「よお、迎えに来たぜ」
木曾は翌〇四○○に、あきつ丸たちの居室にやって来た。最近支給されたという黒の外套を羽織っている様は、軍人と言うよりは海賊を思わせる。しかも腰にはクーラーボックス、肩には竿ケースを背負っていて、率直に言うと訳のわからない格好だ。
外にはまだ、日は昇っていない。
「……あ、おはようございます、木曾さん……」
眠い目をこすりながら、まるゆがもぞもぞと這い出してきた。
「いや、流石に暗いでありますな」
早朝には強いと豪語するだけあって、あきつ丸は既に起き、いつもの制服に着替えていた。
「久し振りだな、あきつ丸。達者にしてたか?」
「おかげさまで、であります」
存外親しげにしている木曾とあきつ丸を、まるゆが不思議そうに見つめている。
「まあ、まるゆもさっさと準備して、早いとこ海に繰り出そうぜ。朝の空気は格別だ」
「はい……」
寝ぼけ眼のまるゆが、手拭いを手にふらふらと廊下に出て行った。
*
まるゆの洗顔と支度を待ち、出発は予定通り○四一五になった。
「木曾さんとあきつ丸さんってお知り合いだったんですね」
堤防までの暗い道を歩く中、まるゆが二人に問いかける。
「知らなかったのでありますか? 少し前までは訓練や任務で一緒のこともあったのであります」
「ああ、俺と組んでた頃は何もかもヘタクソでなぁ、というか、あの頃何してたっけ、お前?」
屈託なく疑問をぶつける木曾。
「失礼な、とばしていたのであります。艦戦なんかを」
「すまねぇな、アレは何したかったか分からなかった」
「自分も何をすればいいかさっぱりわからなかったであります」
とりあえず経験を積むために同行して、無聊を慰めるために何か飛ばしていたと言ったら語弊が……無い。実際そんな出撃を繰り返していた。
「それが今じゃ対潜哨戒の要か。立派なもんだ」
言葉に反して感慨深げでもないが、かといって嫌味でもない。さっぱりとした物言いである。
「まぁ、それなりに勤めているのであります」
当時と今とを噛み締めつつ、木曾の言葉を労いと受け取るあきつ丸。その様子を見て、まるゆも言葉を挟む。
「ま、まるゆも慣れれば何か任されるでしょうか?」
「今でもしっかりやってるさ。たまに出てる遠征だって、オリョール海への出撃だって、鎮守府の大事な仕事だ」
口元に笑みを浮かべつつ答える木曾に、まるゆが聞き返す。
「でも、いつも皆さんは痛みに耐えて、敵を倒して、傷を負って帰ってきます。まるゆ、たまに情け無くて……」
「おいおい、そう卑屈になるなよ。俺もまぁまぁ出撃しちゃあいるがな、武蔵だの長門だのに比べりゃ大した事ないぜ。そんな比べないで、自分の領分をしっかり果たせばそれでいいんじゃないのか?」
「でも、まるゆ、鎮守府のみんなの役に立ててるのか不安で……」
まるゆがそこまで言うと、木曾は笑い出した。
「お前、役に立つために生きてるのか? 間宮で腹がはち切れるまでパフェが食いたいとか、提督に特別に目をかけて欲しいとか、特別な瑞雲を集めたいとかだったら死ぬほど役に立とうとしてもいいんだろうがな。そうまでしてでも欲しいものがあるとかでも無けりゃ、そんなに無理することもないだろ。人がどうこうより、まずお前の望みが何なのか、じゃないのか」
まるゆは釈然としない顔をしている。
「とりあえず、お前にやった朝顔な、俺は花を見たかったんだが、世話をする暇が無いんだ。だからお前が育ててくれるのは有難い。こうして一緒に釣りに来てくれるのも俺は嬉しいぞ。そういう事だよな? あきつ丸」
急に話を振られ、驚くあきつ丸。
「ふむ。戦果だけのために生かされている訳ではないと」
「でなきゃそもそも、こんな格好で産まれてくる必要あるのかねぇ……」
あきつ丸は自分の右手を広げ、まじまじと見つめ、そういう考え方もあるのか、と、とりあえず納得した。
「ま、俺には戦いが一番向いてると思うから、戦い続けるまでだがな。さ、着いたぜ」
十分ばかり歩いただろうか。三人は防波堤の先端までたどり着いた。
「釣竿は三本ある。秋刀魚漁とかなら艤装のクレーンで一網打尽にやれるんだろうが、今回は魚との知恵比べだ。この竿一つで戦う。天秤仕掛けをカケ上がり……底の抉れてるところに投げ込んで、待つ。食いついたら引き上げる」
「まるゆ、本で読みました! 手応えで底の様子を探るんですね」
木曾はランタンで手元を照らすと、慣れた手つきで竿を組み立てた。三本ともリール付きの新しげなものだ。二メートル強はあるか。リールから糸を繰り出すと、仕掛けを結びつけ、終端にいくつか付いている針それぞれに虫を刺した。ゴカイだろうか。一切の躊躇がない。
「そうだ、投げてやろうか? お前にこの竿は長いだろう」
まるゆを気遣う木曾。
「あっ……お願いします」
一瞬ためらったまるゆだったが、想像以上の竿の長さに、大人しく任せることにしたようだ。
「そらっ」
木曾が仕掛けを投げる。しゅるしゅると糸が繰り出される音がし、ドボン、と錘が着水したのがわかった。しばらくして木曾は少し糸を巻き取り、まるゆに返した。
「あとは竿を持って待ってろ。糸はちゃんと張ってな」
「ありがとうございます」
「あきつ丸はどうだ」
「それ」
あきつ丸は本の見様見真似で仕掛けを準備し、既に投げ込んでいた。
「ちゃくだーん……今! ふふっ」
「上出来じゃねぇか。俺もさっさとやるか」
木曾も自分の竿を用意し、仕掛けを海に投げた。
既に空は白みつつあった。皆、うっすらと見える黒い水面をぼーっと眺めていた。
「あ……見てください……!」
まるゆが指を指す先に、日が昇っていた。波が朝日を反射し、きらきらと輝く。戦場として臨む海が纏うのとは全く異なり、張り詰める物がない、穏やかな静けさ。
「いいねぇ、これだよ、これ」
木曾は満足げに海を眺めている。
あきつ丸は、何だかんだ、夜戦明け以外で日の出を見るのは初めてだったかもしれない。あまりの美しさに息を呑んだ。これまで必死さと共に眺めていたものが、安らぎのもとではこうも姿を変えるとは。
「おっ、まるゆ、引いてるぞ!」
木曾の歓声があきつ丸の思考を断ち割る。
「うわっ、ど、どうすれば……」
木曾は自分の竿を側に置くと、まるゆに覆い被さり、彼女の手に自分の手を添えた。
「よし掛かった! リール巻け!」
「はっ、はい!」
まるゆが右手のハンドルを回す。竿先がびくびくと震える。十五秒ほと巻くと、水中に魚影が煌めくのがわかった。
「キスか、でかいな。そのまま巻き上げろ」
「よいしょっ」
水面を破り、魚が姿を現した。二十センチはあろうか。
「やった! やりました、ありがとうございます!」
「何言ってんだ、まるゆが釣ったんだぞ」
木曾は防波堤に持ち上げられてびちびちと跳ねるキスを掴むと、危なげなく針を外し、クーラーボックスに放り込んだ。と、木曾の竿の先も震えているのに気付く。
「幸先いいじゃねえか。ここが穴場だって読みは正しかったな」
木曾は自分の竿を拾い上げると、しっかり竿を振り、まるゆにしてやったのと同じように巻き上げた。キスが三匹、鈴なりに食いついている。
「いやはや、お二人とも流石であります。自分もそろそろ来て欲しいのでありますが」
あきつ丸は未だにアタリが無いことに焦り始めた。
「そういやあきつ丸、餌は付けたのか」
「餌でありますか。……しまった!」
木曾は一瞬呆れ顔になったが、すぐにヘラヘラと笑い出した。
「仕掛けを付けるまでは見事だったんだがな。まあ焦るな。戻してまたつければいいさ」
あきつ丸は顔から火を吹きそうになりつつ、大慌てでリールを回す。
「む……重い? であります」
「十中八九、根掛かりだな」
聞いたことのない言葉にあきつ丸が首を傾げる。
「地球か船でも釣ったんだろうよ」
「しかし、きちんと巻き取れてはいる……」
「本当か?」
木曾があきつ丸の竿を受け取る。竿を立てる、振るなどして竿の反応を見るが、確かに仕掛けはこちらに引き寄せられているらしい。
「ゴミを引っ掛けたかもしれんな」
「ゴミ。まだ船などの方が釣果になりますな」
「とにかく仕掛けを回収しねぇと。待ってろ……」
そう言うと、木曾はリールを回す手を早めた。竿が大きく撓む。
「ふンっ!」
木曾が力を込めると、あきつ丸の釣り上げたそれが水面を突き破り、払暁の空に躍り出た。円柱状だがずんぐりとしていて、魚らしいひれがなければ、頭のようにすぼまった所もない。光っているようにも見えるが、それは光沢ではなく、太陽光を透過させているらしい。張力に任せ、それはこちらに飛んでくる。
ぽよん。
透明な、寒天質と思しき塊が、防波堤に着地した。辺りに飛沫が飛び散る。
「……クラゲか?」
朝日を透かしてコンクリート面に映し出される輪郭を見るに、どうやらそれは中央に穴が通っているらしいことがわかる。それを覗き込む木曾とあきつ丸を見て、まるゆも寄ってきた。
「うわぁ、気持ち悪い……」
「これは……生き物? で、ありますか?」
木曾はそれを眺め、しばらく考えこむ様子を見せたが、意を決したか、おもむろにそれに手を伸ばした
「大丈夫でありますか、刺されたりは……」
木曾は、それを手の中でぐにゅぐにゅと弄びはじめた。
「こいつは……」
あきつ丸とまるゆが唾を飲む。
「知らんな……」
「木曾さんもわかりませんか」
木曾はそれの穴に恐る恐る指を伸ばしたが、流石に突っ込む度胸は無いらしく、その指を引っ込めた。
「だがこのヌメり……もしかしたら」
「もしかすると? 何でありますか」
「深海の連中の……抜け殻とか、触手の一部かもしれないぜ……」
あきつ丸が顔を引攣らせる。
「それは洒落にならないでありますよ……」
「まあ憶測だ。あとで提督に聞いてみようぜ。それより今は魚の食いがいい、この機を逃す手は無いぞ」
そう言うと、木曾はまずあきつ丸の仕掛けに、続いて木曾自身の仕掛けに餌を付けると、自分の竿を振り、仕掛けを海に投げた。あきつ丸もそれに倣い、仕掛けを投げ込んだ。
*
「一杯釣れましたね!」
まるゆは目を輝かせながら、クーラーボックスを覗き込んでいる。一瞬で時は経ち、既に時刻は一三○○を回っていた。
「三人で四〇匹は釣ったか。こいつは凄いぜ」
ボックスの中には無数のキスとハゼ、そしてよくわからない大きな魚が詰め込まれている。
「あと……どうするでありますか。これ」
あきつ丸はクーラーボックスの脇に並べられたものを指差した。最初に釣りあげた軟体のほかに、白いものと黒いものが増えている。
「こいつ……こうして並べると……」
木曾は黒い軟体の後ろに、白い軟体を繋げるように並べて見せた。
「ふむ……敵駆逐のような色合いですな……」
「透明なのは発光する部分の覆いかもしれないぜ……」
「なんと……」
あきつ丸は敵の姿を思い浮かべた。確かに、深海棲艦は部位によっては妖しく輝いている。あの光は透明な何かで覆われていた方が理にかなっていないだろうか。
「ど、どうするんです……」
まるゆが怯えつつ尋ねる。
「まあ、これはあきつ丸と俺がなんとかしておく。さっさと魚を料理して貰おうぜ」
木曾は、まるゆが安心できるよう、笑って見せた。
「ひっ……!」
あきつ丸が謎の軟体を拾い上げるべく握ると、開口部からぴゅっと粘液が吹き出し、彼女は思わず声を上げた。
「おい、気をつけろよ……」
「はい……」
あきつ丸は、木曾が持ってきたビニル袋に慎重にそれを詰めると、間宮に向けて歩き出した。