ヤンデレ幼馴染に恋人だと勘違いされる話   作:夜桜さくら

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彼女は甘い紅茶が好きだった

 涙が出ない、というのはそれほどおかしなことなのだろうか。

 家族。家族。家族……。

 遺伝子が同じ、双子の兄弟。

 大切だった。俺のアイスを食ったり俺のゲームのセーブデータ吹っ飛ばしたりなどといったことで喧嘩をした記憶もあるが、大切な家族だった。

 でも泣けない。

 別に、悲しくないわけじゃない。

 静かになった食卓に寂しさを感じたり、もうかけることはない光輝の連絡先を見たり、家に帰ってると無性に寂しくなったことだってある。

 ただ泣けない。

 深夜、俺に隠れて涙を流す母親を見て、猛烈に胸が締め付けられたりもした。さめざめと泣いている葵を見て、ただただ悲しかった。

 けど泣けない。

 

 ……実のところ、俺はそんなに兄の死を悲しんでいないんじゃないかと思って、泣きたくなる。

 

 でもやっぱり、泣けないんだ。

 

 


 

 

 カリカリ、と葵がノートにペンを走らせている。

 俺の部屋で、葵と向き合って勉強会をしていた。なんだかんだ放置していた学業面、復学の前に急ピッチで叩き込んでいるところである。

 

「ぬぐぐ……」

「……休憩する?」

「大丈夫」

 

 ふわふわとした髪は簡素にローサイドで一つにくくられていて、真剣なまなざしはノートに注がれている。

 

「別に、まぁ大事だけど根詰めないようにな。そんなどうしようもなくついていけないってこともそんなにないだろうし」

「でもせっかく夏海ちゃんたちがノートとってくれたし、ちゃんと勉強しないのは悪いよ」

「まぁ」

 

 その通り過ぎるので何とも言えなくなる。

 来週から、葵は学校に復帰するという予定はそのままだった。

 でもまぁ、まだまだ不安は残っている。

 先日軽井沢と柿川に「最近また不安定になってきたらしくて……」と伝えていた、その件である。

 なお、らしいというのは……俺にはよくわからないからだ。

 

『葵。最近また調子悪いみたいで……部屋で泣いてるみたいなのよね。ご飯も全然食べないし……』

 

 葵のお母さんがこんなことを前に言っていたから、あぁそうなんだ、となっているだけ。俺目線では……朝から晩まで、すごく普通に見える。

 勉強してるシーンを見ていても、凄く普通に、真面目に、勉強を進めている。

 朝食はいつも通り質素だが、勉強しながらときどきお茶菓子をパクついているし、食欲がないようにも見えない。常に笑みを浮かべているし、泣いていると言われてもあまり想像ができなかった。

 

「? どうかした?」

 

 そんなことを考えながら葵を見ていると、柔らかな笑みを浮かべた彼女が問いかけてくる。

 俺はなんでもない、と返して自分も復習がてら数学の問題集とにらめっこをする。

 

「…………」

「…………」

 

 学校に通っているからと言って、授業を受けているからと言って、それでテスト満点取れるはずはない。

 テストというのは、差をつくるためにするものだ。

 全員が満点をとるテストに意味はなく、全員が零点をとるテストにも意味はない。

 

「……?」

 

 問題集を見て、そして解答を見て、首をひねる。

 解答を見て経緯のすべてに察しがつくなら、どれだけ楽だろうか。

 たいていどのような物事においてもそうだが、結果を見て、過程を考えるものだ。

 過程というのは理由付けに近い。

 このようなことが起こっているから、おそらくこうである、という推測。

 

「…………七番の問題?」

「ん、あぁ」

 

 葵は、俺の前にあるノートと問題集を見て首をかしげる。

 

「ちょっと見せて」

「ん」

「…………あぁ、うん。……ひとりで大丈夫? 私これわかるけど」

「え?」

「……?」

「え? これ割と最近習ったやつ……」

「そうだね」

 

 そうだねじゃないが。

 まぁ今日いきなり勉強をスタートしたわけじゃなく、数日前にまとめて軽井沢から受け取ったノートを渡したので、予習していてもおかしくはないと思うのだが……。

 

「勉強凄い勢いで進んでない?」

「数学は一番暗記が少ないから。それに、パズルみたいでちょっと面白いし」

「地頭の差を見せつけられてる」

「えー。単純に数学最初にやったからだよ。社会とか英語、国語……化学も暗記だから苦手……」

「あーまぁそう言われると……数学は一番追いつきやすいのか……?」

「そうそう。お休みはしてたけど、別に一年丸々とかっていうわけでもないしね。暗記じゃないなら別に」

「…………いやいや」

 

 葵の本気を見た。

 当たり前のように言っているのが、凄い。

 才能がどうとかっていうのは、努力をしないことへの言い訳ともとれるが……それでも頭の使い方というのは天性のものがあるように思える。

 葵は基本的に、物事の本質を捉えることが上手いのか、勉強の効率がいい。

 

「やるなぁ」

「……ええと。自分で解く?」

「あ、いえ。教えてください、先生」

「ふふ。よろしい」

 

 軽く身を乗り出して、ここがこうで──と。

 指差しつつ、途中式を書き出してもらいつつ、ゆっくり教えてもらう。

 葵先生はかわいい。

 

「……わかる?」

「わからないけどとりあえず考えてみる」

「ふふ、そっか。がんばって」

「うん」

 

 難しいなぁ、と思いながらチョコレート菓子をつまんで、紅茶を飲む。

 おやつ万歳。

 くどいくらいの甘さを、少し苦い紅茶で流し込むのは好きだった。

 

「……そういえばさぁ」

「……?」

「葵って結構甘党だったと思うんだけど、ストレートで飲むようになったのいつからだっけ、紅茶。今日も自分の砂糖入れてない?」

「あぁ、うん。入れてないかな」

 

 葵はくすりと笑みを浮かべる。

 

「少し前に、あつくて苦い紅茶を飲んで、なんとなく、かな……。ほら、私がちょっと…………泣いてたときに、紅茶淹れてくれたでしょ。あのときから」

「……俺の話?」

「そうだよ」

「最近の話だ」

「そうだよ」

 

 ひと月前の、光輝がいなくなって葵が一番やばかった時期。

 なんか元気づけたいと思って、紅茶を水筒に入れてもっていった。

 

「あれ、たぶん。ティーバッグ押しつぶすとか、抽出時間凄く長かったか、何かしてたよね? 普通に淹れるのの二割増しくらい苦かった気がする」

「え、まじ?」

「うん。私が普段甘いのばっかり飲んでたっていうのもあるかもだけど、あんまり苦いから笑っちゃったんだよね」

「え。あのときちょっと笑ってたのそういう……?!」

「うん」

 

 もうなんだか懐かしいなぁ……と葵は目を閉じて、当時のことを振り返っていた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 空虚、というのはおそらくこういうことを言うのだろう。

 ただ何もかもが無機質に感じられて、何も考えられなくて、ただ涙が流れていく。

 何かがあった気がする。

 何か忘れちゃいけないことがあった気がする。

 何か覚えていてはいけないことがあった気がする。

 

 何も、わからない。

 

「コウくん……」

 

 大好きな幼馴染に会いたい、と思った。

 そうすればきっと、この伽藍洞が埋まるという確信があった。

 でもどうしてだろう。彼の名前を呼ぶと、胸がきゅーっと苦しくなる。

 

 まるで恋をしてるみたいだな、なんて。

 

「ふ、ふふ……」

 

 なんだかおかしくなってしまって、笑みがこぼれる。

 何もしていないと気が狂いそうで、でも何もしたくない。

 

 わけもわからず、涙が出てくる。

 何が悲しいのかもわからないけど、孤独を感じる。何か、大切なものをなくしてしまったかのように。

 

 だけど本当に苦しくて、切なくて、しんどくて。

 

 たすけてほしい、とそう思って──

 

「葵。入るよ」

 

 大好きな彼の声が、聞こえた。

 

「葵……」

「コウくん」

「────」

 

 彼の顔を見る前に、すがるように、抱き着く。

 決して枯れることのない涙がまたとめどなくあふれてきて、彼の服が湿っていく。

 

「……大丈夫。大丈夫だから」

「コウくん……」

「大丈夫」

「コウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくんコウくん……たすけて。苦しいの。……たすけて」

「うん。大丈夫。大丈夫だから……」

 

 優しく、彼の手が頭に触れて、それがたまらなく嬉しくて頭をぐりぐりと彼に押し付ける。

 すすり泣く私の声に合わせて、「大丈夫だよ」と撫でられる。

 それがたまらなく安心できて、彼に触れている瞬間だけ、空虚さが薄れるようだった。

 

「ひとりにしないで」

「うん」

「いなくならないで」

「うん」

「たすけて」

「うん」

「さみしい」

「うん」

「苦しい……」

「うん……大丈夫」

 

 十分、あるいは一時間、もしかしたらほんの数十秒の出来事かもしれない。

 体感時間もよくわからなくて、でもぎゅーっと抱き着いていると、少しずつ安心感がわいてきた。

 あぁ、私はいま一人じゃないんだって。

 

「…………ごめん。ごめんね、コウくん」

「いいよ、別に」

 

 本当なら、顔を見ればわかるはずだった。

 光輝と歩は、顔のつくりは同じだが、表情のつくり方がやっぱり違う。

 声の出し方、歩き方、笑い方。

 双子でも、全然──コウくんとアユくんは、全然違う。

 

 でもわからなかった。

 

 顔を、見ていなかったんだと思う。

 見たくないものから、目をそらす。

 そういう残酷なことを、自覚もなく、していた。

 

「私、なにか変なんだ」

「そう? そうかもね」

「うん。変なの。すごくつらいの。コウくん何か知ってる?」

「……さぁ? 俺にはよくわからないな」

「そう……そっか」

「でも大丈夫だよ。葵は……大丈夫だよ」

「そうかな……涙もね、止まんなくて……ごめんね、汚しちゃった……」

 

 ずび、と鼻をすする葵に、そのへんに置いてあったティッシュを箱ごと渡す。

 まぁ彼の服は、涙だけではなく鼻水もついており、無残なことになっていた。

 

「いいよ別に。……そう、でも、水分補給はしたほうがいいかな。紅茶淹れてきたんだ」

「ほんと?」

「飲む?」

「うん」

 

 彼は持ってきていた荷物から水筒を取り出して、こぽこぽとカップに紅茶を注ぐ。

 きれいな、琥珀色。

 紅茶は、宝石のようにきれいで可愛いから好きだった。

 

「はい」

「……ありがとう」

 

 湯気の出ている液体を、軽く一口。

 苦い、と思った。

 彼女は甘党で、紅茶には絶対と言っていいほど砂糖を入れる。それは彼も知っているはずだったが、きっとうっかり忘れてしまったのだろう。

 

「……ふふ」

 

 あんまり苦くて、笑ってしまった。

 

「ありがとう、コウくん。おいしい」

 

 味は好みではなかったが、おいしいと思ったのは本当だった。

 冷えた心があたたまるような気がした。

 シンプルで、装飾のない、そのままの味。

 

「落ち着くね」

「……それならよかった」

 

 彼女はその日から、苦みを感じるストレートティーを嗜むようになった。

 

 

 

 

 

 

「……最近のことだけど、もうずいぶん懐かしいなぁ」

「言ってくれればよかったのに……」

「いいの。嬉しかったし。そんなこと言うのは水を差すかなって。それに……ストレートで飲んでるだけで、なんかすごい安心するようになったんだよね」

「へー……」

「まぁ……思い出補正っていうのは大きいのかな……? それに甘いお菓子には合うよね。なんで今まで甘いものに甘いものを合わせてたのか自分でもよくわからなくなっちゃった」

「あ、それは思う。ケーキとか食べるときはストレートが一番いい」

「そうそう」

 

 葵は紅茶を一口飲んで、微笑む。

 

「この味が一番好きになっちゃったんだよね」

「ふうん……?」

「…………」

 

 少しの沈黙があった。

 葵はずっと微笑んでいて、でも、その瞳には透明なものがたまっている。

 やがてその透明はあふれて、頬を伝って、落ちていく。

 

「……だ、大丈夫?」

「うん」

 

 涙とは、感情の発露である。

 悲しさ、苦しさ、嬉しさ。

 涙が出る感情は、悲しみだけには限らない。ただあふれたときに、涙になる。

 

「別につらいわけじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「どうすればいいんだろう、とか。なにがしたいんだろう、とかそういう……──ううん、違うかな。ただ……」

 

 話している最中も、彼女はとめどなく涙を流していた。

 ぽつ、ぽつ、と。

 ノートに染みが広がって、それを拭っている。

 

「ただ?」

「ちょっと自分でもまだ整理ができてなくて、だから」

「そっか」

「うん」

 

 彼女の話すことは実際まとまりがなくて、中身がない。

 どう表現していいかわからないのだろう。

 だからこそ、彼はただ大好きな女の子に安心感を与えたくて、言う。

 

「俺でよかったら、どんなことでも力になるから」

 

 俺でよかったら。

 その言葉は、自分に光がないと思っている歩の劣等感を表している言葉。

 自分では不足しているという認識が、あらわれていた。

 

 その意味、理由。

 

 言葉に含まれた気持ちが彼女にもわかって、だから悲しくて苦しくて、嬉しい。

 あふれた感情は、透明なものに変わって、流れていく。

 

 

「ありがとう、アユくん」

 

 

 彼女は、泣きながら微笑みを浮かべていた。

 

 

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