北養区、電波望遠鏡の真下。地下のフロア全域をぶちぬいた広い空間は毒々しい色彩に染め上げられ、魔女の結界を思わせる。元はポンプ室や電気室などがあるだけの小さなフロアだったが、マギウスが一人アリナの結界によって拡張され、体育館程度のスペースが確保されていた。
そんな結界の中央に、巨大な生き物が安置されている。王冠と宝石で彩られた蛾のようなそれは天井すれすれまで届く巨体を誇り、通常の魔女とは比較にならない濃密な瘴気をまとう。
エンブリオ・イブ。マギウスが計画の要としている特殊な半魔女だ。大きな腹部には神浜市全域から集めた感情エネルギーと穢れが貯蔵されており、このエネルギーが臨界に達したそのとき、世界を変革できるほどの相転移エネルギーを生む。
そんな規格外の半魔女の足元にて、テーブルにつく人物が三人。
そのうちの一人は烏龍茶を飲みながら、イブの体を仰ぎ見る。
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」
「どこから目線?」
「お姉ちゃん目線」
「イブ相手にお姉ちゃん力を発揮するものじゃないよ、かすか」
組織の幹部、かすか。さらにその上に立つマギウスの二人、灯花とねむだ。イブの成長具合を確認しつつ今後の組織の方針を相談する幹部会議の真っ最中である。他の幹部クラスはそれぞれの活動で忙しく、取り急ぎ集まれる人員だけで話を進めている。
かすかは冗談もそこそこに、イブを見上げたまま言った。
「でもほんと、竹より成長早くない? 私が来たころはこれの半分くらいだったよね?」
「それだけエネルギーの回収が順調ってことだよ! 特にかすかの働きと、後追いで入ってきたよわよわ魔法少女連絡網の影響が大きいよね」
「同感だよ。僕らが電波勧誘を実行する前に、初動でかなりの量のエネルギーを調達できたことは、この上ない僥倖だった」
「ふーん」
なんにせよ、妹を救う作戦が早まることに不都合はない。かすかの余命は短く、用意した秘策も成功する確証がないため、前倒しはむしろ非常に好都合だ。
灯花は紅茶をちびちび飲みつつ、複雑そうに表情を曇らせる。
「でも残念だなー。わたくしの考えた素敵な作戦、必要なさそうだもん」
「作戦って?」
「ワルプルギスの夜を神浜へご招待する作戦だよ!」
ふーんと流しかけたかすかは数秒視線を宙に漂わせてから、目をまんまるにして灯花を二度見した。何言ってんのこいつと言わんばかりの視線をものともせず、灯花は得意げにボツとなった作戦を語りだす。
数百年単位で生存する伝説級の魔女、ワルプルギスの夜。魔力を持たない一般人には大災害として認識される天災的魔女を、灯花は神浜に呼ぶことができる。
まず羽根たちのマンパワーにより神浜市の電波局を制圧し、手中に収めた電波を灯花が調整してワルプルギスの夜へ照射。さらにねむが具現の魔法でアレコレすると、電波で市外から魔女を集めているのと同じ要領でワルプルギスの夜さえ呼べちゃうという。
すると神浜市が崩壊する代わりに、犠牲者たちから大量の感情エネルギーが発生。イブは簡単に孵化するとのこと。ワルプルギスの夜は、魔女化したイブに食べさせれば問題ない。
かすかは苦い顔で眉間を押さえている。
「もうちょい人に優しくなろう? 犠牲者の気持ち考えて?」
「未来で救われる何千何万の──」
「それもう聞いた」
未来のためなら今の犠牲は許容できる。合理的な考えをさえぎられた灯花はぷくっと頬を膨らませた。ねむもまた同じように、罪悪感やためらいはまったくうかがえない。
(気のいい子たちなんだけど、こういうとこがなぁ……)
小さな友だちの困ったところを改めて突きつけられ、かすかは頭の痛い思いだった。指でとんとんテーブルをタップしながら顔をしかめる。
「計画に相乗りさせてもらってる手前、こんなこと言いたくないけどさ……さすがにそれ、ラインだからね」
「ラインって?」
「強行したら裏切るってこと」
空気が硬化する。灯花とねむは目を見開きかすかを見返してから、硬い表情でうなずいた。
かすかの立ち位置は最大戦力だけでなく、羽根の初期メンバーの楔でもある。造反はすなわち計画の崩壊なので、二人も神妙にならざるを得ないのだろう。
とはいえ、エネルギーの回収進捗はきわめて順調。わざわざ伝説を呼び寄せる危険極まりない加速案を実行する必要はない。焦らずコツコツと活動すれば年内には解放が成るのだから。
この調子で頑張るために、と灯花が言葉を継いで会議が続く。組織が保有する有力な魔女の管理、エネルギーの回収効率ごとに分類した大物、小物のウワサの管理など。ウワサについては西に放している口寄せ神社、ミザリーウォーターが立て続けに破壊されており、西での警戒を強める必要がある。
ウワサはねむが魔法で創造しているが、一つ生み出すごとに寿命が削れ、体調が大きく崩れる。出来る限り壊されてはいけない。
「そのことについて、報告がある」
方針を共有する灯花とかすかに、ねむが割って入った。
「遺言のドッペルによるウワサの創造。その代償に僕の寿命があったわけだけれど……おそらく、代償はもう不要だよ」
「えっ?」
灯花が身を乗り出した。計画に必要とはいえ、ねむが支払う代償を本人よりも強く懸念していたのは灯花だったからだ。どういうこと、と口に出す。
「僕にも詳細は分からない。およそ一月ほど前から、ウワサを創造しても負荷を感じなくなったんだ。現にここ最近は体調を一度も崩してない」
「そういえばずっと調子いいままだもんね。へー、そっか」
「何をニヤニヤしているのかな、灯花?」
「べっつにー」
不思議そうに首をかしげるねむに対し、灯花は満面の笑みで紅茶を口に運ぶ。かすかにとってもこの小さな友だちが健康でいることは都合がよく、同じように烏龍茶を口に運ぼうとして、ふと気づいた。
親しい誰かが抱える不都合。なかったことになる代償。勝手に減っていく自分の魔力。試しに指輪状のソウルジェムへ意識を向けてみると、今朝グリーフシードを使ったはずなのにもう穢れが溜まっていた。
「天才を自称するなら、何か仮説の一つでもないのかい?」
「情報が足りないにゃー。科学的な検証には、事実の観測を積み重ねることが不可欠なんだよ。想像だけでみんな間に合わせるねむとは違うんだから」
「むっ……その言い方だと、まるで僕が現実を見ていないように聞こえるよ」
「くふっ」
「灯花……!」
「どうどう」
ヒートアップする二人をなだめながら、心当たりというより答えをそのまま察したかすかは薄く笑った。好都合だ、と。
どのみちもうまっとうに生きることはできない。未来ある誰かのために少しでも命を使ったほうがいいだろう。とりわけねむは、弟と妹の違いがあるとはいえ同じお姉ちゃんであり、転生の希望を分かち合った同士なのだから。
ねむと灯花が仲良くいがみ合うのに挟まれながらも会議は進み、解散することに。
かすかは烏龍茶を飲み干して席を立つと、別れ際に言った。
「みとっち。約束のブツはもうできてるから、今夜ウチに来てくれる?」
「ほんと? 行く行く!」
「何の話かな?」
「ねむには関係ないよ!」
放っておくとキャットファイトでも始めそうな気配を感じ、かすかはむっとするねむを「まままま」となだめた。
「デザートの話」
かすかの左腕がちぎれかけて入院した折、いろいろと気を利かせてくれた灯花へのお礼のため、好きなデザートを作ると約束した。そのとおりに一品出来上がったから、という話だ。
話を聞いたねむはますます不機嫌そうに口を尖らせる。灯花は勝ち誇ったように胸を張り雰囲気は悪化の一途。衝突しやすい二人がこうなることはかすかにもうすうす分かっていた。
「ねむりんも来な?」
分かっていれば対策を立てるのが料理人である。
「ちょっと作りすぎて冷蔵庫圧迫されてるの。一人増えたところで変わらないし、暇なとき来るといいよ」
「じゃあ今夜行く」
「えー!?」
「みとっち。たくさんあるから大丈夫だってば」
灯花はぶーたれて大いに不満を表明していたものの、取り分が減ることはないと言い聞かせるとやっと納得した。
プライベートの話もついたところで、今度こそかすかは席を立つ。肥大化していくイブに一瞥をくれた後、地下空間から出ていった。
ーーー
北養区から中央区の住処へ向かう電車にて、かすかはぼうっと車窓の外を眺めていた。平日の昼下がりのためか車内は閑散として、向かいの窓の外に水名区の町並みがよく見える。大時代な瓦屋根や城跡、鳥居などが連続したかと思うと、ありふれた住宅街、商店街へと風景が切り替わる。
『水徳商店街前、水徳商店街前です。開くドアにご注意ください』
「あっ、いけない」
知らずのうちにまどろんでいたのだろう。アナウンスを聞くと勝手に体が動き、車外へ。そのまま出口へ向かって改札機に定期券を通したところで、やっと間違いに気づいた。
「何やってんだろ、私……」
水徳商店街駅。参京区の中央にあたるここは、かつて過ごした万々歳の最寄り駅でもある。
改札を通った直後に回れ右をすることはできる。しかしかすかはあえてそのまま直進し、参京区の町並みへ足を踏み出した。顔見知りの店主が多い商店街は避け、細い裏路地を迷いなくすいすい進んでいく。そうして一本の路地から出る直前、足を止めて角から顔を出す。
戸建てと雑居ビルに挟まれた赤いのれん。引き戸には仕込み中の札がかけられ、待ち時間向けの古びた丸椅子が3つ並んでいる。お昼の部が終わった今は人気がない。
「あ……」
声が漏れた。
入口横の小さなスペース。かつてメニュー表やおすすめ品の写真が貼ってあったそこには、見慣れた顔のビラがはられている。『探しています 由比瑞乃 十九歳』。
気づけば早足でその場を後にしていた。
一口に神浜西部といっても広く、仮に知り合いと鉢合わせしても声色や魔力の隠蔽、パーカーのフードなどで身バレ対策は万全。とはいえかのみかづきチームのお膝元に長居するのは得策ではない。そそくさと逃げるように足を動かし──
「っつ……!?」
ほとばしる激痛にたたらを踏み、壁によりかかった。死んだソウルジェムによる発作が始まったのだ。
ソウルジェムを延命させているご都合主義が弱まればいつでも発作は発生するが、まさかこのタイミングで来るとは予想できず、かすかは路地の壁にもたれ、ずるずると路上に体を横たえる。全身の神経が直接刻まれるような痛みで視界は霞み、呼吸すらままならない。
もしもみかづきチームの知り合いにこの場を発見されたなら、抵抗も言い訳もできないままみかづき荘か万々歳へ連行され、かすかの意図はすべて水泡に帰すだろう。最悪の事態を避けるため、懸命に立ち上がろうと右腕を動かすものの、そのたびに空回りして地へ落ちる。
あまりに都合が悪いタイミングにかすかが絶望しかけたとき、救いがやってきた。
「大丈夫ですか!?」
手が滑って路面に顔から落ちそうになったかすかの体を、滑り込んだ腕が支える。見ると、編み込みロングヘアが特徴的な少女が心配げな顔をしている。
「すぐに救急車を──」
「だ、め……いらない……」
「で、でも……」
大慌ててでスマホを取り出した少女の手を、かすかの右手が掴む。困惑する少女だったが、かすかが「発作、すぐおさまる」と息も絶え絶えに伝えると、「わ、分かったからしゃべらないでください!」と言ってかすかの背中をさすり始めた。その際、ぐったりしたかすかの左手に目を留めわずかに目を見開く。
数分後。じわじわと痛みの波が引いていき、どうにか話せる程度には回復した。
かすかは袖で汗をぬぐい、壁を支えに立ち上がる。
「ごめんね、ありがとう。もう大丈夫だから」
「大丈夫に見えないですよ! フラフラじゃないですか……」
「持病の発作なの。慣れてるから平気平気」
「持病……? ま、待ってください!」
フードで目元を隠しながら笑顔で虚勢を張り、踵を返す。
すると、少女の方向から魔力の高まりを感じ、弾かれたように振り返る。そこには白と桃色ベースの魔法少女姿に変身した少女の姿がある。
目を丸くするかすかに、少女は強い口調で言う。
「その指輪、魔法少女ですよね? 見ての通り私もなんです」
「う、うん?」
「えっと、それで、私の力って、癒やしの力だから。悪いところがあったら、すぐに治せます」
かすかは絶句した。あまりに都合が良すぎる。さらに、かすかはおろか少女当人さえも知らないことだが、少女の癒やしの魔法は万能だった。あらゆる肉体的な損傷はもちろんのこと、魂の損傷さえ治癒することができる。まさに今のかすかにとって救いの女神になりうる存在かと思われた。
「君、さては……めちゃくちゃいい子だな?」
「そう、なんでしょうか……?」
死を受け入れているとはいえ、かすかも進んで死にたくはない。みかづきチームではない通りすがりの一般魔法少女になら、ソウルジェムのことを隠す必要もない。
かすかがソウルジェムを宝石の形態にして差し出すと、少女は息を呑んだ。
「お願い」
少女がソウルジェムの正体を知っているかどうか分からない。しかし無数の亀裂と欠損に塗れたその様子から異常は明白で、少女は表情をこわばらせ癒やしの力を発動する。
桃色の優しい魔力が、山吹色の壊れた魂を包み込んで数秒。光が消えるや否や、少女はヒザに手をついて息を荒げた。
「……はあっ、はっ……そ、そんな……」
かすかのソウルジェムに変化はなかった。欠損も亀裂もそのままだ。
通常の損傷であれば治癒していただろう。しかしかすかの魂は二十年近く前に死んでいる。たとえばバラバラに解体された死体を元通りにつなげ、手厚い治療を施したところで生き返るはずはない。ご都合主義の魔法はその道理を捻じ曲げ、無理やり魂を延命させているが、治癒の魔法が影響できる問題ではなかった。
『君が生きていること自体が、都合の良すぎる奇跡だよ』
どこかで聞いた声に分かってると独りごちながら、かすかはソウルジェムを指輪へ戻す。
「ありがとう、これ治療費ね」
「えっ、でも私……」
ストックしていたグリーフシードを落ち込む少女の手に握らせたところで、バイブの音が鳴り響く。断りを入れて出てみると、切羽詰まった声が聞こえた。
『もしもしかすかさん!? 助けてほしいでございます!』
「了解、場所と状況」
息を切らしたその声はひどく切迫していて、危機感にあふれている。瞬時に頭を仕事モードへと切り替えるかすか。
『悪質な誘拐犯に追われていまして……場所は水名区三丁目でございますっ!』
「ゆ、誘拐犯? あー、了解。すぐに向かうね」
『急いでほしいでございま……きゃあっ!? あーれー!』
「けっこう余裕あるでしょ君!?」
ひどく大時代な悲鳴とともに通話が途絶すると、かすかはパーカーの下で変身し、困惑する少女の方へ向き直った。
「用事ができたから、私はもう行くね。いろいろとありがとう」
「そんな状態で動き回ったら危ないですよ! 大人しくしてた方がいいと思います」
初対面の相手を本気で思いやる少女の姿にかすかは言葉を詰まらせ、踵を返す。それから「またね」とだけ言い置いて、その場を後にするのだった。
ーーー
かすかが発作に襲われた場所は、参京区と水名区の境にあたる。少女と別れてすぐに見えてきた瓦屋根や生け垣の上を、忍者のごとく飛び跳ね最短距離で駆ける。
ほどなく目的地の通りに面する塀が見え、その上に着地して下をうかがうと、常軌を逸する光景が広がっていた。
「ふんふん、ふんふん」
「おい鶴乃ー、まだ分かんねえのかよ?」
「あのう、その人泣いてますしそろそろ……」
「うう……ひどい辱めでございます……」
テレパシーの主、天音月夜。マギウスの翼の白羽根部門に所属する魔法少女で、最近は双子の月咲ともどもミザリーウォーターのウワサを撃破されたことでマギウスにお小言を言われていた。
どことなく大正ロマンを連想させる装束に変身している彼女は、羽交い締めにされて包囲されている。
金髪のツインテールの少女に抑えつけられ、しくしく泣いている彼女の横で、おさげメガネに小盾を装備した魔法少女が気まずげに佇んでいた。
「ふんふん」
「んっ! くすぐったいでございます……」
さらに、捕まった月夜の首元で犬のように鼻を鳴らす魔法少女が一人。橙色をベースに黄色いアクセントで彩られたその少女を前に、かすかは頭が真っ白になった。
由比鶴乃。かすかの大切な妹にして、もっとも顔を合わせたくない少女だった。
塀の上で身をかがめ、様子をうかがう。肌艶はもちもちつるつる、髪は毛先までよく手入れされていて、変に痩せた印象もない。あの金髪ツインテールは新しい友だちだろうか。元気にやっているなら嬉しい。かすかの巡る視線は鶴乃の手首に巻かれた山吹色の髪紐を捉え、今更ながら自分の所業を省みて胸が締め付けられる思いだった。
妹が大切だ。幸せになってほしい。なのに今、もっとも深く妹を傷つけているのはかすか自身である。
拳を強く握りしめ、爪先が肌を破った。その痛みすら感じない深くへと意識が沈んでいき──
「お姉ちゃんの匂いしないなぁ」
鶴乃の声で我に返った。そういえばこれ、どんな状況だよ、と。
鶴乃は念の為と言わんばかり、もう一度月夜の首元やその他デリケートゾーンに鼻を近づけている。月夜は顔が真っ赤で涙目になっている。
やがて顔を離した鶴乃は満足げにうなずき、輝くような笑顔を見せた。
「うん、シロだね。放していいよフェリシア」
「どんな匂いだった?」
「なんか仏壇みたいな匂いがした!」
「和室! 和室の匂いでございます!」
解放された月夜はよよよと崩れ落ちた。
悪質な誘拐犯じみた方法で学校に足止めされ、出てきたところを敵である鶴乃とフェリシアに待ち伏せされ、誘導尋問を受けたまらず逃げ出したと思ったら、通りすがりの魔法少女も加わった三人に捕まって、全身の匂いをかがれる辱めを受けたのだ。泣くのも無理はない。
金髪の少女、フェリシアは胡散臭そうに首をかしげる。
「鶴乃のそれってマジであてになんの?」
「もっちろん! この私がお姉ちゃんの匂いを間違えるはずないもん!」
かすかはくんくんと自分の匂いを確認した。鶴乃たちの行いについてなんとなく察したものの、乙女として看過できない発言だった。匂いきついんだろうか、と。
四人の頭上でかすかが青ざめていると、泣き崩れていた月夜が立ち上がり、半べそかきながら鶴乃たちをにらみつけた。
「こんなひどいマネをして、ただでは済ませないでございます!」
「おう、やるか!? オレ一人でもバッキバキにしてやるぜ! 知ってること全部吐かせてやる!」
「ままま待つでございます、やるのは私じゃなくて……あわわ」
「……もしかして、さっきの電話で誰か呼んだとか?」
鶴乃が鋭く察すると、月夜は自信に満ちたドヤ顔で何度もうなずいた。
「理解が早いでございますね。マギウスの翼が誇る最高戦力、六番目の翼。羽根ではなくたった一人で翼となりうる大幹部を、お呼びしたでございますよ! 貴女がたなんて、あの方にかかればケチョンケチョンでございますっ!」
「六番目の翼?」
鶴乃とフェリシアは顔を見合わせ、にひっと悪い笑みを浮かべた。
「そんなに偉い人なら、月夜ちゃんよりもっといろんなこと知ってるよね?」
「こっちは三人もいるんだぜ。そいつをガンとしてギュッと締め上げてやる!」
「はっ、し、しまったでございます!?」
頭上のかすかはというと、鶴乃に締め上げられるならむしろご褒美じゃんねぇ、と気持ち悪い笑みを浮かべつつ妄想にふけり始めた。妹が絡めばいついかなる立場でもこうなってしまうのが、姉のサガである。
「あの、あなたたちもうわさを調べてるんだよね。その人に聞けば、何か分かるかな……?」
「あなたもうわさを調べてるの?」
「うん、実は──」
そうこうしているうちに、通りすがりのおさげメガネの少女が事情を語る。どうやら神浜市のうわさを調べると言い残し消息を絶った先輩を探しているらしい。暁美ほむらと名乗った彼女は、手がかりを聞き出すため『六番目の翼』の到着を待つことにした。
『か、かすかさん、来てはいけません! 罠でございます!』
『うへへ……え?』
「おっと、逃さねーぞ」
「その人が来るまで大人しくしててね」
「ごめんなさい……」
テレパシーで我に返ったかすかが下を見てみると、そこには目を疑う光景が。月夜がフェリシアに首根っこを猫みたいに掴まれ、その上お下げの少女、暁美ほむらに拳銃を突きつけられている。念入りなことに、バレルには
『私のことは構いません……靖国でお会いしましょう……がくっ』
「いやいや、さすがに」
ご丁寧に擬音つきで月夜が力尽きたところで、やっとかすかが動いた。
パーカーの袖口から山吹色の光条がほとばしる。連なる雷紋の鎖はほむらの拳銃を弾き飛ばすと共に、月夜の体に巻き付く。ケガをさせないように調整して鎖を引っ張ると、掴んでいた手がすっぽ抜けたフェリシアがたたらを踏む。
弧を描いて飛んできた月夜の体を、かすかが優しく受け止める。
「え、えっ? かすかさん? どうして……」
「同じお姉ちゃんのよしみ。見捨てられるわけないじゃんね」
見捨ててもひどいことはされなかったと思うけど、とはあえて言わなかった。
しばし目を白黒させていた月夜だが、抱き留められた勢い余ってお互いの顔が極めて至近に位置していることに気づくと、紅潮して目を伏せる。正直右腕一本では重いのでかすかが塀の上に下ろすと、不満げに頬を膨らませた。
「おい、なんだよお前!」
塀の下ではフェリシアが声を張り上げている。ほむらと鶴乃は何かを考え込むように、じっとかすかを見上げていた。
「これ以上の乱暴はやめてほしい。戦場じゃないんだからさ」
いつもより数段低い声色で、魔力もうまく隠蔽して、フードもかぶっている。鶴乃に身バレすることはないだろう。
しかしここにおけるかすかの敵は月夜だった。
「かすかさん? ひどい声でございますが、風邪でもひかれましたか?」
「ちょっ」
「普段はもっと高くてきれいなお声をしてらっしゃるのに……」
「ちょっと黙って!?」
「むぐ」
あわてて月夜の口を塞ぐ。フェリシアたちは眉をひそめ、鶴乃はというと身じろぎもせずじーっとかすかを凝視している。
とにかく月夜を助けることには成功した。結界でもない日中の町中でこれ以上事を荒立てるのは得策ではないだろう。かすかは月夜の手を引いて撤退を促す。月夜がこくこくうなずいたので、二人はそろって踵を返し──
「なっ!?」
唐突に、鎖が閃いた。
一瞬のうちにパーカーの袖口から伸びた雷紋の鎖が向かった先は、ほむらの左腕だ。そこに装備された小さな盾を、腕ごとがんじがらめにして絡め取っていた。
かすか以外は視認すら困難な早業に、場が静まり返る。
やがて静寂を破ったのは、気まずげに頭へ手をやるかすかだった。
「なんか魔力が物騒な動きしたから、脊髄で動いちゃったけど。今、何やろうとした?」
「え、っと、その……」
片腕を拘束されたほむらは冷や汗を流し、必死で言葉を探している。
たしかにほむらは魔法を使おうとした。月夜の言葉が確かであればかすかは重要な情報源であり、ここでみすみす逃したくないと考え、魔法によって確実な足止めを試みた。
その魔法とは、時間停止。自分と接触している物体を除きすべての時間を停止させる規格外の魔法だ。ひとたび時間を停めればどんな相手であろうと優位に動くことができる。弱点はあるものの、初見の相手に止められる道理はないはずだった。
しかしかすかはこれを阻止した。小盾に集中した魔力から不穏な気配を感じ取り、半ば無意識で止めてみせた。
自分だけが動ける絶対的優位を崩され、ほむらはほとんど頭が真っ白だ。
「巴さんっ!」
「へ?」
ゆえに、もっとも気になっている事実をダイレクトに口に出す。
「あ、あなたから、巴さんの……巴マミさんの魔力を感じます。私、その人を探してて……」
「ああ、そういう」
ほむらは大切な友だちと共に、魔法少女の先輩である巴マミの行方を追っている。かすかからはそのマミの魔力がわずかに漏れ出しており、だからこそ決して逃がす訳には行かなかった。
かすかは納得したような声を出し、鎖を引っ込める。時間を止められるようなスキは伺えない。
かすがが右手で左の袖をまくると、黄色いリボンでぐるぐる巻きにされた左腕があらわになる。
「こういうこと。ケガの手当をしてもらったの。本人は元気いっぱいだよ」
「ど、どこにいるんですか!?」
「それは言えない。ええっと、あなたはほむほむ? かなちゃん、さやちゃんかな?」
「ほ、ほむらですけど……」
気が抜けるような呼び方に戸惑いつつ答えると、かすかはきっぱり言った。
「『今はあなたたちに合わせる顔がない。きっとまた会えるから心配しないで』。そう言ってたよ」
「そ、そんな! どういうことですか!?」
「これ以上は言えないってば。一度持ち帰って、仲間の子たちと話し合ってみてよ」
探し人の捜索はたしかに進展したものの、大きすぎる新情報にほむらは困惑する。合わせる顔がないとはどういうことか。
ほむらとその友人の二人の名前までかすかが知っていたことと、リボンで手当されていることから、情報の信憑性は高い。
それ故にほむらは情報の処理が追いつかず、変身を解除する。戦う意志を維持している余裕はなくなった。
そうして今度こそかすかと月夜はその場を後に──
「お姉ちゃん?」
「ひょえっ」
出来なかった。
奇声とともに塀からずり落ちそうになるかすか。
慌てて下を見ると、しきりに首をひねる鶴乃の姿が。
「お姉ちゃん、っぽい匂いがするけど……鎖なんて使ってなかったし、魔力もちょっと違うし……あっ!」
鶴乃がぽん、と掌を拳でたたくと、かすかの背筋にどっと冷や汗が吹き出た。
「六野かすか。あなた、六野かすかだよね! お姉ちゃん、由比瑞乃のこと何か知らない!?」
「えっ? いや、知らないけど……」
今度はかすかが困惑する番だった。
月夜がかすかさんと呼んだのを聞きつけたのは理解できる。ただ、そこから由比瑞乃につながる意味が分からなかった。まさか口寄せ神社で発生したイレギュラーが、自分の黒歴史を妹に開示していたとは夢にも思っていない。
歯切れの悪いかすかの様子に、鶴乃とフェリシアは怪訝な視線を強める。
「本当かなぁ?」
「あっ、逃げるぞあいつら!」
これ以上付き合ってはいられない。
かすかは月夜をもう一度抱え上げ、全力でその場から逃げ出した。
ーーー
追跡はなかった。あったかもしれないが、少なくともかすかの知覚範囲内に見知った魔力反応はなく、お稽古の時間が迫っているという月夜を実家まで送り届けた後、かすかは水名区を去った。別れ際、月夜の視線がやけに熱っぽくなっていたことにも気づくことなく、中央区のマンションへ足を向けた。
西日の差し込むリビングには誰もいない。
かすかはその場で全裸になり、お風呂場へ向かった。熱い熱湯を浴び、みふゆおすすめのシャンプー、リンス、ボディソープで丹念に体を洗っていく。
洗面所で体を拭いて髪を乾かし、くんくんと自分の匂いを嗅いでみる。変な匂いはしない。
「こんな時間にバスタイム? アリナ的にちょっと早すぎなんですケド」
「女の尊厳がかかってるんですケド。って、アリちー? 何してんの?」
洗面所の入り口には、制服姿のアリナが立っていた。
アリナ・グレイ。若き天才アーティストにして、魔法少女解放計画の一端を担うマギウスの一人。かすかとみふゆの住むこの部屋には、みふゆの体をデッサンしたりかすかの料理をせびりに来たりとよく出入りしている。
今日もその一環だろうかとかすかが向き直ると、全身を舐め回すような視線を感じ、顔を赤らめてバスタオルを巻き付けた。
アリナはもう興味を失ったようにぱっと顔を上げる。
「今夜中央区でビッグな予定があるのヨネ。ディナーをたかるついでに、予定の時間までブレイクタイムってワケ」
「ふ、ふーん」
「で、アナタは何してるワケ?」
かすかは閃いた。
アリナはアートが関わらない限り常識人ではあるが、歯に衣着せた言い方はしない。つまり、先程発生したかすかの悩みを相談するのにうってつけの人材だ。
かすかはギロチンの紐を前にした執行人みたいにたっぷり数秒間迷いに迷った末、やっと口を開いた。
「私って、くさい?」
「……はあ?」
かすかは先程の邂逅において、実はかなり傷ついていた。妹が自分を匂いで判別しかけていたことにだ。
月夜の匂いを嗅いでいたことから、他人にこびりつくほど強いもの。今は由比家の子供用シャンプーではなくみふゆおすすめの品を共用で使っているのに、鶴乃は勘付きかけていた。それほど自分は匂うのかしら、と。
事情を聞き、三日月形に口を歪めるアリナ。
「思い合う姉妹、お互いに会いたくても会えないエモーショナルなワンシーン……ああ、想像するだけでゾクゾクしちゃうヨネェ……」
「エキサイトしてないで教えてよぅ!」
「……はぁ、アホくさ」
「えっ」
不意にずかずかと歩み寄るアリナ。
かすかが後ずさる時間もなく、腕をつかんで引き寄せる。かすかの鎖骨のあたりに顔を近づけたアリナは少しずつ上に向かって顔をあげていく。息が吹きかかるたびにかすかの体がビクビク震えた。
やがてアリナは姿勢を戻し、至近距離できっぱり言う。
「ノープロブレム。今だけじゃなくて、エクササイズの後でも気になったことないカラ。アナタの妹の方がアブノーマルだと思うワケ」
「そ、そっか。そっかあ……ありがと」
お風呂の熱と羞恥で赤くなったかすががそう言うと、アリナは何食わぬ顔で背を向ける。洗面所を出ていきながら、「ハングリー。呆けてないでさっさとディナー作ってヨネ」と催促して、かすかはいそいそと身だしなみを整え、弾むような足取りでキッチンへ向かうのだった。