011 地上の柱と地下の塔
仕事を終え、昼間からコソコソと無事に帰還した都市の風景は赴く前とそう変わってないように見えた。なんだかんだと、少なくとも表面上は喧嘩をしている間柄である東北家やかわいらしくない後輩もなんだかんだで仕事をしてくれているようである。
しかし一見の雰囲気だけで決めつけるのは早計だ。自身の不在を明確に気取られてはいけない以上、即座に事を起こすのは宜しくないということもあるが、この都市はこのご時世において当たり前のことではあるものの一見さんには厳しく接する人が多い。自身もまたその一人であり、人が生死を伴った流動をする中にも大小様々なコミュニティが存在する。その枠組みの外から法を押しつける存在こそが自身、結月ゆかりであるのだが、対象となる人や集団を全く無視してよいということにはならないのである。
報酬の一つである葉巻に安っぽさが香る火を灯しながら、ゆかりは戻ってきてからのタスクを思案していた。まずは定期検診へと向かい、必要な資材を手に入れるところからだろうか。
◇
定期検診でいつもの小言を貰ったゆかりの懐にはいくつかの薬が補充されていた。その全てが緊急事態に備えるための解毒薬であり、この後の予定には危険や困難が伴うことを予期してのものだった。
現地にいた"機狂い"によれば、例の計画について解析を試みた結果、既存の法則性と合致する部分が見つかったのだという。しかし純粋に分量が少なく、また抽出元も出所不明のUSBストレージをフォーマットした際の残留物からサルベージしたとのことで、詳しい部分を省けば『どこから現れたのか分からない』とのことだった。しかしUSBの出所に関しては掴めたらしく、それはこの廃棄都市の地下、今は停止しているものの鉄道が張り巡らされ、電気網や水道管、通気口などが無秩序に拡張された広大な迷宮が広がっている場所からやってきたものらしいという所までは突き止められたとのことだった。
実のところ地下に行く用事を立てていたのはそこに情報があるという確信や直感があった訳ではない。しかし地下行きであれば準備に時間が掛かるために先手を打ったことに加えて、地下にもまたそこで暮らすボイスロイドが存在していることを知っているからであった。
思案をする足は目的地無く廃棄都市を彷徨い、1ヶ月ほど前に訪問していたある店へとゆかりを運んでいた。変わらぬ街を見て奇妙な安堵と感傷に浸りながら思索を続けていたゆかりは一旦中断し、街角にあるビルの1階へと昼間から吸い込まれていった。
「へい、あんた。今日は何が欲しい」
「ええ、これで一杯の珈琲と、あとは世間話でも」
「……なるほど、ならそこに座れ」
この店の「マスター」は健在であった。それに小さな安堵を覚えたゆかりは、その仕事によって手に入れたレーション、主に石飯や多少の葉巻に銃弾を店主に融通する。その対価として求めたのは世間話、相変わらず要求するものは渡した物に釣り合っていないように見えるが、ゆかりはそれでも良いと考えていた。潰れて貰ってはこの都市において貴重な店が少なくなってしまうから。またその他に求心力をつなぎ止める意味合いもあったが、一気に渡せば耳目を集めてしまう。その匙加減をゆかりはじっと見つめていた。
それに相対するマスターは冷や汗をかきながらも、店の奥へ続く一人席のテーブルを指し示す。しかしこれでは自身の席がないため予備の椅子を対岸へ配置し、二人は腰を落ち着けた。
「さて、お久しぶりです。前回は掃除の手間を取らせてしまいましたね」
「ああ全くだ。しかしそのおかげで最近は物騒な動きをする客は減った。だが来歴が同じような流れが増えている」
「へぇ……最近は西で実験がされているのか、キナ臭いんですよね」
「なるほどな、しかしそれにしても最近は物資の入りが良い。モノが動けば漏れ出すものだ、飯に困らないのは良いことなんだが、といっても人口が増えちゃ腹が減るし酒も進む。話し合いをすることも多くて敵わん」
ゆかりとマスターは互いに葉巻から煙を漂わせながら世間話を続けていく。断片だけ聞いても細部が理解されないような細工も施してはいるが、情報を選びながら詮索と不干渉を採択して交流をしていく。このやりとりは必要なものであって、ゆかりもマスターも慣れたものではあったが神経を磨り減らすことに変わりはなかった。
他にも何件かその手の店や情報屋に当たったところ、仕事に出た1ヶ月前から変化した事と言えば、まずは人が増えたことだ。通常の都市にとって人口増加とは望ましいことであるが、この都市に目を付けられてしまえば、まともな戦力も統治機構もないここは住民による奇妙な連帯感に頼った防衛しかできない。ある種の田舎社会といえるためあまりに変な存在は爪弾きにされるか迎合し隠れ住むことになるが、組織だって、あるいは意図せずとも自然と送り込まれるような構造を作れば都市に対する遠回しな攻撃となりうる。それが西か東かあるいは両方かは分からなかったが、気をつけなければならないとゆかりは考えていた。
もう一つは自身の"死神"に関する噂の状況だ。こちらは概ね平常通りであり、ゆかりがこの都市に居る時でも不定期に活動が活発になったり鈍化したりしているため、今回もそれに気づいている人は多くないようだ。しかし一定数は存在したようで、それは主に東北家が適度に間引いてくれていたようで恩に着る他ない。
この都市は例の計画、VOICEROID計画について調べるには絶好の場所だ、だから手放すということはあまりしたくない。決して一枚岩ではないものの目的が合致しているし、対立する姿勢も見せることで噂を多角化し煙に巻くことができる。この奇妙な関係の中に存在する人々は全員、それを詳しく知りたいと考えていた。
大局的に気の長い考えも巡らせるようになって何年経つだろうか。元はそうあれと思う短絡的な思考だったはずなのに、気づけば大ごとになっている。ゆかりは口から煙を細く吐いてから、水で戻した石飯をゆっくりと囓る。路地に染みこんだ刺激臭と煙の入り交じった香りを感じながら、ああ、戻ってきたんだなという時間がゆかりの中でようやく実感となっていった。
Tips:ゆかりさんは、物をとりあえすパーカーの内ポケットにいれる癖がある