川村が住むというすみれ荘は、中心街からかなり外れたいかにも交通の便が悪そうな町の見るからに家賃が安そうなボロアパートだった。ヨシヒコたちが川村の部屋の前まで行くと、玄関のドアが開けっ放しにされており、部屋の中で男が血まみれで倒れていた。
「なんと、川村が!?」ヨシヒコたちの後ろで叫んだのは、いつの間にか合流していたヤスだった。
「しれっと戻ってきたな」ヤスに聞こえないよう、メレブは声を潜めてムラサキと話す。
「川村を殺しに行ってたんだ。ということは、やっぱ自殺でカタを付けようとするのかな?」
と言ってる側から、案の定ヤスは。
「もう逃げられないと観念し、自殺をしたのですね……」と言って、ヨシヒコを見た。「ボス、あっけない幕切れですが、これで事件は解決です。どうか捜査やめろと命令してください」
「ここで捜査をやめる刑事なんていない……とは言えないんだろうな」と、メレブが心配した通り
「捜査やめろ!!」
ヨシヒコは大きく宣言した。
「やっぱりな」
メレブとムラサキはため息をついた。
その後、捜査をやめようとするヨシヒコと、アホかお前はという仏の前回と同じようなやり取りを放っておき、ムラサキたちは現場検証を始めた。
川村をマークしていた二課から借りた写真と死体の顔を見比べるムラサキ。「死体は川村で間違いなさそうだね。まだ温かいから、殺されてそんなに時間は経ってないよ。首の後ろに鋭い刃物のようなもので刺したような傷がある。耕造と同じ殺され方だね」
「部屋に荒らされた形跡はないな」室内を調べていたメレブが言う。「物取りの犯行ではなさそうだ」
ムラサキも室内を見回した。「凶器は室内には無い。ドアも開けっ放し。これが、耕造の殺され方と違う点かな。犯人は、ちょっと焦ってたのかもしれないね」
現場で判ったことは以上だった。一行はひとまず署へ戻り、おこいを呼んで事情聴取をすることにした。
取調室でおこいを呼ぼうとすると、がちゃりとドアが開き、事務員ちゃんが入って来た。「小宮様が、事情聴取のときずっと背中を向けて話していたお嬢さん様にお話したいことがあるとのことです」
「そんな人ここにはいません」さらりと答えるムラサキ。
「お前のことだろ、妖怪背中胸女」と、メレブ。
「誰が妖怪背中胸女だ。あのジジイ、ぶん殴ってやろうか」
「やめろ。訴えられるぞ。どうする? おこいはこの後仕事があるらしいから、早めにしてくれって言ってるらしいけど」
「なら、あのジジイは待たせとこう」
「判りました」と言って、事務員ちゃんは出て行った。
入れ替わる形でおこいが入って来る。ムラサキたちは川村が何者かに殺されたことを告げ、何か心当たりがないかを訊いた。
「そういやあの人言うとったなあ」おこいは天井を見上げ、ゆっくりと思い出すような口調で言った。「洲本の沢木産業の詐欺が、耕造とやった一番大きな仕事や、て」
「沢木産業? 沢木……なんか聞いたことある名字だね」ムラサキはメレブを見た。
「そういやそうだな。誰だっけ?」
「えーっと、沢木沢木……」
ホワイトボードに目をやるムラサキ。すぐにその名が見つかった。
「沢木文江!? 文江ちゃんの名字だ!」思わず大声を上げる。
メレブは慌てた様子で手帳をめくった。「プロフィールによると、文江は洲本出身ってなってるぞ」
「あら、うち、いらんこと言いましたかいな」おこいは口元を押さえた。「そや。うち、舞台がありますよって。ほなさいなら」
おこいは勝手に帰ってしまったが、もはやそれどころではない。
「文江の実家が耕造と川村の詐欺被害に遭ってたとしたら、文江には二人を殺す動機がバリバリあるね」ムラサキは素早く推理をし、早口で言う。
「バカな!!」と、ヨシヒコが声を上げた。「文江さんは、そのようなことをする人ではない!」
「この期に及んでそんな感情論言ってんじゃねーよ!」
喧嘩になりそうな二人をメレブが止める。「まあ落ち着けムラサキ。ヨシヒコのいうことを支持する訳ではないが、今の段階では、名字が同じってだけだ。詐欺に遭った沢木産業というのが、文江の実家だという根拠は無いぞ? ちゃんと調べてみないと」
ムラサキは気持ちを落ち着かせるため、大きく深呼吸をした。「……そうだね。じゃあ、文江ちゃんを呼ぼう」
「では――」と、ヤスが言った。「文江に連絡してきます」
ヤスは部屋を出て行った。
「…………」
ムラサキは、無言で取調室内の電話機を見つめていた。
ヤスはすぐに戻ってきた。なにやら慌てている表情だ。「大変です! 文江が姿をくらませました!」
「なんだって!?」メレブが声を上げる「まさか、こちらの動きに感づいたのか?」
「でも、どうやって?」とムラサキ。
「いや、判らんが……」
ヨシヒコは信じられないという表情で頭を抱えた。「まさか、文江さんが……まさか……」
「ヨシヒコ、もうおふざけモードやってる場合じゃないよ? そろそろクライマックスだから」
「……ああ、そうだな」そう言うと、これまでと一転、ヨシヒコはシリアスな顔に戻った。
「ここであれこれ言ってても始まらないな」メレブが言う。「文江が姿をくらませたとは言っても、行くあては判らない。とりあえず、洲本に行ってみるしかないな。何か判るかもしれないし、ひょっとしたら、文江もいるかもしれない」
「そうだね」
すぐにヨシヒコたちは港へと向かった。
港は相変わらず多くの人でにぎわっていた。どうやら近くの魚市場でイベントをやっているらしく、即売会やマグロの解体ショーなどを目当てに人が集まっているらしい。
神戸港から洲本港へは高速艇が運航しているが、次の便まで少し時間があるようだった。念のため、ムラサキは乗船券売り場の係員に文江の写真を見せてみた。
「ああ、この人でしたら、一時間ぐらい前にチケットを買われましたね」売り場のおばちゃんは笑顔で教えてくれた。「ひとつ前の船に乗られたんじゃないですか?」
「やっぱり、文江ちゃんは洲本へ向かったんだ。どんな様子でしたか?」
「そうねぇ? ちょっと暗い感じだったってだけですかねぇ? お客さんは他にもいますし……すみませんね」
ムラサキたちは礼を言った。一応魚市場の方まで足を運んで聞き込みをし、数件の目撃情報を得られた。文江が港へ来たのは間違いなさそうだ。やがて時間となったので、ヨシヒコたちは高速艇に乗り、洲本へと向かった。
魚市場のイベント会場で、ヒサはまな板の上に置かれた丸々一尾のマグロを前にし、せいなるナイフを構えた。次の瞬間、しゅぱぱぱぱーん、と閃光が走る。すると、マグロは大皿いっぱいのお刺身盛りへと姿を変えた。見物人から大きな歓声と拍手が送られる。
「……兄様、泳げないのに海へ出て大丈夫かしら……ヒサは心配です」
ヒサはふきんでナイフを拭いながらつぶやいた。