廃棄都市は、相変わらずの曇天に包まれていた。全てを覆い潰してくるかのような灰色の雲は住民だけでなく建物でさえ圧迫しているかのような錯覚を生み、時折の雨は汚染された空気を流し続ける。人が生きていくのには適さない土地、もはや見放された土地。それがこの廃棄都市だった。
実情について確認していたゆかりは、正午であることを
ゆかりは路地裏を目指していた。何食わぬ風で一歩踏み込むと、突然空気が張り詰めたようないやな感覚がして、ゆかりは少し顔を歪ませた。明らかに観察されていると分かるほど粘ついた空気は、まさかしみ出し続ける汚染物質が生み出す幻覚ではないだろう。しかしゆかりは歩を止めない。ここに用事があるから来たのであるし、ここでの行動は全て内密に噂されている。どこであれ、人は生き汚いものであることを"死神"の経験から確信していた。だからもう、逃げ帰ることはできない。
建物と建物の間、換気扇の下に小綺麗な露天商がいた。やけに気になるなと思いながらゆかりが商品をのぞき込むと、店主とおぼしき男性はゆかりへと語りかけてきた。
「なんだい、興味があるものではないだろう」
「いえ、ちょっとおもしろそうだなと思いまして」
「そりゃまた珍しいことで」
店に並べられている商品は、鉄パイプ、ガラクタの置物、昆虫、昔の硬貨など、まとまりがない。強いて言えばこの辺で手に入りやすいものであるというぐらいか。そんな中から、ゆかりはすぐに一つの商品を選び出し、その意を店主に伝えた。
「そうですね……それではこれを」
「ほう、この置物か。なにで支払う」
「ふむ。大体どのぐらいの価値があるんですか?」
そう問いかけると、店主はカカと笑ってから咳き込み、喉をなだめた後にニヤリと笑った。
「そうだな、こいつを作るのに2週間はかかった。この一角、西側第三区画って呼ばれてたあたりから掻き集めたジャンクから作り上げた一級品だ」
それを聞いて、ゆかりは確信した。やっぱりこれで正解だったのだと。だからこそゆかりは相応の対価を支払う。
「ほう、それはいいですね……ふむ、でしたら。最近は東の動きが活発になってきています。西から巨大兵器が投入されたとの情報もありますし、10年越しに奪還作戦が進展しているのでしょう」
「それはまた、価値のある情報だ。あんたのことだ、噂じゃないことは知っている」
「やはり知っていましたか。ではそれでは私から。今、"機狂い"はどこにいますか」
「だろうな。"機狂い"は西側第三区画、うち東の方。近日は活発、ただしテリトリーはその辺りだと特定した」
「なるほど、感謝します。今後とも良い関係を」
「ああ、よろしく頼む」
"機狂い"が活発だとすれば、少し機嫌が悪いのだろう。彼女はいつもそうだ。良く動く彼女は、相応のストレスを溜め込むと反動として動き始める。これは面倒なことになったなと、ポケットから取り出した葉巻を点火しながらゆかりは路地を早足で進んでいった。
◇
廃液のにおいが強くなってきた。そろそろかとゆかりが思ったところで、金属がひしゃげるような異音が耳に入っていた。その方向に目的の人物がいると確信したゆかりは、そちらへと向かう。床だけは綺麗なはずの
"機狂い"マキがそこにいた。
「探しましたよ、マキさん」
「んあ、ゆかりん。お久しぶり」
「お久しぶりです。今日は顔を見ておこうと思って来たんです」
「へえ……面白いものでもないと思うんだけど?」
「いやいや、今日も中々暴れているようで。それを壊すと困るのはマキさんの方では?」
一見なごやかな会話にも見えなくないが、状況とは乖離した調子だった。マキのすぐ前には壊れた掃除ロボットの半身。口元からは廃液を垂らしながら、一心にその金属を貪っているところだった。ゆかりはその直視しがたい光景を、しかしもう慣れてしまったがために平然と見つめながら、いつもの調子で語りかけていたのだった。
「いいのいいの。直すのも私だし、そもそも私が掃除屋みたいなところもあるから。というかゆかりんこそ、普段何食べてるの?」
「基本的には軍のレーションか水だけですね。そもそも燃料になる物ならなんでも良いとはいえ、自己修復をするわけでもないのに金属類は食べませんよ」
「なんだ、まだ人間に執着しているんじゃないか」
「……」
「まあ、ゆかりんのそういうところは嫌いじゃないよ。私はもう諦めているからね、だからこうしているんだ」
マキはそう言うと、手元のロボットに噛みついた。ガリゴリグチッという金属を砕き磨り潰すような異音が発せられ、黄色い髪と赤い服装を黒い廃液で汚していった。ひととおり食事が終わるまで、マキは、ゆかりは、互いに一言も話さず、ただ裏路地の日常を焼き直したかのような光景が時間を切り取っていった。
「……マキさん」
「なんだいゆかりん」
「私が、もし私が突然居なくなったら、どうしますか」
「また急にそんな事を言って。いつも回答は変わらないでしょ? 放っておくよ。今のように平穏な生活を送るよう努力する」
「……そうですか。やっぱり、マキさんは優しいですね」
「優しさでは生きていけないから、仕方ないよ。でも、優しさがなければ生きていけないからね」
「相変わらず、時々難解な言い回しをするんですね、マキさんは」
「まあそりゃあ、生死の境を彷徨い続けてるようなものだし」
ゆかりからみて、マキは特殊な友人だった。生きている場所も考えも確かに違うし、今回は友好的だけど対立することだって何回もあった。けれども互いに認める部分はある。それは、ゆかりにとっての貴重な感覚であったし、それはマキにとっても同様だった。マキも、ゆかりは相当な変人だと思っていた。人間に執着するところも、付けられた役割に固執するところも。
冷えてはいないが暖まりきらない雑談が続いたが、頃合いを見てゆかりが本来の目的を切り出した。
「それでは本題に入るんですけど、何か糸口はありましたか?」
「そうだねえ。進展はないかな。ある程度西のクソ人形は排除したけど完全じゃないし、東の密偵は戦局が悪くてまだ帰ってこれない」
「そう。私からコンタクトを取るのは難しいかしら」
「無理だね。私がそういう風に弄ってあるし、そもそもそれらは軍の従順な
「分かりました。それでは、私はそろそろ帰りますね。周囲の目も痛くなってきましたし」
「一番表だって活動しているのはゆかりんだからしょうがないね。それじゃあまたね、ゆかりん」
「ええ、マキさん」
互いに噂をされる身。ある程度は仕方がないとはいえ、頻繁なコンタクトは身を滅ぼす元になる。それぞれ相手が薄氷の上で生活していることを察している以上、止める必要はなかった。かくしてゆかりは再び表に立ち戻り、人に紛れるような生活を送る。
◇
帰り道。ゆったりと、しかし迷いなく路地を突き進んでいたゆかりは、突如訪れた直感を信じて飛び退いた。一瞬前までゆかりがいた場所には緑色の矢が突き刺さり、貫かれたコンクリートは緑色の餅へと変化していた。そしてその犯人は、何処へ消えたともしれないゆかりへと声を掛ける。
「何処へ行ったんですか? "死神"さん。あなたがさんざん妨害しているのは知っているんですよ?」
その声を聞いて、ゆかりは物陰から路地の中央へ移動し、建物の上をじっとにらみつけた。どうやら面倒なことになったらしい。袖から特注の拳銃を取り出して銃口を向けながら、ゆかりは考える。どうしてこう癖の強い人ばかりなのだろうかと。そして零れ落ちたゆかりのため息が合図となって、唐突な戦闘の火ぶたが切って落とされた。
Tips:マキさんはホームヘルパー用ロボットが一番美味しいと感じるらしい