――『渇き雨の残響』
身の丈に合わない程の大きなベッド。そこで啜り泣く、小さな少女。灯りの無い部屋には、窓から差し込む月明かりだけが照らしていた。
「…イロンデル様、泣いているのですか?」
「…夢を見たの。……シュエット、貴方が消えてしまう夢を」
いつからそこに居たのだろうか。青年は優しく微笑むと、少女の枕元に歩み寄る。そして優しく、その長い髪を撫でた。
「悪い夢は忘れましょう。大丈夫ですよ。私はここにいますから」
少女は赤く腫れた目を彼に向ける。青年は指でそっと残った涙を拭いた。
「…本当に?…ずっと…居てくれる?」
「ええ、もちろん。だから今は眠ってください。きっと、素敵な夢が見られますよ」
少女は再び横になると、泣き声はやがて寝息へと変わり始めた。そして意識が霞み始めた時、微かに、それでも確かに、彼女の耳に誓いが届いた。
「…何があっても、兄さんが守ってやるから。僕の力は…その為にあるから」
きっと今度は幸せな夢を見れるだろう。彼女はそう思えた。
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イロンデルは身を起こし、そこで初めて自分が気を失っていた事に気が付いた。時計を見ると、時間としては20分程度。頭痛の酷さから『ユニウスセブン』が近づいている事を悟る。
脳髄を焼く様な痛みはその強さを増すばかり。心なしか顔の傷まで熱を持ち、痛み止めを飲む為にイロンデルは一度医務室に向かう事にした。
「お姉ちゃーん!」
個室を出ると、待ち構えていた様にエルがいた。ここは仮にも軍事区画として、民間人の立ち入りは制限されている。どうやってここに。と、その後ろを見ると合点がいった。
一緒にいるのは、軍服に身を包んだ学生たち。なるほど。彼らと同伴ならば立ち入り禁止は通れるだろう。
だが何故自分を訪ねてきたのか。それを問うと、彼女は後ろ手から沢山の四角い紙を取り出した。
せいぜいが17cm平方の小さな紙。メモ用紙でも画用紙でも無さそうだ。
「折り紙‼︎一緒にやろ!」
「オリガミ…ですか」
個室の棚に置いた、以前貰ったツバメを振り返る。あれから何度か眺めてみたが、結局どのような作りになっているのかわからなかった。やると言われても、自分はオリガミについて何も知らない。
「すみませんが私は……わかりました。やります」
断ろうと思ったが、涙目の上目遣いは反則だろう。傷の熱は我慢できない訳ではないし、そもそも医務室に薬があるのかさえわからない。今回の補給という墓荒らしが終わってからでも良い。
少女に手を引かれ通路を進む。ついてくる学生たちの中に知った顔が欠けている事にイロンデルは気がついた。
「ヤマト君は?姿が見えませんが…」
「キラなら、何か用事があるとかでどっか行っちゃいました」
用事とは。イロンデルは疑問に思ったが、『ストライク』の整備でもするのだろうと判断した。以前も彼がしていた事であり、そう考えるのは自然な事だった。
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「むむむ…むむ、むぅ」
「ここを折ってー。それでここも折るでしょ?」
「……むぐぅ。うぐ、うごご」
「あっはは!変な顔ぉー」
彼女の人生初のオリガミは、大苦戦だった。エルに教えて貰いなが作っているが、その教え方がかなり大雑把であった。
「ここ開くの。…そこじゃなくて、ここ!」
「ここですか?」
「その横だってば!」
「ぬぅ…」
作っているのは同じ『花』。ユニウスセブンへの献花にするという。ならばイロンデルも手伝わない訳にいかず、彼女としても出来るだけ丁寧に作りたいのだが、いかんせん初めての経験で思うようにできない。
何とか1つ、作ってみたものの。形は歪み、ゴミと言われた方が納得できる。
ちらりと視線で助けを求めるが、学生たちは微笑ましそうにこちらを見ているだけだ。
「…何か言いたい事でも?」
なんとなく癪に触る。普段ならそんな事は無いのだが、今は頭痛でどうにもイラつきやすい。
「あ、いえ。…ふふ。なんか、姉妹みたいだなって」
「そ…うですか」
イロンデルは頬がひくつくのを感じたが、平静を装う。
姉妹。なるほど。容姿は似ているとは言えないが、外見の年齢だけならそうも見えるかもしれない。
なんとなしにエルの頭を撫でる。
「んー?なーに?」
「ふふ。いえ、何でもありませんよ」
少女はくすぐったそうにするが嫌がる事はなく、むしろ嬉しそうに髪を擦り付けてくる。
「イロンデルさんは兄弟とか居ないんですか?一人っ子?」
「いえ…上が1人。……しばらく…会っていませんが」
「ふーん。会いたくないの?」
アルスターの何気ない問いに喉が干上がる。
やはりユニウスセブンに近づく事で精神に影響が出ているのか。
「お姉ちゃん…?」
撫でる手が止まったのを、エルが不審がる。
ああ、ダメだ。そんな顔をしては。まるで自分が彼女を守れていないようではないか。
「…少し休みます。…ごめんなさい」
だが心配そうにこちらを気遣うのを返す余裕もない。震える足で無理やり立ち上がり、一歩踏み出した所で。
『…こちらへ……来てください』
そんな幻聴と共に、彼女の視界は90度傾いた。
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「イロンデルさん!」
彼女が倒れたという知らせを聞いたヤマトは、急いで医務室に駆け込んだ。数人の人垣をかき分け、彼女を見つけた。
小さく寝息を立てている。イロンデルの状態を表す心電図は規則的な凹凸を描き、彼女に異常があるとは思えない。
「身体には問題ありません。傷も『アルテミス』での治療もあってか随分と回復しています。ただ何というか、生きるという意思が感じられない…とでも言いましょうか、目覚めるのを拒否している。…そんなふうに感じられます。…医者としては落第点な診断ですが」
そう言う『ヘリオポリス』の医者もお手上げのようだ。
何故起きない。
「…やっぱこうなるかよ」
遅れて部屋に入ったフラガが呟く。
かつてその精神が限界を迎えた場所で、肉体にも大きな負荷がかかっている。余程の人間でなければ、いつ心が折れても不思議ではない。
ブリッジで聞いてしまった、彼女の過去。それを背負っているのに、平気でいられるはずがないのに。
「……」
自分が負荷をかけたのか?
ヤマトは自己嫌悪する。自分を庇ったから。自分が弱いから。
自分が…友人を撃つことを躊躇ったから。
「…イロンデルさん」
彼女の手を握る。自分を打った手。その温もりは、彼女が生きている事を伝えてくる。痛みは生きている証だと、出撃前に彼女は言った。だがきっと、この熱も生きている証のはずだ。
彼女に打たれた時のことを思い出す。
なんと傲慢なのだろう。力があるだけで戦えると思うなんて。なんの覚悟もないくせに。そして戦場に出て、何もできなかった。躊躇い、怖がり、そして守られた。
足手纏いもいいとこだ。
力だけでは、何もできない。
例えそれが。
コーディネイターであったとしても。
アナウンスがユニウスセブン残骸への接近を告げる。ヤマトは誰よりも速く医務室を出た。彼女が眠る今、自分が代わりにならなければならない。