廃棄都市の"死神"ゆかり   作:紲空現

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2021/05/25 細かな表現を修正。右左の間違いを修正


001 一杯の珈琲(コーヒー)

 朝方。街角、ひび割れたビルの1階から微かな喧噪が漏れ出していた。日光に照らされた都市の破片がもうもうと湧きたつ中、幾人もの住人が集い、水と食料を片手に情報を集めていた。

 そのざわめきは、しかしある人物が入店したことによって打ち破られる運命となった。カランコロンと鳴子が響き、入店を告げる合図が駆け巡る。この手の場所において便宜的に「マスター」と呼ばれる存在がその人物の元へと歩いていく。

 

「へい、あんた。今日は何が欲しい」

 

 その声に、緩慢な動作で手に持ったなにかを差し出すその人物。すっぽり覆ったフードはこの廃棄都市で別段珍しいものではなく、強いて言えばウサギの耳のような飾りがついているのが目立つ程度か。しかし誰一人として、それを追求するという無粋なことはしなかった。命が惜しいからだ。

 

「ええ、これで一杯の珈琲と葉巻、あとレーションを」

「へい……っと、こりゃあまた。もしかしてあんさんこそが……いや、いい。分かった。店にある極上のものを出してやる。好きな場所に座れ」

 

 フードを被った結月ゆかりが取り出したのは、マスターが今も携帯しているアサルトライフルの弾丸が入った箱。物々交換で成立している都市において価値あるものの一つ。この店は高価な食料を提供する対価として、当然ながらそれなりのものを要求する。しからば、食事を越える対価を提示する理由は、ここにおいてたった一つ。

 

 ワケあり、ということだ。

 

 それを理解した客たちは静かにざわめき、目をそらす。目を付けられたならば、明日には自分が客に提供されてもおかしくないからだ。この店に来られるほどの人たちは、それをよく理解していた。

 

 ゆかりが陣取ったのは、店の奥へ続く通路の一番近く、一人席のテーブル。それを目にした客達は、一斉に窓側へと蜘蛛の子を散らすように移動し、中には食料を雑に袋へ詰め退散するものまで居た。まるで、何かが起こることを予見するかのように。あるいは、それを期待するかのように。

 その中で、一人の住人がこそこそと声を掛ける。きっと元は善意の青年だったのだろう、深いしわが刻まれた中から鋭く純粋な目を覗かせる中年は、ゆかりに忠告する。

 

「あんた、命が惜しいのならここから離れた方がいい。今日はここに「死神」が来る日なんだ。まあ、そう名乗っているだけでここら一帯の中でちょっと有名なヤクザって程度だが、手が早いことで有名なんだ。あんた次第だが、気をつけた方がいい」

 

 その言葉に対して、ゆかりは平然と落ち着いているように努めつつ、断った。

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、私はここが気に入ったのです。だから離れることはしません。そしてなにより、私こそがここの法である以上、私以外の悪法が居ることは許容できません。人柄を見極めることにしましょう」

「……法? もしやあんたは」

 

 そこまで中年が言ったところで、ゆかりは口元にすらりとした人差し指をあてて黙らせる。沈黙の中、何も感じさせない表情で言葉を返した。

 

「そこまでです。さあ、自分の持ち場に帰りなさい。私の気が変わらないうちに」

「全部お見通しか。わかった、下がろう。あなたを一目見られて良かった」

「……なにも良いことなんてないのに」

 

 最後の呟きは男の耳に入ることはなかった。その男は隣のテーブルへと引き返していき、着席と同時に店の鳴子がけたたましい悲鳴をあげた。それと同時に入店する、身長2mはあろうかという巨人。そして、それをすっぽりと覆い隠すウサギ耳フードとマント。周囲の人間が一斉に目を向け、すぐに元の動作へと戻る。それだけでも、この存在が有名であることをありありと伝えていた。

 

「へい、あんた、今日は何が欲しい」

「俺は……いや。その前に。俺はあの席が欲しい。あそこに座っている俺のパチモンをさっさとどけろ」

「申し訳ねえ。客同士の喧嘩にマスターは関わらない。自分で場所を取ってくれ」

「ああそうかい。それなら、これでもくれてやるからとっとと飯の準備をしてくれ」

「あいよ」

 

 巨人が低く恐ろしげな声で、マスターに一升瓶を握らせる。そして、件の少女、ゆかりのもとへと巨躯の男がどかどかと歩を進め、眼前に立った。対するゆかりはまるで眼中にないかの如く珈琲を静かに堪能し、ほうと息を吐いていた。その様子を見て、巨人の額に筋が走り、俯いているゆかりの胸ぐらを左手で掴みながら大声で怒鳴った。

 

「おい! 俺がここの席の主なんだぞ! なに我が物顔でそこに座ってやがる。俺は"死神"なんだ! お前なんてこうだ!」

 

 男が一方的にまくし立て、ゆかりの身体を揺らす。手から珈琲の入ったカップが零れ落ち、テーブルを茶色に染め上げる。そのまま男が空いた手で、相変わらずうつむき続けるゆかりの頭を殴りつけようとしたが、その拳は外套から伸びる白く小さな手によって強制的に停止させられた。

 

「……あ?」

「"死神"はそんなに安い名前ではない。人の善意、あるいは取引を無碍(むげ)にする者は赦さない」

「なにをふざけたことを……ッツ! 何しやがるこのアマ!」

「なにと言われても、貴方(あなた)の手を締め上げているだけですよ」

 

 巨人の顔からは脂汗が噴出し、振り下ろしたはずの拳からはメキメキという嫌な音が辺りに響き渡る。

 

「貴方は私の名を騙った。貴方は私に害を為した。それは、私が法である以上、見過ごすことはあり得ません。だから私は貴方を赦さない」

 

 いつの間にか、ゆかりは立ち上がっていた。男を見上げているはずのその姿は、しかし男よりも大きく見えた。

 男がどれほど怒り狂おうと、その右腕を締め上げるゆかりの細腕はびくともしなかった。更には、珈琲を失ったことにより暇になった右手を男の頭へ伸ばし、無理矢理鷲掴みにして力を加える。男がもがくが、股間に膝を差し込まれ沈黙。そして、ゆかりは加える力をどんどんと増していく。男が何を喚こうが、懇願しようが、ゆかりは構うことなく力を加え続ける。やがて男の頭がひしゃげ、顔面が崩壊し、辺りに脳漿を垂れ流し、店内は沈黙した。

 

 

 ◇

 

 

 マスターに声を掛け手を洗った後、ゆかりは外へ出ていた。お気に入りなのだろう、そのウサギ耳のフード付きマントはあれだけのことがあったにもかかわらず一切汚れていなかった。

 掴まれた胸ぐらが伸びていないかひとしきり確認して安堵したあと、ゆかりは少女を装って町中に紛れていった。彼女が何を思っているのかは、しかし彼女自身が一番知らないことにしていた。だからこそ、彼女の本心以上にその細く黒い言葉がそれを語る。

 

「VOICEROID計画……奴らはどこに居る」

 

 彼女はソレを、自身を害したソレを追うべく、廃棄都市へと消えていった。


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