それは、ヨシヒコが十六歳プラスαになる誕生日のことであった。
「……ヨシヒコ……ヨシヒコ……起きなさい。私のかわいいヨシヒコ」
優しく抱きしめるような母の声で、ヨシヒコは目を覚ました。
「おはよう、ヨシヒコ。もう朝ですよ」
そばに立っていた女性が、さらに優しく微笑む。ヨシヒコも微笑み返した。
「今日はとても大切な日。ヨシヒコが、初めて事件現場に行く日でしょ?」女はさらに笑みを深めて続けた。「この日のために、母さんはあなたを立派な刑事に育てたつもりです。さあ、母さんについてらっしゃい」
母に手を引かれ、ベッドから下りるヨシヒコ。そのまま部屋を出て、階段を下り、玄関から外へ出た。眩しい日の光に思わず目を閉じる。片手で光を遮りながらゆっくりと目を開けると、家の前の道を、多くの人たちが行き交っていた。黒や赤の四角いカバンを背負った子供たちが駆けて行き、お向かいのおばさんが玄関先をほうきで掃いている。お隣のご主人が両手に大きなゴミ袋を持って出てきて、その前をポニーテールの少女が通り過ぎる。年配の男性に連れられた犬が道端の石の柱におしっこをし、家の塀の上では猫が大あくびをして、屋根の上ではスズメがさえずっている。実に爽やかな朝だ。ヨシヒコは母に連れられて歩く。タバコ屋の角を曲がり、本屋の前を通り過ぎ、クリーニング店の前の交差点を渡ったところで、母は立ち止まった。
「ここからまっすぐ行くと事件現場の
ぽん、と背中を押されたヨシヒコは、雑居ビルが立ち並ぶ道路を歩いていった。道の先には海が見えている。しばらく歩くと、見覚えのある三人の姿。髭面の中年戦士と、モスグリーンのキャミソールワンピにマントを羽織った若い女と、金髪マッシュルームカットをしたインチキ臭い詐欺師のような風貌の魔術師だ。これまで幾度となく命がけの冒険を繰り広げてきたヨシヒコの仲間たちである。
ヨシヒコは三人の前に立った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……え、なにコレ?」詐欺師のような魔術師・メレブが戸惑った表情で言った。
「いや、私に訊かれても」首を傾けるヨシヒコ。
「ヨシヒコ、なんて格好してるの。口も臭いし」キャミソールワンピの女・ムラサキはあきれ果てた目を向け、鼻をつまんだ。
自分の姿を見るヨシヒコ。青と白の縞柄パジャマに大きな毛玉がついたナイトキャップをかぶり、枕を抱えている。
「朝起こされて、着替えもハミガキもさせてもらえずいきなり外に連れ出されましたからね。ワケがわかりません」
「さっきの女の人?」と、ムラサキ。「あれ、ヨシヒコのお母さん?」
「いえ、全然知らない人です」
メレブは大きくため息をつくと、空を見上げた。「ほとけー? どうせそこにいるんでしょー? これなにー?」
メレブが空に向かって話しかけると、空の一角が横長の長方形の形に真っ暗になった。まるで、そこだけくり抜かれたかのようである。その中央に『now connecting』という文字と、くるくる回る輪っかが表示された。しばらく見ていると画面がパッと明るくなり、パンチパーマのヤクザ風な男もとい大仏のような姿をした男が現れた。これまで何度もヨシヒコ達を冒険へと導いてきた、その名もズバリ
仏はガラス窓をつつくように指でトントンした後、「……え? これ、もう繋がってるの?」と、誰ともなしに言った。「これであいつらと話せるの? ビデオチャット? これで飲み会とかもできるの? オンライン飲み会? へぇ。便利な世の中になったもんだねぇ」
「……仏がいるのですか?」ヨシヒコはきょろきょろしながら言った。
「あ、そうか。ヨシくん、仏が見えないんだったね」
メレブは腰に付けていたウエストポーチをごそごそ探ると、厚紙のフレームに赤と青のセロファンを貼った立体眼鏡を取り出してヨシヒコに渡した。ヨシヒコはなぜか裸眼では仏の姿を見ることができず、こういった眼鏡をかける必要があるのだ。眼鏡をかけたヨシヒコにも、ようやく仏の姿が見える。もちろん立体眼鏡なので飛び出して見えるのだが。
仏は画面外の誰かさんと何度かやり取りをした後、えへんと咳払いをし、声を改めて話し始めた。「よく来た、刑事ヨシヒコとその仲間たちよ。この鼻熊町で殺人事件が起きた。そなたたちはその事件を捜査し、犯人を突き止めるのだ」
「……え、なに? どういうこと? 魔王を倒すとかじゃないの? っていうかここどこ?」メレブは立て続けに質問をぶつけた。
「だから、殺人事件の捜査って言ってるじゃん。えーっと……」仏は分厚い書類の束を取り出すと、パラパラとめくった。「そこは、地球という世界の、日本という国、兵庫県神戸市という街で……日付は……一九八五年十一月となってるね、うん。んで、その町に住む『ローンやまきん』の社長・
「その、耕造って人を刺した人が誰かを調べるために、聞き込みや取り調べをするのですか?」ヨシヒコは首を傾けた。
「そう。そういうこと。早く捜査始めて」
「…………」
「…………」
「教会で生き返らせて、誰に刺されたか直接本人に訊けば良いのでは?」
ヨシヒコの提案に、他の三人も大きく頷いた。
「あー。そうかそうか。うんうん。そうだね。君らがそう考えるのは当然だよね。うん」そう言った後、仏は顔の前でひらひらと手を振った。「でもね、それダメなの。できない」
「なぜです? それが一番手っ取り早いでしょう?」
「ダメダメ。君らの世界じゃそれが当たり前かもしれないけど、この世界は、死んだ人は生き返らないから」
「死んだ人が生き返らない!? それ、大変なことじゃないですか!!」思わず大声を上げるヨシヒコ。
仏は細かく何度もうなずく。「あー、うんうん。判る判る。驚くのも無理ないね、うん。判るよ。でもね、ダメだよ? 死んだ人教会に連れて行って『この人を生き返らせてください』なんて頼んだら。教会そんなことしないから、っていうかできないから。変な人だと思われるよ? ゲームばっかりしてるとこんな痛い大人になっちゃうのかって、ワイドショーとかで叩かれるよ? ゲーマーの立場がますます悪くなるよ?」
「教会で人が生き返らない……それは困りましたね」
「あ、そうだ」と、ムラサキが手を挙げた。「あたし、ザオリク使えるよ?」
仏が身を乗り出した。「残念でしたー。ゲームが始まったばかりだから君らは全員レベル1ですー。ザオリクは使えませんー」
「あ、俺たぶん世界樹の葉持ってるわ」ウエストポーチをごそごそ探るメレブ。
「あのさ。そういうのやめてくれる? 君らの世界のルールをこっちの世界に持ち込まないで」
「あったあった」メレブは世界樹の葉を取り出した。「さ、行こうか」
仏を無視して現場とやらに向かおうとした四人だったが。
「――仏ビーム!!」
仏が額のぽっち、正式名称を
ビームを受けた四人は、身動きができなくなった。
動けなくなった四人を満足そうに見つめる仏。「あのね、その『死んだ人を生き返らせて犯人を訊く』ってやつは、もう『ドラクエ探偵倶楽部』でやったの。若葉さんと美咲ちゃんがもうやってるの。同じネタ二回も使ったら、『あ、こいつ、ネタ不足で手抜きしてやんのー』って思われるでしょ? だから、もうこの話では使えないの。判った?」
何を言っているのか判らないし納得もできないが、ビームの影響で四人は反論できない。従うしかなかった。
仏はえへんと咳払いをすると、改めて言った。「では、刑事ヨシヒコとその仲間たちよ、旅立つがよい、じゃなかった、捜査を始めるがよい」
ビームから解放され、四人は仕方なく捜査を始めることにした。
事件現場へと向かっていると、途中、七三分けの髪型でスーツ姿の若い男が立っていた。いつもの習慣でヨシヒコが話しかけると。
「僕があなたの部下の
男は、爽やかに笑ってそう名乗った。
「……ヤスさん、ですか?」と、ヨシヒコ。
「はい。ヤスです」
「…………」
「…………」
「…………」
四人は少し後ろへ下がると、ヤスに背を向けてしゃがみこんだ。
「……犯人ですね」
「……犯人だね」
「……犯人だな」
声を潜めて話す四人。犯人はヤス――それは、ヨシヒコたちの世界に古くから伝わる伝承だ。これは絶対の真理であり、抗うことはできない。
「でも――」と、ムラサキ。「あたしらの世界のルールを持ち込むな、って、仏が言ってたから、いきなり逮捕はできなんじゃない?」
「だな」と、メレブが同意する。「それに、そのネタも、すでに『ドラクエ探偵倶楽部』でやったらしいからな」
「では、やはり地道に捜査するしかないわけですね――」諦め口調で言うと、ヨシヒコは立ち上がってヤスに声をかけた。「ではヤスさん。事件現場に行きましょう」
新たにヤスを加え、五人で事件現場へ向かおうとする。
しかし、なぜかヤスがついてこなかった。
「ヤスさん? どうしたんですか? 早く来てください?」
ヨシヒコが呼ぶが、ヤスは一歩も動かない。仕方がないので手を引いたり、あるいは担いで運ぼうとしてみたが、ヤスはまるで強力な接着剤で固定されているかのごとく動かなかった。何か特殊な力が働いているようだ。
メレブが空を見上げた。「ほとけー? ヤスが動いてくれないんだけど、どういうことー?」
再び空に文字と輪っかが浮かび上がり、仏の映像が映し出された。ヨシヒコは眼鏡をかける。
「なになに? うるさいなー」めんどくさそうな口調の仏。「ああ、お前らか。どう? ちゃんと捜査してる?」
「まだしてないよ。てか、捜査したいんだけど、ヤスが動いてくれないの」
「いや当たり前でしょ? 君らもう四人いるんだから新しく仲間にはできないでしょ? 五人以上で冒険するなら馬車がいるでしょ? そんなの常識でしょ?」仏は早口で言った。
「なんだよそれ。俺らの世界のルール持ち込むなって言ったの仏じゃん」
「いやいや、五人以上は馬車。これ、どこの世界でも共通のルールよ? 早く馬車を手に入れて捜査始めて? そこらにないの?」
そうは言っても、ヨシヒコたちはこの世界に来たばかりで、地理に詳しくない。
「ヤスくーん?」ムラサキが呼んだ。「この世界、馬車ってどこで手に入るの?」
「馬車ですか? 馬車はちょっと手に入らないと思いますね。五人以上で行動するなら、車がいいと思います」
「それって、どうすれば手に入る?」
「僕は車を持ってないので、どうしても必要なら買うしかないでしょうね」
「買うといくらするの?」
「ピンキリですが、まあ、百万円くらいです」
「ひゃ……百万!?」メレブが声を上げる。「俺ら65535ゴールドまでしか持てないから、そんなの買えるわけないじゃん」
「でも」とムラサキ。「いま、百万”円”って言ったから、あたしたちの世界と通貨が違うんじゃない?」
「ああ、そうか」頷いた後空を見上げるメレブ。「ほとけー? 百万円って何ゴールド?」
「もー、そんなの自分らで調べなよ」と言いつつ、仏は書類をめくった。「えーっと……今ひのきのぼうが10ゴールドで、こんぼうが30ゴールドだから……1ゴールド百円くらいで……百万円は1万ゴールドかな、うん」
「1万ゴールドか……」メレブは視線を戻した。「買えなくはなさそうだな」
「ヨシヒコ、いま、何ゴールド持ってる?」ムラサキがヨシヒコを見る。
ヨシヒコは財布の中のお金を取り出した。「50ゴールドです」
「…………」
「…………」
「…………」
呆れ顔でメレブはまた空を見た。「ほとけー? これじゃあ馬車買えないんだけど? もっとお金ちょーだい」
「いやダメでしょ。君らは冒険はじめたばかりなんだから。最初は50ゴールドにどうのつるぎとたびびとのふく。これも常識よ?」
「……何だよそれ。なんでそんな子供の小遣い程度のお金しか持たせてもらえないんだよ」
「考えてみたら、そんな資金と貧相な武器で魔王倒せとか言うんだから、ヒドイ話だよね、あたしらの世界って」ムラサキも呆れる。
「馬車が買えないとヤスさんを仲間にできないので、捜査ができません」ヨシヒコも仏に言った。
「判った判った。じゃあ、酒場に行って。えーっと……」さらに書類をめくる仏。「
そう言った後、仏は、「……まったくもう、最近の勇者一行はあれこれうるさいんだから……」と、ぶつぶつ文句を言いながら消えた。
「仲間を外せ、だって」メレブがみんなを見る。「誰が外れる?」
みんなの視線が、一斉にダンジョーに注がれた。
「お……俺か?」驚くダンジョー。
「だって、おっさんこの世界に来て一言も喋ってないし」と、ムラサキ。
「だな。まったく存在感が無いもんな」頷くメレブ
「いやいや、こういうのはちゃんと話し合って決めようぜ」ダンジョーは反対する。「俺がいないと、モンスターと戦う時に苦労するぞ?」
「いや、この世界、どう見てもモンスターとかいないでしょ」
ムラサキの言うことに、メレブも「うむ」と頷き、「モンスターがいなければ、ダンジョーは役に立たないもんな」
「じゃあ、お前らはどう役に立つっていうんだ」
ムラサキはAカップの胸を張った。「へへーん。実はあたし、推理小説とか二時間ドラマとか結構好きなの。推理マニアってヤツ? だから、こういう事件は、ちょっと詳しいんだよね」
続いて、メレブが鼻の横のホクロを得意げにいじる。「うむ、じつは俺も、以前古い書物を読んで八十年台の日本の文化に詳しいのだ。この知識は、きっと大きく役立つであろう」
「私は勇者ですから、一度クリアするまでパーティーから外すことはできません」最後にヨシヒコが言った。
と、いうことで、三対一でダンジョーが外れることが決まった。一行は一度新開地のスナックぱるへ行き、そこでパーティーからダンジョーを外すと、鼻熊町へ戻ってヤスを仲間にし、ようやく捜査を始めることができた。
事件現場へ向かうヨシヒコの後姿を、電柱の陰からひょっこり顔を出して見つめる人影があった。白い着物を着て、肩まで伸びた髪をピンクのヘアターバンで包んだ若い女だ。
女は心配げな表情でヨシヒコを見つめながら、
「
と、つぶやいた。