地下室。あるいは死神の家。実際がそうであろうとなかろうと、都市の各地にある地下行きの階段から通じるその場所は、誰一人として近寄ろうとはしなかった。その場所はその名の通り死神がでるという噂があったし、そもそも汚染物質の掃き溜めとでも称せるほど、地下は劣悪な環境であることを住民達は知っていた。
そんな地獄への通行路に、人影があった。それらの噂の原因、結月ゆかりだった。鉄骨階段を微かな足音を引き連れて降りてくるその様子は、確かにあの恐ろしげなる存在であることを言外に知らしめているかのようであった。
無数にある自宅……とも呼べない一角へと到着したゆかりは警戒装置を確認し、招かざる客が一度たりとも入っていないことを把握し安堵する。そして目視でも周囲を確認したあと、入口を一時的に隠蔽した。室内へと入ってくる光が完全になくなり、いくら目が慣れようとも見通せない、本当の闇が生み出された。
ゆかりはため息を一つついたあと、懐からライトを取り出して天井のソケットに突き刺す。ゆかりによる適当工事だったものの、周囲は明るさを取り戻した。そしてゆかりはフードを脱ぎ、壁際の椅子へと腰掛け、どこかから修理道具を取り出して準備を整えた。
ゆかりは黙々と、お気に入りのフードを裁縫道具で修理していく。度重なる戦闘で傷んだ強化科学繊維は、特に数日前受けたずんだアローの痕が痛々しい。ゆかりは器用な手つきで切れた繊維を見つけ出しては、同じ素材の糸を近づけて接合し修理する。自動修復機能があるとはいえ、消滅した素材に関してはどこかから継ぎ足さないといけないため、ゆかりは面倒だと思いつつも貴重な素材を惜しげもなく投入する。そんな感じに素材の力頼みで作業したゆかりは、30分ほどで全面的な修理を終え、出来映えを見て一人つぶやく。
「ふう、終わりましたか。想定よりも派手に傷ついていたようですね……まあ、戦場では仕方のないことです。被害は減らしつつもとことん使い倒すのが防具として正しいあり方ですから」
ゆかりは口を閉じると、無音に身を任せようとした。しかし壁から跳ね返ってきた自身の声を聞いて、苦い顔をした。だがそれは一瞬のことで、ゆかりはすぐに次の作業へと取りかかる。辺りがずっと静かであったということは、自身が尾行された可能性も低い。
自身の置かれた状況が比較的安全だと判断したゆかりは、フードを丁寧に畳んで離れた場所にある机の上に置くと、残りの服も全て脱ぎ、一糸纏わぬ姿となった。そして自身の視界とリンクした手持ちカメラを使いつつ、自身の身体のメンテナンスへ入った。
まずは立ったままでも出来る点検として、頭の方から見ていく。ゆかりの繊細で硬質な髪は特に異常が見られず、衝撃を加えるとその柔軟さで力を受け止めつつ、しかし硬化した頭皮付近の髪があらゆる衝撃や実体の貫通を阻害する。顔もまた同様に、ぷにぷにと柔らかいものの強くつつけばまるで鋼鉄のような反応を返してきた。
首筋から肩に掛けても点検していく。食べたものでちゃんと修復されているのか基本的には傷一つ残っていないが、前に殴り飛ばした反動からか左肩の動きがおかしくなっている。外から触ってみると関節の位置が少しずれていた。だからじくじくとした痛みが残っていたのかと納得しつつ、右手で正しい場所に押し戻す。しばらく待機していると、肩の痛みは引いて動きも戻ってきたことをゆかりは確認した。
同様に点検を進めて行ったゆかりは、身体の各所にガタが来ていたことを認識した。身体は食べたものによって自動修復されるものの、それが絶対というわけでもない。骨折や脱臼など大きいケガについては、一般的な人間より治りは早いものの自分でそれを認識し修理する必要が出てくる。やはり面倒だなと思ったゆかりだったが、この体質にはずいぶんと助けられてきた。今後も付き合っていくしかないなと思いつつ、再び深いため息をつくことになった。
ごそごそと全ての服を着終わったゆかり。寒さ暑さには耐性があるためか鈍感なゆかりにとってはあまり感覚的な変化は感じなかったものの、防具としての意味も含めて、少しばかりの安心を獲得していた。
そして次は、銃のメンテナンスへと入っていく。特注品で、かつ職人が気難しい御仁だったためにかなり入手に苦労した銃だったことを思い出す。壊すと悲しいし、何よりその人にどやされてしまう。まあその分、文句のない仕上がりとなっているこの銃は、ゆかりが命を預けるに値するほど信頼している一品だった。
銃をオーバーホールし、全てを整えていく。隅々まで掃除し整備をしていく過程で、ゆかりはもんやりと、とりとめのない考えを巡らせて続けていた。
◇
ゆかりは全ての整備を終わらせて、一息ついた。身体の調子も良くなってきたようで、また動き回っても大丈夫だろう。そしてゆかりはふと、今の時刻はどうかと考えたが、しかしあてが存在しないことにすぐ思い当たって苦笑する。ここに日光はなく、鐘の音は日に一度きり。自身の感覚のみが正解になる地下空間は外の法則が通用しない。
そんなわけで、ゆかりは自分の腹事情に従って、ご飯を食べることにした。正確には朝食か昼食か夕食か夜食か、どれが正しいのかという確証はない。しかしお腹は減っているため、レーションをテーブルへ取り出し、水を口に含みつつ一緒に食べる。最近は致し方ないのかガチガチの固形物が主になっているが、同僚からの評判が最悪なことを除けば比較的どこでも流通しているため、食うには困らないとゆかりは考えていた。もっともこれは彼女の感想であって、普通の人間はじっくり水につけてふやかさないと歯が折れるほどの固さを誇る固体、"
最後のひとかけらをかみ砕き、水で流し込む。それからゆかりは、道中で拾ってきておいたジャンクパーツ群を取り出し、まるでデザートかの如く口へ放り込む。ガリゴリと歯で粉砕し、口内をケガしないよう注意しつつもどんどんと取り込んでいく。
ゆかりにとって、これはあまり嬉しい食べ物ではなかった。さっきの石飯はまだ人間が食べるものだったが、これは明らかに食べ物ではない。しかし自身の修復には金属類を取り込むことが最も効率のよい方法であったため、致し方ないことではあった。また、単純にしびれるようなまずさと口内に広がる腐臭が吐き気を誘発してくるというのもある。これを食べるマキさんはやっぱりどうかしているのではないかと、ゆかりはのんびりと考えていた。
金属類も摂取し終えて、ゆかりは外へ出ようと考えた。このままゆっくり眠っても良かったのだが、時間感覚がズレると表の世界では面倒なことになる。それを今までの経験から知っていたゆかりは、部屋の明かりを回収し、外へ向かった。
静かに隠蔽を解き、ゆかりは外へ出る。辺りは夕刻、人気はなし。運が良かったと感じたゆかりは、本日の寝床に出来るような別の家へ向けて移動し始めた。
その道中、一機のゴミ回収ロボがゆかりの元へと近づいてきた。その動きに違和感を覚えたゆかりは、人気の更に少ない場所へと移動しつつ、身構える。そして、ロボはゆかりの眼前で停止し、聞き覚えのある声を発し始めた。
「あーあー、そこの"幽霊"さん。お届け物だよ」
「この声は、"音楽家"ですね?」
「正解だよ。まあ手短に確認といこうか」
ゆかりが認識したのは、マキの声だった。互いに相手の状況が分からないため、もしものことを警戒して、有名ではない方の二つ名で確認をとる。それから相手が、確かに自身が思う人物なのだろうと確信できるまで雑談を楽しんだあと、マキはゆかりへ本題を告げ始めた。
「それで、今回はこっちに来て欲しい。重要な荷物でね。持たせようかとも考えたけどそれはやめにした」
「それほどまでに?」
「うん。詳しくはこっちで」
「わかりました、今すぐ向かいます。場所は何処ですか?」
「そうだね、先日から315に3ぐらい」
「なるほど、理解しました」
ゆかりはそれを聞き、マキの元へと急行した。フードの耳を揺らし、全速力で路地という迷路を駆け抜けていく。現在地点は先日の決闘から離れているため、同様にマキの現在地とも離れている。だからこそ、余り遅くならないようにと急ぐのだった。
ゆかりが到着したとき、マキは珍しくまっすぐに立ったままこちらを見ていた。そしてちょいちょいと手招きされ、マキが持つ拠点の一つ、密会所へと案内される。ここを使うからにはよほど重要な情報なのだろうと感じ取ったゆかりは、気を引き締めてマキの言葉を待った。
「さて、ゆかりん。今日呼んだのは他でもない。"VOICEROID計画"のデータと思しき断片を回収することに成功したからなんだ」
「……!」
それは衝撃的なことだった。あの計画について知ることは、ゆかりの目的において非常に重要な意味を持つ。
「そのデータがこれなんだけど……内容には暗号化が施されていて、私にはまだ解析出来ていないんだ。だから実は確証すらないんだよ。ごめんねゆかりん」
「いや、いいんですよ。回収できたのは間違いなくマキさんのおかげですから」
「そう言って貰えるとうれしいかな。それじゃ、見せるよ」
マキはそういうと、周囲をひととおり見渡した後に、手元のデータ端末にその文書を表示した……
◇
NCL QXZOLEN BMG GNMNLP UF NBZ NBZ NCXLL JZDX
BL EZDVCN SMFT VUXKG
BL BMFN FLB SUKUNMXT QZBLX BL BMFN ECLFVL NCL BMX MFP LFP NCL BMX
NCL KZFV KZFV BMX
◇
目の前には、異界の言語のようなものが広がっていた。それは、絶対にこの文書を、計画を、秘匿してやるという強い意志が込められているように二人には感じられた。
「これは……一体?」
「さあ、私にも何が書いてあるのかさっぱりでねぇ。ゆかりんもわからない?」
「ええ、流石にこれは……」
「何がしたかったのか、この文書は画像形式で保存されていたから文字を起こすことすらできなかった。そしてこれだけの情報では解読することすら私には困難だね。もっと情報があればいいんだけど……」
「私もこういうのを見つけたら連絡しますね」
「ありがとうゆかりん。これは確かにゆかりんの悲願に近づくだろうし、私にもメリットがあることだから。ゆかりんの夢が実現できるのなら、私だってうれしいもん」
「そんな大層なものではないですよ。まあ、その時が来たら連絡します」
「おっけー。電磁障害が強くて通信機器は使えないだろうから、その時はまた私を探して欲しいかな。双方危ないけど、データの重要性と危険性に比べたらなんてことはないしね」
「そうですね。それではマキさん、気をつけてくださいね」
「ゆかりんもね」
秘匿された情報、その内容は未だベールに包まれたままだったが、その存在を突き止めることはできた。ゆかりはそう結論づけて、また自身も情報を集めるため、更なる手段を講じることにした。
Tips:この都市では、煙草やお酒などの嗜好品も食事のカテゴリに含まれているらしい