あきつ丸は、亡霊のように廊下を歩いた。自分は兵器兼オナホだった。やはり武器としての、道具としての生しか持ち合わせていないのだ。
何故戦うのかという彼女の問いの答えが、ここにきてようやく見えたようだった。目的を持って作られて、目的に沿った役割を果たす。提督はオナホを求めてあきつ丸を作ったが、もはやオナホは求めていない。だったらもう、自分の存在に、自分の始まりに意味を持たせる術は、戦う他に無い。
彼女が出自を探り、なんとか知ることができたのは、崇高な使命でも、高邁な理想でもなく、ただひたすらに無限の妥協を強いてくる、絶望だった。
「あきつ丸、何を泣いてるんですか」
そこに通りかかったのは、山城だった。
「山城殿、自分、自分……」
それだけ言うと、あきつ丸の目からまた涙が零れた。山城は、どうしていいかわからなかったが、黙ってあきつ丸を抱きしめると、そっと語り掛けた。
「部屋に来てください。何があったかお聞きします」
*
扶桑らの部屋に着くと、あきつ丸は今日起きた出来事を訥々と語りだした。
「そんなことが……。あきつ丸。つらい話だとは思うわ。でも、大抵の子は提督の狙い通りに鎮守府に来てるわけじゃないのよ」
「それはそうなのでしょう……。でも、でもまさか、よりにもよってオナホとは……」
「……あきつ丸、そんな悲観することは無いはずですよ」
山城は、そう決然と言い放つと、扶桑に目配せした。
「そうね、山城。やってごらんなさい」
山城は、座布団の前に盆を置き、水色のオナホを中央に据えた。そして、花瓶から紫蘭の花を取り上げると、パチン、パチンと切りそろえ、オナホに突き刺した。
控え目だが、上品な作品があっという間に出来上がった。
「見事ね、山城」
扶桑は満足げに笑っている。
「……これが、一体どうしたというのでありますか」
「よろしいですか、姉様」
扶桑は、いつもの儚げな、それでいて優しい笑顔で頷いた。
「これはオナホとして生まれて、オナホとして一生を終えたかもしれないモノです。でも今この場では花を飾っています。生まれついてはあり得なかったモノ達が、奇跡のような巡り合わせでここに揃うことで、こうして美を形作っています」
「その通りよ、山城。あきつ丸も分かったかしら?」
あきつ丸は、はらはらと零れ落ちる涙には構わず、オナホに活けられた花を凝視した。
「我々もまた……生まれで全てが決まるわけではなく、いろいろな巡り合わせで変わりうる……と、いうことでありますか」
扶桑と山城は目を閉じてゆっくりと頷き、あきつ丸の答えに感じ入っていた。
「そうよ、あきつ丸。オナホ華道の神髄、伝えられて何よりだわ、山城?」
「ええ、あきつ丸。あなたはオナホではありません。これまでの、そしてこれからの出会いと経験は、確実に、常にあなたを別のものにしているわ。そうですよね、姉様」
「私はそもそも、自分がオナホだと思うのも過ぎた悲観でしかないと思うけど……。私と山城は、嘘や方便で悲観しすぎだなんて、絶対に言わないわ」
「お恥ずかしい。ハハ……でも、ありがとう、であります」
あきつ丸は、脱帽し、畳に指をついて深々と頭を下げた。
「そうよ、あきつ丸! 提督に作品を見せてはどうかしら?」
「提督に? どうしてでありますか?」
「あきつ丸が、もう心配要らないってことを見せつけるのよ」
「いいですね、姉様。もしかしたら提督もオナホ華道を理解できるかもしれません」
「はぁ……」
「早速、オナホと花を準備しなきゃ……山城、秋雲に頼んでアレを用意して」
「わかったわ、姉様。あきつ丸、来週末には執務室前に展示しましょう」
そうして、オナホ展示が準備されることとなった。
*
「うぇ、山城? TENGAなんて欲しいのぉ? 提督にお中元ですかぁ? ひひっ」
「あんな、姉様を狙うケダモノに付け届けなんてするもんですか。オナホ華道です」
「あー、それま~だやってんのぉ。飽きないねぇ」
「飽きないって……飽きもせず通販でディルド買ってるのは誰ですか」
「あれは……ほら、イラストの資料だってぇ」
「私たちの頼んだものを注文してくれている限りは、窓から茂みに投げ捨ててたことも皆には黙ってて差し上げますよ」
「ゔ、しょうがないなぁ、わかりましたよっとぉ」
*
あっという間に一週間が経った
あきつ丸、山城、扶桑は、提督に予定を問い合わせ、首尾よく土曜の一三〇〇から執務室での面談を取り付けた。
*
「それで、三人揃って何の用だ」
「まあ、見てほしいのであります」
あきつ丸は、提督の前なで歩くと、突然その場に正座した。扶桑がその前に、黒い大きな盆を置いた。
「なんだ、何を考えているんだ、あきつ丸」
提督は、唐突すぎるあきつ丸の行動に理解が追い付かなかった。
「あきつ丸、こちらを」
山城は、呆気に取られる提督には構わず、あきつ丸に段ボールを手渡した。あきつ丸は、段ボールの蓋をバリバリと引きはがすと、中から橙と銀の横縞のモノを取り出した。
「これは、島風殿モデルでありますか」
「いいえ、それが基本のTENGAよ」
「早く花を活けましょう、あきつ丸」
あきつ丸が盆の中央にTENGAを置いたのに合わせて、扶桑が新聞紙に巻かれた花を取り出した。
「さあ、表現してみて、あきつ丸の全てを……」
あきつ丸の脇に、花の束が置かれた。
「待て、何だこれは……何のつもりだ」
執務室で突如として始まった珍事に、提督はうろたえている。
「どうした、何なんだこれは! 来てみろ陸奥!」
「長門、どうかしたの? え、何これ……」
執務室のドアは開け放たれていたので、前を通りかかった艦娘たちが、その様相に興味を示し、立ち止まり始めた。観衆に加わった艦娘たちは、敷居の向こうからこの謎の催しを覗いている。当然、観衆のどよめきはあきつ丸にまで届いている。しかし、彼女は全く動じることなく正座し、鬼気迫る様子で花を選んでいる。
あきつ丸は、扶桑から渡されたトルコ桔梗、鬼灯などをいろいろ手に取って眺めている。しかし、ただただ唸るばかりで、手は進まない。
いずれも、あきつ丸自身を表現するにはいまいち何かに欠ける。何というか、彼女の今の心情や提督に伝えたい想いに相応しくない気がするのだ。あきつ丸は新聞紙に並べられた花を見つめ、動きを止めてしまった。
あきつ丸は平静を保っているように見えたが、実のところ酷く焦っていた。この切り花は確かに美しい。しかし、何かが決定的に足りない気がした。あきつ丸は自分自身を伝えたいが、この花の在り方はどうしようもなく自分と交わらないと感じていた。
これらが美しいのは当然なのだ。美しくあるように育てられ、果たして美しく育ったものだけが流通している。それをただ活けて、今伝えたいことを表現できるのだろうか?
時間は容赦なく過ぎる。あきつ丸は、自分の至った境地をなんとかしてオナホ華道の神髄に乗せようと、喧噪の中精神世界に籠り、孤独な格闘を続けている。
誰も彼女の戦いを知ることは叶わない。それでも扶桑姉妹は、慌てることはなく、普段と同じく穏やかに、淑やかに彼女を見守っている。あきつ丸が大きく息を吐くと、顔に焦りを滲ませつつ、唇を噛んだ。
その時である。室外の群衆をかき分け、まるゆが執務室に躍り出た。
「あの、あきつ丸さん、これ、今朝咲いたんです。よかったら使ってください」
彼女の手の中には、赤い朝顔の花のついた蔓があった。
偶然通りかかり、この騒ぎの中心であきつ丸が花を手に困っているらしいことを認めた彼女は、その朝顔を取ってきたのだった。
まるゆが毎朝早起きして、水をやってきた朝顔。
木曾から種を貰って、大切に育てた朝顔。
それが目に入ったとき、あきつ丸の脳内を閃きが走った。閉塞を破り、彼女の中で新たな扉が開いたようだった。
「まるゆ殿、感謝、であります。これなら申し分ない」
あきつ丸は微笑むと、新聞紙の中から細身の枝を一本手に取った。葉も花もついていない、質素な枝である。あきつ丸はTENGAのシールを剥がすと、同じ任務のために出撃と帰還を繰り返すだけの日々を思い返し、枝を穴に突き刺した。
TENGAに、小枝が屹立する。
それは、枯れた日々の象徴であった。
それから、まるゆの朝顔を両手で大事そうに拾い上げる。その花のついていない終端を穴に入れると、蔓をゆったりと枝に這わせた。
これはまるゆ達、他の艦娘との思い出。
そして、皆と過ごした時間と、オナホ華道の象徴。枯れた日々に差した、鮮やかな光。
小難しい意味などさておいても、まるゆが愛情をこめて育てた花だ。この花には、疑うべくもなく彼女の想いが詰まっている。木曾からもらった種を彼女が育てたのでなくては、この花にはなりえない。
そうだ、自分の生きる日々もまた、自分自身でなくては作れない。この作品の材料ひとつひとつの大元がなんだったのであれ、今はこうして一つの美となったように。
あきつ丸はTENGAの向き、枝の角度や花の位置を整えると、姿勢を正し、神妙に告げた。
「……完成であります」
提督も、見守る艦娘たちも、何が起こったかわからないという、呆けた様子でそれを見ていた。
あきつ丸が、ゆっくりと続ける。
「提督殿、自分は自分であります。何に生まれたとか、何ができるかとか、誰に必要とされているかとかで自分を決める気は無いのであります」
提督は、意味が分からず、ただただあきつ丸を見つめている。
「提督殿も、自分が提督だからだのなんだのといって、感情を枯らして生きる必要は無いのであります。
自分が何者になるのか、これから何をすればいいのかは、今何をしているか、これまで何をしてきたかでは決まらないのではないでしょうか」
あきつ丸はそう言うと、満足げな笑みを浮かべ、立ち上がった。
すると、後ろで見守っていた扶桑、山城が拍手した。見守っていた皆は呆気にとられていたが、とりあえず作品が完成し、何かいいことを言ったらしいということは把握して、数人が空気を読んで拍手をし、それを聞いて空気を読んで……と拍手の輪が広がった。
結果的に、執務室には拍手が溢れた。
「山城、あきつ丸はオナホ華道のすべてを理解したようね」
「はい、姉様……」
「提督殿は自分らにそれを教えるために、オナホを海に放ってきたのでありますね」
「いやそんな訳ないだろ……」
提督の否定の声は、拍手と歓声に掻き消された。
*
「提督、この間のあきつ丸の話、覚えていますか」
大淀は、司令室を訪れた提督に尋ねた。
「ああ、覚えてはいるが。俺が上司という立場にこだわりすぎだから、もっと柔軟になれとか、そういう話でもするのか?」
提督はまた責められるのかと思い、ぶっきらぼうに答えた。
「いいえ、提督。私も気付いたんです。提督に色々求めすぎて、肩書きとか、仕事とか、そういう枠を抜きにした提督の気持ちなんて、全然考えたことがありませんでした」
提督は、まるでピンと来ないという様子で大淀を見ている。
「夕飯、どこで召し上がっているのか存じませんが、ご一緒してもよろしいでしょうか。お話をお伺いしたいんです。提督の望みは何なのか……何故ここにいらっしゃるのか……」
提督は、少し困った様子で大淀から目を外したが、すぐにまた大淀を見た。
「確かに俺も、お前を部下とか艦娘とかいう枠にはめて、端から話なんて聞いて来なかった。そもそも、俺が勝手にお前たちのことを考えるだけで、お前たちが俺に、『提督』ではなく俺に求めるものなんて、何も考えちゃいなかった。反省しないとな」
提督は、引き出しから手帖を取り出すと、大淀の予定を尋ねた。
*
「提督宛に手紙が届いている。陸軍将校からのようだな」
数日後、秘書官を務める長門が、これまでになく格調高い封筒を持って執務室に戻ってきた。
「何だろうな、一体全体……」
提督は手紙を受け取ると、几帳面にペーパーナイフで封筒の口を開き、中の手紙を取り出した。そして、手紙を途中まで読むと、彼の眉間に皺が寄り始めた。
「長門、あきつ丸を呼んでくれ」
*
「提督殿、何でありますか」
長門が出て行ってから十分ばかりで、あきつ丸が到着した。
「あきつ丸、お前が居たっていう陸軍から手紙だ。帰ってこい、ですとよ」
先ほどの書状は、あきつ丸の管轄を移譲せよとの内容であった。
「ふむ。自分の意向を全く意に介さず、いきなり帰ってこいとは、一体自分を何だと思っているのでしょうか」
「だよなぁ」
そう答える提督も、艦娘を何だと思っているのか、と言われるともはや何なのかわからないのだが、しかしとりあえず、あきつ丸に戻る気が無さそうなことに安堵した。
「どうする? 突っぱねるか?」
拒否したら面倒くさいでは済まない気もしたが、提督はあきつ丸本人の意向を尊重したかった。また彼は、艦娘に代わって面倒を引き受けることを、戦場に立たない提督のせめてもの務めだと考えていた。
「自分の答えは、あれであります」
あきつ丸は、執務室に飾ってある、朝顔の生えたTENGAを指差した。
あきつ丸本人の提案通り、彼女が笑顔で例の作品と映っている写真を送り返したところ、件の書状については二度と音沙汰は無かった。
きっと連中も、オナホ華道の意味を理解してくれたのだと思う。
お付き合い下さりありがとうございました!
バイブ書道もよろしくお願いします。