機動戦士ガンダムSEED Lucina   作:影尾カヨ

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第41話 大気圏突入

 アークエンジェルがアフリカへ降りる少し前のこと──。

 

 オーブの避難民を乗せたシャトルはゆっくりと重力に引かれていく。

 

 その両翼に取り付いたジン・キマイラとデュエルASは自機のスラスターで突入角度を調整する。

 

「大気圏侵入角、グリーンで安定。速度は上昇中だが、突入で下がるだろう」

「了解。スラスター出力を25まで落とす。磁気接触圧を固定。慣性制御に移行する」

「進行方向及び周囲に障害物無し。デブリとも被ってない」

 

 ネクサスの計算を共有しつつ、パイロットはようやく安堵の息を吐いた。

 熱い熱が引いていくとともに、思考に僅かな空白ができる。そうなれば、やはり当然の疑問が胸の奥から湧き上がってくる。イロンデルはコンソールを睨み、モニターから目を離さないまま、できるだけ平静を装った声でその問いをイザークにぶつけた。

 

「……何故手を貸す…?」

「…俺に訊くな」

「ぶっきらぼうな応えだな。貴様のしている事だろうに」

「うるさい」

 

 それ以上の問いを拒絶するような荒い言い方に、イロンデルは一瞬だけ通信ウィンドウに意識を向けた。そしてフンと嘲りの鼻を鳴らし、彼への評価を下す。

 

「訳の分からない奴だ」

 

 何の気もない、ただの吐き捨て文句だった。彼女はそう言い切ると同時に、思考を切り替え、再び意識をシャトルの制御へ集中することにした。 だが、その冷ややかな評価は、言われたイザークにとっては自身でも意外な程に鋭く刺さった。

 

 自分でもそう思う。

 俺は何をやっているんだ?

 隊長の命令に背いて。

 きっと母にも迷惑がかかる。

 

 G兵器の開発にオーブが関わっていた以上、そのオーブ国民を逃がすことは明白な利敵行為に成り得るはずだ。ならば今からでもこのシャトルを破壊し、満身創痍の地球連合のエース『三つ首の燕』をこの手で撃墜することこそが、ザフト──プラント……コーディネイターとしてやるべきことではないのか。 幸いにも、デュエルにはPS装甲による大気圏突入能力がある。むしろ冷静になって考えれば考えるほど、今ここで目の前にいる満身創痍の敵を討つことを躊躇う理由は、1つとして無かった。

 

 

 そうやって頭の中で無機質な合理性を回し──イザークは1つの結論に辿り着いた。

 

「乗り掛かった舟だ。最後まで付き合う」

 

 万に一つのミスも無いよう、操縦桿をギチリと強く握り直す。

 下手な言い訳や後始末は、後から考えればいい。

 

「…どうだかな。つい先刻も『騙し討ち』されたばかりだ」

「それは──」

「黙ってろ。今は嘘でも縋りたい」

 

 ピッと電子音を残して一方的に切られた通信。突き放すようなその言葉に、イザークは「そっちも随分とぶっきらぼうな応えじゃないか」と、自嘲気味に僅かな苦笑を浮かべた。

 

 

 だが、その奇妙に弛緩した空気もすぐに終わりを告げた。

 完全に大気圏へと突入したシャトルが、大気の断熱圧縮によって真っ赤な熱波を纏い始める。それは、巨体を必死に支える2機のMSにとっても同様の地獄の始まりを意味していた。

 

「クソ熱いんだよボケカスが‼︎」

 

 誰に言うでもなくイロンデルはキレ散らかす。

 コックピット内の温度は優に生物の限界を超えている

 大半の熱はパイロットスーツによって遮断されているはずだが、それでもなお、容赦のない熱気が彼女の肌をじりじりと焦がしていく。呼吸を繰り返すたびに喉が干からび、カラカラと悲鳴をあげる。先ほどの戦闘で割けたスーツの隙間、むき出しになった皮膚へと、焼け付くような熱が直接伝わってきた。

 

「火傷では…済まんな……‼︎」

 

 狂ったように鳴り響くアラームの中、再びイザークからの通信が割り込む。

 

「ポワソン!シャトルの影から出るな‼︎」

「五月蝿いから黙ってろ‼︎貴様に命令される筋合いは無い‼︎あークソクソクソクソ!やってられんわボケがぁあ!」

 

 毒づき、何かを喋り続けていなければ、猛烈な熱と苦痛で意識がぶっ飛びそうだった

 

「血生臭い…‼︎」

 

 嫌な臭いだ。

 眼前に死があることを無理矢理押し付けてくる。

 

 計器が異常な数値を示し、センサーが死んでいく。

 データを失えば、いくら優秀なネクサスの予測演算であっても役に立たない。

 

「どこまで保つ…⁉︎この機体は‼︎」

 

 メインモニターが暗転し、警告を告げる不吉な赤色灯だけが激しく明滅するコックピット。薄れゆく意識の淵で、彼女は何とかネクサスの演算データを受け取ろうとする。だが、機体の負荷に引きずられるように、OSの応答すらも鈍っていく。

 

「ザコMSが!動作が重い!…!」

 

 ゼロコンマ数秒のラグすら、連動するシャトルを危険に晒す致命傷になる。

 

「神経を加速させる‼︎ネクサス!セーフティを外せ‼︎」

『───‼︎』

「私なんぞ放っておけ‼︎シャトルだ‼︎シャトルを守れ‼︎」

『─────‼︎‼︎‼︎』

「何の為の『生体CPU』だ!イロンデルシリーズだ!自分だけが生き残るような恥を晒す気など毛頭無い‼︎‼︎」

 

 その瞬間、破裂した配管から噴き出した熱い液体が、彼女の負傷部を直撃した。

 

「グァッツゥゥ‼︎」

 

 激痛にのたうち回るイロンデルの叫びを拾ったのか、再び通信回線からイザークの怒声が響く。

 

「ポワソン!俺にハッキングしろ‼︎」

「───なぁにッ……!?」

「ジンならザフトの接触回線が活きてるはずだ‼︎デュエルのデータを渡す!演算プログラムでジンのOSを再構築しろ!」

「そうか!…ネクサス‼︎」

 

 限界を迎えたジンの処理能力を、デュエルのOSが肩代わりする。ネクサスの調整を加えて2機の演算が完全に同期し、絶妙なスラスター制御によって、赤熱するシャトルはついに死の角度を脱した。

 

──数分後。荒い呼吸だけが響くコックピットに、電子音が静かに告げる。

 

「危険域突破を確認した!突入速度減速!機体表面温度は低下を開始!………ポワソン!無事か⁉︎」

 

 ノイズ混じりのイザークの声に、イロンデルは全身の痛みに耐えながら辛うじて口の端を持ち上げた。

 

「………ああ痛いんだよクソ…。…安心しろ。死に損なった」

 

 死んだ計器の回路を外しモニターを再起動すると、徐々に機体外部の映像を映し出す。

 赤熱のベールが剥がれたその向こうに、ずっとソラ(宇宙)から見ていたものが驚くほど近くにあった。

 

「地球か……」

「本当に水だらけなんだな。こんなにあるのに、飲めるのはほんの少しらしいが」

 

 眼下に広がる青に、イロンデルは乾いた声を漏らす。未だ五月蝿く鳴り響くコックピットのアラート音さえ、一瞬だけ忘れるような壮大な光景だった。

 だが、そんな感傷に酔う猶予など微塵も無く、地球の重力という井戸が暗い口へ彼女らを引きずり込む。

 

「空気抵抗──!機体が…!」

「水平を維持しろ!シャトルが最優先だ‼︎」

「分かって……いる…‼︎」

 

 大気圏の底に捕らえられたシャトルが、急激に高度を落としていく。不規則な乱気流に煽られ、ジン・キマイラのフレームがミシミシと悲鳴をあげた。

 

「失速している!海面に落ちるぞ‼︎」

「揚力が足りないんだ!」

 

 このままでは海面に叩きつけられて空中分解する。何とかしてシャトルの自重を支えるだけの推力──シャトル自身のジェットエンジンを動かさなければならない。だが、外部からそれを強制起動する方法など──無い。

 

 万事休すか。

 

 そう絶望しかけた瞬間──

 

「──私がやろう」

 

 ノイズの向こうから新たな声が聞こえた。

 そしてシャトルのエンジンが激しい火花と共にボッと咆哮をあげる。双発のノズルから眩い光が噴き出し、機体が力強く押し上げられた。

 跳ね上げを受けながらも機体に貼りつき、通信機に問いかける。パイロットは乗っていなかったはずだ。

 

「……貴方は?」

「すまない。コックピットの扉を開くのに時間がかかった」

 

 やや疲れたような、しかし芯のある声色と共に通信モニターで現れたのは、避難民としてシャトルに乗っていたはずのジョージ・アルスターだった。

 エンジンの点火によって、急激な高度低下が止まる。叩きつけられる寸前だった海面がゆるく遠ざかっていった。

 

「私も政治家の端くれだ。民間の航空機なら多少の知識がある」

「僥倖…‼︎」

 

 首の皮一枚で墜落を免れ、張り詰めていたコックピットの空気に、わずかな小康状態が訪れる。

 だが、一時的に高度が安定したとはいえ、依然として絶望的な状況であることに変わりはない。イロンデルは周辺のナビマップを呼び出し、生き残るためのあらゆる可能性を模索する。

 

「シャトルの燃料は後どれくらいでしょうか」

「多くはない。オーブに着くにはギリギリだろう」

 

 つまり、オーブの領海・領空までは確実にたどり着ける。ならば問題は、この満身創痍の機体を「どう安全に降ろすか」だ。オーブに関する知識を総動員して方法を考える。

 そして──最悪の状況を覆す、1つの妙案を思い付く。

 

「………丁度いいですね」

 

 もし胴体着陸や強行不時着を行うならば、引火性の高い可燃性の燃料が残っていればそれだけ爆発のリスクを増やす。ならば、オーブへの航路でちょうど燃料を使い切るスケジュールを選ぶのが、むしろ安全上都合が良い。

 

「おい、何を考えている?」

 

 すかさず割り込んできたイザークの不審げな問いに、イロンデルは脳内で今一度そのアプローチをシミュレーションする。リスクは高いが、やはりこの手しかないと結論を出した。

 

「カグラ島に向かう」

「…マスドライバーか…!」

「あの滑走路を使う」

 

 長く、平坦。周囲に視界を遮る障害物も無い。制御の利かない海面への強行着水に賭けるよりも、遥かに安全に着陸できるはずだ。

 

「アルスター氏、シャトルの現状を報告できますか?」

「………フラップが出ない。油圧が抜けているんだろう」

「チッ……!」

 

 宇宙での戦闘の余波か、無茶な突入の代償か、空力による速度制御ができないという致命的な報せ。しかし、イロンデルは迷うことなく操縦桿を握る手に力を込めた。

 

「方向舵はMSのスラスターで補佐します。ジュール、左主翼に取りつけ」

 

 元々オーブへ降下する予定でシャトルを誘導していたのが幸いした。大まかなベクトルは合っている。あとは、両翼に取り付いた2機のスラスター出力を細かく変化させれば、機首の微調整は利くはずだった。

 

「フラップがないとなれば、着陸はどうする?」

 

 飛行機の巡航速度と着陸速度は大きく異なる。本来ならフラップの展開によって空気抵抗を増大させるが、それが無ければ減速が不十分になる。当然の懸念をぶつけるイザークに対し、イロンデルは短く吐き捨てた。

 

「………道中で考える」

「な……⁉」

 

 イザークの驚愕の声を置き去りにしたまま、シャトルと2機のMSは猛烈な速度でカグラ島へ向かう。

 

 やがて、水平線の向こうから急速にその島影が浮き上がってきた。

 

 それと同時にカグラ島の防衛システムが、突如接近する未確認機を捉えてアラートを発する。イロンデルは即座に通信機を叩いた。

 

「光信号‼︎『こちらはヘリオポリスの避難民』『迎撃禁止』『マスドライバーの滑走路を空けろ』!繰り返し送れ‼︎」

 

 それが通じたのだろう。防衛基地のこちらをロックオンせんとしていた砲身が、不自然な沈黙を保ったまま停止した。滑走路を照らす誘導灯だけが、まるで彼らを迎え入れるかのように一斉に眩い光を放ち始める。

 

 砲火の代わりに、眼下に広がる滑走路が道を開いた。だが、迎撃が止んだからといって死の宣告が消えたわけではない。

 

「速さは⁉︎」

「500‼︎」

「続行します‼︎」

 

 2機とシャトルは、白波が砕けるカグラ島の滑走路へと強引なアプローチを開始した。だが、島が肉眼で鮮明に見える距離まで近づいた時、恐れていた事態が牙を剥く。。

 

「速すぎる…‼︎」

「やはりフラップは出ない!エンジンも燃料が…‼︎」

 

 アルスターの悲痛な叫びが通信回線を震わせる。減速用のフラップ、さらに逆噴射も機能しないシャトルは、狂ったような速度のまま地表へ肉薄していく。

 

「このまま行きます!」

「オーバーランするぞ‼︎」

「MSが逆噴射の代役をする!」

 

 あまりにも無茶な暴論だった。だが、今の彼らに残された選択肢はそれしかない。イロンデルはデバイスに叫ぶ。

 

「ネクサス、計算!」

『──‼』

 

 弾き出された演算結果──それは無情にも『オーバーラン。制動不能によりシャトル大破』という最悪の未来だった。

 だが、もう今更アプローチを中止して上昇に転じるだけの高度も、エンジンの推力も残されてはいなかった。

 

 やるしかない。もう、このまま突っ込むしかないのだ。

 

「搭乗者は可能な限り後部席へ!対ショック姿勢を‼︎」

 

 イロンデルはせめて激突時の衝撃から一人でも多くの人間を遠ざけるため、シャトル側の放送回線へ向かって声を荒らげる。

 アルスターはすぐさま客室への全館放送マイクを全力で握りしめ、イロンデルの警告をそのまま背後の客室へと叩き込んだ。悲鳴と怒号が渦巻く中、乗客たちが必死に身を縮めていく。だが、アルスター自身はそこから動こうとはしなかった。その手は、汗にまみれながらも操縦桿をがっちりと握りしめたままだ。

 

「何をしてるんですか!貴方も早く後方へ‼︎」

 

 だが彼は毅然とした覚悟を込めて言い放った。

 

「馬鹿を言うな!私がここに居らずに誰がこの機体を保つというのだ‼︎」

「しかし…!」

「娘を守らずして何が父親だ!」

 

 脳裏に浮かぶのは、愛おしい一人の娘の笑顔。ここで自分が怯めば、娘のいる未来さえも失われる。僅かでも、1%でもあの子が助かる可能性が上がるなら、ここからテコでも動く気は無い。アルスターは前方の虚空を見据え、自らの命を預けた2機のMSに向けて叫んだ。

 

「私は貴女達を信じている。必ず生還させてくれ」

「……簡単に仰る…!…が…やってみせます‼︎」

 

 背負わされた命の重みと、そのあまりに身勝手で熱い覚悟に毒づきながらも、イロンデルは不敵に口元を歪めた。

 

 だが、奇跡は起こらない。

 

 この質量と、この速度。

 正面からまともに突っ込めば、2機のMSがどれほど推力を逆噴射させようが、摩擦が足りずに滑走路を容易く突き抜ける。その先にあるのは、基地施設への激突と、シャトルに乗る数十人の確実な死だ。

 

 ──ならば、どうする?

 止まれない原因は、このシャトルが重すぎるからだ。

 

 重いなら、削ればいい。

 着陸フラップも死に、着水という選択肢も捨てた今、このシャトルにこれ以上の『翼』は必要ない。

 

 狂気とも言える突飛な、しかし唯一無二の生存への航路が脳裏に閃いた瞬間、彼女はイザークへの通信ウィンドウを荒々しく叩き開いた。

 

「主翼を切り落とす!少しでも軽くしなければ!」

「タイミングは⁉︎」

「私に合わせろ!貴様ならできるだろう⁉︎」

「言ってくれる…‼︎しくじるなよ‼︎」

「どっちがだ‼︎」

 

 見えた一条の光を掴み取るため、己の意識を加速させる。

 

「──ッ!?…クッ!……ソがぁあ…!」

「何だ!?…おい!ポワソン!」

 

 その時、ジンのコックピット内で、イロンデルの身体に決定的な異変が起きた。

 

「時間切れ──⁉︎ こんな……時にぃ……、ッ……‼︎」

 

 肺の動きがピタリと止まる。常人を超えて動ける時間が限界を迎えたのだ。

 むしろよく保った方だろう。宇宙での戦いからずっと無茶をさせてきた。そのツケがやってきただけだ。ただ、この最悪のタイミングで。

 息ができない。肉体のどこにも傷は増えていないはずなのに、のたうち回るほどに苦しい。

 視界が急速に霞んでいく。コンソールの光が、黒く、白く、斑に明滅する。

 

「もう…ダメか…」

 

 暗闇に落ちかけ、力を失いかけた彼女の意識を、限界を超えた音量の怒声が繋ぎ止めた。

 

「諦めるな‼︎」

「──ァ……!」

「俺は命を懸ける!貴様も懸けろ!イロンデル‼︎」

 

 その叫びに、彼女のプライドが弾けるように再点火した。

 

「気安く……名前を…呼ぶな‼︎‼︎」

 

 千切れそうな意識を繋ぎ留め、ネクサスを叩く。

 

「ネクサス‼︎覚醒物質を生成しろ‼︎私は死んでも良い‼︎」

 

 劇薬が神経を駆け巡り、強制的に視界が跳ね上がる。白く霞んでいた世界の輪郭が、鮮明な色彩を取り戻して脳に突き刺さった。

 

 滑走路とシャトルが重なる。

 

「今だ!」

 

 デュエルのビームサーベルとジンの手持ちビームブーメランが、滑走路の直上で同時に閃いた。

 後方から一息に放たれた一撃が、シャトルの左右の主翼を正確に斬り落とす。驚異的なパイロットの腕を証明するように、それは塵一つの狂いもない、完全に対称のタイミングだった。

 

「エンジンカット‼︎」

 

 不要な質量を削ぎ落としたシャトルが地表へ激突すると同時に、2機はシャトルの機首へと強引に取り付き、全スラスターを逆向きに全開にする。

 

「チルト最大!ジョイント、シリンダー、ロック‼︎」

 

 ガガガガッ!と激しい衝撃と共に、MSの関節が噛み合い、完全に固定された。

 

「止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ‼︎止まれぇぇええええ‼︎‼︎」

 

 イザークの絶叫と共に、猛烈な逆噴射の光が滑走路を焼き焦がす。目論見通りに速度は落ち始めた。

 だが、本来持ち手など無い滑らかな装甲の上だ。どれだけ固定しようとも、狂暴な慣性に押されて2機の足元はズルズルと前方に滑っていく。

 

 制動の猛烈な負荷に耐えかね、シャトルの後部が不自然に浮き上がる。

 あまりに急激な減速のGと、MSが強引に機首を抑え込んでいることで、シャトルの細長い機体構造そのものが限界を迎えていた。このままでは前後に引き裂かれるか、あるいはへし折れて、客室ごと崩壊する。それは乗員乗客全員の確実な死を意味していた。

 

「くぅ…!」

 

 さらにメキメキと不吉な金属音が響き、ジンのフレームも歪み始める。過負荷により、ついにスラスターの数基が爆発して停止した。

 

「ジュール!貴様は尾翼を抑えろ‼︎ここは私が引き受ける‼︎」

 

 ジンのパワーが足りない。このままでは2機ともシャトルの自壊に巻き込まれて圧殺される。イロンデルは迷うことなく、自らの命を天秤の皿から放り出した。

 

「前輪を折る‼︎」

 

 車輪のブレーキでは、この殺人的な質量を止めるための摩擦が圧倒的に足りない。

 だが、単に前脚を叩き折って機首そのものを直接地面に擦りつければ、その強烈な激突の衝撃と凄まじい摩擦熱によって、シャトル自体が耐え切れずにバラバラに崩壊してしまう。

 

 ならば、どうする。

 

「私のジンを、クッションにするッ‼︎」

 

 前脚を折ると同時に、自らの機体であるジン・キマイラをシャトルの機首と地表の間に滑り込ませて「身代わりのブレーキ」にするのだ。

 地面との摩擦を引きずり出し、同時にシャトルが受けるはずの破壊的な衝撃を、自らのMSを完全に圧壊させることで吸収する。

 それは、機体と運命を共にするに等しい自殺行為だった。

 

「死ぬ気か⁉︎」

「厭わん‼︎」

 

 貼りつく角度を調整しイロンデルは前輪をブーメランで狙う。

 

「ジンでは無理だ‼︎貴様が後ろへ行け!デュエルの装甲なら──」

「言ったはずだぞ!貴様なんぞに命令される筋合いは無い‼︎」

 

 今もなお、シャトルの後部は恐ろしい角度で浮き上がりを続けている。これを抑え込み、全体の崩壊を防げるのは、スラスターが健在なデュエルしかない。

 

「さっさと行け!」

 

 手放されたビームブーメランが、正確にシャトルの前脚を両断する。支えを失った巨体の機首が、重力と慣性に任せて一気に地表へ向かう。

 その直下へと、イロンデルは残ったスラスターを無理やりふかし、自ら滑り込む。

 

 強大な質量がジンを圧し潰すようにのしかかった。

 マスドライバーの堅牢な大地と、シャトルの強固な底面装甲。その硬質極まる二つの質量に挟まれたジン・キマイラは、まるで万力にかけられた玩具のように、禍々しい金属の悲鳴をあげながら一瞬でその体を歪ませていく。

 

 激突の衝撃が相殺され、シャトルの速度が劇的に殺されていく。その代償として大地を削るジンの体から、昼でも目が眩むような激しいスパークが飛散する。

 

 肉厚な装甲が紙のようにひしゃげ、その歪みはついにコックピットブロックにまで到達する。内部の電子機器が次々とショートを起こし、複数の爆発と凄まじい熱波がイロンデルを容赦なく襲った。

 

「グゥゥウウウ‼︎」

 

 骨が軋み、肉が裂けるような感覚。自分の身体そのものが壊れていく音が、そのまま機体の自壊音となって狭い室内に響き渡る。

 そして、フレームが完全に圧壊した瞬間、一際大きい致命的な衝撃が、彼女の細い意識の糸を容赦なく叩き切った。

 

 

「……あ……」

 

 イロンデルが再び薄く目を開けたとき、世界を激しく揺るがしていたあの振動は、嘘のように止んでいた。

 バチバチと不気味な音を立てて燃え盛る激しい炎だけが、煤けたヘルメットの向こうの視界を、不気味に、そして明るく照らし出していた。

 

「……覚醒物質の分泌を切らさないで…。…まだ……起きて…ゲホッ!ゲホ!」

 

 徐々に戻り始めた聴覚には、機体の断末魔であるアラート音が五月蝿く響いていた。

 死に損なったことを自覚した彼女は、震える指先でコンソールの残骸を叩く。緊急脱出システムを起動させ、ハッチを外へと吹き飛ばした。

 煙の向こう、すぐ目の前には、激しく抉られたマスドライバーの表層と、白波立つ海が逆さまに見えた。

 どうやらシャトルとの間に挟まったは良いもののすぐにズレて弾き飛ばされたようだ。お陰で一命は取り留めたということか。

 

「……シャトルは…」

 

 辛うじて形を保ったコックピットのシートベルトを外すと、身体が地球の重力にそのまま惹かれて床──さっきまで天井だった──へと落ちた。

 その煩わしさと全身に走る激痛に呻きながら、彼女は何とか自身の身体の具合を確かめようとして──動きを止めた。

 

「……うわぉ…」

 

 胸から流れ出る血が身体を真紅に染めていた。いくつもの機体の残骸がスーツを突き破り、お気に入りのパーソナルカラーの青は紫を通り越してどす黒い。

 

「…流石に………キツい……な……」

 

 傷口を押さえ、ハッチのフチに手をかけて外へ這い出そうとする。だが。

 

「ぐ……! ……足が……」

 

 完全に駆動時間切れを起こしている肉体に無理を強いたため、身体が思うように動かない。それどころか、地球の重力と、激突の衝撃で三半規管が完全に麻痺していた。天地の感覚すら失われ、激しい目眩が彼女を襲う。

 

「神経バイパスは……」

『──!』

「ダメ?知ってた」

 

 相棒の無機質な機械音に自嘲気味に息を吐き、彼女は虚空を見上げた。

 

「………シャトルは……」

 

 自分がすべてを賭けて守ったものがどうなったのか。それだけが、薄れゆく意識の中で唯一つの心残りだった。その時、ハッチの開口部から激しい足音が響く。

 

「イロンデル! 無事か!」

 

 聞き慣れた、ひどく必死な少年の声だけが、麻痺していく耳の奥へまっすぐに届く。霞んだ視界に彼の姿を捕らえられないまま、それでも彼女は何とか言葉を発する。

 

「シャトル……」

「炎上はしていない!脱出も始まっている!」

「そうか……良かった…」

 

 張り詰めていた最後の糸が緩み、イロンデルの身体からガクリと力が抜ける。イザークは彼女の細い身体を強引に抱き起こすと、迷うことなく抱え上げた。

 

「何を……している……」

「ここも危険だ、すぐに離れるぞ‼︎」

「……訳の分からん……奴だ……」

 

 イザークは急いでジンの残骸から距離を取るべく走り出す。だがすぐそばまで乗ってきたデュエルの陰に飛び込むかどうかという刹那、背後で凄まじい爆発音が轟いた。ジンが限界を迎え、大爆発を起こしたのだ。

 

 彼は反射的にイロンデルを自らの身体で包み込むようにして地表へ伏せた。容赦なく迫る熱風と金属片から彼女を守るため、その小さな頭を自身の胸元へと強く抱き寄せる。ガツガツとイザークを金属片が叩く鈍い音が響き、爆風が2人の頭上を猛烈な勢いで吹き抜けていった。

 やがてイザークはうっすらと目を開けると、自分の腕の中で苦しげに息をするイロンデルの無事を確認し、ホッと荒い息を吐き出した。そして今度こそデュエルの脚部の陰へと、彼女と避難する。

 

 互いにメットのバイザーを上げ、焦げ臭い新鮮な空気を肺に入れる。

 

「……無事…じゃないみたいだな」

「そっちもな……ゲホッ…!」

 

 イロンデルはようやくはっきりしてきた目で、至近距離にある彼の顔を見つめた。

 その顔には、今しがたできたばかりの大きな傷が走っていた。ジンの爆発から、自らの身を盾にして自分を庇ってくれたときにできたのだろう。

 

 「放っておけば綺麗な顔のままでいられたものを」……などと心の中に浮かんだそんな憎まれ口を、彼女は辛うじて喉の奥で踏みとどまらせた。自分を盾にしてくれた少年へのこれは、あまりに不誠実な言い草だ。だが残念なことに彼女が教育で受けた語彙の中には他者への純粋な感謝を伝える言葉が決定的に不足していた。

 ぼやけた頭で何か他の、もっとマシな言葉を探し──ようやく絞り出す。

 

「…上出来じゃないか?たった2機のMSでシャトルを着陸させたんだ。ザフトの赤服様も誇って良いぞ」

 

 そんな気の利かないセリフしか出ない。おまけにいつもの煽り付きだ。

 

(──違うそうじゃないだろうが!死ねクソ語彙力!…いやこうやって死ね死ね言うのがダメなんだろそれを分かれボケザコカス!……ああまた言ったクソ!…クソって言うな!)

 

 口を開けば勝手に飛び出してくる不遜な声音と、余計な皮肉の数々。他人に寄り添うための温かな言葉を自分はただの一つも出せなかっった。

 だが、そんな彼女の意図に反した煽り交じりの言葉に対しても、イザークは怒るような真似はしなかった。

 

「これはザフトの攻撃が招いた事態でもある。俺があの時クルーゼ隊長を説得できていれば………」

「………ああ、クソ仮面のカス野郎の手引きか。色々納得した」

「隊長だけの責任じゃない。そもそも俺がもっとシャトルを気遣っていればこんなことにはならないで済んだ。………そうだ。貴様がライフルを防がなければ俺がシャトルを墜としていた……!俺は…何てことを……!」

 

 そんな真面目な返しに、イロンデルは完全に毒気を抜かれてしまう。

 彼は自らの激情が招きかけた最悪の結果に、真っ正面から激しく傷つき、悔い改めているのだ。

 こんな馬鹿野郎──ここでまた自虐が入る──を相手に心理的四苦八苦をしていたのかと認識を改めながら、不器用な舌を、必死に動かそうと試みる。

 

「…………あー…何というか……。…その……」

「何だ?」

 

 落ち着きなく視線を彷徨わせるイロンデルを、イザークは不審そうに見つめる。

 

「………えーっと、だなぁ…」

『(^▽^)o』

「黙って。………アレだ」

 

 茶化す相棒をポケットの上から黙らせる。…が、その無機質なからかいが、逆に彼女の凝り固まったプライドを適度に弛緩させたのも事実だった。

 イロンデルは諦めたように短く息を吐き出すと、イザークの視線から逃れるようにぷいと横を向いた。そして、消え入りそうな声で、けれど一文字ずつ区切るようにして呟く。

 

「……助…けてくれて……ありが…とう……」

「……ただ礼を言うだけにそんかに時間がかかるのか」

「うるさい黙れ。ボケ。アホ。バカ。カス。ボケ。言って損した。死ね銀髪オパッカボンボン野郎」

 

 ぶっきらぼうな口調が返ってきた瞬間、イロンデルの顔が羞恥心でカッと赤くなる。

 せっかく脳内の四苦八苦を乗り越えて純粋な感謝の言葉を伝えたというのに、この男はどこまでも風情がない。

 人の事を言えないと自覚していても、せめて乱暴な暴言の弾幕を浴びせることで顔から火が出そうなほどの気恥ずかしさを必死に覆い隠そうとしていた。

 

 だが、そんな奇妙な喧騒も長くは続かなかった。

 

 滑走路の彼方から、幾重にも重なるサイレンの音が近づいてくる。

 デュエルの脚部の陰から視線を向ければ、立ち込める黒煙と陽炎の向こう側から消防車が数台、猛烈な勢いでこちらへ向かって突進してくるのが見えた。

 そしてその背後には、等間隔に並んで車列を護衛する、オーブ国防軍の装甲車の姿もある。

 

 シャトルの不時着に成功したとはいえ、ここは中立国オーブの軍事要塞。その重要参考人を放置するなどありえないわけだ。保護されるのか、それとも捕虜となるのか。あるいは即座に銃口を向けられるのか。

 近づく無数の足音を、麻痺しかけた聴覚の奥で聞きながら、イロンデルは重い瞼を必死に持ち上げて、心底うんざりしたように息を吐き出した。

 

「………面倒臭い」

 

 劇薬による強制的な覚醒の魔法は、もう完全に解けかけていた。

 脳内を駆け巡っていた熱が引き、代わりに、胸元から失われ続けた鮮血の代償としての、圧倒的な冷えと疲弊が彼女の肉体を支配していく。

 もう、指先一つ動かす力すら残っていない。

 

「…後の事は任せる……」

「…は?──おい!」

 

 イザークの焦る声を遠くに聞きながら、「ざまぁ見やがれ」と、イロンデルは深い意識の闇へと今度こそ心地よく沈んでいった。

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