【N.C.999】
あなたの一番古い記憶は何ですか?
そう聞かれると、どこまで遡ればいいのだろう。
クスクス
もうずいぶん遠く、昔の出来事。
イナイ
オレの、最初の思い出。
アハハハ
「……水が」
ドコ
口が動いていた。
サミシイ
「水が、どうしたんだ?」
「いやあんたが言ったんですよ」
フフフ
うるせー。
揺れる馬車の中で、オレはその言葉を飲み込んだ。
さて、昔あったことについて、初対面のクリュティエに殺されかけたことまでグレイに話し、どうでもいいポイントで押し問答を続けていたところで、馬車が来た。
御者は若い男女二人組。客はオレたちの他に、女性が一人駆け込んできて乗り合わせた。
その女性はかなり挙動不審だった。
まず、御者を見、盛大に顔を引きつらせた。御者は首をかしげ、彼女はなんでもないと取り繕おうとしていた。次に、オレと目が合うと、これまた慌て、なぜか鞄で顔を隠そうとした。グレイに脇をつつかれ知り合いかと問われるが、もちろん知らない。そのやり取りの間もずっと不審な様子で、突然鞄を手から落としたりしていた。つまり変な女である。多少の警戒はしておこう。
オレたちも、乗り合わせた女性も、特に会話はない。ときどき御者の話し声が聞こえてくる。男の声でかいな。
グレイとの会話もない理由だが……、隣の少年を見れば、ずっと頭を抱えている。
「おい、乗り物酔いか?」
こいつが今までそんなのになったところは見たことなかったが。
「違いますよぉ……。はぁぁぁあああ~、調べることが多い……っ」
他の客には聞こえないように、グレイは馬車のガタガタとした音で掻き消されるくらいの小声だった。
「あのですね!……ご自分の扱いや出自に、疑問を持ったことはないんですか?」
「そんなこと気にしてどうすんの?」
「うにゃああああっ!」と小さく、かつ、変な声で叫んでいた。猫の真似か、それとも頭痒いのか。とりあえず頭を撫でてみると収まった。
「お師匠の幼少期の話聞きますとね、軟禁されてるんですよ」
「されてないが?」
「されてるんですよ」
また、この押し問答かよ。
アイリスと二人きりでずっと部屋にいたことを話してから、グレイはこの調子だ。いい加減しつこいぜ。
軟禁だの、監禁だの……。
確かに、いつも同じ部屋にいた。しかし、時々大人が何人か来ていたし、たまに別の部屋に連れていかれることもあったのだ。いつもの部屋と違って、廊下には外が見える窓があったから覚えている。
あの窓はなんとなく印象的だった。
手を伸ばしても届かないほど高い窓。先生たちと通りすぎるわずかな間だけ見上げれば、その向こう側には、風で木の葉が揺れていた。まだ、窓のことを動く絵だと勘違いしていたあの頃、オレにはあの葉っぱがとても美味しそうに見えたのだ。
そんなちょっとした勘違いを思い出していると、
「だいたい先生なる人物が怪しすぎるんですよ。いったい誰なんですか。なんで先生って呼んでるんですか」
「誰かは知らねー。他の大人からそう呼ばれていたから、オレもそうした」
「名前は?」
オレは、答えようとして気づいた。
ついぞ、彼女の名前を知らないまま、何年も過ごしていたのだ。
うんうんと考えた末に、アイリスとオレがいた部屋を、メアリーの部屋と呼んでいた大人をいたことを思い出した。だから、メアリーが名前なのかも知れなかった。
彼女も他の大人たちも、皆、名乗る気はなかったのだろう。それに、オレも聞こうと思いもしなかった。アイリスと一緒なら、オレはそれだけで良かったから、他のことは気にならなかった。
そのおかげか、先生に対して、悪い印象はないんだよな。良い印象はあるか?
良い印象、良い印象……。そうだ。
アイリスがコップの水で床に何かを描いていたのを見て、先生にその行動について真似したいと言うと、『次のとても痛い注射を我慢すれば、絵を描ける物をあげる』と返された。結果として、オレは紙一枚と色鉛筆二本をもらい、一本はオレの、もう一本はアイリスに渡した。何を描いたかは、泣くほど痛かった記憶が強すぎるせいか、覚えていない。
「先生は大人たちの中でも、特に注射が下手くそで痛かったぞ」
「注射下手くそエピソードはどうでもいいんです。いや、すごく痛いことをされていたのはどうでもよくなくて、むしろ深掘りした方がよい話題ではある。しかし今はそれどころじゃない」
そう言いきったグレイは突如、
「ねえそこのお姉さん!」
乗り合わせた女性に声をかけた。
「え。え!?な、ななな何?」
突然のことに彼女はおたおたしている───、
「もしも、窓のない部屋に、必要があるとき以外は押し込められていた幼子がいたら、どう思います?」
「───事件性が高いから、憲兵に駆け込んだ方がいいんじゃないかな」
と、思いきや、急に明快に答えた。
「ほぉら!!!これがまともな反応ですよ!外道の所業!」
嬉しそうなグレイの傍ら、女性はオレを何度もチラチラみてくる。
やっぱり、さっきの挙動不審といい、怪しいな。
いざとなったら、事故を装い、馬車から突き落として殺してしまおうか。
ほんとに?
うーむ、とりあえず普通の質問で探ってみよう。
「オレの顔になんかついてますか。それとも、どこかで会ったことありましたか」
「そそそそれはその、私の知り合いと顔が似てるかなー?と思いまして、あ、あはははは……」
またぁ?多いぜ、オレと似た顔の人。
「あなたは、私に会った記憶、ない?」
「ないですが」
その時、前から抑揚のない声がした。
「───あ。リッちゃん落ちていく」
遅れて地面に何かがぶつかる音。
窓の外を見れば、男が見事な受け身の姿勢で落下した。そして、ゴロゴロと後ろに遠ざかっていく。
急いで馬車の扉を開けると、落ちた男が走って追い付いてきた。は?
「やあ、お客様!ご協力ありがとう!」
瞬く間に、するっと馬車に乗り込んできた。
は?
「助かった助かった!うっかり宣誓の練習をしていたら落ちてしまった!」
声でっか。
走行中の馬車から落ちたわりに元気だな。この男、身体強化でも使っていたのか?
「あ、赤髪赤目……」
もう一人の客である女性は口元をひきつらせている。
「申し遅れました!我こそは赤蛇の民、次世代の村長となる男!キ───」
「リッちゃん、生きてる?」
「生きているぞ、イーちゃん!!!」
「はいはーい、りょーかい」
「どこまで言ったか……狭い村を飛び出し、御者一年生として就労中の身だ!そういうわけで落ちてしまった!驚かせて申し訳ない!」
そう言い終わると、リッチャンと呼ばれた男はドカッと腰を下ろした。御者の席に戻んねーのかよ。
にしても、今の自己紹介、謎の単語が出てきたな。オレは思わず、その単語を口にしてしまった。
「赤蛇の民?」
「よくぞ聞いてくれました!我らは大地の神の霊峰にて住まわせていただいている善良集団!いずれ
なんもわからんのだが。
するとグレイが解説を挟んできた。
「おそらく、西の山脈に居住している民族のことだと思います。一説によると、隕石落下以前、すなわち千年以上前からいる先住民だそうです。数百年前までは傭兵として活躍、その後は閉鎖的な暮らしとなり、実態は謎に包まれている、と……」
リッチャンさんはうんうんと首を縦に振る。
「我らの特徴に、鮮血に染まった真っ赤な髪というものがあるが、それは一部誤りなのだ!時に、そちらのお姉さん!赤髪赤目に反応したということは、もしかして同胞に会ったことが!?」
「たぶん、そう……?故郷から追放された、みたいな話は聞いたけれど……」
「追放!五年に一度のペースで、『愛に生きる』と言い放ち、村を追放される者が出るぞ!……近年珍しく、それ以外の理由で実質追放された者もいるがな。まあ、つまり!それなりにその辺にいるぞ!意外と身近な赤蛇の民!ここで豆知識!赤蛇の民が『殺してほしい』と言ってきた場合、『信仰を捨て、私はあなたのものです』、『神よりも何よりも、あなたを優先します』といった意味になる!言ったら追放だ!」
そうはならんだろ。何がどうなれば、『殺してほしい』が大好きよりも重たい言葉になるんだよ……。
「世間には、我らのおかしな風説が飛び回っていてな!現在、赤蛇の民の実態周知キャンペーンも実施中だ!」
実態もわりとおかしいのでは、と思わず突っ込みたくなる。だが、オレは絡まれたくないので静かにしておくことにした。
なお、乗り合わせているお姉さんは、今にも泡をふいて倒れそうにも見える。
よくしゃべるおねえさん
「我らの同胞とはどういったご関係で!?」
わすれちゃった
聞かれた瞬間、彼女の目がくわっと見開かれた。
どうして、オレは
「他部署から押し付けられた、職場の鬱陶しい後輩」
圧が強くて、リッチャンさんは少し黙った。
「妙に制約条件の多い謎ルールの上で行動してて、喋ってると頭が痛くなってくる……。かといって、そのルールの枷を外したら、あの野放図、何をしでかすかわからないし……」
「お姉さんのおっしゃるルールは、おそらく先祖の一人がマイペースな村人らに行動制限をかけないと流石に不味いと考え、作ったと推測されるもののことだな!ぬぁっはっはっ」
ろくでもねー集団だな、赤蛇の民。
「追放された人は村には戻れないの?引き取ってくれないの?ねえ?」
「それには追放された本人が、強さを示さねばならない!赤蛇の民は力こそ正義!暴力魅力権力財力知力!どのような力でも構わない!何か一つ、他の追随許さぬ力を見せつければ、戻れるだろう!」
どのような力でも、って……。力って言ったら、暴力以外何があるんだ。
オレと同様に疑問を持ったのか、グレイが手をあげた。
「示す力は具体的には何があるんですか?例えば、あなたの他の追随を許さないと言えるようなところは何ですか?」
「声が大きいところだ!」
「そういうのでいいんですね……」
オレの知ってる力と違う……。
アコラスくんちゃんにとって、葉っぱを食べるのは自由の証。