「〜♪〜〜♪」
クルーゼは自室で穏やかな鼻歌を歌う。意味もなく歩き、或いは座り、また或いは出鱈目な音頭を取る。
「…フッ。ここまで晴れやかな気分になるのは久しぶりだな」
相対して、会話して、理解した。
「イロンデル・ポワソンか…」
コピーは所詮コピーでしかなかった。あんな下劣な存在が彼女から生まれたなどと思いたくもないほどに乖離していた。
例えオリジナルが『彼女』だったとしても相手が人形ならば躊躇う理由もないと言うものだ。
「もし君とあの人形が同一的存在ならばどうしようかと悩んでいたが、今やそれも無駄な思考だと分かったよ」
彼は机の引き出しの奥の奥。誰も知らない聖域から一冊の本を取り出す。それは彼の聖書。この世界で唯一与えられ、そして奪われた光の残滓。表紙に刻まれた文字は『散満惨然産残譚』。かつて淡い恋を抱いた少女から譲り受けた物。
本に手を置いてクルーゼは過去に浸る。絶望した己の命に僅かに生きることを教えてくれた『彼女』との、暖かい時間。
初めて彼女と会った時。
初めて声を聞いた時。
初めて偽りない笑顔をすることができた時。
初めて彼女を欲した時。
そして……
初めて心に穴が空いた時。
その穴は深く、暗く、黒い。何を入れても満たされることは無く、より強い渇きとなって彼を苦しめている。
確かにあった希望は、世界によって奪われた。だから世界に復讐するのだ。世界中から希望を滅し、彼女が死んだのは世界が間違っていたからだと証明するために。
だが今となって彼女と同じ顔をした異物が現れた。同じ顔をして、同じ声をして、しかし全く違う人格を持っている。
あんなモノが存在していい筈がない。
彼は虚空に語りかける。そこに誰かがいるのか、誰もいないのか。それは彼にしか分からない。いや、彼自身も分かっていないのかもしれない。
「あんな人形は壊してしまおう。君を道具にしたゴミ共のように。君を奪った世界だって…
歪んだ笑みを浮かべ、彼は問いかける。
「全部終わったら…君はまた……笑ってくれるよね?」
他に誰も居ない部屋に、孤独な男の独り言が残響を残した。
■
「イロンデル・ポワソン…か」
イザークは天井を見上げる。
今までは『三つ首』と呼んでいた敵兵。だがこれからは違う。
「…待っていろ。この手で必ず貴様の首を取る。俺の誇りに掛けて」
自分がコーディネイターだから、ではない。相手がナチュラルだから、でもない。彼女を倒すにはそんなくだらないことに固執してはならない。
全力で潰すと宣言した時、彼女は言った。
『やってみろ』と。
その挑発に乗ってやる。
アイツは必ず、また戦場に現れる。機体を失ってもそれで折れるわけがない。絶対に、また自分の前に現れてくれる。
そんな確信があった。
「俺の全力を…貴様の全力で打ち破ってみせろ…!俺はその先を行ってやる。俺以外に殺されるな。俺が…俺だけが…貴様を殺せる男だ‼︎」
決意を堅くする。
彼女は強い。自分よりも。
だが、だからこそ。自分は彼女に勝たなければならない。
その目に闘志をたぎらせ、彼は宣言する。
「首を洗って待っていろ…」
他に誰も居ない部屋に、拳を握る少年の独り言が反響した。
■
「…イロンデル・ポワソンか」
アスラン・ザラは廊下を歩きながら独りごちる。
ラクス嬢とあの敵兵を交換した時、キラは確かに言った。
『この人を守りたいって思ったんだ。だから君とは行けない』
迷いながらのようではあったが、それでも彼はそう宣言した。
「あの女がお前の戦う理由なのか?」
自分が今の友のため、或いは父母の為に戦うように。
かつての友はあの兵士のために戦っているのだろうか。
ならば…。
「ならあの女が死ねば…」
お前はこっちに来るのか?
それは何の根拠もない仮定の話だ。だがもしかしたら…。
そんな願望がアスランの中に芽生える。
「あの女にキラは騙されてるんだ。俺が目を覚ましてやらないと」
キラは純粋な子供なんだ。あの女に耳触りの良いことを吹き込まれて洗脳されているに違いない。でなければ自分に銃を向けてくるものか。
正しいのは自分だ。
悪者は殺さなければならない。
「大丈夫だ、キラ。…俺が必ずお前を、あの女から救ってみせる」
他に誰も居ない通路に、哀れな少年の独り言が反響した。
■
奇しくも時を同じくして、三つの殺意が彼女に向く。
それは三者三様で全く異なる意味を持ち。
されど望む結果に違いは無く。
もたらす結末は何となるか。
それは神すら知らぬこと。
だが賽は投げられたのだ。
そんなことも露知らず。
「──くしゅんっ!」
件の軍人はくしゃみを1つするだけだった。