いつかの季節に 作:桃猫
「あの、ありがとう、ございます」
翌朝、目が覚めたという彼女が大淀に連れられて執務室までやってきた。
顔に巻かれた包帯は変わらない。カノジョは怯えたように肩を震わせ、こちらを見つめる。
どういった経緯で、敵は、なぜ君だけが──聞きたいことは山ほどあった。けれど、それを彼女に聞くのは酷だろうと、そう思えた。
「まずは君の名前を聞かせてくれないかな」
「な、名前……」
そういうと彼女は小さく「わからない」とだけ答えた。
となればあとは身体的特徴から考察する他ない。
彼女の髪は灰色。白、と言っても差し支えないだろう。背中まで伸びた長く、綺麗な髪だ。髪の色だけで言えば思いつく子達はいる。けれど──
「その瞳……」
桃色……いや、赤色だろうか。
肌の色も血が通っていないのかと思ってしまうほどに白い。
少しだけ、嫌な考えが過った。
すぐにそんなはずは無い、と被りを振りそんな考えを捨て去る。
緊縛した空気の中、大淀が口を開く。
「提督、この子の待遇はいかがなさいますか」
「……客人、でいい」
「承知しま──」
「ちょっと待ってください!」
突如として張り上げられた声、そして静寂。
その声の主は言わずもがな、彼女だ。
「わ、私は戦えます! 命令さえくれればどんな敵でも! ど、どんなことでも……!」
痛いほどに彼女の感情がこもっていた。
大きく目を見開き、自身の有用さを提言する彼女は過去の自分──いや、自分と重なって見えた。
もしかしたら彼女は、僕と似た境遇なのかもしれない。と、そう思えた。
一度そう見えてしまうと、その考えは払拭できず、彼女への見方が変わる。僕になにか出来ることはないだろうか。彼女を助けることは出来ないだろうか。
「わかった」
「提督!」
「君には僕の補佐をしてもらいたい」
止めに入った大淀だが、僕は下衆な命令など下さない。
補佐、と言っても書類整理や茶入れくらいだ。今の彼女を戦闘に出せるほど僕に度胸はない。
彼女がそれで満足するのかはわからないが、これが僕からの最大限できる譲歩だ。
「客人ではなく、君を一人の艦娘として待遇する。勿論、命令があれば出航してもらう」
嘘だ。
彼女に対し僕がその命令を下すことは一度もないだろう。
だが、ここで彼女に納得してもらうためにはこれしかない。案の定、彼女は僕のその言葉を信じたのか、頷いてくれた。
興奮したように上下していた肩も、瞳も今は落ち着いている。
「となると、君の呼称だが……」
制服は白露型の物。彼女の言動は記憶障害により前とは異なると考えられる。髪色だけで言えば近いのは村雨か夕立だろうか。しかし、二人とはどこか違うような気もする。
「何か、思い出せることはないか」
「……雨、です」
「雨、か」
何となく、彼女の名前がわかったような気がする。
けれど、ここでその名を口にするのは少しはばかれる。もしも彼女がショックから記憶を閉ざしてしまったのだとすれば今はまだ思い出させるようなことを口にするべきでは無いのではないか。
であれば姉妹艦と思われる子達との接触も避けた方がいいのだろうか。
「あ、あの、私何か、悪いこと……」
「すまない、これは僕の癖だ。気にしないでくれ」
「ご、ごめんなさい」
彼女の前で長い沈黙は禁句なのだろう。
それだけで彼女の以前を想像できる。
「大淀、少しだけ調べてもらいたいことがあるのだが、いいか」
「構いません。私も少し、気になっていましたので」
そういうことなら大淀に任せても大丈夫だろう。
僕は僕で彼女から何か情報を得られないか試してみる必要がある。
未だ僕に対して恐怖を宿らせた瞳を向ける彼女にこんな僕が何か出来るのかは疑問だが、やるしかない。
恐らくタイムリミットは父の部下たちが戻ってくる日までだ。
◇
「君は桜は好きかい」
「は、はい」
季節外れの話題。そんなことに疑問を抱かないのか、考えないのか、彼女は素直に答える。
鎮守府の敷地内には無数の桜の木が植えられている。今の季節では殺風景なものではあるが、春になれば圧巻の光景となる。
執務室前の窓から眺めることが出来る桜たちは僕にとって季節ごとの楽しみの一つでもある。
この鎮守府の案内、と称して各施設を回ってみたのだが彼女の反応は全て同じものだ。
興味・関心がない訳では無いのだろう。しかし、どこか他人を意識した答え……いや、正確に言おう。
彼女は僕を意識した答えしか言わない。
機嫌取りのつもりなのか、僕が求めているであろう答えを彼女は答え続ける。それは彼女の本心ではない。
「君の呼称についてだが、『サクラ』というのはどうだろか」
少し、安直すぎるだろうか。
元の名から容易に連想されるものだが、彼女と名前を結びつけるには最適な呼び名だろう。
記憶を思い起こさせることはしたくないが、思い出させたくない訳では無い。いつかは彼女にも記憶を取り戻してもらい、本来の彼女としての生活を送ってもらわなければならない。
「大丈夫、です」
「そうか、よかった」
本当に、『よかった』と言えるのか。
彼女はただ同調しているだけだ。そこに彼女の感情や考えはない。
……無駄なことはよそう。
今考えることではない。
「あ、あの……アナタのことは……その」
「僕のこと? あぁ、呼び方なら好きにしていい」
実際、呼び方にこだわったことはない。提督、司令、司令官。
あまり呼ばれる機会がないため意識したことすらない。
「し、司令……官」
「それで構わない」
桜の木の下、彼女は少しだけ微笑んだように見えた。
「さ、次は君の部屋に行くか」
「私の、部屋」
「ここは広いからね。余っている部屋ならいくつもあるんだ」
そう言って紹介したのは客人用にと設けられた一室だ。
彼女が安定するまでの間、この客間を使ってもらうことは大淀とも話し合っている。
ここから一番近くの部屋が大淀、ということも一因としてある。
「僕の部屋までは少し遠いが、道順は大丈夫かい」
「は、はい」
「それなら安心だ。これより、君は少し休むといい」
さすがに疲れただろう、と。
「それが命令なら」
「……なら、命令だ」
時刻はまだ午後の三時。
これからやることを脳内でまとめあげ、すぐに執務室へと戻る。少しだけイレギュラーな事態が続いたが、これからは本来の執務だ。
机の上に並べられているのは無数の書類。なんだかよく分からない取り決めだとか、各鎮守府での報告書・問題となっている出来事、この鎮守府の評判にエトセトラ。
めんどうだが、僕の仕事だ。この程度のことで投げ出す訳にはいかない。
息を吐き、机と向かう。とりあえずここまで、という目標を決めて取り掛かるのが一番いいのだ。
そうして三時間ほど書類と向き合っていた僕だったが、とある事情により、一時仕事を止めなければならない事態になる。
というのも、大淀と長門が少し焦ったように執務室の扉を叩いたからだ。
「どうし──」
「提督、早く来てくれ!」
長門に腕を捕まれ廊下を走る。不思議なことに他の艦娘の姿が見当たらない。食堂に行くような時間でもないだろう、それに長門と大淀はいったい何を焦っているのか。
嫌な予感を払拭したい一心で大淀に視線を送る。返ってくるのは焦燥と疑問、そして敵意のこもった瞳だ。
長門に連れられやってきたのは先程サクラに紹介した部屋の前だ。
廊下にいなかった艦娘たちはどうやらここに集まっていたらしい。見れば兵装をつけている者もいる。
ここまで情報が揃えばさすがに理解ができる。
真白な髪に赤い瞳。そして生気を失ったかのように白い不気味な肌。緊張を浮かべた周囲の皆の顔。
そして──
「ァ、ァァァアアアア!」
部屋の中から聞こえてくる絶叫。
紛れもない。彼女は──サクラは深海棲艦だ。