お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

10 / 27
日常小話2つ


第10話

1

 

 新西区から参京区へ通じる夜道を、やちよとみふゆが連れ立って進む。瑞乃を訪ねるために幾度となく通い慣れた道のりだったが、二人の足取りは重く、表情は暗い。しとしとと湿っぽい梅雨時の小雨が降り始めても、二人の歩調は早まることもなかった。

 

 通夜のように暗い雰囲気。その形容にふさわしく、二人は親しい人の通夜を経験した。

 

 やちよの祖母、みかづき荘のオーナーでもある女性が逝去したのだ。老衰だった。やちよ、みふゆ、かなえ、かつて下宿したことのある女性たち、多くの人に見送られ、穏やかに旅立った。

 

 悔いのない大往生。人として最良の終わり方だった。しかしいくら納得しようにも、大切な人をなくした悲しみをごまかすことはできない。やちよは魔女退治もしばらく休み、みかづき荘で一人静かな時間を過ごすことが多くなった。

 

 そこへ瑞乃が連絡を入れたのが、先程のことだ。

 

『久しぶりに三人で話さない?』

 

 うろんげにスマホの液晶を眺めていたやちよをみふゆが支え、今は待ち合わせ場所の万々歳へ向かっている。

 

「やっちゃん、着きましたよ」

「……あ、ええ。入りましょうか」

 

 心ここにあらずなやちよは、取り繕うように笑って、万々歳ののれんをくぐる。

 

 引き戸を開けると照明の半分が落とされ、普段の盛況ぶりとは違うシックな雰囲気漂う万々歳が、二人を出迎えた。

 

 カウンターの向こうには胸元のきつそうなバーテン服の瑞乃が立っており、シャカシャカとカクテルをシェイクしている。

 

「いらっしゃい。鶴乃、タオルを」

「ちゃーらー」

「えっ、えっ。なんですかこのノリ」

 

 同じくバーテン服の鶴乃に頭をふかれながら、二人はカウンターへ案内された。

 

 困惑しきりのみふゆを置いて、やちよはくぐもった声を発する。

 

「マスター、いつもの」

「へい」

「お、お酒!? ダメですよやっちゃん、ワタシたち未成年で──」

「烏龍茶よ」

「もう、何なんですか、もう!?」

 

 グラスに注がれた烏龍茶カクテルを一気に呷ったやちよは、音を立ててグラスを置く。熱い吐息をつくやちよはまるで疲れたOLのようで、みふゆは思わず見惚れてしまった。

 

「情けないわね、私」

 

 ふっ、と自嘲の笑みを浮かべるやちよ。

 

「ここに来るまでに考えてしまったわ。瑞乃、あなたにおばあちゃんの死をなかったことにしてもらおうって」

「やっちゃん……」

「でもやっと目が覚めた。あんなに悔いのない顔で逝ってしまったんだもの。乗り越えなきゃいけないわよね」

「……そうですかい」

 

 人は死を避けられない。残された者たちは悲しみを背負い、引きずり、乗り越えていく。それを魔法でなかったことにするのは人としていけないことだ。理屈では分かっていても、感情が納得できない。やちよが数日間悩み続けたことだった。

 

 実際にそのズルを可能とする瑞乃と対面し、やちよはやっと決意できた。悲しみを背負う覚悟ができた。

 

 親友の覚悟を見て取ったみふゆは口を引き結び、やちよの白い手に自分の手を重ねる。

 

 その様子を見ながら瑞乃は新しい烏龍茶のシェイクを再開し、内心で白状した。

 

(まあ寿命で死ぬと私何もできないんだけど)

 

 ご都合主義は因果を操作する。死者の蘇生も不可能ではない。しかし寿命による死者の因果は瑞乃でも触れることができなくなるので、やちよに頼まれても断るしかなかった。万々歳の危機の折、祖父の死を操作しなかった理由である。

 

 能力を半端に知っているやちよが悩んでいるかもと危惧し、呼び出してみると案の定だったらしい。しかし今は烏龍茶のカテキンで思考が落ち着いたようで、どこかすっきりした顔つきになっている。

 

「マスター、みふゆにも同じものを」

「へい」

「今日は朝まで付き合いますよ、やっちゃん」

 

 一晩限定のバー万々歳にて、少女たちは飲み明かす。アルコールではない別の何かが、少女たちの喪った悲しみを満たしていく。大人になったら今度は三人で本当のバーに行こうと約束し、やちよが雰囲気で酔いつぶれるまで、ノンアルコールの酒盛りは続いた。

 

 大人の階段を登りつつある三人を前に、鶴乃は寝ぼけ眼をこすりながらこうつぶやいたという。

 

「何コレ?」

 

 あえて言うなら深夜のテンション、阿吽の呼吸、ノリと勢い。

 

 やちよを抱えてみふゆが店を後にすると、瑞乃は酒瓶っぽい業務用烏龍茶ボトルをラッパのみして、ハードボイルドにキメた。

 

「呑まなきゃやってらんないよな……」

 

 お姉ちゃんたち、たまに訳分かんない。

 

 鶴乃は遠い目をしながら二階へ引っ込み、変な夢を見たと思い込むことにした。

 

 

 

ーーー

 

 

 

2

 

 昼下がりの中華飯店万々歳。お昼の経営が終わり、夜に向けてあわただしく厨房が回されているが、店長代理だった瑞乃の姿はそこにない。中華大陸への修行ですっかりチャイナにかぶれた父親を中心に、改心した母と祖母が駆け回っている。

 

 では瑞乃が何をしているかというと、

 

「うーむ」

 

 すりきれた漫画を片手にうなっていた。

 

 注文を待つ間の時間つぶしとして小さなラックに収められた漫画、雑誌。その一つを熟読している。

 

 さぼっているわけではなく、家族の要請を受けてのことだ。瑞乃の過酷な労働実態を知った父親たちから頼むから休むアルと請われ、しぶしぶ従っている。

 

「お姉ちゃん何うなってるの?」

「鶴乃、おかえりー」

「ただいまー」

 

 学校から帰ってきた鶴乃は着替えもせずに瑞乃の隣に座り、姉の顔をのぞきこむ。瑞乃は依然うなりながら、読んでいた漫画を閉じた。

 

「ウチの漫画のラインナップ、古臭くない?」

 

 古びた電話帳とともに収められた漫画のどれもが古い。しかも場末の青年誌の片隅に載ってそうな微妙画風のものばかりだ。おっさん客層がメインだったかつてと比べ老若男女幅広く来店する今となっては、見直しが必要になるだろう。

 

「といっても今どきの漫画とか知らないし、どうしよっかなーと思って。鶴乃はどう思う?」

「もう、お姉ちゃん!」

「えっ、な、なに?」

 

 がたん、とカウンターに手を付き立ち上がる鶴乃。

 

「せっかくお休みなのにまたお店のこと考えてる! もっと休んでよう!」

「はっ、たしかに」

 

 とはいえ、休めと言われて休める人種が二年間のワンオペの末倒れるはずもなく、瑞乃は気がつけば店のことを考えてしまう。仕事があればあるだけやるし、なければ適当に自分で探してくる。瑞乃は頑張ることが好きだった。

 

 したがって、今回の漫画の件も見つけたからには解決までこなしたい。

 

 ぷりぷり怒る鶴乃をなだめながら、

 

「じゃ、鶴乃にお願いしていいかな?」

「ほっ?」

 

 お願い。基本的になんでもできる姉からの珍しい言葉に、鶴乃の気勢が削がれる。

 

「学校で今流行りの漫画とか小説について調べてきてほしいの。鶴乃って友達が多そうだから、幅広く意見が聞けると思うんだ。どう?」

「お姉ちゃんが、お願い、私に……」

 

 鶴乃はうつむいてぷるぷる震えたかと思うと、勢いよく瑞乃の方へ身を乗り出し気炎を上げた。

 

「任せて! この最強妹系魔法少女由比鶴乃が、全学年全生徒先生に至るまで徹底的に調査の限りを尽くしてくるよ、ふんふん!」

「む、無茶しないでね?」

「お姉ちゃんにだけは言われたくないカナ!」

 

 張り切りすぎて空回りしなければいいけどと不安になりながらも、それはそれで落ち込んだ妹をなぐさめ愛でるチャンスだと考え、瑞乃の方も「うへへ」と興奮するのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 さっそく翌日から始まった鶴乃の漫画等嗜好調査は順調に進んだ。すべての先生に聞くことはさすがに難しかったものの、暴走機関車じみた勢いでほとんど全生徒から意見を集め、今は男女問わず少女漫画が流行りらしい、と瑞乃に最終報告を行った。

 

 胸を張ってドヤ顔を決める鶴乃にがまんが利かず、瑞乃は抱きついて店先でいちゃいちゃモードに突入。寛容な父親もさすがに渋面だったが、居合わせた客がそろっていい笑顔を浮かべ見物していたので、まあいいアルと見逃した。

 

 そうして数日後の万々歳。古びたラックの中身は一部の需要ある古本を残して半分近くが少女漫画に刷新された。ジャンルごとにバランス良く配分されたラインナップの評判は上々で、瑞乃と鶴乃はハイタッチを交わした。

 

「へえ、これが今の流行りなんですね」

 

 厨房の火が落とされ、人気のない定休日の万々歳にて。真新しい漫画の一冊をぱらぱらめくりつつ、みふゆが興味深げな声を上げた。特に用があるわけではないが、なんとなく遊びにきたのだ。

 

 しばらく流し読みをしていたみふゆだが、あるページでぴたりと手が止まり、頬が朱に染まる。そのままゆっくりと舐めつくすようにページをめくっていき、ほどなく読み終えた。

 

「面白かった?」

「面白いというより、参考になりましたね」

「斜め上の感想じゃんねぇ」

 

 せっせと店内にモップをかける瑞乃は首をかしげる。なんの参考にするつもりなのやら。

 

 みふゆは若干頬に赤みを残したまま、じとっとした目を瑞乃に向けた。

 

「ところでみっちゃん? あなた、しばらくお休みするよう言われてましたよね。というか今日定休日でしょう。なんで働いているんです?」

「なんでって……なんでだろ?」

 

 言われてみれば不思議だった。ひとまずモップを片付け、行儀悪くカウンターに寄りかかりぼうっとしてみる。

 

 すると、油のしみたメニューの短冊が目に入った。市場の相場と今月の売上、先月先々月の原価、収益、損失、その他あらゆる数字が頭の中に駆け巡り、適切な価格設定か否かを脳が無意識に考え出す。

 

 同時に店内のレイアウトも見渡した。お客がもっともくつろげてなおかつ効率の良い動線を確保できているかどうか。改善案は何かないか。無駄に優秀な瑞乃の頭脳が回転を速め──

 

「みっちゃん?」

 

 一声で止められた。

 

「今何を考えてました?」

「価格設定とか軽減税率の会計処理とか」

「お休みの日くらい、お仕事は忘れていいと思います」

「だって無意識に考えちゃうんだよ!」

「……はあ。さっそく使うときが来たようですね」

 

 ゆらり、とみふゆが立ち上がる。強敵を前にしたように瑞乃の肩が跳ね、身構える。

 

「み、みっふ?」

 

 一歩、二歩と少しずつ距離を詰めてくるみふゆ。徐々に歩調が速まって、あっという間に瑞乃の眼前まで迫った。

 

「なになになに!?」

 

 それでも歩みが止まることはなく、瑞乃は慌てて後ずさり。壁際まで追い詰められ、逃げ道がなくなって──どん、とみふゆが壁をついた。瑞乃の顔の横、両手をついて左右を塞いでいる。

 

 互いに息遣いを感じられる至近距離。みふゆのやさしげな目元とさらさらの銀髪がよく見える。桜色のくちびるが妙に目を引く。

 

 最近読んだ漫画の影響だろうか。頭が真っ白になった瑞乃はゆっくりと目を閉じて──

 

「……ぷっ」

「え」

 

 笑いをこらえる親友の声に、ハッと我に返った。

 

「ぷ、ふふっ、あははは! みっちゃんったら、漫画じゃないんですから!」

「み、みっふ、みっふぅー!」

 

 みふゆが読んでいた少女漫画の内容と、先程までのシチュエーション。思考が追いついた瑞乃は顔を真っ赤にして、振り上げた両手を意味もなくぐるぐる回した。

 

 みふゆは涙目で笑いながら、

 

「すみません。でもみっちゃん、可愛かったですよ?」

「か、かわわ!?」

「耳まで赤くなって、うっとり目を閉じて。一体何を期待したんでしょうね?」

「さっ……」

 

 瑞乃には分かっていた。仕事中毒になりかけている自分を思いやっての行動だったと。悪意なんてかけらもないのだと。実際、仕事のことは頭から吹き飛んでいた。

 

 かといって漫画に影響され純情をもてあそばれた羞恥は抑えようもなくて。

 

「さーすーがーにー!」

「あらあら、気持ちいいですー」

 

 したり顔の親友の背中へ、ポカポカパンチを繰り出すのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。