お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第12話

 由比瑞乃は長い昏睡から目覚めた翌日、忽然と姿を消した。ベッドの上には妹から贈られたオレンジ色の髪紐が残されていた。

 

 由比家は警察に捜索願を届け、鶴乃を始め瑞乃と近しい魔法少女たちは総出で神浜中を探し回った。しかしいくら聞き込みをして、魔力を探って回っても成果はなく、ただただなぜ、どうしてと少女たちは繰り返すようになった。そのうち神浜市内からキュゥべえまで姿を消したが、誰も知ったこっちゃなかった。

 

 そんなある日、失踪から一ヶ月経った頃のことだ。

 

 どこか暗い雰囲気の漂うみかづき荘に、一本の電話がかかってきた。

 

『もしもしやっち? 私だよー』

 

 やちよは受話器を握りつぶしそうになった。あふれでる感情と言葉を必死で抑えつけながら、震える声で対応する。

 

「今、どこにいるの? 身体は大丈夫なの?」

『ごめん、どっちもなんとも言えないって感じ』

「なによそれ……」

『やちよ』

 

 聞いたことのない真剣な声音で、瑞乃は親友の名を呼んだ。やちよは呼吸が止まり、次に考えていた質問も文句もすべて吹き飛んでしまった。

 

 その空白にねじ込むように、瑞乃は告げた。

 

『一生のお願い。鶴乃を一人にしないであげて』

 

 何を言い返す暇もなく通話が切れ、やちよはゆっくりと受話器を置いた。一番そばに居なきゃいけないのは、あなたでしょうというつぶやきは、誰にも聞かれることなく空気に溶けた。電話台の前にへたりこんだやちよは、後からやってきたももこに助け起こされるまで動くことができなかった。

 

『私はお姉ちゃんを信じてる!』

 

 件の妹、鶴乃は表面上とても元気一杯だった。瑞乃が寝込んでいる間に猛特訓を重ね、チャイナにカブれた父親と母親、祖母と共に人気店の万々歳を回している。学校では友だちも多く、勉強では常に学年で一番、体育ではヒーローじみた活躍をするスーパー少女として大人気だった。

 

 けれどやちよたちは、そんな鶴乃を見ていられない。

 

『えへへ……お姉ちゃん……』

 

 鶴乃はやちよとみふゆの前でだけ、魂の抜けたような顔を見せることがある。手首には瑞乃が愛用していた髪紐をミサンガのように巻いており、それをじっと見つめながら、うわ言のようにお姉ちゃんと繰り返すのだ。

 

 鶴乃はきっと瑞乃が戻ってきてくれると信じている。それでも生まれたときから、ともすれば両親よりも深く懐いてきた最愛の姉を失って、平気なはずがなかった。やちよはみかづき荘チームの一員かつ大切な友だちとして鶴乃に寄り添い、けっして一人にしなかった。

 

 親友の失踪と、それに傷つく鶴乃とやちよ。これを受けて独自の調査を進めているのは、梓みふゆだ。

 

「ここが噂のポイントですね……」

 

 神浜市内、北養区の山のふもと。駅にほど近いここには業務用スーパーも経営しており、買い物客の波ができている。みふゆは触角アホ毛をレーダーのように動かしながら、スーパー周辺の雑踏に瑞乃の影を探した。

 

 みふゆは神浜市内に根付く噂話に目がない。都市伝説じみた噂をフィールドワークで集めて回り、神浜ウワサファイルにまとめるほどのオカルトフリークだ。いつかのやちよと瑞乃が河原で盛っていたことも、フィールドワークの聞き込みから得た情報だった。

 

 その情報網に引っかかったのが、『マギウスの翼』と呼ばれる秘密組織だ。

 

 魔法少女の救済、宿命からの解放を標榜する謎の組織。みふゆはこの組織の頭目こそ瑞乃だと予想している。

 

『魔法少女になったことをなかったことにする』

 

 瑞乃はかつて、やちよとみふゆを実際に宿命から解放しようとした。理由は不明だが、あの力を旗頭に人員を集め、組織を作ってひそかに活動している。組織の拠点があると噂されているのが、北養区の山を中心とした地域だった。

 

 ただし情報の信憑性は都市伝説と変わりない。落ち込む鶴乃たちにぬか喜びの絶望を与えないために、一人でやってきたのだ。

 

 万が一噂の通りなら、どうして失踪したのか、組織を設立した動機は何なのかを聞き出す。それから力ずくでも戻ってきてもらう。みふゆは決意を瞳にみなぎらせ、買い物客へ視線を巡らせつつ山のふもとを歩いて回る。

 

 その熱意が報われたのは、捜索を開始して三時間後。すでに日も落ち夕飯の材料を抱える客が増えだした時間帯だった。

 

「うにゃー! なんでこの天才がこんな雑用しなきゃいけないの!?」

「噂の中華料理が食べたーいって言い出したの、みとっちじゃんね? 買い出しくらいいいじゃない」

「良くない! かすかは上司への敬意が足りてないんだよ! 今度から食材は業者に発注するからね!」

「え、いいの? こそーっとカゴにお菓子放り込んでたの、できなくなるよ?」

「き、気づいてたの!?」

「ホントにやってたんかい道理で高くついたわけだ」

「カマかけ!? この魔法おばさんっ!」

「やかましいよキュゥべえの擬人化ぁ!」

 

 満載のレジ袋を右手に三つ抱え、小学生程度の少女を連れた人影。パーカーのフードを目深に被り、巧妙に魔力が隠されていてもみふゆには丸わかりだった。由比瑞乃その人だ。

 

 認識した瞬間に湧いたのは驚きで、次に元気な様子を見て安堵。しかし鶴乃の光を失った目つきと、やちよの沈んだ表情が頭をよぎり、怒りが湧いた。連鎖するように喜び悲しみ寂しさが湧いて、制御の利かないままみふゆは身体を動かしていた。

 

 むすっとする少女をどうどうとなだめる瑞乃の前に、ゆらりと立ちふさがる。

 

「久しぶりですね、みっちゃん」

「うにゃ? 梓みふゆだ」

「……私、瑞乃違うネ。しがない中華料理人アルヨ」

「変なキャラで誤魔化そうったって無駄です。とりあえず、みかづき荘までご同行いただけますか?」

「……」

 

 瑞乃はフードをさらに深くかぶって、そっぽを向いた。みふゆのアホ毛が鬼の角よろしく逆立った。

 

「あなたって人は……」

 

 人目の多いスーパーの前でなければ、問答無用で変身し幻覚の魔法で捕獲していただろう。みふゆはごちゃまぜになった感情が暴発しないよう、必死で平静を保つ。

 

 すると膠着した二人の間に、小さな影が割って入る。

 

「本当だよ、梓みふゆ」

 

 瑞乃と言い合いをしていた少女だった。どこか見覚えのあるつぶらな瞳でみふゆを見上げ、にっこりと微笑んだ。

 

「この人の名前は六野かすか。参京区の裏ボスと言われた由比瑞乃とは一切関係ないよ。ね、かすか?」

「……うん」

「どういうことですか。あなた、みっちゃんの何なんですか」

「だーかーらー、みっちゃんじゃないんだってば。ちゃんと神経つながってる?」

 

 割って入ってきただけでなく、会話がまったく噛み合わないことにみふゆの怒気が高まっていく。

 

 両者がにらみ合い次第に空気が張り詰めていく中、先に引いたのは少女の方だった。いいことを思いついたとばかり、小さな両手を合わせ──ようとしたところ、レジ袋が重すぎて腕が動かなかった。

 

 頬を膨らませながら、少女は改めて言う。

 

「場所を変えて話そっか。みかづき荘のメンバーはいつか勧誘するはずだったし、ちょうどいいよね」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 みふゆが招かれたのは山中の電波望遠鏡だった。表には見覚えのあるロゴマークが刻印されており、つい最近足繁く通った『里見メディカルセンター』を連想する。その想像の通り、少女は里見メディカルグループ代表の娘で、電波望遠鏡は系列企業の資産の一つだった。

 

 施設の中には謎の黒いローブをまとった少女たちの姿があった。ローブの少女たちの中には瑞乃のお見舞いに来ていた顔ぶれと一致する者も多かった。

 

 やがて広々とした談話室に通される。テーブルをはさみ、瑞乃とみふゆは隣同士で、対面に少女が座る。うつむいた瑞乃の左手をみふゆはずっと握っていた。

 

「改めて、初めまして梓みふゆ。わたくしは里見灯花。マギウスの一人だよ」

「梓みふゆです。マギウスとは、今噂になっている魔法少女救済のための組織、でいいのでしょうか」

「そのとおり! 話が早くて助かるよ。詳しく言うとね──」

 

 灯花はマギウスと、その手足となって働く実働組織『マギウスの翼』について詳しく語った。

 

 灯花を含む三人のマギウスの固有魔法を使い、今の神浜市では魔女化を回避するシステムが稼働している。このシステムを世界中に広げ、魔法少女を魔女化の宿命から解放するために活動するのがマギウスの翼の仕事だという。

 

 システムの規模拡大には膨大なエネルギーを要する。屋敷の地下に眠る特殊な半魔女を魔女化させた際の相転移エネルギーを使い、システム拡大に使う。エンブリオ・イブと呼ばれる半魔女は神浜市内の穢れや人々の感情エネルギーを回収し、肥大化していずれ魔女になる。これを促進するため、マギウスの翼は有望な魔女を飼育、管理し被害者たちから負の感情エネルギーを回収する。同様の手順でウワサと呼ばれる特別な怪物も使い、人々からエネルギーを回収していくという。

 

「魔法少女を救うために、非道へ落ちるというわけですか」

 

 みふゆは変身し、チャクラムを灯花へ突きつける。

 

 眼前の刃をきょとんと見つめながら、灯花は首をかしげた。

 

「何か気に障った?」

「目的には共感できます。非道な手段も、魔女化の恐怖を思えば許容せざるを得ません。ですが……みっちゃんを脅迫してこんなことに加担させるのだけは、絶対に許せない」

「脅してないよぉ! きちんと一から説明して納得したから参加してくれたんじゃない!」

「……えっ?」

「もう、早とちり! 前頭葉動いてないんじゃないの?」

 

 灯花の煽りも耳に入らない。みふゆは今日一番の驚きで固まりながら、うつむいたままの瑞乃を凝視する。

 

 両手を上下にぱたぱたさせている灯花の抗議を受け、ひとまず変身を解くみふゆ。

 

 ぽつり、と瑞乃が切り出した。

 

「……みとっち」

「今さらなんですがみとっちって誰です?」

「さと『みと』うかだからみとっちなんだって。シナプス焼き切れたネーミングセンスしてるよねー」

「それ褒めてんの貶してんの? じゃなくって、もう!」

 

 思わずつっこんでしまった瑞乃は頬を膨らませ、灯花に「プライベートな話するから、ちょっと席外してくれない?」と言った。灯花は「仕方ないにゃー。晩ごはんの時間もあるから、あんまり長引かせないでね」と答え、談話室を出ていった。

 

 広い部屋にぽつんと残された二人は、しばし沈黙してソファに身を沈めていた。

 

 瑞乃はみふゆの記憶よりも小さく、弱々しい。色素の薄い茶髪のサイドポニーは失われ、肩口で切りそろえられている。

 

 みふゆは不安に揺れる瞳で瑞乃に詰め寄り、口火を切った。

 

「信じられません。みっちゃんはこんな悪いことする人じゃないじゃないですか。誰にでも優しくて、みんなを助けるヒーローです。関係のない人たちを巻き込むようなやり方なんて選ぶはずありません」

「みっふ」

「きっと騙されてるんです。こんなこと止めて、西に帰りましょう。やっちゃんも鶴乃さんも、みんな心配──」

「みっふってば!」

 

 瑞乃の右手がみふゆの肩を激しくつかむ。フードの下からのぞく泣き笑いのような表情に、みふゆはハッと息を呑む。

 

「褒められたやり方じゃないって分かってる。鶴乃のお姉ちゃんとして恥ずかしい自分勝手な方法だって。だから私はここにいるんだよ。由比瑞乃じゃなくて、六野かすかとして」

 

 マギウスの目的はともかく、手段はテロリストのようなものだ。最強のお姉ちゃんとして選んではいけない手段だった。鶴乃にとても顔向けできないから、瑞乃は姿を消して、六野かすかとしてここにいる。

 

「私は死ぬことも魔女になることも怖くなかった。だけど鶴乃が私のせいで宿命を背負ったことだけはやるせなくて、すっごく怖い。鶴乃を解放するためなら、私はなんだってやるよ」

「ま、待ってください」

 

 みふゆには腑に落ちない。

 

 鶴乃が魔法少女になったことがショックなのは理解できるが、だからといってマギウスのような非道に手を貸す理由はない。なぜなら、

 

「ご都合主義の魔法があるじゃないですか!」

 

 かすかにはいつでも鶴乃を宿命から解放できる手段があった。実際にやちよとみふゆを宿命から解放しかけたこともある。鶴乃一人を救うならそれで事足りるはずだった。

 

 指摘を受けたかすかは唇を噛み、右手で左腕を抑える。大きな過ちを悔いているようだった。

 

 ふと、みふゆは左腕に目が行く。先ほど握ったときには不自然なほど動きがなく、死体のように冷たかった。次いで、かすかの左目の瞳孔だけが完全に開ききっているのにも気がつく。

 

「失礼します!」

 

 左手を拝借すると、糸の切れた人形のようにだらりとしていた。

 

「……いつからなんですか」

「目が覚めた後」

「お医者様は身体に異常はないと」

「異常があるの、魂の方だから」

 

 かすかは達観した顔つきで指輪を宝石の形態へ変化させた。六年の付き合いがあるみふゆも初めて見るかすかのソウルジェムはひび割れ、亀裂に沿って一部が欠損している。

 

 魔法少女の命そのものであるソウルジェムがこれほどに傷つき、欠けている。現実離れした光景にみふゆは絶句し、次なるかすかの言葉で目の前が真っ暗になった。

 

「私、もう長くないんだ」

 

 かすかは一から事情を語った。

 

 転生を願ったこと。その代償に魂が砕け、魔力で無理に延命していたこと。度重なる負荷で綻びが生じ、余命はあと一年もないこと。多大な魔力を要するご都合主義の改変が、使えなくなったこと。

 

「みっふの言った通りだったね。いくら強力な能力があっても、中身がダメダメじゃ意味がない。前世も今生も失敗ばかりで、周りに迷惑かけっぱなしだったよ」

 

 でも、と続ける。

 

「鶴乃にかけた迷惑だけは……お姉ちゃんとしてのけじめだけは、投げ出しちゃいけない。鶴乃が一生魔女化しない都合のいい手段があるっていうなら──」

 

 お姉ちゃんは何でもできる。

 

 かすかはとっくに覚悟を決めていた。失敗と空回りの繰り返しで心が折れたら転生を願う。頑張ることはあっても心のどこかで逃げ道を探している自分が大嫌いだった。けれど残された命と手段を前にして、やっと逃げないことを決意したのだ。

 

 互いに親友と呼んではばからないやちよとみふゆとも違う、世界でたった一人の妹。生きることを教えてくれた鶴乃のためにようやくかすかは無能なカスを卒業した。

 

 お姉ちゃんのけじめを通すためなら、どんな非道であろうと受け入れる。妹の笑顔を曇らせてでも幸せを願う。

 

「……もしもワタシがこのままみかづき荘に戻って、鶴乃さんに全部伝えたらどうしますか?」

「……なんでもとは言ったけど」

 

 視線を泳がせ、ぐっと言葉を詰まらせて。

 

「みっふと絶交するのは、やだなあ……」

 

 すべて諦めたような、弱りきった微笑み。

 

 六年間の付き合いで二度目に見る、最強の親友の弱い一面だった。やちよのビンタで立ち直ったあの時とは違い、かすかは自分の弱さに押し潰されそうになっている。

 

 やちよならまた叱咤するかもしれない。鶴乃なら、他のみかづき荘のメンバーなら──しかしここにいるのはみふゆだけで、選択肢もまた一つだけだった。

 

「まあ、もともとマギウスの翼には入るつもりでしたからね」

 

 寄り添うこと、である。

 

「えっ」

「魔法少女の救済。手段にはあまり感心できませんが、年長者としてひと肌脱ぐのも悪くありません」

 

 かすかの身体を優しく抱いて、耳元に口を寄せた。かすかの身体は驚くほど華奢で、今にも崩れて塵になりそうに思えた。

 

「一人で背負うのは終わりです。あなたの罪も苦しみも、ワタシが一緒に背負います」

「みっふ……」

「改めてよろしくお願いしますね、かすかさん」

 

 かすかは唇を噛み締め、溢れ出そうとする感情を全力でこらえた。お姉ちゃんの意地を通すために何でもやると決意した。たとえ親友の前だろうと、けっして弱い姿は見せない。けれど虚勢を張れるほどの余裕はなくて、弱々しい力でどうにか抱き返し、「よろしく」と掠れ声で伝えるのが精一杯だった。

 

 こうしてマギウスの翼に西の有力者二人が加入。由比瑞乃に続いて梓みふゆまで失踪したことで、神浜市内にはさざなみのような予感が広まった。

 

 ただならない何かが起ころうとしている、という予感である。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 その予感が現実のものとして的中するのは、半年後のことだった。

 

「鶴乃ちゃんたちは私のこと、覚えてるかなぁ……」

 

 妹を探す一人の少女。

 

 彼女がある店ののれんをくぐったとき、虚しい喜劇の幕が上がる。


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