高校の教室、昼休み。
いつも通りに朝礼を受けて、いつも通りに授業を受けて、いつも通り昼休みになってしまった。
「…………はぁ」
「今日ため息多いな。何回目だ?」
「いや……」
はぁ、ともう一度もれそうになったため息を呑み込んで、代わりに愚痴を吐き出す。
「仲良くないひとに話しかけないといけないミッションが発生してるんだが……めんどくさくって……」
「マ? くそだるいやつじゃん。誰よ」
「二組の軽井沢とか柿川とか、あのへん」
「……誰? いや待て。……はいはい。小倉の友達かなんかだな?」
「そそ。葵の友達」
「はーん」
「聞いていいのかわからないんだけど、どういう奴?」
「デリケートな奴っちゃデリケートな奴だけど、まぁ別に……? 来週頭くらいに葵が復学する予定なんだけど、まぁフォローよろしくねってお願いしとくだけかな」
「マ? 超めでたいじゃん」
「そうそう」
葵と光輝は同じ二組で、俺は三組。
わからないひとにはわからないのだろうが、隣のクラスに行って、誰かに話しかけるというのはそれなりにハードルの高い行為だ。
「めんどくさい」
「まぁなぁ」
「十分休憩はちょっとハードルが高すぎたけど……もう昼休みだし、昼休憩の間になんとかするわ……」
「行くことは確定事項なあたり善人だよなお前」
「だって自分のことじゃないし……」
「そういうところだよ」
うるせぇ、と言いつつお弁当を口に運ぶ。
はぁ……たこさんウィンナーが美味しい……。
ひっそりと、教室のドアの陰から覗き見る。
目当ての人物たちは、教室で机をかこって歓談をしているようだった。
「……」
「いや行かねーのかよ」
「うるさい。というかついてこなくていい」
「俺の苗字忘れたのか? 小判鮫だぞ」
「生き様まで小判鮫にならなくてもよくない……?」
「ふん……」
ついてきていた小判鮫とほそぼそと会話をしていた。
しかしまぁ、身を隠すとは言っても、のぞき込んでいる以上教室の中からは見える。深淵をのぞくとき深淵もこちらをのぞいている理論である。
「──何してんの? 誰かに用?」
そんなわけで二組の男子から話しかけられて、小判鮫ともども、二人でびくっと目を泳がせ始める。
「…………えっと。あー」
知らないひとに話しかけられると何を言えばわからなくなってどもる陰キャ!
彼らとコミュニケーションをとるためには、察する能力が必要不可欠だ!
「……あぁ、軽井沢?」
無言の首肯。
名も知らぬ二組の男子Aはコミュ障と仲良くなる才能があった。
「軽井沢ー。お客さん。
真鍋弟。
つまりは俺のことだが、そのワードが出た瞬間クラスの空気がピリついたような気がした。
ただの被害妄想かもしれない。
でも真鍋光輝は、クラスの中でも明るい存在だっただろうというのは想像に難くないし、そもそもクラスメイトが亡くなったという事実だけで気を重くするには十分だろうと思う。
それが理由で、学校を休んだ人間がクラスメイトにもいるという事実は、同じ教室で過ごす彼らにとっても気持ちのいいことではないだろう。
「やっほ~。あゆあゆ~」
「……なんか用?」
葵と仲のいい友達は、二人いる。
軽井沢夏海と、柿川美羽。
ちょっとぶすっとした顔をしているつり目女子は、軽井沢。口調が強めなので、彼女と話しているとちょっとびびり倒して失禁してしまう。
のほほんとした口調でやってきたのは、柿川さん。身長百八十を超える超大物であるが、口調が優しく人当りがいいので、めっちゃ話やすいコミュ障の味方である。
「どうしたの~?」
「いやえっと……」
「後ろの子は~小判鮫くん~」
なんで僕の名前知ってるんだ……と小判鮫がコミュ障を発揮し、小判のように縮こまる。
ちょっと前に一回話してたような気もするが、まぁコミュ障特有の〈自分は名前覚えられないのに向こうが覚えてる事実にびびり倒す現象〉である。
「えっとですね……──」
「葵のこと?」
会話に応じたのは、軽井沢女子だった。
コミュ障の敵ではあるが、俺の敵ではないのがミソである。
会話のリードをしてくれるので、意外と話やすいし、まぁ葵の友達が悪い子なわけがないという先入観に基づき好感度は結構高い。
「そう。はい」
「どうかしたの?」
「ちょっと状況がですね。変わったと申しますか……」
「……場所変えましょうか。ついてきて」
「はい」
この通り、デリケートな話題とみると場所も変えてくれるいい子なのである。
「それで?」
場所改まって、空き教室。
面子は先ほどと同じ、ツンドラ優しい軽井沢女子と、ゆるふわ高身長柿川さん。それから俺と小判鮫である。
「葵が来週くらいに復学予定だから……一応伝えておこうと思って、みたいな」
「それほんと? 大丈夫なの?」
「わぁ、嬉しいね~」
「……嬉しいけど! でも……大丈夫なの?」
「んー……」
大丈夫かどうか、と聞かれるとなんとも言えなくて唸ってしまう。
すると、内情を最もわかっていない傍観者であるなんで来たのかわからない小判鮫が、まぬけ面で疑問を口にする。
「なんか、問題あんの? めでたいことじゃね?」
馬鹿め!
「ふっつーに、休んだ最初のころにお見舞い行ったら、お見舞いもだめって言われたのよね。精神が不安定だから会わせられない──って葵のママに。もう大丈夫なの?」
「……微妙だけど、まぁ、マシくらい?」
「あ~、だからフォローしてくれってこと~?」
「そう。それ」
「って言われても具体的にどうしてほしいの? いい感じにってこと?」
「んー……」
めちゃめちゃ言いづらくて、口ごもる。
けれど口にしないと話が進まないので、頭をぽりぽり掻きながら話しはじめる。
「まぁ、ここにいる全員、うちの兄貴が死んでから具体的にどうって話知らないと思うんだけど」
「……」
「葵が病んだ、ってことだけしか知らないと思うんだよな」
担任の先生にも病んだという事実くらいしか伝わっておらず、本当の内情を知っているのは俺くらいのものだった。
デリカシーのない連中が冗談半分で聞いてきたりもしたが、彼女らや、光輝の友人たちがそういう連中を黙らせてくれたので助かったことを覚えている。
彼らは善人だから俺のことも放っておいてくれて、ただ静かに、そっとしてくれた。
いい奴の周りにはいい奴が集まるんだなぁと、あの日実感したものである。
「んで、まぁ、具体的に言うと、俺の名前とか光輝の名前を安易に出すと吐く。それか過呼吸とか」
「……マジで言ってる?」
「最初期はマジでそんなんだった。最近割と安定してるけど、まぁ……スイッチを押したら普通に学校でもあり得るかな……」
「……なんで、名前出すだけでそうなっちゃうの~? あゆあゆの名前がトリガーになるがわからないんだけど~?」
「そこなんだよな……」
一番言いづらいところで、一番めんどくさいところだった。
「葵、俺のこと『コウくん』って言うんだよ」
「……マジで言ってる?」
「マジ」
「……アンタ、大丈夫? つらくない? お兄さんが亡くなったばかりでつらいでしょうに……本当に大丈夫?」
「まぁ、ホラー映画見てて自分よりびびってる人がいると冷静になる理論で、まぁ、別に……」
「そんなわけないでしょ」
大丈夫? って聞かれたから大丈夫って答えて否定されるのバグじゃないか?
「……とりあえずそれはいいんだよ。ただ問題なのは……その状態で登校して、クラスで……まぁトリガーになりそうなものなんていくらでもあると思うんだよな。サッカー部のマネージャーしてたって事実だけで吐きそうに前なってたし。なんでもやばそうなんだよ」
「それ登校していい状態じゃなくない?」
「出席日数の問題~? あと、単純に様子見かな~?」
「そうそれ」
理解力の高い聞き手は、話をしていてとても楽だ。
うちの高校は六十日欠席で留年が確定する。まぁまだセーフラインだが、最近は落ち着いてきているので一回様子見がてら登校してもいいんじゃないかという話になったのだ。
「まぁ最近はほんとに安定……うん。まぁ、うん」
「すごくだめそう~」
「ぶっちゃけ安定してたんだけど、最近またぶり返してるっぽいっていうか……不安定期に戻ってきたというか……でもそれでも最初期よりはだいぶマシで、本人も『行く』って言ってるから、みたいな」
「……うん。オッケーわかった」
「まかせて~」
「とりあえずサッカー部には退部届出しておくわ。まぁ文句は言わせないし。あとはクラスの連中へちょっと言い聞かせてとく。これもまぁ……ある程度はなんとかなるでしょ」
「まぁそっちは私がなんとかするよ~。私の得意分野~」
「むぐ。まぁ美羽のほうが向いてるか……お願い」
割と難しいことを頼んだ自覚はある。
だがそれを当たり前のように「任せて」と言ってくるあたり、本当に人間関係には恵まれていた。
俺が、というよりは光輝と葵だが。
あれやこれやととんとん拍子に話が進んでいっていて、人間力の差を見せつけられて俺と小判鮫は「ほえ~」となるしかできない。
少しの間ぼけーっと見守っていると、軽井沢と目が合って、キッと睨まれる。
え、何。
「
「……?」
「………………繰り返しになるし余計なお世話かもしれないけどアンタもしんどかったら他人を頼っていいんだからね」
「あぁ、うん。ありがとう」
「よしよし~」
「?!」
高身長女子柿川さんに頭をなでりなでりことされ、驚きに脳を停止させることしかできない。
高低差を利用するのはズル。
「とにかく! ……これで言うことは言ったから。フォローよろしく」
「歩、アンタちゃんと泣いた?」
話続けんのかよ。
「葵のこともいいけど……ちゃんと泣いて。ちゃんと悲しんで。ちゃんと、前向きなさいよね」
「……余計なお世話かもしれないけど~。あおちゃんだけじゃなくって、あゆあゆのことも心配なんだぜ~」
そうは言っても──
「……」
と、口を開きかけて、閉じる。
「……わかった。ありがとう」
「……」
「……」
「ま、まぁ教室戻ろうぜ? ほら……そろそろ休み時間終わるし?」
「……そうね」
小判鮫の提案に、軽井沢がうなずく。
今日はじめて小判鮫がいてよかったと思った。
じゃあまたあとで、という軽井沢に、あとがあるのか……と恐々としつつ見送って、男二人になる。
「……ふー。よし。ようやくリア充がいなくなったな。僕あんまり知らないひとと話すと死んでしまうんだよな。危ないところだった」
「わかる」
「まーかなりしんどい感じだとは思うけど、僕も愚痴くらいは聞いてやるし」
「ほー」
「まぁアドバイスなんて僕にはできないが、壁にくらいはなれるんだぜ」
「ふーん」
「話聞いてる?」
「聞いてない」
「こいつ……!」
どうでもいい話をしているととても心が落ち着く。
まぁ、軽井沢の申し出はありがたかったが、親しくない相手に愚痴を言うほどこっちはコミュニケーション能力が高くないのだ。
いいひとなのはわかるが、個人的な話をするかどうかは、まったく違う話である。
「ぶっちゃけ、悲しくないわけではないんだよ」
「まぁそりゃそうだよな」
「ただあんまり……まだ実感わいてないっていうのと、それどころじゃないっていうのと……悲しいのが麻痺してるのかなって感じはないこともないのかなって」
「ふーん」
「泣けるもんなら俺も泣いてみたいね」
「なるほどね」
「本当に相槌するだけの壁じゃん」
「アドバイスとか求めてないだろ?」
「うん」
「ところで泣きたいならとっておきのホラーがあってですね。泣きながら小便まき散らすこと間違いない一品ですがいかがですか?」
「普通に嫌だわ」
二人で馬鹿笑いしつつ、そのまま「授業さぼっちゃう?」と話をしつつ、でも怒られるのが嫌だったので教室に戻って授業を受けたりなどした。