつも珍獣ちゃんのことで頭がいっぱいだね、やれやれ……。誰も今顔の話はしてないよ。やばい地元選手権大会ね、審議の結果、レドは大会出禁になったから」
帰ってきてからアコのことを考えていたが、気がつけば自分の故郷の変わっていたところを話すという、ただそれだけの話題に巻き込まれていた。
適当でいいやと思い、流れのならず者の話をしたところ、俺は評価対象外にされてしまったが……どうでもいいか……。村の入り口付近の木に吊るす、というだけの話だ。干した獲物や収穫物の横に吊るしたりする、ただの夏の風物詩である。
続いて北部の小さな町のヴァイス、首都に実家のあるリーン、南部の農村のネロときて、最後にブレウの順番となった。
「では、僕の地元……に伝わる、人魚伝説をお話しましょう」
ブレウが切り出した言葉にリーンが返す。
「それなら私、この前ブレウくんのお家に行ったときに聞いたよ?」
「では、まずリーンの認識をお願いします。……ヴァイス、これはレギュレーション違反ではありませんね?」
「オッケー」
「えっと確か……、『昔々、地上に憧れた人魚がいた。正体を明かさずに人魚は一人の人間と仲良くなるも、ある時、その人間が盗賊に襲われて大怪我を負って死にかけてしまう。そこで人魚は自らの肉を人間に食べさせ、怪我を治す。しかし人魚は人間に正体がばれてしまったので、海の神が人間の記憶を消し、二人は二度と会うことはなかった。人魚も涙を流すごとに思い出を忘れ、その涙は琥珀となって今も海岸に打ち上げられている』───って、悲しい話だったよね」
「やっぱその話、さらっと人間が人魚の肉食ってないかい?」
この話は、俺も伯父さんから聞いたことがあった。この人案外ロマンチストなんだな、という感想の方が強かったけど。……あれ?もっと、それよりも強いインパクトがあった気がする。今の話を聞いていて、俺は引っ掛かりを覚えた。
ブレウは少し下がってきていたメガネの位置を直してから言った。
「それは子ども向けに話をマイルドにしたバージョンですね」
「人魚が肉食われてるのに?」
「一番メジャーとされているのは、……『人魚は定住の地を探す旅人と出会い、交流するも、ある時、他所者である旅人は近くの町の人間により殺されてしまった。人魚は旅人に自らの血肉を与える。旅人は復活するも、不死になってしまい、人の世では定住できなくなった。また、人魚は掟を破ったために魂が砕ける。そして、旅人は覚えている者がいなくなるほどの時間が経ってもなお、人魚を探し、永遠に放浪し続けた』というものです」
「実は地元の人が食料危機かなんかで、ふらっと現れた他所者を食べたのを、人魚だなんだと言い分けしてぼかした話じゃないかい?ねえ?」
先程からひたすら食肉に突っ込んでいたヴァイスに、ブレウがニヤリと笑う。
「さらに古くは、また異なる話だったことが僕の調べでわかっています」
「───『人魚の願いを叶えるためにやってきた旅人は、人魚に血肉の全てをむさぼられる。結果、旅人は魂を失くす。嘆いた人魚は旅人の魂を探し、さ迷い続けた』」
「おや」
淀みなく、すらすらと口が動いていた。そうだ、この話を誰かから聞いたのだ。この女性いきなりなんて話をし出すのだろうか、と忘れがたい印象だったはず。
「知っているとは珍しいですね。これが語られていたのは相当昔なのですが」
「……ああ。どこかで教えてもらった、ような」
「───やっぱ食べてるじゃん!他所者食べてるじゃんっ!ほらぁ!何が『探し続けた』だ!探し物は腹の中だよ!」
「長い間語り継がれていくうちに、人魚と旅人の役割が反転したり、混ざったりしているのは興味深いですね」
「最初からハッピーエンド目指していこうよ!」
騒ぎ出したヴァイスが「北部ごく普通の町VS劣悪労働環境首都VS猟奇的な幼馴染がいた南部農村VS東の食人疑惑町か~。逆に北部強くない?」と言い出したので、満場一致でヴァイスが優勝となった。良かったな。
おめでとうと祝ったのに、全然うれしくないから景品でもくれと、今度は文句を言い始めた。彼はとりあえず放っておこう。そう思い始めた時、ネロが口を開いた。
「……すごいことを思い付いた」
「ネロちゃんどうしたの?」
そして、
「肉を削いでは治癒魔術で修復を繰り返せば、無限に肉が手に入る……。無限食肉加工……」
「ネロちゃん!?」
いきなり恐ろしいことを言い出した。
なおネロの発言にビビっているリーンは、退学勧告へのスコアが貯まりきるか、卒業まで逃げ切れるかで少し話題になっていた。なんでもこの間、幼い子どもを拐かしていた輩をたまたま見つけて襲撃したところ、捜査をしていた憲兵と鉢合わせ、誤ってその人たちも殴ってしまったらしい。結果、誘拐犯とともに一旦御用となったものの、休日釣りの予定をキャンセルした教官が、呪いの言葉を吐きながら詰所までリーンを引き取りにいったことで、嫌疑は晴れたんだとか。
「勉強不足お疲れ様。それがそんな簡単にできたら苦労しないよ」
ネロのトンデモ発言にヴァイスは溜息をつくと、
「欠損部位を復元できるか、っていうのは理論上可能、実現不可能って言われてる。見かけ上うまく作れても、皮の下どころか皮もまともな出来じゃないだろうね。体の超詳細な設計図があって、頭の働き全部回しても足りないほどの魔術制御能力に、膨大な魔力子があれば、腕一本くらいは作れるんじゃない?っていうかこの話止めない?血なまぐさい話題じゃなくて明るいこと話そうよ」
そう言って、俺の肩に手を回してきた。
「明るい話題と言えばさぁ……。珍獣ちゃんとは最近どうなのよ」
明るい話をするのは歓迎だけど、こっちに絡まないでほしい。というか、なんでいきなりあいつの話になるんだ。
俺は嫌々ながら答えた。
「どう、って……いつも通りだけど」
「そうじゃなくてさぁ!どっか遊びに行くとかさぁ!例えば今年の冬至祭誘うとかさぁ!!!───なんでリーンが涙目に?」
「リーンが冬至祭の話題を出した瞬間にあいつの機嫌は急降下して、俺たちが目を離した隙にいなくなっていた、という出来事があってだな」
「冬至祭が悪いんじゃなくて、きっとリーンかレドが変なことをしたからだろうね」
「リーンはともかく、俺は何もしてないからな」
「でもいつかにリーンが叫んでたじゃん。『レドくんがアコちゃんの頬をつかんで、無理やり手込めにしようとしてたぁああぁうぁー!脳が破壊されるぅぅぅうう!!!』って。……あ、思い出したリーンがアウアウしか言わなくなった」
このアマ。
……おかしいと思ったんだ。急に同期の女子たちに囲まれ、「無理やり迫るとかマジありえんのよ?」「犬猫みたいな扱いしといて貴様。もう少し相手の気持ち考えてみなさい」「将来ロリコン変態野郎になってそう」「君どうせ何もできてないんだろうけど、あのさぁ」「あんたの感情、ちょっとおかしいわ」と怒られたのは。
「まず、リーンの発言は誤解だ。俺はあいつに何もしてないからな。いつも……、それに今日も」
ぐずるリーンの頭をガンガン叩いているネロを尻目に、俺は必死に弁解した。加えて、軽く今日の経緯を説明する。
すると、しばらく聞き手に徹していたブレウが、唖然とした表情をした。
「……は?一緒に帰る機会があったのにも関わらず、送りもしなかったのですか?」
「『どんぐりを採りに行く。いっぱい拾って売るんだ。……ふっ、一人でな』と、それはもう自信満々に言っていたからなぁ。流石にどんぐりは間違えずに採れるだろうから、俺はその背中を見送ったよ……」
「チビ───ごほん、一応あの見た目ですよ。夜遅くに暴漢や人買にでも襲われたらどうするんですか」
「はぁー?あいつはその辺の有象無象になんか、絶対に負けないんだけど???」
§ § §
年も終わりに近づく。卒業試験も特に何事もなく終わり、後は結果を待つのみである。
「大丈夫か、あいつ……」
「どうしたのさ、レド」
「なんでもない」
「それにしてはため息が重いよ。……あー、珍獣ちゃんが心配とか?試験通るかが気がかり的な」
「それについては特に心配してない」
「おっ、意外」
「ただ、道の草を食べて、お腹を壊してないかが心配で……」
「レドの中であの子はどういう扱いになってんの?」
アコのことでキリキリと胃を痛めている俺に、ブレウが平然とした様子で話しかけてきた。
「ああ、彼女なら、普通にこなしてましたよ。それどころか、罠への探知能力は野生動物並みですね。土の色が違うからわかったと言っていましたが、いったいどんな色彩感覚をしているんだか」
「草はかじっていなかったか?」
「何を言ってるんだ、君は。……魚の缶詰を欲しそうにしていたのであげましたが」
「まさか。ブレウ、お前も餌付けを……っ」
「違います。僕を巻き込まないでください。……あのですね、いつまでもそんな態度でいいんですか?」
何を急に、と言おうとしたとき、続いた言葉が心に刺さった。
「卒業したら、もう会えなくなる可能性もあるのでは?」
もう、会えない……?
彼女の姿を見かけて以来、一切川には寄り付かないようにしていたが、最後の休みの日の散歩は気がつけば橋にいた。
「なん、だと……」
彼女は一人ではなく、年下の少年を連れている。姉弟だろうか。だが、遠目から見ても、あまり似ているようには思えなかった。
早速この日も手掴みした魚を少年の鼻先に突きつけて、自慢するそぶりを見せていた。俺も自慢されたい。
「こんなところで這いつくばって……、レドは何をしているの……」
怪しまれないために、橋でうつ伏せの態勢を取っていたところ、ネロが偶然通りかかった。
「踏まれたいの……?」
「お前に踏まれる趣味はない。あれを見てくれ」
「何を見て…………遠っ」
俺の視線の先にあるものに気がついたネロはしゃがみこむ。
「……覗き?」
「覗きじゃない。生態観察だ」
「……神はそれを覗きとおっしゃると思う」
「覗きじゃない。ネロこそ、こんなところでどうしたんだ」
「神殿まで行こうと思ったの……」
「方向が全然違うぞ。───ハッ」
時々まだ焼けていない魚に伸ばそうとしたアコの手を、少年はべしべし叩き落としている。良い判断だ。生焼けは良くない。
「伏せろっ」
不意にアコがこちらを見た気がしたため、ネロの顔面を橋に叩きつけ、身を低くさせる。……よし、気づかれていない。そのまま息を潜め、魚が焼け、食べてから撤退するまでを見届ける。
さあ帰って荷造りをするかと立ち上がったところで、鼻から血を流しているネロによって、橋から冷たい川へと叩き落とされた。
ぽたぽたと水滴を垂らしながら歩く道すがら、俺たちはヴァイスと出会った。
「うわっ、ネロ、顔に血がついてるじゃん。ほらハンカチ。拭きなよ。レドは魔術で乾かしたら?」
「体が水でかなり濡れていたり、雨が降っていたりすると、魔術の制御がうまくいかないんだ。下手すると全身が炎上する」
「お、良いこと聞いた。ネロ、今度一緒にレドを水攻めしよう」
「する……」
ネロが顔を拭き、俺はずぶ濡れのまま、ヴァイスに二人で何をしていたのかと問われた。答えようとしたが、ネロに手で制される。
「罪を重ねないか見張っていたの……」
「珍獣ちゃん関連かー」
「あのなぁ。俺は橋の上で這いつくばって、寒空の下、川で魚を獲るあいつの姿を観察していただけだよ」
「よくそれを『だけ』で収めようと思ったね。大丈夫?いきなり肩に担いで誘拐とかするなよ?」
「するわけないだろう」
全く……。心外だな。俺をいったいなんだと思っているんだ。
§ § §
ただの勘。
それだけで俺は走っていた。
卒業の後の懇親会に姿がなかった。漠然とした不安に心を動かされ、町の至るところを探した。
三年も過ごした町。頭に地図は叩き込まれている。少々
……見つけた。帽子を被っていたが、亜麻色の髪が雑にはみ出している。
後ろから声をかけるも、足を止める気配はなかった。さらに近づいて大きな声を出す。
「おい!聞こえてるかー?」
アコは眉間にシワを寄せた顔をして振り返った。
「……なんだよ」
「なんだよ、ってお前なあ……」
いつも通りの不機嫌そうな声に、少し安堵する。よかった、間に合って。
「卒業式後に懇親会があるのにどこにもいないから、まさかとは思ったけど」
「懇親会?」
「マジか……」
首をかしげるアコを見て、思わず天を仰いでしまう。
俺もリーンも、冬至祭のこともあってその手の話題にあげなかったから、他に知るルートがなかったのだろう。
それにしても、今からどこへいくつもりだったのかは不思議だ。あの弟っぽい子に用事だろうか?
……だとしても、今日いつもより長めに話すくらいなら……、許される……はずだ。
「今からでも全然間に合うから、ほら」
平静を装って誘うが、それはあっけなく断られた。
「いや、今夜首都行きの切符があるから無理」
なるほど、今夜首都行きの。
「───はあ!?もうお前首都行くのか!??」
「と、いうわけだ。じゃあな」
「待て待て待て待て待て、もっとこう卒業の嬉しさとかを分かち合ってだな」
「知るか」
「今夜の汽車ならギリギリ…、あ、例年夜まで騒ぐから無理か」
「じゃあな」
「ちょっと待ってちょっと待って」
今にも立ち去ろうとしている姿を留めようとした。だって、俺は……っ。
「ほら、お前どこ配属とか……。俺は」
「第一課だろ、知ってる」
「お、おう。……って走るのは早!」
もう少しお前と話したいと伝える前に、さらっとと返された一言に動揺してしまう。
その間にアコは走り出していた。相変わらずの身体能力の高さだ。いや感心している場合じゃない。下手すると追いつけない。
その時、強めの風が吹いて、帽子が飛んだ。
振り向いたアコの顔には焦りの表情が滲んでいる。走り出しのタイミングと予想外の風の強さにうまく押さえられなかったようだ。
少し長くなった亜麻色の髪が帽子から溢れ出て広がるのは、幻想的な光景だった。
飛んできた帽子をキャッチする。というか、ちょうどこちらの手元に収まった。
「……」
「……」
アコは気まずそうにしている。すごく気まずそうに伏せ目がちになっている。やべー、どうしよう……、と触角までへたっている。
慎重に近づいてみたところ、逃げなかったため、俺はアコに帽子を差し出した。
「はい」
「……うむ」
風で荒れた髪を手櫛で整えてから、彼女はばつが悪そうに受け取る。
「なんだよ、じろじろ見やがって」
そっぽを向かれ、それに合わせて髪がさらりと動いた。
髪が伸びてきたから、また切って売ると言っていたっけ。長めの状態を見る機会はほとんどないから、少しもったいないな。しかし、嬉しそうに髪を切る話をしていた姿を思い出すと……、彼女がやりたくてやるんだからいいか。
───いや、待て。
ショート、ミディアム、ロングを拝む機会があるから三百倍お得……っ!?
「いつまで見てんだ」
であれば、今の姿を目に焼き付けておかねばならない。
「お、おい、オレの顔に何かついてんのか?」
……はー、顔が良い。
「う、う、う……うがぁぁぁあああああ!!!!!なんだよ!さっきから!!!礼の一つでも言えってか!?」
「うわ、急に怒鳴るな。驚くだろう」
「自分自身には問題がない風に堂々と言ってんの、なんかムカつく……っ」
アコは大きく息を吐いた。
「…………ありがと。これも大事なものだから、失くさないでよかった」
そう言葉にした時の顔は、ほんの少しだけ、表情が柔らかくなっていて。
まるで、心臓をぶち抜かれたかのような、そんな感覚に襲われる。
「お前にだったら、俺は殺されてもいい」
結果、衝動的に俺はとんでもないことを言ってしまった。
「…………は?」
アコはぽかんと口を開けて、呆然としている。
……ふぅ。
「お前の瞳はキレイだよな!!!」
「へ」
「まれに透き通るガラス玉のごとく輝いているときは特にそう思うな!時にガラスと言えばステンドグラスを大量に使用した神殿が中央大陸にあってそれはもうすごいらしいな!」
「ちょ」
「しかも一年に一度だけ特別な位置に光が差し込むように計算されているとかなんとかかんとか!!!はっはっはっ!!!」
ごまかすために結構な勢いで捲し立てた。自分でも何を言っているのかよくわからない。アコもきっとそうだろうと思っていたが、意外な反応をされた。
「きっとそんな感じで瞳キレイ!うん、すごくキレイ!!!!!でもそれより───」
「……オレは好きじゃない。こんなもん、キレイでもなんでもねーよ」
何を言っても『かっこいい』に変換するのが常なのに、一体どうしたんだ!?
落ち込んでいる様子にとっさに言い返す。
「そんなことないさ。琥珀色で、時々キラキラしてて……」
「こはく?なんだそれ」
アコは不思議そうに首をかしげた。
「宝石だよ。大昔の樹液が化石になってできたものなんだ」
「かせき……。古い木の汁でできてんのか。ばっちい」
「ネバネバもドロドロもしてないから。固まって透明な石になってるから。宝石だから」
へー、と相槌を打たれるが、たぶん想像ついてなさそうだな。
「飴もさ、ドロドロしてても冷えると固まるだろう?それと……結構かなり違うと思うけど、何千万年も前、樹液が地面に落ちたあと、長い時間をかけて地中で固められてできる……らしい」
「まんねん。まんねん……?それって、どこ行くと見れんの」
「ええ?宝石店とか?それと……博物館かな」
「博物館……。ふーん、学芸員がいるとこだ」
「そうそう。行ったことある?───うぇ゛っ!?」
何気なく聞いただけで、深い意味はなかった言葉に、アコはどういうわけか眉間にしわを寄せていた。キリキリと目尻を吊り上げようとしているのはよく見るが、それとは違う。いつもよりも怒っているのだ。
「……ムカつくこと思い出した」
「今のはお前のことが知りたくて聞いただけで、嫌な思いをさせたかったわけではなくてだな」
どうにか言い繕おうとする中、次に聞こえたのは普段通りの調子の声だった。
「───昔、博物館にも今度行こうな、って言ってきたヤツがいたんだ」
うつむいて、どんな顔をしているのかわからなくなる。
下手に喋ってはいけないような気がして、俺は黙って次の言葉を待った。そうして、二人して黙りこくってからしばらくして、ようやくアコが口を開いた。
「他にも色々口うるせーんだよ」
ポツリ、ポツリ、とここにはいない『誰か』に怒っている。
「いつかあれをしようこれをしよう、だの。オレはよく考えもせず信じてた」
いや、『誰か』には本当に怒っているわけではない。
「でも……、結局、どこにも連れてってくんなかった。アイツは嘘つきで、オレは馬鹿だった」
怒っている以上に、悲しんでいるのだ。
どこのどいつだ。この子にこんな悲しい思いをさせた輩は。ぶん殴りに行きたい。
「だから、行ったことなんかない」
だが今は、いつもよりも小さく見える、その姿を放っておけなかった。
悲しませたくない。
悩んでいることや辛いことがあるのなら、力になりたい。
どうすればいいかなんて答えはないまま、手を伸ばしていて───、
「触らないでくれる?」
───届くことはなかった。
「な……っ?」
彼女は今までにないほど、冷たい目をしてこちらを見ている。
そこで俺は、自分の手の甲がじんじんと痛むことにようやく気がついた。
「ほんとしつこい。ったく、穏便にずらかろうと思ってたのに。毎度毎度邪魔をする……」
……叩かれていたのだ。
「ふふっ、そーだ。ねぇ?」
少しずつでいいから知っていきたい、そう思っている女の子が笑いかけてくる。
「私のこと、知りたいんでしょ?……私があなたをず~~っとどう思ってたか、とか」
知りたい。すごく知りたい。超知りたい。
「教えてあげる」
だが、見たことのない
「───気持ち悪い。あんたなんて、死んじゃえばいいのに」
後ろから頭を殴られるくらいの衝撃を食らった。
気がつくと、俺は椅子に座っていた。
「アハハハハハッ!フラれてやんの~!!!ブレウ聞いた?珍獣ちゃんに逃げられちゃったらしいよ!」
ゲラゲラ笑いながらヴァイスが肩をバンバン叩いてくる。その反対には、ブレウが一席分空けて隣にいた。……ここまでどうやって戻ってきたのか、正直全然覚えていない。
色々と物申したいが、まず訂正すべきことを言った。
「フラれてない。そもそも、す……そういうことを言ったことも、思ったこともない」
「想像以上に情けないこと言い出しましたね、この後ろ向きポジティブ」
「かわいいと思ったこともない。顔が良いという客観的な事実を常に思っていただけだ」
「主観的な事実は?」
「顔が好み。それだけだから」
部屋の隅で何人かが石を作り始めた。何に使うのだろうか。……ん?さっきまでずっと「アコちゃーん……。私を捨ててどこへ……」としくしく泣いていたリーンが、投石フォームの練習を始めたぞ?
ヴァイスは大きくため息をついた。
「はぁ~、もう素直に認めちゃえよ。心配だの世話だのじゃなくてさぁ。なんなの?認めると死んじゃう病気なの?」
「前も言ったけど、そういうのじゃ」
「はいはいわかったわかった。それは置いておいて、すでに珍獣ちゃんと出会える確率もかなり下がってるんじゃん?だったら、彼女のこと吹っ切って新しい方向へ進むか、また会おうとするかにせよ、自分の気持ちにもうちょい向き合ってみなよ。いつまでも同じ状態で燻るんじゃなくてさ」
「ぐっ」
「まっ、こっぴどくフラれてるからな~。はははっ」
……自分の、気持ち。
「あいつに、気持ち悪い、って言われたんだ」
その瞬間、ヴァイスとブレウが距離を取り、そこそこ大きい声で話す。
「ついに気づかれてしまったか……」
「まずいですね、レド係を押し付けようとしていたのですが」
「まだだ。レドは珍獣ちゃんを与えている間は、大人しくなるんだ。珍獣ちゃんが道端の虫を見て気持ち悪がった可能性を、まだ諦めるな」
内緒話を終えた二人が戻ってきた。全部聞こえていたからな。
だが、今はそれよりも気になることがあった。
「何かが変なんだ。気持ち悪い、と手を叩いてくるのは……」
「一応、違和感を感じた理由を聞いてあげよう」
「解釈違いなんだ」
「そういうとこじゃないかな」
「グーで殴るんじゃなく、パーで叩くなんて……」
「チョキで目潰ししてやろうか?」
「ヴァイスにされても嬉しくない……」
「そういうとこだよ」
他にもあれこれ罵倒された気がするけど、初擊の威力ですでに瀕死だったから、全く頭に入ってこなかったなぁ……。しかし、言い回しや行動が、どこかいつもと違ったような。
三席分空いて隣のブレウが言う。
「やっぱりもう二度と会わないようにした方がいいじゃないですか?」
「…………」
「あ゛っつぅーーーっ!?レドさんレドさん!?燃えてる燃えてる僕の袖燃えてるぅぅぅう!!!!誰かー!?水!!!!水魔術やって!?」
ヴァイスに頭から水をかけてくれた同期が残念そうな声をあげた。
「ええ?珍獣ちゃんこないんですか~?」
「仲、良かったのか?」
「そういう訳じゃないんですけどぉ、ほら、珍獣ちゃんを授業や演習以外で見かければ、その日は良いことがあるって噂があるじゃないですか。だからアタシ今日来たのに」
騒ぎを聞きつけ、周りに集まってきていた人がガヤガヤと話す。
「俺、出掛けたとき、珍獣ちゃん見かけてさー。良いことあるかなって思ってたら、ホントにあってビックリしたわー」
「私も私も」
「そういう妖精だか小動物の話あるよな」
「なんだっけ。ゴリラだっけ」
「ゴリラってずいぶん昔に絶滅した伝説の生き物らしいよ」
「力が強いらしいな」
「校舎に取り憑く妖怪の類いだと思っていたが、まさか同期だったとは」
「珍獣ちゃん、ちっちゃくて可愛いよね~」
だ、大人気……っ。
ブレウが冷ややかな目をして俺を見てきた。
「なぜ感動しているんですか」
「俺やリーン以外にも、ちゃんと人と話せているなんて……!」
「話せるでしょうよ。この間の試験で初めて話しましたが、かなりふてぶてしい態度かつ馴れ馴れしかったですし」
「なれ、なれしい……?」
「僕は何もしていませんからね」
「ふてぶてしい……?」
「おい聞こえていないのか貴様」
「う、羨ましい……っ!なぜ……俺にだけ、急によそよそしかったり警戒されたり……。俺だって……、俺だって……馴れ馴れしくされたいぃぃいいいっ!!!」
「うっせーな」
珍しくブレウの言葉遣いが乱れた。そして、完全にめんどくさがっている雰囲気を醸し出しながら俺に聞いてくる。
「失礼。……そもそも、あれの見た目以外のどこに、良いところがあるのですか」
「…………変幻自在、不定形で自由なところ」
「それはアメーバに対する評価であって、仮にも人に向けて言うことではないです」
いつの間にか水の入ったバケツを持っていたヴァイスが言う。
「ほら早く素直に想いをゲロっちゃいなよ。もうめんどくさいのよ。勘弁してくれよ、皆できれば関わりたくないんだ」
……初めて見たときの瞳は、薄暗い場所でも、ガラス玉のようにキラキラしていて、ずっと見ていたかった。
澄んだ声で楽しそうに語る、そんな話を何回でも聞いていたかった。
握ってくれた手は、柔らかく、ひんやり冷たくて、あと少しだけ繋いでいたかった。
不満そうにへの字になったり、嬉しそうに少しだけ緩んだりするさくらんぼ色の唇には、こちらの表情も吊られて動いてしまいそうになった。
そして、顔。
どこか寂しそうな笑顔よりも、一片の曇りもない、心からの笑顔が見たい。
「ぐっ……」
どうしようもなく、自分の気持ちが欲深くなっていることに気がついた。
今の気持ちを総合すると、自ずと一つの答えが浮かび上がってくる。
……これは仕方ない。
「これは性欲だから。俺も年頃だから。顔が良い子に、ちょっとムラムラしてただけだから」
三大欲求なら、仕方ない。
ヴァイスから水を掛けられたし、その場の全員から石を投げられたし、リーンにはめちゃくちゃキレられた。
ちゅぎからしゅじんこーしてんにもどりまちゅ