戦闘海域まで、聞こえるのは波音と海鳥の声だけだ。ソナーを乱さぬよう、艦隊一同は沈黙を守る。
「うーん聞こえる聞こえる、敵さん近いよー!」
「了解であります。全艦単横陣!」
時津風のソナーが敵を探知した。旗艦として、即座に指示を出すあきつ丸。
「山城、大丈夫? 対潜攻撃よ?」
「はい? なんでありますか⁈」
唐突に、ここに居ない誰かに呼びかけ始める扶桑に、あきつ丸は驚く。
「気になさらず。扶桑のいつものやつです」
「まぁまぁ、バレる前に叩く叩く!」
時津風、浜風それぞれが爆雷を投射し、海上に二本の水柱が上がる。
「扶桑殿、艦載機であります」
「わかってるわ。えーと、瑞雲? やれるわね?」
扶桑が瑞雲を放つ。瑞雲は海面すれすれを飛んでいき、爆弾を投下した。あきつ丸の足元に、微かな衝撃が走る。
「手応えあり、だけど……」
「まだまだ! 敵艦は動いてるよ!」
「任せるであります!」
すぐさまカ号と三式指揮連絡機を放つあきつ丸。それぞれの爆撃が命中し、またしても水柱が上がる。再び沈黙が訪れた。
「……さすがです」
「扶桑殿も初めてとは思えない。見事な発着艦であります」
照れながら答えるあきつ丸。
「訓練と演習でしかやったことないから、まだ実戦は不安なの……指導、よろしくお願い致しますね」
「やや、自分、指導するような柄ではないのであります……」
目を逸らして頰を染めるあきつ丸
「あきつ丸、謙遜は不要です。もう対潜は随分長いでしょう。我々も頼りにしていますよ」
「そうそう!」
僚艦達に励まされ、意を決したらしい。右足を軸に反転し、三人に呼びかける。
「では、我々はこのまま海域深部、敵主力を目指す! 自分に続くであります!」
「了解!」
*
その後も順調に海域を攻略していくあきつ丸一同。針路が正しければ、そろそろ敵主力が見える頃だ。
「あきつ丸、敵です。潜水が三かと」
「ならばやはり、単横陣であります」
淡々と、定番の陣形を指示するあきつ丸。
「はいはい!」
陣形を作りつつ、即座に爆雷を投げる時津風。
「そそっかしいですよ、時津風。もっと狙って下さい」
時津風をたしなめつつ追撃する浜風。水面下でくぐもった爆音が響き、大きな波が立った。
「扶桑殿」
「心配いらないわ」
危なげなく瑞雲を発進させる扶桑。
「よし、仕上げをするであります」
艦載機を放ち、敵潜水艦を仕留めるあきつ丸。初めての旗艦も無事に終わった。あきつ丸は、帰投前に状況確認をしようと、反転に備え後方に振り返った。刹那、浜風が声を上げる。
「あきつ丸、まだです!」
「いけない! 反撃に備えるであります!」
緊張を解いた己に恥じ入りつつも、最善の対応に考えを巡らすあきつ丸。
「狙いはあきつ丸だよ! まずいまずい!」
駆逐艦たちが、ソナーで水中の音を把握しつつ、あきつ丸と扶桑に報告する。もっとも彼女たちには、全力で射線から逃れるほかにできることはないのだが。
「くっ……」
「あきつ丸、衝撃に備えて下さい」
回避不能と判断した浜風が命中を覚悟するよう伝えた。しかし。
「させないわ!」
割って入った扶桑の足元で、魚雷が炸裂する。
「っ⁉」
「きゃっ……」
「やったなぁ!」
時津風が更なる爆雷を投射し、しばらく待ってから駆逐艦らがソナーを確認。最後の潜水艦も沈黙したようだ。
「扶桑殿! 大丈夫でありますか?」
「平気よ、私はきっとあきつ丸より相当丈夫だわ……。あきつ丸は?」
その間、あきつ丸が落ち着かない一方、扶桑はなおもあきつ丸の心配をする。
「おかげさまで、無傷であります……」
あきつ丸はおよそ専業とするところの対潜任務で、このような失態を演じたことが不甲斐なかった。と同時に、初対面のあきつ丸にここまでの気遣いを見せる扶桑の優しさに、心打たれていた。そして――このような乙女の肌が爆煙で汚れているのが、えもいわれず口惜しく感じた。
「任務完了、帰投するであります。早く扶桑殿を修理しなくては、扶桑殿、肩を」
「いいのよ、あきつ丸。私は全然平気よ」
「しかし……自分の気が済まないのであります」
「じゃあ遠慮なく……。待って、私の艤装は重いし大きいわ、気をつけるのよ……」
確かに扶桑はとんでもなく重かった。が、重さなど気にならなかった。扶桑からは硝煙の匂いと、焦げ臭さに紛れ、名も知らない花の香りがした。波に揺れ、彼女の脇が首筋に触れる度、なぜだかぞくりとしてしまうあきつ丸であった。
*
「艦隊が帰投したのであります」
普段は五十鈴がしていた報告を、代わりにこなすあきつ丸。
「うーん、旗艦損害なし、扶桑損傷軽微、時津風被害なし、浜風被害無し、ですね。お疲れ様です」
被害を評価する大淀。直撃してなお損傷軽微と聞き、戦艦の耐久性に舌を巻く一同。
「へ~すごいすごい! もう全部扶桑さんでいいじゃん」
「何言ってるんです。あなたが油断したらまた取りこぼしが出ますよ」
「そうですね。航空戦艦の対潜能力も、限界がありますから」
「その通りであります。各員、自分の役割をしっかり果たすのであります。自分も……」
『そうだな、だがまあ、今回は上出来だった』
またも、スピーカーから提督の声がする。
『最後の撃ち返しのようなことは、例え理想的な攻撃ができてもあり得るからな、いつでも油断は禁物だ。扶桑!』
「はい!」
突然の呼びかけにしっかり応える扶桑。
『いい庇い方だったな、状況に鑑みてか?』
「いいえ、つい、勢いで」
『これからは艦隊の損害状況を把握しつつすること。扶桑以外に有効打を与えられない状況だと悪手になりかねん。それはさておき、今回のは評価に値する』
「はい」
スピーカーの方を向き、決然と返事をする。
『あきつ丸! 慣れない旗艦をしながらの指導、ご苦労だったな。これからも頼むぞ』
「労わりの言葉、感謝、であります」
あきつ丸は苦言の一つでも呈されると思っていたが、存外お咎めなしだった。
『時津風、落ち着いて良く狙うんだ』
「いっぱい沈めたんだから褒めてよ〜! けちんぼけちんぼ〜」
苦言を呈されたのは時津風の方だった。
『まあ撃ち漏らしもしたが、今回は撃沈も最多だ。殊勲は認めなきゃな。これからは気をつけてくれ。浜風!』
浜風は役割を果たしている自負故か、立ち振る舞いに揺らぎがない。
「はい」
『冷静な判断だった。その調子だ。いつも頑張ってるな』
「ありがとうございます」
『では解散! 各自自由行動!』
「了解!」
*
「うわ~い! 休憩休憩! おっやつ~、おっふろ~」
「走ってはダメです、時津風」
駆逐艦たちは自由行動を言い渡され、すぐに思い思いに動き出した。一方のあきつ丸は。
「あの……扶桑殿」
「あら……どうしたの? あきつ丸」
一人で自室に戻ろうとする扶桑に声をかけていた。
「今日は、あの、ご迷惑をおかけしたのであります」
扶桑に並び、同じ歩調で歩くあきつ丸。
「迷惑? ああ、こちらこそごめんなさいね、つい体が勝手に……」
「入渠はなさらないのでありますか」
あきつ丸が矢継ぎ早に問う。
「この程度じゃ、何も影響は無いわ。それに私、一度入ると長くて……」
「でっ、でしたら」
「はい? 何かしら?」
「ご一緒に、間宮でもいかがでありますか。今回のお詫びも兼ねて……あと今後のためにも……」
一瞬ぽかんとする扶桑。しかし、すぐにいつもの微笑みに戻る。
「間宮もいいけれど……お昼は、山城と摂る予定だったの。今日は私の部屋で、なんてどうかしら。確か、何か買ってきてあるから……」
「はぁ、山城殿」
あきつ丸は、山城を殆ど知らない。どうやら、あきつ丸より早くに着任しており、練度も相当に高いらしい。そして今日分かったが、扶桑は山城をいたく気にかけているようだ。
「丁度いいのであります。自分、友達が少なくて……」
「そうなのね。きっと、仲良くなれるわ。私が一緒なら……。じゃあ、ちょっとそこで待っていてくれるかしら。ほんの少し、片付けを」
「了解であります」
扶桑は自室に消えて行った。あきつ丸は、戦艦の部屋にはまだ入ったことが無かった。
廊下の壁にもたれ、扶桑に迎え入れられるのを待っていると、あきつ丸は誰かに肩をつつかれた。
「なんでありますか」
「あなたが姉様に庇われた特殊船ね?」
「はひっ? どちらでご覧になっていたのでありますか⁉」
そちらを向くと、髪を短くした以外、ほとんど扶桑と同じ風体をした戦艦が立っていた。雰囲気は扶桑に比べて、幾ばくか快活そうに見える。目つきがやや強気そうだからか、髪が肩までしかないからか。九分九厘、彼女が山城だろう。
「司令室を覗き見てたんです……。折角同じ改装をして貰ったのに初陣がバラバラなのが悔しくて……。しかも姉様が、よりにもよって私以外を庇って被弾するなんて……。不幸だわ……」
「いや、そんなことをおっしゃられても困るのでありますが」
あまりに唐突な語りに狼狽するあきつ丸。
「しかも、こんなところまで姉様に付きまとうなんて……姉様に色目を使おうって言うなら容赦しないわよ……! この部屋は、私達の……!」
その上、あらぬ疑いまでかけられているらしい。
「あ、あの、自分、扶桑殿のお招きで……」
「そんなの関係ないわ! 貴方は! えーと、お腹が痛くなってきたから自室に帰るのよ! 姉様にもきちんとそう伝えておきますから!」
部屋のドアに体重を預け、あきつ丸の行く手を阻む山城。いや、あきつ丸の方から入ろうとしている、という事からして誤解なのだが。
「おまたせしたわね、準備が……山城? 危ない!」
扶桑がドアを開けたせいで、山城は部屋の中に仰向けに転がり込んだ。
「うわあっ! 痛い! 不幸だわ……」
「あ、あの……入っても、よろしいでありますか」
あきつ丸は扶桑の部屋に上がり込みつつも、起きようとする山城に手を貸すのは忘れなかった。
*
「これが扶桑殿の部屋……」
扶桑の部屋は、度を越して簡素なあきつ丸たちの部屋とは違い、床の間周りもしっかり備え付けられ、上品な和室といった趣きだ。
「そう、これが姉様と、わ・た・し・の部屋ですよ」
と、二人だけの部屋であることを強調する山城。
「いたた、肘を打ったみたい……不幸だわ……」
「山城、大丈夫? ごめんなさいね、あきつ丸、山城がとんだ粗相を……」
「いや、仲睦まじい姉妹でありますな、はは……」
居ない山城を気遣う扶桑を目の当たりにした時のあきつ丸の驚きは相当なものだったが、山城から姉への思いの丈もまた彼女の想像を超えていた。
「まあ、あきつ丸はそちらに座って。お茶とお菓子をお持ちいたします」
扶桑は、床の間の前の座布団を勧めると、奥に茶と菓子を取りに行った。
自然、あきつ丸は山城と向かい合った状態で二人きりになる。
「良いものでありますね、自分には姉妹が居ないのであります」
何か話さなければと思い、自らの身の上を思い出しながら、そう口にするあきつ丸。彼女らの、お互いが姉妹であるという認識も生まれながらにして持っていたものなのだろうか。
「たった一人の姉様だもの……。だから、渡したりは、しないわ!」
「あの、なぜ自分が扶桑殿を、その、狙っていることになっているのでありますか」
何か勘違いされているのはあきつ丸にも分かったが、これは思った以上に深刻なようだ。
「私、見たんですから! 姉様を迎えに行こうとしたら、あなたが姉様の肩を抱きながら帰還してくるの……ありえない、あんなこと……姉様の身体を……」
「ご、誤解であります。自分、その、下心などありはしないのであります。確かに扶桑殿は美しいであります。抜群に。でもだからといってそんな……」
「美しいだけ?」
「いや……深い真心もお持ちでありますな」
「だから姉様が欲しい……」
「はい、仰る通りで……なんですと?」
「やっぱり姉様を……!」
「あきつ丸、山城、お待たせしたわね」
襖の向こうから、茶と羊羹を乗せた盆を手に、扶桑が戻ってきた。あきつ丸は、襖の上にしっかりと欄間が設けてあるのを見つけ、やはり本格的な和室であることに気づいた。それはさておき。
「姉様! やっぱりこの子は姉様を狙う悪い虫です。叩き出さないと……」
山城は正座を崩して片膝を上げ、今にも立ち上がって来そうな剣幕だ。
「ですから、自分、そんなつもりは全く……」
あきつ丸が弁解しても、山城は聞こうとはしない。
「そうよ、山城。落ち着いて。本当に私がお招きしたのよ。山城も仲良くしてくれると思って……」
「ええっ、大丈夫ですか姉様? この子に誑かされていませんよね」
しかし、姉の言うことには耳を貸す山城であった。
「ええ、そんな裏表のある子だとは思えないわ。出撃の時だって、初対面なのにとても良くしてくれて……」
「それほどでもないのであります」
「一目惚れですか……」
じとっとした視線を寄越す山城。あきつ丸はこの状況を打開すべく、辺りを見渡した。自分の真後ろ、床の間に花が飾ってあるのに気付いて、苦し紛れに感想を述べる。
「いや、それにしてもこの花、綺麗でありますね。紫陽花……でありますか?」
そこには高低差をつけて紫陽花が二輪活けられ、高さの空いたところを埋めるように平行脈の葉が配置されている。菖蒲だろうか。
「あきつ丸、意外とお目が高いですね。それは私が活けたんです。紫陽花と蒲の葉ですよ」
すかさず山城が答える。
「なんとも美しい……この器も涼しげで……ん?」
しっかりと見るまでは気付かなかったが、白い皿に乗せられたその華器は水色と白の縞模様で、妙に派手で玩具めいた色調だ。
「変わった模様でありますな。これは一体?」
「それはTENGA系オナカップね。オナホ華道はTENGAに始まりTENGAに終わると言われているわ」
扶桑の言うことに首を傾げるあきつ丸。
「カップ? オナホ華道……? なんのことやら……」
「あら、あきつ丸? オナホ華道に興味があるの……?」
「姉様⁉ オナホ華道をそんな簡単に教えては……」
山城が何やら耳打ちしたが、あきつ丸には聞こえなかった。
「いいじゃない。この部屋にお客様が来るなんて久しぶりよ? 私はもっと仲良くなりたいわ」
「そんな! 姉様は私だけでは満足できないのですか?」
「いいえ、でも、日常にも変化は必要よ。時に普段と違う風を吹かせないと、心は枯れてしまうわ……」
茶を啜っていたあきつ丸が、ピクリと反応する。
「……生意気かもしれませんが、わかる気がするのであります。自分、毎日同じ任務に出ていて……。今日扶桑殿が来て、編成が変わって、わかったのであります。やはり変化がないと、心のハリが失われてしまう。今こうやってお二人と話していても、なんと言いますか、頭の、普段全く使わない部分を使っている感じがして……」
扶桑は柔らかい笑顔と共にあきつ丸の言葉を聞き届けた。山城もまた、口元に力が入ってこそいるが、真剣にあきつ丸を見つめている。
「いいわよね? 山城?」
「姉様がそう言うなら……」
「教えて頂けるのですか? そのオナホ華道とやらを! よろしいのでしょうか、自分、これまでまるで典雅とは無縁でありましたが……」
「心配いらないわ。大抵の子はTENGAとは無縁よ」
今更気後れするあきつ丸を、扶桑が励ます。
「そんな、お二人とも典雅そのものでいらっしゃる」
「まあ、言いようによっては私たちがこの鎮守府で最もTENGAな姉妹かもしれませんね。ね? 姉様?」
「そうね山城、今のところTENGAで私達の右に出る艦娘は居ないわ」
自信満々に答える山城と、柔和な態度でそれを肯定する扶桑。そんな二人が目の前に並ぶ姿を見て、あきつ丸の感情は昂ぶった。
「ああ……なんて美しい……! 早く自分も、お二人のように典雅になりたいのであります!」
「じゃあ、明日の同じ時間から早速伝授するわ。また出撃のあと、この部屋に来て下さるかしら?」
「了解、であります!」
日常の鬱屈を忘れられるのではないかという期待に胸を躍らせつつ、羊羹を口に運ぶあきつ丸であった。