クラス代表選抜戦の布告の翌日以降も当然授業は行われている。
織斑先生の言葉が効いたのか、一夏もオルコットさんも普通に授業を受けていた。
「IS。インフィニット・ストラトスは操縦者の全身を特殊なエネルギーバリアで包んでいます」
山田先生の説明はは分かりやすいので素人同然の俺にとっては非常にありがたい。
入学前の勉強で漏れていた部分をノートに書き足しつつモニターに視線を向ける。
「ISには意識に似たような物があってお互いの対話、つまり一緒に過ごした時間で分かり合うと言うか、操縦時間に比例してIS側も操縦者の特性を理解しようとします。ISは道具ではなく、あくまでパートナーとして認識してください」
ISの意識。その言葉につい手に持っていたペンを落としそうになる。
あの日、俺が初めてISを動かした日に聞こえた“声”。アレがISの意識だったのは間違いないだろう。実際、俺があの子から聞いた通りあのISの右足部分にはフレーム破損の原因となる負荷がかかりつつあった。
しかし教科書も、参考書もネットの情報も見たがISの“声”に関する情報は存在しなかった。この“声”はISに乗れば誰もが無意識下で処理するもので、俺はそれが聞き取りやすい体質なだけなのか、それともこの“声”が聞こえるのが異常なのか。その場にいた織斑先生は「周囲に言いふらす必要は無い」と言っていたが、それは当たり前のことだからなのか、それとも知られては不味いのか。
「しつもーん!パートナーって、彼氏彼女のような感じですか?」
クラスメイトの声ではっと意識を切り替える。気にならないと言えば嘘になるが、今俺が最優先すべきはISの知識に関してクラスメイトとの差を埋める事だ。
「そ、それはその…どうでしょう…?私には経験が無いので分かりませんが…」
正直意外な山田先生の恋愛経験ゼロという情報は頭の外に追い出しつつ、その日の授業も何事も無く進んでいった。
唐突だが、IS学園の学食は素晴らしい。
世界中から生徒が集まる故、レパートリーも豊富でオルコットさんのように良いとこのご令嬢っぽい人も少なくないので質も高い。食堂自体も長机と椅子が並べられた質素なものではなく、女性人気も狙っていそうなお洒落なデザインだ。まぁ個人的にデザインはどうでもいいが1人1人のスペースが広めに取れることは有りがたい。
「なぁ、箒」
「何だ」
そして今日、俺は一夏と箒の3人で昼食を取っていた。
最初は姉を2人きりにしてやろうと思ったが全学年、全方位から浴びる視線というのは想像以上に居心地が悪かったのと「折角ならも百太郎も」という一夏の言葉に甘えた形だ。
ちなみに俺と箒の関係は「その時が来たら伝える」と箒が言っていたので俺から伝える事はない。
「ISの事、教えてくれないか?このままじゃ何もできずにセシリアに負けそうだ…」
まだ誘ってなかったのか、と箒をじろりと見る。エビ天、美味。
「下らない挑発に乗るからだ。…もも…榊まで巻き込んで」
俺の視線を無視しつつ一夏の頼みを切って捨てるが、姉上はその下らない挑発に乗った想い人を釣り上げる立場でしょうに。鉄火丼、美味。
「そこを何とか、頼む!」
パンと一夏が手を合わせて拝む。今一瞬顔が緩んだな。折角頼ってきているんだから面倒を見てやればいいのに。味噌汁、美味。
「ねぇ、キミ達って噂の子でしょ」
と、いきなり見知らぬ女子生徒が声をかけてきた。まぁ見知った女子生徒はまだクラスにしかいないが。
「代表候補生の子と勝負するって聞いたけど、でもキミ達、素人だよね?私が教えてあげよっか?ISについて」
ほら、もたもたしてるからこう言う事になる。っていうか他のクラスにまで広まっているのか。
「結構です。私が教える事になっていますので」
初耳な情報をさも当然のようにお出しする姉。最初からそうしておけばいいのに。
「え!?」
「…アナタも1年でしょ?私3年生。私の方が上手く教えられると思うな」
そう言ってその女子生徒は得意げに首元のリボンを引っ張った。先輩だったのか。というか昨日の今日で他学年にまで広まっているのは勘弁して欲しい。
「…私は、篠ノ之束の妹ですから」
「うっ!?」
その言葉に先輩は言葉を詰まらせる。あれだけ毛嫌いしている実姉の名を使うとは、なりふり構わずといったところか。まぁ博士の名はこの学園では正しくジョーカーだ。
「そ、そう…それなら仕方ないわね…」
実際、その名を聞いた先輩はそれ以上喰いついてくることは無く去っていく。まぁ態度を見る限り男性操縦者に接近するのが目的だった感じだからどの道上手くはいかなかっただろうが。
「教えて、くれるのか…?」
「ご馳走様でした。…話はまとまって、厄介な先輩も消えたようだし俺は先に行くよ。一夏、頑張れよ」
「あ…おう!」
無事2人きりなる口実を取った箒を見届けて俺はクールに去る。
「ご馳走様でした。明日の味噌汁の具って分かったりします?」
「明日は大根だよ」
成程、明日も味噌汁は頼もう。
――――――――――――――――――――――
そしてその日がやって来た。
俺と一夏のISは試合で使用する機体なのに当日納品というスケジュールだと聞かされた時は試合の延期を申し出たかったが元々がイレギュラーな試合なので仕方がないと割り切った。
結局、今日までやったのはひたすらにシュミレーションとオルコットさんの過去データを徹底的に頭に叩き込むことだった。
実機を伴わない訓練だけでどの程度やれるか不安が無いと言えば嘘になるが、あとはやれることをやるだけだろう。
「あれがアイツの専用機か…」
控室でモニターに映るオルコットさんとそのIS、ブルー・ティアーズを見て一夏が呟く。この1週間、俺としては嫌になるほど見た機体だ。
「イギリス第3世代IS、ブルー・ティアーズ。BT兵器運用を想定した中、遠距離戦型のISだ」
「百太郎知ってるのか?」
「ISのデータは公開することが義務付けられてるからな、ネットで調べれば出てくるぞ」
その時俺の耳に“声”が届いた。どうやら専用機が届いたらしい。
「織斑、榊、お前たちの専用機だ。私と山田先生で初期設定を行うから装着しろ」
言われるがままに俺達はISを起動する。形状こそ異なるがどちらも武骨な殆ど灰色の機体だった。
「織斑のISは日本の試作機を改修した“白式”そして榊のはIS学園が保有するコアを使用した“黒牡丹”だ。2人とも違和感は無いか?」
「大丈夫だよ千冬姉…織斑先生」
「こちらも、問題ありません」
目を閉じて“声”に集中する。この子はこの子で新しい体に慣れている途中といったところか。
「…榊の方は最適化が早いな…済まない榊、織斑のISはまだ最適化に時間がかかる。先に試合を始められるか」
織斑先生の言葉を聞いて俺はこの子、“黒牡丹”に意識を向ける。俺は行ける。お前はどうだ、と。
返ってきた“声”から伝わってきたのは、肯定。
「…はい。俺も“黒牡丹”も問題ありません」
「よし。山田先生、オルコットと会場に試合予定の変更を伝えてください。試合開始は5分後です」
「分かりました!…榊君、頑張ってね!」
「はい、ありがとうございます」
「百!しっかりな!」
「頑張れよ!百太郎!」
「応」
箒は俺を心配して余裕が無いのか愛称で呼んでしまったいるが同じく緊張している様子の一夏は気付かなかったので良しとする。特に箒なんて試合に出る俺より緊張してそうな顔を見せるのでこちらの緊張が吸い取られるようだ。
「それでは榊、会場に発進だ。試合開始前になったらカウントダウン、カウント0で開始だ、いいな」
「はい」
「相手は代表候補生だが、気負い過ぎるな。やれる事をやれ」
「はい、その準備はしてきたつもりです」
「そうか…よし、山田先生、発進シークエンスを」
「分かりました。…出撃カタパルト、角度良し。出撃口周辺に障害物無し。試合会場バリアフィールド正常に稼働中。IS脚部、ロック完了。…榊君、発進どうぞ!」
「…榊 百太郎と“黒牡丹”、出ます!」
体にかかるGがPICによって瞬時に軽減され、次の瞬間俺の視界に入ったのは一点の曇りもない青空だった。
「…本当に、ISを動かせるのですね」
視線を降ろすと、深い海のように青いIS、ブルー・ティアーズとオルコットさんの姿がある。データでは何度も見たけど、こうして目の前にすると迫力が違うね。
「実は動かせませんでした、を期待した?」
「いいえ、IS学園がそんなミスをする筈はありませんもの…実際目にすると改めて驚いたというだけです」
「そうかい」
「…」
「何か?」
「悪いことは言いませんわ。今の内に降伏なさい。…データ収集なら他にいくらでも機会があります」
「ははは。心配してくれてるのはありがたいけど、お断りだ。ここまで来て降参なんかしたらオーディエンスをがっかりさせてしまうだろ。…それに」
「それに?」
「他人に言われるがままの男は、キミが一番嫌いそうなタイプだと思ってるんだけど、違ったかな?」
「ッ!…いいでしょう…お望み通り、徹底的に落として差し上げます!」
『カウントダウン開始!10…9…』
宣戦布告は済んだ。後は俺達が出来る事をする。そうだろう“黒牡丹”?
『7…6…5…』
「…」
カウントダウンに合わせてオルコットさんが銃を握りなおす。彼女の試合前のルーティンだ。彼女が多くの場合選択する挙動を頭の中で再現していると、“黒牡丹”から“声”が届く。成程、面白い。
「なっ!?」
耳に届いたのはオルコットさんの声だけだが、恐らく会場の多くの人も驚いてくれただろう。
『4』
俺と“黒牡丹”は腕を天に伸ばして腕を伸ばす。
「“声”が聞こえる理由も、ISを動かせた意味も理由も興味は無い」
『3』
指を3本突き立てる。そう、カウントダウンだ。
「俺はやりたいようにやる。これまでも、これからも」
『2』
ゴクリ。と鍔を飲む音が聞こえた。果たしてそれは誰のものか。俺か、オルコットさんか、もしくはハイパーセンサーが拾った会場の誰かのものか。
「ただそこに今日から“黒牡丹”が一緒になる、というだけのことだ」
『1』
さぁ、いよいよだ“黒牡丹”。せいぜい楽しくやろうじゃないか。
「さぁ」
『0』
瞬間、会場に強烈なだけどどこか優し気な光が満ちる。
「行こうか」
次回、ようやく初戦闘です。