お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第11話

 鶴乃がみかづき荘に加入してから半年。瑞乃の周囲を含めた神浜全体に、平穏な時間が流れた。

 

 鶴乃はやちよとみふゆの指導のもと、安全で確実な魔女退治の手法を習得し、十分一人前と呼べるレベルに。みかづきチームにはやちよ、みふゆ、かなえ、鶴乃に加えさらに十咎ももこ、安名メルも加入し、新西区では最大派閥のチームとして活動するようになった。

 

 万々歳の経営も軌道に乗り、今は鶴乃が願い事で用意した八億円をいかにうまく運用するか慎重に検討している。二号店を出すもよし、バイトを雇って今の店舗の経営をさらに円滑にするもよし。客足も途絶えず、毎日嬉しい悩みに悲鳴をあげている。

 

 すべてが希望に満ち、みんなが幸せだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 曇天の空の下、今にも泣き出しそうな空模様を見上げながら、瑞乃は一人歩を進める。大通りから一歩離れた細い路地は街灯も少なく、人けもなかった。

 

 平日の昼下がり。万々歳の仕事から解放された瑞乃だが、結局学校には編入していない。やちよを始め強く勧められたものの、二年も必死で守った店に愛着がわかないはずもなく、変わらず優秀な料理人として活動している。今日はその一環で、町内会の会合に代表として顔を出してきたところだ。

 

 鼻歌を歌いながら、薄い茶髪のサイドポニーをしっぽみたいに揺らして、上機嫌に道を行く。片腕には野菜や肉の詰まった紙袋が抱えられていた。町内会に出た商店街の代表たちから頂いたおすそ分けだ。過労で倒れた瑞乃はことあるごとにチヤホヤされている。

 

 魔法少女としても人としても瑞乃は恵まれていて、この上なく幸せだった。

 

「おっと」

 

 長年の勘に従い、反射的にかがむ。

 

 頭上を通り過ぎる硬い何かを感じながら、流れるように水面蹴り。

 

 何者かの足を見事に払い、マウントを取ることに成功する。

 

「見ない子だね。今どきグリーフシード強盗は流行らない、よ……?」

 

 襲撃者は顔も名前も知らない魔法少女だった。久しぶりの強盗を諌めようと口を開くが、強い違和感に首をかしげる。

 

 きらびやかな装束や魔力パターンからして、一見魔法少女のように見える。しかし無数の修羅場をくぐってきた瑞乃の経験は、襲撃者の正体を看破していた。

 

「使い魔……?」

「違う。私はお前たちの敵になる区の魔法少女だ」

「ははあ、そういう……面倒なのが来たなあ」

 

 瞬時に変身し、中華鍋を叩きつける瑞乃。魔法少女の姿を騙った使い魔は押しつぶされ、死に際に一瞬だけ真の姿を見せてから、消滅していった。

 

 魔法少女の姿に化け、同士討ちや仲間割れを誘発する欺瞞特化の魔女。幸い一体ごとの力は強くないようだが、一応共有しておいた方が無難だろう。

 

 冷静に判断した瑞乃は引き続き万々歳へ向かう。一度荷物を置いてから、直接みかづき荘へ知らせに行く腹積もりだ。

 

 しかし瑞乃は珍しく都合の悪いことに、万々歳で引き止められることとなる。

 

「瑞乃、お客さんアルよ」

「お客? 私に?」

 

 昼の部から夜の部へ移行する仕込みの時間だったが、万々歳のカウンターに見知らぬ少女が腰掛けている。

 

 少女は怜悧な瞳で瑞乃を一瞥すると、席を立って瑞乃に歩み寄り。

 

「お初にお目にかかる。自分は和泉(いずみ)十七夜(かなぎ)。大東区のまとめ役をやっている。会えて光栄だ」

 

 そう言って頭を下げた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 十七夜は二年前契約を交わした魔法少女だった。正義感が強く面倒見のいい性格のためほどなく大東区のまとめ役としての地位を確立し、同地区のテリトリー管理や新人の指導、グリーフシードの融通などを主導してきた。

 

 そんな十七夜の耳に届いたのは、西で裏のトップを張る由比瑞乃の行いだった。

 

「本当なのか?」

 

 気を利かせた父親は席を外し、十七夜と瑞乃はカウンターに隣り合って腰掛けている。

 

 きょとんと首をかしげる瑞乃に、十七夜は言った。

 

「東の魔法少女から聞いた。神浜全体でグリーフシードが不足した折、東西の分け隔てなくストックを融通したという話だ」

「黒タマのこと? なんなら今もやってるよ」

「やはりか」

 

 うんうん、と感慨深そうにうなずく十七夜。わざわざそんなことを確認するためにやってきたのだろうか、と瑞乃がますます首をひねる。その様子を受け、十七夜は言葉を次いだ。

 

「力なき魔法少女に施しを与え、弱者を救済してきた最後の希望。噂に聞いた時は半信半疑だったが、やはりあなたは素晴らしい。実質無料に等しい低価格で真に追い詰められた者へグリーフシードを供給し、悲劇を防いだ行いは称賛に値する。販売の体をとることで施しの印象を薄れさせ、求めやすくした発想には脱帽を禁じ得ない。あなたのような偉人が神浜の最古参を務めていることは本当に──」

「ストーップ、さすがに! それ以上はさすがに案件だよ!?」

「何がだ?」

 

 心底不思議そうな十七夜。一方、瑞乃は心臓が早鐘をついていた。顔は耳まで熱く、嫌な汗が吹き出ている。

 

「いきなり人を褒め殺しにするとか心臓に悪いわ! あと、私はそこまでいいやつじゃないから!」

「しかし事実は事実だろう? あなたの奇策によって、神浜の魔法少女の多くが救われている。自分が契約する前のこととはいえ、地区の代表として礼を述べるのは当然のことだ。本当に感謝しているぞ」

「あばばば……」

 

 まっすぐすぎる十七夜の称賛に瑞乃はひたすら困惑していた。

 

 そもそも例の裏メニューはそこまで深い考えがあったわけではない。単に同じ境遇の少女が困っているのを見かけ、放っておけなかっただけだ。神浜の秩序に貢献しようなど欠片も考えてはいなかった。

 

 その点を訂正しようとすると、

 

「グリーフシードだけではない。戦力の乏しい者には自ら手ほどきをしていたと聞く。あなたのおかげで多くの魔法少女が魔女化を逃れ、一人前の魔法少女として育った。この功績はもっと誇るべきだ。もっとも、過労で倒れるまで尽くすのはやりすぎだがな」

「だ、だから違うってば……」

 

 手ほどきの件も誤解だった。

 

 裏メニューを購入していた少女の一人が唐突に「頑張って生きてみます」と言い出し、嫌な予感がして後をつけたところ、使い魔に返り討ちにあっていた。ひとまず助け出した後、一人で戦えるようになるまで付き合った。これと同じようなことが数度発生したものの、一度同情した相手に最後まで付き合うのは人として当然のことである。特にほめられる謂れはないだろう。

 

 と、意見を述べる余裕はない。人を聖人君子のように褒め立てる十七夜の剣幕に圧され、口が回らなかった。

 

 十七夜は一度もてなしのお冷を口に含んで、一拍の間を置く。

 

「東と西に等しく接するあなたにこそ問いたい。神浜に根付く東西の対立について、どう思う?」

「どう、って……」

 

 敬意に満ちた輝く視線から、一切の偽りさえ許さないような、鋭い眼光に切り替わる。

 

 妹の幸せ以外ほとんど何も考えていない瑞乃には、『生命とはどこから来るのか?』と同レベルの深すぎる問いかけだった。まともな思考ができるはずもない。

 

 だから瑞乃は一切の言葉を飾らず、率直に述べた。

 

「みんな元気有り余ってるなーって思う」

「元気? どういうことだ?」

 

 十七夜の目が値踏みするように細まる。瑞乃は鶴乃の笑顔を思い出しながら、「えっとねー」と続けた。

 

「私は妹が世界の何より好きなんだ。顔も名前も知らない誰かを嫌ったり、憎んだりする暇がないくらいに。だから、東西のどっちに生まれたかで言い合いしてる人って、相当元気有り余ってるってことじゃんね」

 

 何かを嫌うことは好きになること以上にエネルギーがいる。鶴乃を愛するので忙しい瑞乃には、いちいち出身を気にする余力がなかった。そんな暇があれば鶴乃の幸せを夢見るほうが何倍も有意義だし、何より世界でもっとも憎い者は生涯一人だけと決めている。

 

 十七夜は目を丸くして、幾度かぱちぱちと瞬かせた。ぞれからふっと笑みをこぼし、

 

「何かを嫌う暇などない、か。やはりあなたがここのトップで良かった」

「それはどうも。私も、なぎたんみたいにしっかりした子が東にいればみんな安心だと思うよ」

「な、なぎたん?」

 

 なぎたん、なぎたんと難しい顔で繰り返す十七夜。お気に召さなかっただろうかと瑞乃が不安を抱き出したとき、「いや」と首を振る。

 

「珍妙な響きだが、なぜかしっくりくる。これからも是非そう呼んでくれ」

 

 これ以上なく気に入っていた。

 

 それからも十七夜は大東区の平和な現状や、中央区、南凪区との関係がどうとか、これからの神浜市内魔法少女たちの展望などを姿勢演説よろしく語った。あまりの熱意に瑞乃は何度もわかったようにうなずき、なるほど、そのとおりだ、などと相槌を打った。もちろん話の六割は理解できていなかった。

 

 たっぷり一時間はたった頃、十七夜は一息つく。音に聞く神浜市最古参の偉人(?)と愛する神浜市について語り明かしたことで、大いに満足していた。一方の瑞乃は「私ここに来る前何するつもりだったっけ?」と忘れてしまった予定を思い出そうとしていた。

 

「今日は有意義な時間だった。そろそろお暇させてもらう」

「はいはい。今度は是非営業時間に来てね。うちの中華は絶品だよ!」

「ああ、きっと」

 

 結局思い出せずに入り口まで十七夜を見送ったとき、異変がやってくる。

 

 引き戸が割れるような勢いで開かれ、名前の知らない少女が顔を見せた。

 

 少女は肩で息をしながら店内を見回し、十七夜を見つけるとぎょっとして肩を震わせる。その隣にいた瑞乃と目が合うと、今にも泣き出しそうな顔で詰め寄ってきた。

 

「瑞乃さん! 大変です!」

「何かあった?」

「穏やかではないな」

 

 少女は十七夜をきっと睨みつけてから、瑞乃に涙目ですがりつき、

 

「私の仲間が、西の魔法少女に襲われましたっ!」

 

 東西の火種に火を付けたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 万々歳に少女が駆け込んでから二時間後の夕刻。

 

「これは骨が折れるかも……」

 

 瑞乃は鏡だらけの魔女の結界内で、強敵の気配に苦笑いをこぼしていた。

 

 迷宮のように入り組む結界は床、壁、天井のそこかしこに鏡がはめ込まれ、合わせ鏡がどこまでも続いている。一部の鏡からはコピーしたものと思しき魔法少女の人影がぬっと歩み出て、瑞乃へ生気のない瞳を向ける。こうして作られた魔法少女のコピーが、東西間の対立を煽ろうとしたのだろう。

 

 ならば結界の主たる魔女ごと倒してしまえばいい。瑞乃はそのつもりで結界を探し、見つけ、すぐに攻め込んで今に至る。

 

『それ、たぶん魔女の仕業だよ』

 

 泣きついてきた少女の涙を拭いながら、瑞乃はすぐに心当たりを話した。魔法少女をコピーした使い魔に遭遇したこと。紛らわしいセリフで神浜市内の対立を荒立てようとしていたことなど。

 

 卑劣なやり口に十七夜は腹を立て、すぐに退治へ出かけようとしたものの、

 

『みかづき荘に行って共有しといてくれない? 表向き、西の代表はあっちだから。東西で方針を決めてから動いてほしいんだ』

 

 瑞乃の助言を受け、急ぎ足でみかづき荘へ向かっていった。東の魔法少女である十七夜が西で魔女退治をしていれば、後々対立の火種になることもある。そうなっては結局魔女の思う壺だ。事前に代表同士が取り決めをしておく必要があった。

 

 あくまでも力なき魔法少女たちの拠り所として知られる瑞乃は、みかづきチームよりも自由に動くことができる。先んじて討伐した使い魔の魔力パターンを探し出し、尖兵として乗り込んだのだ。

 

「よいしょっ、と。床は抜けそうにないか」

 

 次々に襲い来るコピーの魔法少女たちをなぎ倒しながら、少しずつ奥へ進む。中華鍋を全力で床へ叩きつけるもののびくともせず、セキトバくんで一気に深部へ行くことは不可能と分かった。

 

 幸いコピーたちは脅威ではない。厄介な固有魔法まではコピーできないらしく、得物を使った純粋な闘争が主となる。その点、膨大な魔力で身体能力を強化し、かつ豊富な経験で読みあいにも強い瑞乃が苦戦する要素はなかった。最深部の魔女に備え魔力を温存しつつ、少しずつ先へと歩を進めていく。

 

「すー、はー」

 

 瑞乃はいつか来るであろう脅威を予見し、深呼吸で心を整えた。

 

 この手の魔女は、たいてい仲間のコピーを出して攻撃を躊躇させるものだ。いくらコピーと分かっていても、鶴乃のコピーが出てくれば瑞乃の手も鈍るだろう。そのスキを狙い撃ちされてソウルジェムが砕かれることのないよう、あらかじめイメージトレーニングで心構えをしておく。

 

 雑兵の使い魔やコピーを相手しながらも十分な時間を使い、覚悟が完了する。これで瑞乃を動揺させる存在はなくなった。心身ともに完全な状態の最強お姉ちゃんが、果てのない鏡の迷宮を突っ切っていく。

 

 魔力と体力はまだまだ余裕がある。みかづきチームが来る前に魔女を倒すことができれば、きっとみんなが褒めてくれるだろう。鶴乃も笑顔になるに違いない。

 

 つい楽勝ムードで皮算用を始めたその時、ついに鏡の迷宮が動きを見せた。

 

 絶え間ないコピーと使い魔の大群が途絶えたのだ。

 

 しん、と静まり返る鏡の大迷宮。何かが来ることは明白だ。

 

 瑞乃はあらゆる脅威に対処できるよう、万全の態勢で待ちの姿勢を取るが──

 

「……なん、で」

 

 覚悟、心構え、イメージトレーニング。すべての準備を無駄にする刺客が、迷宮から放たれる。

 

 鏡からずるりと生まれ落ちたその人影に瑞乃の目は釘付けとなり、まともにろれつも回らない。

 

「なんでお前が……お前みたいなやつが……」

 

 人影が顔を上げる。目の下に濃いクマが出来、頬はやせこけ、髪はぼさぼさ。遠目に見ても明らかな死相が浮かんでいる。中華鍋と中華包丁を両手に構えたそれは、生気のない瞳で瑞乃を睨む。

 

 目が合ったとたん、瑞乃の心は暴発した。

 

「お前みたいなやつが、なんで生きてるんだっ!」

 

 突進から包丁を一閃。その人影が慣れた手付きで中華鍋を構え、初撃を防いだのを見ると、瑞乃は今生で初めての本気の苛立ちを覚えた。

 

「二度と、見なくていいって思ったのに……!」

 

 瑞乃の攻撃を弾き、互いに距離を取る。

 

 人影の正体はかつての瑞乃。

 

 自分を殺したいと願って止まない、六野(むの)かすかだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 鏡の結界の主、鏡の魔女は魔法少女をコピーする。コピーは固有魔法を除き外見や戦闘能力などは本物とほとんど変わらず、集団の連帯をかき乱すにはうってうけの能力と言えるだろう。

 

 しかし鏡の魔女にとっても、六野かすかはイレギュラーだった。

 

 鏡で写し取ったはずの魔法少女、由比瑞乃のコピー。外見も性格も大きく違うかすかの姿を取った理由は、魔女当人はおろか他の誰にも分かりはしない。

 

「消えろ、消えろ、消えろっ!」

 

 おそらく瑞乃には分かっているのだろう。だからこれほど必死なのだろう。

 

 何をしても要領が悪くて、努力が全部空回りして、周りに迷惑をかけてばかりの過去の自分。やっと転生して忘れかけていた大嫌いな自分が、追いかけてきたのだから。まるで「お前は何も変わっていない」とでも言うように。

 

「いたっ!? この……っ!」

 

 大ぶりの中華包丁を鍋で強く弾き、がら空きになった瑞乃の腹を蹴りつけるかすか。戦況はかすかの優勢だった。

 

 かすかの能力は瑞乃のそれと完全に同じだ。技量が同じであれば、当然冷静さを欠いた方が不利になる。それが分かっていても、瑞乃は感情を抑えきれなかった。

 

 一刻も早く六野かすかを殺す。もしもその前にみかづきチームがやってきて、最愛の妹に過去の自分を見られたら──考えるだけで瑞乃の心を恐怖が満たし、ますます冷静さを失わせた。一見してもかすかと瑞乃の関係は分からないなどと、当たり前の発想さえ出来なかった。

 

「セキトバくん!」

 

 出しぬけに手のひらから希望の象徴を発射するが、サイドステップで簡単に避けられる。避けた先に獣のように飛びかかり、結局不利のままの打ち合いが続く。

 

 包丁と鍋が数十も打ち合わされ、両者息の切れる頃には、瑞乃は生傷だらけになっていた。対するかすかは相変わらず死んだ目をしながらも、無傷のまま武器を構えている。

 

(早く、早く……!)

 

 瑞乃はすでに布石を打った。冷静になれないなら、後はその布石が奏効するのを待つしかない。

 

 ただしもう時間は残されていなかった。結界の入り口の位置に覚えのある魔力を複数感知する。その中には鶴乃のものも含まれていて、瑞乃の元へやってくるまで猶予はない。

 

(こんな姿見られたら、もう……!)

 

 瑞乃は鶴乃の前で、お姉ちゃんでありたかった。弱くてかっこ悪くて、ゴミみたいな過去の自分なんて、死んでも見られたくなかった。

 

「はあああっ!」

 

 悲鳴のような掛け声をあげ、何度も何度も包丁を振り回す。かすかは体捌きだけで刃を躱し、要所で深いカウンター。鮮血が舞い、装束の雷紋模様が赤黒く染まっていく。

 

 後少しで布石が効果を発揮しようかというとき、ついに瑞乃の時間が切れた。

 

「お姉ちゃん!」

「つ、鶴乃……やだ、みないで、こないで!」

「え、えっ!? お姉ちゃん、ケガして……」

 

 背後から鶴乃が猛ダッシュでやってくる。みかづきチームと十七夜の魔力反応もやや遅れて近づいてくる。

 

 そのタイミングでやっと、瑞乃の布石が帰ってきた。

 

「こ、このっ!」

 

 瑞乃は武器を捨て、捨て身の特攻でかすかに突進。かすかはソウルジェムを狙い包丁を振るうものの、急所が一つしかない以上狙いを読むのは容易だった。クロスした腕で斬撃を無理やり受け止め、かすかを押し倒す。

 

 血まみれでふらつく瑞乃を蹴り飛ばそうとするかすかだが、

 

「大人しく転生しちゃえ!」

 

 背後から巨大な質量が迫ってくる。

 

 ハイブリッドエンジンを獣のように唸らせ、クラクションを響かせながら爆走するそれは、先程回避したセキトバくんだ。

 

 転生者はお約束から逃げられない。たとえひとたび回避しようと、巧みなハンドリングで確実にキャラクターへ新生の希望をお届けするのが、神の使いたるセキトバくんの特性だ。

 

 大技まではコピーできなかったかすかは逃れられない死を前に硬直し──ふっ、と安心しきった微笑みを浮かべる。

 

 そうしてセキトバくんは再び六野かすかに迫り──

 

「だ、だめぇーっ!」

 

 妹の目の前で、最強のお姉ちゃんごと撥ね飛ばした。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 神浜市の平穏が崩壊したのは、いつもと変わらない一日だった。

 

 みかづきチームのやちよとみふゆ、かなえ、ももこ、鶴乃、メルの六人は学校からみかづき荘に集まり、リビングでくつろいでいた。鶴乃はこの日だけたまたま、メルの占いを受けるつもりで万々歳にも寄らず直接やってきた。

 

『おい、鶴乃。今は私がやちよさんと話してるんだぞ』

『そんなことより聞いてよししょー! うちのラーメンが、参京区ラーメンロワイヤルで殿堂入りしたんだよ!』

『一位ですらないのかよ!? どこ目指してるんだ万々歳!?』

『振り返るとなんと! その電話ボックスは忽然と姿を消していたそうなんです!』

『はいはい……』

 

 各々好きに話していると、呼び鈴が鳴る。

 

 出てみれば大東区の和泉十七夜だった。出迎えるよりも早く、インターホン越しに十七夜は言う。

 

『東西が分断されかかっている。話をさせてくれ』

 

 切羽詰まった声音を聞くや否や中へ招き入れ、事情を聞いた。珍しい来客にみかづきチームは意外そうな声をあげ、十七夜に追い回された経験のあるかなえは露骨に顔をしかめていた。

 

 しかし事情が共有されると、すぐに全員が表情を引き締める。

 

『すぐに出るわ。十七夜、瑞乃はどっちへ向かったの?』

『参京区の郊外へ向かうと言っていた』

 

 魔法少女の姿を騙る魔女が現れたこと。その魔女が東西の対立を煽ろうとしており、心当たりのある瑞乃が先行して討伐へ向かったこと。

 

『早くしないと! お姉ちゃん、きっとまた無理しちゃう!』

『分かってる。手分けして探すわよ!』

『ワタシたちはこっちを!』

 

 急遽編成された東西連合チームは手分けして参京区の郊外を探し回り、ついにそれらしき巨大な結界の入り口を見つける。見つけたのは鶴乃、やちよの二人組で、別働隊に連絡してからすぐに中へ侵入した。

 

 入り口から道中の使い魔はことごとく倒されており、二人は程なく瑞乃の魔力反応がある地点へ到達することができた。

 

 しかし、到達できただけだった。

 

『だめぇーっ!』

 

 血まみれの瑞乃が使い魔の一体を押し倒し、セキトバくんと呼ばれる飛び道具で自身もろとも跳ね飛ばされる。

 

 使い魔は消滅し、天高く舞い上げられた瑞乃の小さな身体が、弧を描いて結界の地面へ落下していく。

 

『お姉ちゃん!』

 

 その身体の真下に滑り込み、かろうじて受け止める鶴乃。姉はピクリとも動かず、全身から血を流していた。

 

 とっさに全力の身体強化で防御力を高めたらしく、見た目ほどのダメージはなかった。しかし並の魔女なら一撃で吹き飛ばす威力を受け、完全に意識を失っていた。

 

 すぐに入り口へ向かってとんぼ帰りし、救急車を呼ぶ。やちよは『こっちの方が速い』と言って瑞乃をひったくり、直接病院へ担ぎ込んだ。

 

 それからのことを鶴乃はよく覚えていない。

 

 担架に乗せられた瑞乃が無機質なリノリウムの廊下を進み、大きな部屋に運び込まれたこと。じくじくと点滅する手術中のランプがやけに目に残っていること。暗く冷たい廊下のベンチに、仲間たちがうなだれていたこと。コマ落ちした映画のように記憶が欠けている。

 

『すまない。自分が引き止めておくべきだった……』

『アイツが負ける魔女なんて例外中の例外よ。あなたに責任はない』

『例の魔女には絶対に手を出さないよう周知しておきましょう……』

 

 西と東のトップが暗い顔で話し込んでいたけれど、内容は曖昧だった。

 

 手術の終わった瑞乃は全身包帯だらけでベッドに横たわっていた。峠を越えたので直に目覚めると診断されたけれど、瑞乃は一ヶ月、二ヶ月経っても目覚めない。瑞乃のベッドサイドにはお見舞いの品が山のように溢れ、鶴乃が知らない魔法少女たちが数え切れないほど訪れた。

 

 その間鶴乃は、何をしても何を話しても空虚で、動かない姉の手を握っている間だけが唯一、感覚を取り戻せる時間だった。

 

 今日も変わらず、鶴乃は姉の手を握りながらベッドサイドに腰掛けている。

 

「お姉ちゃん聞いて! この間大東区から流れてきたすっごく強い魔女と戦ったんだ! みんなピンチだったけど、さっそうと駆けつけた私が炎扇斬舞! やちよししょーの大ピンチを救ったんだよ、ふんふん!」

 

 姉は目覚めない。

 

「由比家直伝の子供用全身シャンプー、あれの色違いが夏に出たんだ。久しぶりにお姉ちゃんと洗いっこしたいな」

 

 目を輝かせて飛びつきそうな話を出しても、鶴乃の声は届かない。それでもめげずに話し続ける姿を、やちよとみふゆは痛ましげに見守り、寄り添っていた。

 

 面会の終了時間に近づき、三人は病室を出る。やちよとみふゆは何を話すべきか分からず、沈黙して病室の廊下を歩いていく。

 

 すると、懐かしい声が聞こえる。

 

「鶴乃ちゃん?」

「……いろは、ちゃん?」

「どうしたの、ひどい顔だよ?」

 

 環いろはだった。妹の病気は完治し、経過観察が終われば無事に退院できると見込まれている。お見舞いにやってきた帰りに、鶴乃と鉢合わせしたのだ。

 

 やちよとみふゆは顔を見合わせ、気を利かせて二人きりにする。

 

 鶴乃の口はいろはに対して、不思議とゆるくなった。

 

「お姉さんが、昏睡状態……!?」

「うん。お姉ちゃんの支えになるって誓ったのに、そのために魔法少女になったのに……なんにも、できなかった……」

 

 いろははそこまで聞くと、鶴乃の右手中指に指輪を認める。以前キュゥべえに遭遇して間もなく、いろはも魔法少女になっていた。

 

 いろはは願い事で妹の病気を治し、希望に満ちた明日が待っている。それとは正反対の鶴乃の現状に、いろはは何一つ言葉が見つからなかった。

 

 しかし鶴乃は一歩引いた位置のいろはだからこそ、口を開けたのだろう。考えつく限りの弱音を吐き、涙を流し、目がはれぼったくなった頃には多少心が持ち直していた。

 

「ぐす、ありがと、いろはちゃん。ちょっとだけスッキリしたよ」

「私に出来ることは、これくらいしかないから……」

「これくらいなんてもんじゃないよ! 嫌じゃなかったら、またお話聞いてほしいな」

 

 鶴乃はいろはと連絡先を交換し、頻繁に話し合う仲になった。しだいにやちよ、みふゆといったみかづき荘のメンバーとも顔見知りになり、同じ魔法少女のよしみもあってかすっかり馴染んだ。

 

 そうして日々は過ぎ去っていき、昏睡から2ヶ月後。多くの人々が待ち望んだ瞬間が、ついにやってきた。

 

「つ、るの……?」

「……っ!」

 

 うっすらと目を開いた瑞乃。ずっと聞きたくて仕方なかった声を聞いたとたん、鶴乃の目からとめどなく涙があふれ、もう離さないとばかりすがりつく。

 

 喜びと希望に満ちた鶴乃の泣き声を聞きながら、朦朧とした瑞乃は強く思う。また、迷惑をかけた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 恵まれた少女の夢を見た。

 

 少女はお母さんの連れ子で、四歳の頃新しいお父さんに出会った。お父さんとお母さんは仲良しで、暇さえあれば熱い視線で見つめ合い、外でもお互いを抱きしめていた。

 

 けれど協力して何かを成し遂げることだけは、世界の誰よりも苦手だった。

 

 少女は何か習い事を習うことにした。お母さんはピアノを習わせようとして、大きなピアノを買った。

 

 お父さんは急に大きなピアノが家に届いて、とても怒った。何も相談されなかったから。お父さんはお母さんの首を締めた。少女の方を指さして、何か必死で叫んでいた。

 

 二人に仲良くしてほしくて、少女はピアノを練習した。やっと音符の読み方を覚えそうな頃、ピアノはどこかに売られてしまった。お母さんは機嫌を悪くして、お父さんはガラスを割った。

 

 少女はテストで悪い点を取った。お父さんは激怒して、お母さんは包丁を投げた。お父さんは血を流して倒れた。少女は指指され、ののしられた。

 

 お父さんはすぐに怒って、お母さんは頭が悪かった。子供を生んで育てる体験は、子供な大人の二人には、難しすぎることだった。少女は何度も指さされ、そのたびに両親は血を流した。

 

 おまわりさんに相談へ行った。けれど少女は恵まれた格好をして、毎日ごはんを食べることができた。おまわりさんは『君より辛い思いをしている子はいくらでもいるよ?』と言って扉を閉じた。お父さんは世間体がどうとか叫んで、お母さんを殴った。少女はまた指さされた。

 

 学校では何も言えない暗い子だった。教科書や机はいつもぐちゃぐちゃで、くさい、きもい、寄るなと言われた。先生は暗い子なんて見えていないようだった。

 

 少女は携帯を買ってもらった。たまたま見つけた小説の中で、主人公はいつも必要とされ、誰かにほめられ、迷惑をかけることがなかった。自分もこうなりたいと思った。

 

 けれど現実は何も変わらなくて、お父さんはお母さんを突き飛ばした。お母さんは机の角に頭をぶつけて動かなくなった。お父さんは輪っかを天井から吊るして、椅子を蹴っ飛ばした。左右に揺れるお父さんは目を大きく開いて、最期の言葉を少女に贈った。

 

『お前さえいなければ』

 

 

 

ーーー

 

 

 

 あの頃と何も変わっていない、と少女は考えた。

 

「もう戦わなくていい、頑張らなくていいから……無理しないで、お願い」

「もう二度と目を覚ましてくれないんじゃないかって、ワタシたちずっと……」

 

 いまだ起き上がれない少女、瑞乃の左右から、やちよとみふゆがすがりついている。瑞乃はたとえ生まれ変わっても誰かを泣かせ、迷惑をかけてばかりだ。最愛の妹にあれほど悲しい顔をさせた時点で姉失格だろう。

 

 半分欠けた天井を無気力に見上げながら、瑞乃はただなされるがままだ。医者はまだ意識が混濁しているかもしれないと言っていた。

 

 やちよとみふゆに続き、みかづき荘のメンバーを始め多くの人物が病室を訪れた。かなえ、ももこ、メル、レナにかえで、十七夜、その他顔も名前も知らない匿名の少女たち。口々によかったとつぶやき、多くが安堵の涙を流していた。

 

「お姉ちゃん。家に帰ったら、ずっと一緒にいようね。ごはん食べて、お風呂入って、同じお布団で寝てさ。もう放さないんだから」

 

 面会時間の終了間際、鶴乃は耳元でそう囁いて、病室を出ていった。

 

 誰もいなくなった個室。消灯時間が過ぎ、点滴の雫が落ちるわずかな音だけが響く病室で、瑞乃はむくりと身体を起こした。

 

 天井だけではなく、どこを見回しても左半分が欠けている。さらに左腕の感覚が完全に喪失していた。

 

 おぼろげな記憶の中で、医者は「すでに完治しています」と言っていたのを思い出す。

 

「ヤブ医者?」

「それは違うよ」

 

 ベッドサイドテーブルにはいつの間にか白い獣が鎮座していた。白い陶器のような身体にビー玉みたいな赤い目がくっついている。神出鬼没の宇宙人、キュゥべえだった。

 

「ソウルジェムを見てみるといい。宝石の形態でね」

 

 瑞乃は眠気を払いつつ、ソウルジェムを十数年ぶりに宝石の形態へ変化させる。無数の亀裂が入ったソウルジェムは、一部が亀裂に沿って欠損していた。

 

「……えっ?」

「ようやく代償の支払いが始まったんだ。欠損した魂に相当する部位が機能不全を起こしていないかい?」

「うん、起こしてる、けど……えっ、あの、何がどうなってるの? あの時聞いても分からないって言ってたじゃん」

「輪廻に逆らった魂の行く末を、僕らはずっと観測していた。あの時は分からなかったけれど、君のおかげで興味深い結果が得られたよ。聞きたいかい?」

「お願い……」

 

 キュゥべえは瑞乃の身体に起こっている異変を、分かりやすく説明し始めた。

 

「まず、君の魂はすでに死んでいる」

 

 輪廻のシステムに逆らった反動で、六野かすかの魂は粉々に砕け散った。キュゥべえがその魂をソウルジェムに変質させると、転生で束ねられた因果が膨大な魔力を生み、砕けた魂を無理やり圧縮形成。奇形のソウルジェムが出来上がった。

 

「卑近なたとえをするなら、砕けた割れ物をテープか何かで無理につなげ合わせている状態だ。テープにあたる魔力が少なくなれば亀裂が広がってしまう」

「ああ、そういえば」

 

 因果を具象化したあの日も、連日のハードワークで魔力を使いすぎていたあの頃も、どこかでヒビの入る音が聞こえた。魔力が少なくなったことでソウルジェムの亀裂が広がっていたのだ。なりふり構わない先の戦いでその亀裂が深まり、ついには欠けてしまった。

 

「本来、魔力にそこまでの万能性はない。君が生きていること自体、都合の良すぎる奇跡だよ」

 

 色のないキュゥべえの声音に呆れが混じる。少しの間を空けて、

 

「見ての通り、君の魂にはすでに大きな綻びが出来た。ご都合主義でも維持できないほどのね。そこを起点にして少しずつ欠損していき、いずれ完全に消滅するだろう」

「いずれ、って?」

「およそ一年。魔力の使いようによっては多少の誤差が出るよ」

「……そっかぁ」

 

 そうかー、と繰り返して、瑞乃はベッドに寝転んだ。いびつな形のソウルジェムを指輪に戻し、大きなため息をつく。

 

 余命一年と言われても、瑞乃にさほどのショックはない。もともと諦めた命だった。合計で三十年以上生きて、愛する妹や仲間に恵まれ、楽しい思いもたくさんした。結局迷惑をかけてばかりだったけれど、悔いはなかった。

 

 しかし後一年の間に、鶴乃だけは普通の少女に戻しておきたい。鶴乃が魔法少女の宿命を負うことだけは、自身の死よりも耐え難いことだった。

 

「それは無理だよ」

「え?」

 

 が、キュゥべえはあらかじめ知っていたように否定する。

 

「魔法少女の契約は生物の死と同じく、本来は不可逆反応なんだ。これを覆す君のご都合主義は、おそらく大量の魔力を必要とするだろう?」

「そりゃそうだけど……」

「さっき言ったとおり、魔力を多く使えば君はより早く死ぬ。契約を白紙に戻すほどの改変は、試みるだけでも即死だと推測できるよ」

「えっ、ちょ、ええっ」

 

 瑞乃は飛び起き、嫌な汗を流しながらキュゥべえに詰め寄った。瞳孔が開き、口がカラカラに乾いていく。

 

「鶴乃が魔法少女の宿命を背負うってこと?」

「そうだね」

「……そうだね、じゃなーい!」

「何をする気だい?」

 

 瑞乃の壊れたソウルジェムを中心に、因果の光輪が展開。暗い病室が明るく照らされる中、瑞乃は円環に手を突っ込んだ。

 

「私があの日、過労で倒れたのをなかったことにすれば……!」

 

 瑞乃が倒れたくさん心配をかけたから、鶴乃が契約を結んでしまった。倒れた事実を消してしまえば契約自体がなかったことになるはずだ。

 

 そう見込んでの行動だったが、びしり、と嫌な音が鳴る。

 

「いっ……!?」

 

 ソウルジェムの亀裂が広がっていた。同時に魂が砕ける尋常ならざる激痛が全身に迸る。常人ならショック死しても不思議ではない苦痛。失神の瀬戸際でどうにか持ちこたえ、魔法を止めた。

 

 すると、左腕だけでなく左肩から胴体にかけての感覚がなくなっていた。

 

「なるほど、因果の具象化だけでも桁違いの魔力を消費するようだね。内容にかかわらず、意図的な改変は不可能だ。君にできることはもうないよ」

 

 今度こそ目の前が真っ暗になった。

 

 瑞乃は鶴乃に普通の少女として生きてほしかった。いつか絶望し魔女化する宿命など背負ってほしくなかった。普通の少女として青春を謳歌し、女性としての幸せを見つけてほしかった。

 

 今やすべては過去形だ。ご都合主義があるからいつでも契約を反故にできると慢心した瑞乃のせいで、鶴乃を救う手段はなくなった。自滅覚悟で改変しようにも、因果操作はかなりの手間がかかる。下手に試して半端な状態で死んでしまえばそれこそ最悪だ。

 

 つまり、瑞乃は最愛の妹に魔法少女の宿命を負わせ、その上早死して悲しませるだけ悲しませて生涯を終えるのだ。

 

 最悪の人生を予見した瑞乃の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。

 

「なんで、なんで……なんでうまくいかないの……私だって頑張ってるのに、鶴乃が大好きで、幸せになってほしくて、誰よりも愛してるのに……なんで迷惑かけちゃうの……」

「君が君であるかぎり、ずっとそうだと思うよ。もっとも、君に来世はないけどね」

 

 淡々としたキュゥべえの指摘が追い打ちになり、瑞乃はしくしくと枕を濡らした。迷惑をかける自分が大嫌いで、向き合うことすらせずに転生して逃げ出した少女の末路は、とてもあわれだった。

 

 けれど瑞乃は諦めない。

 

 迷惑をかける自分が嫌いなのは変わらないが、それ以上に鶴乃のことが大好きだからだ。

 

 鶴乃は生きる理由をくれた。生きることから逃げた瑞乃に、向き合う勇気を与えてくれた。姉としてこれに報いるまでは、死んでも死にきれない。

 

「私にはまだ、ご都合主義がある。改変はできなくても、どうにかなる」

 

 自動発動のご都合主義は、周囲の因果へ絶えず干渉し、瑞乃に都合の良い結果を呼び寄せる。この魔法が生きている限り、諦めるのは尚早だ。鶴乃を魔法少女の宿命から解放し、ついでに瑞乃の命さえ救うような都合の良すぎる方法が、どこかに転がっているに違いない。

 

「そんなものがあるわけないじゃないか」

 

 瞬間、瑞乃の魔法がキュゥべえの発した言霊を因果へ変換。キュゥべえさえ観測できない謎のプロセスを経て、瑞乃に都合の良い結果を生み出した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 誰にも認知できない因果干渉の恩恵を瑞乃が受けたのは、翌日の昼のことだった。

 

「瑞乃さん。あなたに、会ってほしい人がいるんです」

 

 見舞いに訪れたその少女は、瑞乃が最初に黒タマ中華丼を提供した力のない魔法少女だった。

 

 少女は病室の入り口にとてとて駆け寄り、外で待っていた人物を招き入れる。

 

 瑞乃よりも数センチ低い小さな体躯。腰まで伸びた赤みの強い茶髪は内向きのカールがかかっている。年の頃は小学生の高学年程度だろう。

 

 その女の子はどこか人を食ったような笑みを浮かべ、鈴のような声を鳴らす。

 

「初めまして、由比瑞乃。わたくしは里見灯花。わたくしたちマギウスと一緒に、魔法少女の宿命から解放されよう!」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 由比瑞乃は神浜市の最古参にして最強の魔法少女だった。力のない魔法少女には東西の区別なく手を差し伸べ、多くの少女たちに慕われた。強力な神浜の魔女や使い魔の多くを単身で撃破し、一般人の被害を防いできた。まさに誰もが理想とする魔法少女の鑑だった。

 

 しかしある日を境に昏睡状態に陥り、数カ月の眠りについてしまう。

 

 ようやく目を覚ました翌日──

 

 由比瑞乃は失踪した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 お姉ちゃんは何でもできる。

 

 妹のためなら、たとえ妹が望まないことであろうと、笑顔が曇ることがあろうと、お姉ちゃんは何でもできる。

 

 そして由比瑞乃は、お姉ちゃんでありたかった。


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