いつかの季節に 作:桃猫
「御苦労」
その声を聞いたとき、僕は動けなくなった。
肩は震え、顔は強ばり、声は出ない。
どうしてこんな所に、と聞きたかった。
「何故、元帥自らこんなところへ」
僕の聞きたいことは大淀が代弁してくれた。
大淀の反応は冷静なものに見えるが、その裏に隠しきれない動揺があるのは見て取れる。彼女が画策してのことではないのは確かだ。
「何、とある噂を耳に挟んでな」
嫌な考えが溢れて止まらない。
父の部下でさえ丸め込めるか不確定だと言うのに、父本人が来てしまうだなんて考えもしなかった。
サクラが見つからずにやり過ごすことは不可能に近い。かと言ってサクラを怪しまれずに父に紹介することも同じように、不可能だ。
このままサクラが見つかれば、どうなる。
深海棲艦側のスパイだと疑われ、人を裏切った者として僕は処罰されるのだろうか。父だけでなく、人類からも見放されて死ぬのだろうか。
──いや違う。
今考えるべきことは僕の事じゃないだろ。
ここでサクラが捕まれば彼女はどうなる。
どことも知らない研究施設に送られ、自由のない部屋に閉じ込められ壊れるまで実験と研究に付き合わされるのか。これまで以上の孤独と恐怖を僕は彼女に与えるというのか。
そんなこと、許されるはずがない。
サクラはどうなる。
サクラが逃げれる可能性は。
サクラを匿ってもらうように頼み込むのか。
サクラ、サクラサクラサクラ──
「殺風景な、部屋だ」
無駄なことばかり考え続け、時間を捨てた結果、僕たちはもう執務室まで到達してしまっていた。
「失礼、します」
そう言って扉を開いたのはこの場にはあまりに似つかわしくない少女の姿だった。
色素が全て抜け落ちてしまった長い髪。スラリと伸びた白磁の手足はなんだか血の気が足りていないようだ。
「司令官、ご挨拶に参りました」
彼女の紅い瞳に射抜かれ、体が固まる。
どうして、と声に出すことさえ出来ない。
だから心の中で悪態をつく。
似合わない。
君にそんな笑顔は似合わない。
禍々しい不気味な帽子も、化け物の口のようなその兵装も、ドレスのようなその服も。何もかも、似合わない。
似合わないから、やめてくれ。
「私、聞いてたんです。あの夜、大淀さんとお二人で話していましたよね。『あの人たちが戻ってくる』って」
「『サクラのことはどうするんだ』って」
「だから私、考えたんです。司令官は何も悪くありません。私は深海棲艦側のスパイであり、あなたを騙そうとして失敗した。そういう事なんです」
言え。
違う、と言え。
動いてくれ。
「ハジメマシテ、私ハ深海棲艦、駆逐棲姫。人間ニ惚レタ哀レナ化ケ物デス」
──ヤメロ!
「ゴ自由ニシテ下サイ」
微笑んだ彼女の笑顔はいつもの彼女と全く同じだ。
何も変わらない。彼女は深海棲艦なんかじゃない。艦娘だ。
海の脅威から僕たちを守ろうと戦う、可憐な少女だ。
「司令官、トッテモ素敵デス」
最後に見えたのはサクラの優しい笑顔だった。
◆
いつからだろう。
人の言うことを素直に受け取れなくなったのは。
いつからだろう。
暗い考えばかりが頭を過るようになったのは。
いつからだろう。
無駄な考え事をするようになったのは。
いつカラだろウ。
サクラのこトヲ好きにナッたのハ。
「……司令官?」
「ん、ぁ、あー、すまない。寝ていたか?」
「もう、なんで寝ちゃうんですか」
どうやら眠っていたようだ。
執務室の机に伏し、散らばった書類を枕にして。欠伸混じりに書類を手に取り、何となくでまとめていく。目に付いた書類に目を通したところで、相変わらず内容に興味は一切湧いてこない。
ここの子達が作成してくれたものだけに目を通せばそれでいい。
「で、確か敵さんに与えたダメージってのが……」
「そうですね、総大将とも言える人物とその周辺にいた戦艦級と軽巡級に加えてその他諸々ですね」
「おぉー、作戦は成功していたのか」
「はい!」と自信満々の様子を見ると心が安らぐ。
彼女の笑顔は出会った頃から何も変わらない。花のような笑顔、それが俺に向けられているとわかるだけで幸せな気持ちになれる。
「……今日はどうする?」
「んー、食堂にでも行きますか?」
「そうか、もうそんな時間か」
眠っていたからか、時間の感覚が多少おかしくなってしまった。時計に目をやると既に時刻は正午をとうに過ぎており、昼食時を逃してしまっていた。
椅子の軋む音を響かせ立ち上がり、伸びをする。彼女も釣られたのか、俺と同じような仕草で欠伸をする。
どんなときでも絵になるな、など当たり前のことを考え、執務室をあとにした。
「後で扉建て替えないとな……」
立て付けが悪くなってしまったらしく、ここの扉は開けるのにコツが必要になってしまった。コツが必要な扉など意味がわからない。
「提督。遅めのご飯ですね」
「ああ、昼寝してたらしくてな」
「……サボり」
「サボりではない」
食堂を出る際にすれ違い、言葉を交わす。以前ならありえない事だったが、今では違う。俺は皆とのコミュニケーションというものの大切さを知った。
一人一人の個性と向き合い、言葉を交わし、性格を知り、友好関係を築く。苦手意識を持っていたはずだと言うのに、いつの間にか克服され、それが好きになっていた。
皆との交流の時間は俺にとってかけがえのないものとなったのだ。
──待テ
──以前ッテナンダ?
「司令官、行きましょ?」
その声で我に返る。
──面倒な事を考えるのはよそう。
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