いつかの季節に 作:桃猫
部屋の中から聞こえてくるのは耳を
言葉とも似つかない悲鳴のようなモノだ。
「提督、指示を」
冷静な様子な大淀が指示を仰ぐ。当然の判断だ。現在、この鎮守府において艦娘の出撃命令を下せる人物は僕しかいない。
そう、出撃命令だ。
この中にいるのは彼女──サクラで間違いない。
だと言うのに、出撃命令を下せと言うのか。僕に『同じ艦娘を殺せ』と命じさせるつもりなのか。
──馬鹿か。
そんなわけが無いだろう。大淀は現在において最も危惧される事態を警戒した上でのこの対応だろう。彼女たちはこの鎮守府を──海を守るという大前提で動いている。
であれば僕が下すべき命令は決まっているだろう。
決まって──
「……待って、欲しい」
決まっている、とそう思っていた。
しかし、口をついて出た言葉は時間を稼ぐための言葉。まだ現実を受け止め切れていないというのか。
いや、違うだろう。そうじゃない。
僕は単に彼女が僕と似ていると感じただけだ。
何かに怯えたような態度。人を怖がるくせに人の役に立ちたがる。視線を意識し、自分を繕う。
僕はただ、彼女と仲良くなりたいだけだ。
彼女を──サクラのことを知りたいのだ。
だから、ここでサクラを手放す訳にはいかない。
「僕が中に入って確かめてくる」
「待て、それは危険だ。お前は仮にもここの提督なのだろう。ならば──」
「その提督の判断だ」
長門の言う通り、
これ以上言うことはなくなったのか、長門は大人しく引き下がると、今度は横に立つ大淀が僕の手を止めた。
震えている。恐怖か、怒りか。
「深海棲艦は私たちの敵です。その脅威は私たちが身をもって知っています。生身の人間がどうこうできる相手ではありません」
「知っている。けれど、彼女はまだ艦娘だろう」
「しかし──」
「誰か、確認したのか」
皆一様に首を振る。
中を確認した者はいない。それでこの反応ということは最初から彼女たちはサクラを警戒していたのだろう。
自分たちが海上で交戦する敵と似た見た目をした者だったのだ、当たり前の判断だ。当然の結果。けれど、それではあまりにも……
サクラの以前を僕は知らない。
どのような状況に置かれていたのか、どうしてこうなってしまったのか。何もわからない。
だが、最初から疑われ続けた者の気持ちはどうなる。
彼女はここに来た当初は確かに艦娘だった。僕の役に立とうと名乗りだし、共に鎮守府を歩いて回った。その時、彼女を目にした子たちもいただろう。
その時から彼女は敵意のこもった視線を向けられていたのか。誰も彼女を信じてはいなかったのか。
そう思うと、心が張り裂けそうだった。
「ならばまだ結果はわからないだろう」
「しかし!」
大淀が、皆が肌で感じている空気で凡そのことを察し、自ずと結論を導き出したのであればそれは僕の直感よりも根拠に溢れたものだろう。
僕ら人間が深海棲艦と接敵したことは無い。その空気も緊張感も恐怖も共有できない。
「ほら、なんとかの猫っていうだろう」
中がわからなければ同時に幾つもの事象が異なって存在するという有名なものだ。
そう言うと大淀は諦めたのか、呆れたのか、僕から手を離した。
すまない、と短く呟きその扉を開いた。
中の空気は淀んでいた。
筆舌し難い悪臭。何かが腐っているのだろうかとそう思わせるほどのものだ。
カーテンが締め切られたその部屋の中央に彼女は
先程までは見られなかった黒い帽子のようなものが見える。あれは資料で見たヲ級という深海棲艦のつけているものに似ている。
しかし、まだ似ているだけだ。
「ァ、ゥウウ」
苦しそうに漏らす声。
「サクラ」
つられて声をかけてしまう。
もう少しどうするべきかを考えた方がよかったはずだ。様子を見、安全な判断をするべきだった。
「シ、レイ……」
その声でようやく僕を認識したサクラがこちらに視線を向けた。
不思議なことに恐怖はなかった。
海の宿敵。深海からの使者。艦娘の敵。無論、僕たち提督にとっての敵でもある。
彼女はやはり深海棲艦で間違いないのだろう。
「チガ、ウ。ワタシマダ……」
炎のように揺らぐ真っ赤な瞳から雫が零れる。大粒のそれは一度流れると決壊したダムのように溢れてきた。
彼女はこの部屋で一人、泣いていた。誰にも理解されない苦しみを。誰にも信用されない孤独を。誰にも見て貰えない寂しさを。
僕はきっと彼女の気持ちを理解できる。サクラの隣に立つことができる。
「苦しい、か?」
ようやく口をでてきた言葉はそんな、馬鹿みたいな台詞だった。
お前は何を見ているのだ、何を感じたのだと言われても反論の余地が無いほど馬鹿で無意味な問い。
しかし、彼女はそんな問いにも真摯に答える。
「──ウ、ン」
「寂しいか?」
「ウン……」
次第に声は呻き声から泣き声へと変わっていく。
彼女は僕を見つめたまま涙を流し、肩を震わせて泣いた。しかし、その顔は安心したように安らかで、優しい笑顔だった。
あれから一時間ほど が経過した。
外で待つ大淀たちには大丈夫だったと説明し、解散してもらった。現在、この部屋にいるのは僕とサクラだけ。
サクラはまだ少し鼻をすすってはいるものの涙は止まったようだった。
声の方も違和感が消え去り、今朝と同じ声に戻っていた。
「ごめん、なさい。迷惑かけて」
「気にする事はない。 君はよくやったよ」
ベッドで横たわるサクラを看病するように僕は隣に椅子を置いて座っている。灯りはサクラの希望で付けていない。彼女の瞳に光は眩しすぎるようだ。
僕が声をかける度に笑顔になる彼女を見ているとなんだか救われたような気持ちになる。逆だろう。何故僕が彼女に救われているのだ。彼女を救わなければならないというのに。
「名前……」
「どうした?」
「名前で、呼んでください。君とかお前じゃなくて、サクラ……がいい」
「……サクラはよくやったよ」
布団に潜り込み顔を隠すサクラだが、悶絶したような声が漏れている。
なんだか少し恥ずかしくなって顔を逸らす。
締め切られていたカーテンを開けると窓の外には美しい満月と海が広がっていた。
語彙が欲しい