神戸から一時間ほどで洲本へ到着したヨシヒコたち。神戸と違い人は少なく、のどかな雰囲気の町だ。ヨシヒコたちは港で従業員たちに聞き込みをしてみたが、文江の目撃情報は得られなかった。もっとも、乗船時と違いチケットを買ったりするわけではないから、足早に通り過ぎれば従業員の記憶に残らなくても無理はない。目撃情報が無いからと言って、文江が洲本に来ていないとは言い切れなかった。
「さて、これからどうする?」と、メレブ。「港での文江の目撃情報は得られなかったが、神戸で乗船券を買っているから洲本に来ている可能性は高い。文江の実家があった場所へ行ってみるか?」
「耕造と川村がやったっていう沢木産業の詐欺事件についても調べる必要があるよ?」ムラサキが言う。「洲本の警察署に行ったら、詳しく判るんじゃないかな?」
「ボス、残念ですが、あまり時間はありません」と、ヤス。「神戸へ戻る船は八時が最終便だそうです。いま六時ですから、捜査時間は二時間ほど。文江の実家と洲本署、両方へ行くのはムリですよ?」
「そうか」と、ヨシヒコは腕を組み、しばらく考えた後言った。「なら、文江さんの実家へ行ってみよう。文江さんが洲本へ来ているなら立ち寄るだろうし、聞き込みをすれば、詐欺事件についても判るかもしれない」
ということで、一行は文江の実家があった場所へ向かうことにした。
「……てかさ、あたしたちが事件の捜査を始めたのって、朝だったよね」途中、ムラサキが首を傾けながら言った。
「そうだが?」と、メレブが答える。
「いま夕方の六時で、ここまで夜になったような描写も無いから、日付は変わってないってこと?」
「そうなるな」
「あたしたち現場検証して事情聴取して俊之を逮捕して京都にまで行ったのに、あれ、全部今日一日の出来事なの?」
「そういうことになるな」
「随分濃密な一日だったね。てか、いくらなんでもムリじゃね?」
「そうとも限るまい。ジャック・バウワーなんか、もっと濃密な二十四時間を過ごしているぞ。しかも一度だけじゃなく何度も」
「ああ、そうか。そうだね」
「いや、今の説明で納得するな」
などと話しながら移動すること三十分。ヨシヒコたちは文江の実家があったという場所までやってきた。今は空き地となっており、手入れが行き届いていないようで雑草が生えまくっている。さっそく手分けして聞き込みを始めると、すぐに重大な話を聞くことができた。向かいに住むいかにもおしゃべりが好きそうなおばちゃんが昔の話をしてくれたのだ。それによると、十五年前ここには沢木産業という小さな会社があり、そこに文江という小さな女の子が確かにいたそうだ。
「――文江ちゃんはほんま可哀相な子でした。お父さんの会社が、詐欺で倒産してしまいましてね」
おばちゃんの証言を、メレブは手帳にさらさらと書き込む。「うむ。やはり、耕造と川村の詐欺被害に遭った沢木産業というのは、文江の実家で間違いなさそうだな」
「そだね」ムラサキは頷いた後、おばちゃんに質問する。「その詐欺事件について、詳しい話はご存知ですか?」
「さあ……? 手形詐欺というのは聞いてますが、あたしらその辺は素人ですから、よう判りませんわ。ただ、犯人は結局捕まらなかったっていうのは聞いてます」
「そうですか……」
「ほんで、その詐欺事件がきっかけで会社は大きく傾いてしまいまして、お父さんが家に灯油をまいて火を点けて、一家心中をしようとしたんです」
「一家心中……」向かいの空き地を見るムラサキ。実家があったという場所が荒れ放題になっているのを見てなんとなくイヤな予感はしていたが、やはりそうだったのか。
「幸い文江ちゃんは助かったんですが、その後は親戚の家へ引き取られて、お兄さんとも離れ離れ」
「え!?」と、ムラサキは声を上げた。「文江ちゃんに、お兄さんがいたんですか?」
「ええ。文江ちゃんの家は、お父さんお母さんと、もう一人、お兄さんとの四人暮らしでした」
「そのお兄さんは、どんな方でした!?」
「どんな方、と言われましてもねぇ……もう十五年前ですからよう思い出せません。名前は……なんていいましたかいな? すんまへん、忘れてしまいましたわ。あ、でも、確か、肩に蝶々みたいな形の痣がある子でした」
「蝶々の形をした痣……」
名前も覚えてないのになぜそんな変なことを覚えているのかというツッコミは胸の奥にしまい、ムラサキたちはおばちゃんに礼を言った。
「これは、大きな情報だな」メレブが手帳を見ながらホクロを撫でる。「文江は、耕造と川村の詐欺被害で倒産した沢木産業の娘だった。そして、文江には兄がいる」
「耕造と川村を殺す動機としては充分すぎるね。あとは、文江に殺害が可能かどうかだけど……」
「ムラサキ、メレブさん――」他の場所で聞き込みをしていたヨシヒコとヤスが戻ってきた。「文江さんを目撃した人はいませんね。ここには来ていないのかもしれません」
「でも、神戸の乗船券売り場では、文江ちゃんがチケットを買ったって」と、ムラサキ
「乗船券を買っただけで、船に乗っていないとも考えられるぞ?」メレブが言う。「我々を洲本へ向かわせて、逃走の時間を稼ぐとか」
「うーん。考えられなくもないか」
「ボス――」ヤスが腕時計を見ながら言う。「もう港へ戻らないと、帰りの船に乗り遅れます。これ以上捜査を続ける場合は、ここで一泊する必要があります」
「いや、もう充分な情報を得られただろう。一旦、署へ戻ろう」
ヨシヒコの意見にムラサキたちも同意し、一行は港へと向かった。
「あーあ。オメーがまともなルーラを使えれば、もっと時間をかけて捜査できたのに」ムラサキは非難するような目でメレブを見た。
「何を言う。ルーラを使えないのは、お前やヨシヒコも同じではないか」
「キメラのつばさを買ってくれば良かったですね」と、ヨシヒコ。「あれがあれば、移動がスムーズになって、徒歩よりずっと捜査が楽だったのに」
「え? あたしらって、今までずっと徒歩で移動してたの?」ムラサキが口元に手を当てた。
「電車と船以外はそうだな。車も馬車も無いんだから」メレブが答える。「ていうか、今さら何言ってんだ」
「いや、徒歩であちこち移動してたわりには、今日一日でずいぶんたくさんの場所で捜査したなって思って。てか、いくらなんでもムリじゃね?」
「……それはもう気にするな」
などと話しながら、一行は船に乗って神戸へ戻った。
「――では、ここまでの捜査状況を整理してみましょう」
署の取調室に戻ったヨシヒコたちは、ホワイトボードの前に集まった。
「まず、耕造の昔の詐欺仲間だった川村は、何者かに殺された」ムラサキは川村の項目に大きく×をした。「殺され方は耕造と同じ。耕造と川村は淡路島の洲本で詐欺行為を行っており、それに恨みを持つ者の犯行である可能性が高い」
「耕造と川村が詐欺を働いたのは洲本の沢木産業という小さな会社だ」メレブがホワイトボードに『沢木産業』と書き込み、そこから文江の項目まで線を引っ張った。「この沢木産業というのは、耕造の秘書である沢木文江の実家だった。文江の両親は詐欺事件をきっかけに自殺。文江は、耕造と川村を強く憎んでいた可能性がある」
「以上のことから推理すると――」ムラサキが説明を引き取る。「耕造と川村は洲本で沢木産業に詐欺行為を働いた。それが原因で沢木産業は倒産、文江の両親は自殺した。そのことで強い憎しみを抱いた文江は、耕造の会社へ就職し、復讐の機会を伺っていた。そして、今月十七日の夜、決行」
「しかし――」と、ヨシヒコが口を挟む。「文江さんには事件当時のアリバイがあります。耕造が殺害された時間、文江さんは英会話教室に行っていたと証言し、ウラも取れています。文江さんに、耕造は殺せません」
「そこで浮かび上がって来るのが、文江の兄の存在だ」メレブは文江の項目の横に『兄』と書いた。「文江の実家の近所に住むおばちゃんの話によると、肩に蝶々の形をした痣があるらしい。それ以外は、名前さえ不明だな」
「文江ちゃんが耕造たちに恨みを抱いているなら、当然、そのお兄さんも同じく耕造たちを恨んでいるはず……実行犯は、そのお兄さんなのかもしれないね」ムラサキは、『兄』の文字の上に『犯人?』と書いた。
「文江の兄を探しますか?」と、ヤスが言う。「しかし、なんの手がかりもありません」
「…………」
「…………」
「…………」
みんなの視線が、ヤスに集まった。
「……なんでしょうか?」困惑した表情のヤス。
「ううん、なんでもない」ムラサキがコホンと咳ばらいをした。「文江ちゃんも現在行方不明。実家に戻ってる様子はなく、どこにいるか手がかりは無い」
「……と、まあこんな所だな」メレブがヨシヒコを見た。「かなり事件の全容が見えてきたが、これからどうする?」
「とにかく、今は文江さんを探しましょう。時間はかかるでしょうが、文江さんが行きそうな場所をしらみつぶしに調べたり、地道に聞き込みするしかありません」
ドアがノックされ、がちゃりとドアが開いた。いつもの事務員ちゃんだ。
「あのー、小宮様がずっと、胸無しのお嬢さん様をお待ちなんですが」
「そんな人ここにはいません」さらりと答えるムラサキ。
「お前のことだ色気がつかない無乳ださん。そういや、小宮のことすっかり忘れてたな」
「呼べ。耕造の元へ送ってやる」
いきなりザラキの呪文を唱えそうなムラサキをなんとかなだめ、小宮から話を聞くこととなった。
取調室の椅子に座った小宮は、机の上に丸めた紙を置いた。「以前、旦那さまからお預かりしていた地下室の地図のことを思い出しまして」
「今さらそんなモン持って来ても意味ねーんだよクソが。現場検証の前に持ってきやがれ」
ムラサキは小宮を睨みつけた。怯えた表情になる小宮。
「失礼、胸のことを悪く言われると本性を表すもので。拝見します」メレブは詫びた後、地図を広げた。「ははぁ、こんな感じになってたんですね……おや、ここが何かおかしいですね」
メレブは地図の中央付近を指さした。地下迷宮は一面びっしり通路が張り巡らされているのだが、そこだけ不自然な空間がある。
「そうなんです」小宮が頷いた。「それで思い出したのですが、旦那様が生きてらっしゃた頃、夜中に書斎から変な叫び声が聞こえることがあったんです。あれは、一体なんだったのか」
「だから、そういうことは最初から言えよ。おかげでもう一回あのめんどくせーダンジョンに行かなきゃいけねーだろ。てか、雇い主の叫び声を聞いたのに何もしねーとかありえんだろ。事件の日は鍵かけ忘れて飲みに行くし、今ごろ地図を持ってくるし、ホント、守衛としても参考人としても役に立たねージジイだな」
ムラサキの言葉に、小宮は泣き出してしまった。
「老い先短い年寄りを泣かすな」メレブは呆れ声で言った。「で、どうする? 他に手がかりもないし、行ってみるか?」
「しゃーねーな。おいジジィ。今度から気を付けるんだぞ」
ヨシヒコたちは泣きじゃくる小宮を残し、再び耕造の屋敷の地下迷宮へ向かった。一度目は散々迷ったものの、今度は地図がある為迷うことなく目的の場所までたどり着けた。
「地図によると、この辺だね」ムラサキは周辺の壁を叩いた。一か所だけ、他と音が違う場所がある。「やっぱり中は空洞のようだね。でも、どうやって入るんだろ?」
メレブが「……フッフッフ」と意味ありげに笑った。「そうか。あの謎のメッセージは、そういうことだったのか」
「メッセージ?」
「ああ。『もんすたあ さぷらいずど ゆう』だ」
「あれはただのお遊びじゃない?」
「そう思わせておいて、実は深い謎が隠されていたのだ。あのメッセージは『MONSTER SURPRIZED YOU』つまり『モンスターはあなたを驚かせた』だ。これは、俺らの世界で言う『○○はいきなり襲いかかってきた』に相当する」
「それで?」
「この『MONSTER SURPRIZED YOU』が使われている世界では、ダンジョン内の任意の場所へ移動できる呪文、いやスペルがある。それを使えば、閉ざされた場所へも簡単に行くことができるのだ。そして、どうやらこの瞬間、俺はそのスペルを取得したようだ。いや、自分の才能が恐ろしい」
「さすがです、メレブさん!」ヨシヒコはいつものように目を輝かせる。「使ってください。ぜひそのスペルを使ってください!!」
「でも、あれは危険じゃない?」とムラサキ。「失敗したら、『*いしのなかにいる*』だよ? あのメッセージに、どれだけ多くの冒険者が絶望したことか」
「だが、危険を冒さねば先へ進めない。大丈夫だ。俺を信じろ」
そう言うと、メレブは目を閉じ、精神を集中し始めた。
そして。
「マロール!!」
呪文を叫ぶ。ぱらりろりろり、と音がして。
「…………」
「…………」
「…………」
しかし、何も起きない。
――と思ったら、ゴゴゴ、と、重い音がして、目の前の壁が、ゆっくりとせり上がった。
「そうか!」と、ヨシヒコが手を叩いた。「守衛の小宮が聞いた叫び声とは、隠し扉を開けるためのものだったのですね!」
イジワルそうな目でメレブを見るムラサキ。「オメーの呪文も、たまには役に立つな」
「ま、まあな。実は、これを狙っていたのだ」メレブはドヤ顔で言ったが、その声は震えていた。
一行は隠し部屋を調べた。といっても、中はぽつんとひとつ金庫があるだけだった。借用書をしまっていた金庫と違い、複数のダイヤルを組み合わせる必要がある防盗専用の金庫だ。鍵も無ければ番号も判らないが、ムラサキがアバカムの呪文を唱えると簡単に開いた。中には、日記帳が一冊入っていた。
「……これだけのダンジョンに隠し部屋と防盗専用金庫とダミーの金庫まで用意して、隠していたのが日記帳って、どんだけ恥ずかしがり屋さんなんだよ耕造は」
あきれ果てた口調で言いながら日記帳を開くムラサキ。パラパラとめくりつつ読んでいく。
「……この日記によると、耕造は文恵が沢木産業の娘であることを知ってたみたいだね」
「え? 知ってて雇ったってことか?」メレブが目を丸くした
「そうだね。ほら」と、ムラサキはみんなに日記帳を見せた。「取り返しのつかないことをしてしまった、沢木の娘に罪滅ぼしがしたい、と、そんなことが延々と書かれてるよ。そのため、心を鬼にしてお金を貯めて、文江に残したい、とも」
ムラサキはヨシヒコに日記を渡した。ヨシヒコは日記を一通り見ると、次はメレブに渡す。メレブも一通り見て、ヤスに渡した。ヤスは、食い入るようにして日記を読み、やがてゆっくりと閉じた。
「ねえ、ヤスくん」ムラサキがヤスの顔を覗き込んだ。「もし、文江ちゃんのお兄さんが犯人だったとして、このことを知ったら、どう思うかな?」
「え……? さ……さあ? 僕に訊かれても判りませんが……」
「そう……。ま、いいや。とりあえず、署に戻ろうか」
一行は地下迷宮を出て、署へと戻った。
「というか、ムラサキの言うまま思わず署へ戻ってしまったが、文江を探さなくて大丈夫なのか?」取調室に入ったところでメレブが言った。
「大丈夫よ」とムラサキが言う。「もう、謎はすべて解けたから」
「なに? ホントか?」
「ええ。すぐに関係者を集めて。由貴子ちゃんやクソジジイやおこいさんはもちろん、逮捕された俊之と売人、ついでに、寺蛇屋の女将さんや洲本のおばちゃんも」
「その中に、犯人がいるのか?」
「ううん、いないよ」
「……じゃあ、なんで呼ぶ必要がある」
「だって、みんなの前で謎解きを披露するのが名探偵の醍醐味じゃん。できるだけ大勢集めないと」
「いつから名探偵になったんだお前は」
「しょうがないでしょ。ヨシヒコがふざけてばかりで何もしないから、もう実質あたしが主人公でしょ、コレ」
「まあそうだが。もう遅い時間だからみんなを呼ぶのはムリだ。ここにいる人間だけでガマンしろ」
「判ったわよ。しょうがないな」ムラサキは咳払いをすると、ヤスを見た。「ヤスくん? あなた、京都から戻ってすぐ後、あたしたちと別行動したよね? あの時、なにしてたの?」
「え……? あれは、由貴子のアリバイについての聞き込みです。そうお伝えしましたよね?」
「確かにそう聞いた。でも、ホントに聞き込みをしたかどうかは、別行動していたあたしたちには判らない。ちなみに、ヤスくんが別行動をしていたちょうどその時間に川村が殺されてる。これは偶然かな?」
「そ……それはそうですよ。もしかして、僕を疑ってるんですか?」
「さあ? どうかな?」ムラサキはとぼけたように首を傾けた。「でも、もうひとつ不審なことがあるの。おこいさんから、耕造と川村がやった沢木産業への詐欺の話を聞いた後、文江ちゃんを呼ぶため、ヤスくんが文江ちゃんに電話したよね? あの時、ヤスくんはすぐに戻ってきて、『文江が姿をくらませた』と言ったの。おかしいよね? 一回電話が通じなかったくらいで、なんでいきなり、姿をくらませたと思ったの? ただ出掛けているだけかもしれないし、めんどくさいから電話に出なかっただけかもしれない。お風呂に入っていて電話に出られなかったのかもしれないし、寝ていて気が付かなかっただけかもしれない。なのに、ヤスくんは姿をくらましたと断言した。これはなぜ?」
「それは……ちょっと早とちりしたというか……」
「それに、ヤスくんは文江ちゃんを呼び出す際、わざわざ取調室から出て行ったの。電話なら、この部屋にもあるのに。何か、あたしたちに聞かれたくないことがあったんじゃないの?」
「聞かれたくないことって、なんですか……?」
「ヤスくんは、沢木産業の詐欺の件で文江ちゃんが取調べされるのを恐れ、呼び出すふりをして逃げるように伝えた、違う?」
「そんな!? なぜ僕がそんなことを!? 僕が文江を逃がす理由なんて無いでしょう!?」
「それが、あるのよ。なぜなら……」
ムラサキは一度ヤスに背を向け、たっぷりと力を溜めた後、勢いよく振り返り、バシッ! と、ヤスを指さした。
「あなたが、文江ちゃんのお兄さんだからよ!!」
ばしばしばし!! と、会心の一撃の音が鳴る。ムラサキは、この瞬間こそが名探偵最大の見せ場とばかりに、恍惚の表情を浮かべた。
「ぼ……僕が文江の兄……!? な……なにを証拠に……そんなことを……」
「それは簡単な理屈よ。ヤスくんの他に、文江ちゃんのお兄さんだと思われる人が登場していないから」
「…………」
「…………」
「…………」
「……は?」
ヤスだけでなく、みんなが一斉に目を丸くした。
「だってそうでしょ? 最後に全然知らない人がひょっこり登場して『僕が文江の兄で犯人でーす』なんて、誰も納得しないでしょ?」
「おいおい」と、ツッコむメレブ。「途中までなかなかの推理だったのに、急に適当な感じになったぞ」
「いいじゃん別に。たぶん当たってるし」ムラサキはヤスに視線を戻した。「まあ、もしヤスくんが違うと言うなら、証明するのは簡単よ? 服を脱いで、肩を見せればいいの。文江ちゃんのお兄さんには、肩に蝶の痣があったらしいから」
「…………」
沈黙するヤス。その顔は、明らかに動揺している。
「ヤス、服を脱ぐんだ」メレブが言った。
「そんな……」ヤスは助けを求めるようにヨシヒコを見たが。
「……ヤスさん、服を脱いでください」ヨシヒコも促した。
「ボ……ボスまで……わ、判りました」
ヤスは観念したような表情で言うと、ゆっくりと、上着とシャツを脱いだ。その右肩には、くっきりと、蝶の形をした赤い痣があった。
ヤスは大きく息を吐くと、小さく笑ってヨシヒコを見た。「さすがです、ボス。見事な推理でした」
「いや、推理したのあたしだっつーの」自分を指さすムラサキ。
ヤスは構わず続ける。「そうです。僕が文江の兄です。耕造と川村を殺したのも、確かにこの僕です」
「動機は、自殺に追い込まれた両親の復讐ですか?」ヨシヒコは問う。
「そうです。両親を自殺に追い込んだあの二人が許せなかったんです。あの晩、書斎で耕造を殺した後、部屋にあった鍵で、外からドアに鍵をかけました」
「しかし、ドアは内側から鍵が刺し込まれていました。これでは、外から鍵をかけることはできません。これを、どう説明しますか?」
「それは……」と言い淀むヤス。この場にいるみんな、その答えは判っているのだが、それでも、ヤスから話し始めるのを待った。
ヤスはためらいの表情を浮かべたまま沈黙を続ける。
そのとき。
「――そこから先は、あたしがお話します」
ドアが開き、入って来た人物を見て、ヨシヒコたちは息を飲んだ。姿をくらませていた文江だった。
「文江!! お前は逃げろって!!」ヤスが声を上げるが。
「お兄ちゃんは黙ってて!」
文江はぴしゃりと言った。その目に、以前事情聴取した時のどこかおどおどしたような様子は無い。強い決意を感じる目をしていた。
文江は、一度目を閉じてゆっくりと息を吐くと、落ち着いた様子で話し始めた。「お兄ちゃんが耕造を殺し、部屋に鍵をかけた後、あたしは鍵を受け取りました。翌朝、屋敷を訪ね、守衛の小宮さんにドアをこじ開けてもらい、二人で中に入りました。そして、小宮さんが遺体を見て驚いているスキに、内側から鍵を刺し込んだのです」
「……現場検証の時のヨシヒコの推理、大当たりだったな」メレブはムラサキに向かって小声で言った。
「だね」と、ムラサキは頷く。「そのあとの取り調べのとき、この点をもっと強く追及していたら、すぐに事件は解決したかもしれないね」
「ヨシヒコが美人に弱かったせいで、ムダに事件を長引かせちゃったわけか」
やれやれ、と、二人は肩をすくめた。
「ボス、これが全てです」出会った時と同じく、爽やかに笑うヤス。それは、どこか吹っ切れたような笑顔だった。
だが、その表情がふいに曇った。「でも、皮肉なものですね。殺してから、耕造が後悔していたことが判るなんて」
「もし、耕造を殺す前に彼の胸の内を知っていたら、殺すのをやめましたか?」
ヨシヒコの問いに、ヤスは少しの間うつむいて考えていたが、やがて言った。「判りません。それでも殺したかもしれませんし、殺すのをやめたかもしれません。どちらにしても、今となってはどうしようもないことですね」
そう言った後、ヤスは文江を見た。「すまなかったな、文江。こんなことにお前を巻き込んで。僕は兄失格だ」
「そんなことない! 元々耕造に復讐したいと言い出したのはあたしなんだし。お兄ちゃんは、あたしの代わりに手を汚してくれたんだもん」
「文江……」
ヤスは、妹に向かって両手を広げた。
「お兄ちゃん!」
文江がヤスの胸に飛び込んだ。
「文江!」
ヤスが文江を抱きしめる。
「文江さん!」
ヨシヒコが文江に抱きつく。
「いや、オメーは加わるな」
ムラサキに襟首を掴まれ、ヨシヒコはズルズルと引きはがされた。
抱き合う兄妹の姿を、ヨシヒコたちは、しばらく温かい目で見守っていた。
「さて、これで事件は解決ですね」ヨシヒコがぱんっと手を叩いた。「あとは、二人の身柄を警察に引き渡して、仏に報告すれば終了です。では、行きましょう」
部屋を出ようと、ドアノブに手を伸ばすヨシヒコ。
そこへ、文江が駆けてきた。
それに気が付いたヨシヒコが振り返った。
ヨシヒコと文江が、ぶつかった。
その途端。
ヨシヒコの腹に、鋭い痛みが走った。
――なんだ?
腹を見ると、ナイフが刺さっていた。
「え……?」
訳が判らなかった。答えを求めるように文江を見る。
「……あは?」
ヨシヒコと目が合うと、文江は無邪気な子供のような声で笑った。だがその顔に浮かぶのは、どこか狂気を感じる笑顔だった。
ヨシヒコの腹に刺さったナイフは、文江の手に握られている。
だが、それの意味するところを、ヨシヒコは理解できない。一体何が起こっているのか、全く判らない。
ムラサキも、メレブも、ヨシヒコ同様何が起こったのか理解できず、ただ立ち尽くしている。
ヤスは――。
ヤスの顔からは、全ての表情が消えていた。ただ目の前の様子を、なんの意志も持たない瞳で見つめている。
文江がナイフを引き抜いた。再び鋭い痛みが走り、思わずヨシヒコの口から呻き声が洩れる。腹から血が溢れ、床を濡らした。
「あは……あはは……あはははははははははは!!」
文江が、それまでの姿からは想像もできないような狂った笑い声を上げる。
――私は、文江さんに刺されたのか……。
ようやくそれを理解したヨシヒコ。文江からナイフを奪い取ろうと手を伸ばす。
だが、足の力が抜け、崩れ落ちるように倒れた。起き上がろうとしてもできなかった。腹から溢れ出す血は止まらない。じわじわと床へ広がっていく。流れた血の分だけ、ヨシヒコは力を失っていく。もう、顔を上げるのがやっとだ。
「ちょっとあんた! なにしてるの!?」
ムラサキが動いた。文江を取り押さえようとする。ヨシヒコは、よせ、と叫ぼうとしたが、できなかった。もう、声すら出せない。
ムラサキが文江の肩に手をかけようとした。その瞬間、文江は振り向きざまにナイフを横薙ぎに払った。ムラサキの喉が、ぱっくりと裂けた。少し遅れて、勢いよく血が噴き出す。その飛沫が、文江の顔にかかる。壁やドアにも飛沫が飛ぶ。ムラサキは両手で喉を押さえるが、そんなもので止まるはずもない。やがて、ムラサキも崩れるように倒れた。
――なんだこれは?
文江がメレブを見た。怯え、情けない声を上げるメレブ。文江は音もなく近づくと、怯えて何もできないメレブの胸に、無言でナイフを突き立てた。メレブは、どさりとその場に倒れた。
「――あはははははははははははははは!!」
取調室内に、文江の狂気じみた笑い声が響き渡る。
――なにが起こってるんだ?
判らない。もう、ヨシヒコには考える力も残っていない。
文江がヨシヒコを振り向いた。
ヨシヒコの血が付いたナイフを持ち、ムラサキの血を浴びた顔で笑い、メレブの血を踏んで、こちらへ来る。
ヤスは、心が無くなったような表情で、ただ文江を見つめている。
――なぜ、こうなった?
文江がヨシヒコのそばに立った。見下ろしている。
――判らない。なぜこんなことになったのか、私には判らない。
文江は、もう一度大声で笑うと。
――これを読んだ皆さん。どうか、この謎を解いてください。
ヨシヒコの首に、ナイフを突き刺した。
――それだけが、私の願いです。