お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第19話

 夜風に揺られる風鈴が音をたてる。蚊取り線香の煙が吹かれ、8月のカレンダーがぱらりとめくれ上がった。かすかたちが住む高層の部屋にはよく風が吹き込み、夜になると冷房がなくともある程度の涼がとれる。

 

「おいしい!」

「灯花と意見を同じくするのは業腹だけど、僕も同意だよ」

 

 食卓で杏仁豆腐を貪る灯花とねむ、マミの三人を眺めながら、かすかは首をひねった。8月のカレンダーに何か違和感を覚えたのだ。何か大切なことを忘れているような。試しに優先順位の高い用や記憶を順に思い出してみる。

 

 アリナが中央区での用を済ませた後、この部屋にまた立ち寄ること。自分の余命が後一年もなく、その間に魔法少女の解放を実現しなければいけないこと。明日の翼としての業務諸々。一つ一つを確認しても抜けはない。

 

 しかしそれらよりもはるかに大切な何かを忘れている気がしてならず、ついにかすかは「うーん」とうなりだしてしまった。

 

「どうしたのかすか。お腹壊した?」

「いやさ……何か忘れてる気がするんだけど、思い出せなくて」

「かすかもかい?」

「も?」

 

 顔を上げると、杏仁豆腐を口に運ぶのを一時停止した灯花とねむが目に入る。

 

「わたくしたちも何か忘れてるはずなんだけど、思い出せないんだよねー」

「思い出せないということは、覚えておく必要のない些事である証左だよ。あまり気にしない方がいい」

「そうかなぁ」

 

 物忘れとは無縁そうな天才児二人から励ましを受けたことで、かすかの心が多少軽くなる。たしかに忘れたならもう仕方ない。思い出せたら幸運と考え、気にしないことにした。

 

 かすかも自分の分の杏仁豆腐を用意しようとしたところで、玄関から物音。アリナが帰ってきたのだろう。

 

 リビングの扉が開かれると共に「おかえり」と声をかけ──

 

「ぶふぅっ! ファンキー!?」

「ぷっ……」

「むふっ、ど、どうやら今度のアートは前衛芸術のようだね……テーマは『芸術は爆発だ』かな?」

「くふふ、あんまり似合ってないにゃー」

 

 ──ようとしたものの、部屋は爆笑の渦に包まれた。アリナに続けて入ってきたみふゆも空気にあてられ、こらえていた分の笑いを必死で表に出すまいとして、顔の筋肉がピクピクしている。

 

 アリナは変身してキューブの一つを引っ掴み、全力でぶん投げた。食卓につっぷしてお腹を押さえ震えているかすかは機敏に反応し、片手でスタイリッシュにキャッチしたかに見えたが、微妙に距離を見誤ったのだろう。キューブは指の間をすりぬけて頭へ命中、スコーンといい音を立てる。角砂糖大であっても頑強な結界なので、かすかは「あいったー!?」と涙目だ。

 

「誰のせいと思ってるワケ、クレイジーシスター!?」

 

 アリナは肩を怒らせてかすかに詰め寄る。その頭部は緑髪のアフロと化していた。

 

 みふゆの方は普段通りのアホ毛スタイルだが、爆発に巻き込まれたように所々が煤で黒くなっている。

 

「えっ、私のせい……あっ、だめそのビジュアルで近くに来ないでマジ無条件で面白くて笑っちゃう!」

「ヴァアアア!」

「むふっ」

「くふふっ!」

「ふ、くく……っ!」

 

 またも爆笑するマギウス及びマミに対し、アリナは気合と共にキューブを投擲。しばし室内に混沌が満ち、杏仁豆腐で気を鎮めた頃になってようやくことの顛末を語り始めるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 アリナの言う中央区でのビッグな予定とは、部下の尻拭いだった。

 

 白羽根の実質的なリーダーである天音月夜、月咲姉妹。この二人は中央区の電波塔に根付く大物のウワサを利用し、敵対的な魔法少女の誘引と排除を企んでいた。しかしおびき出すまでは良かったものの、標的とした三人がチームを引き連れ六人の大所帯となってやって来たことは完全な誤算で、決戦予定地のセントラルタワーヘリポートにて、天音姉妹は慌てふためいていた。

 

 こうなることを予見したアリナが、多数の黒羽根白羽根を率いて応援に向かった、というわけだ。

 

 天音姉妹がヘリポートにおびき出したのは六人。七海やちよ率いる新西区のみかづき荘チームで、内訳は七海やちよ、雪野かなえ、安名メル、環いろは、深月フェリシア、由比鶴乃。環いろはは最近チームに加入したばかりの新人だが、マギウスであるねむの行方を追うなど怪しい動きが多いことからマークされていた。今回もウワサを撃破するのに大きな役割を果たした。深月フェリシアはアリナが手塩にかけて育てた魔女をブレイクし、アリナを激高させた。

 

『作品をブレイクしていいのはアーティストだけだヨネ! 弁償しろよ、そのボディーを魔女に食わせて弁償しろよぉ!』

『こ、こいつマジで壊れてんぞ!?』

『壊したのはアナタだクソガキ!』

 

 魔女を壊された時点で、アリナの頭にはフェリシアをすり潰して真っ赤な絵の具に変えることしか考えられなかった。

 

 そのせいで気づけなかったのだろう。

 

 フェリシアを押しのけてゆらりと前に出てきた由比鶴乃。彼女がアリナと同じか、それ以上に高ぶっていたことに。

 

『どうでもいいよ』

『ハァ?』

 

 鶴乃はフェリシアの前に立ち、どろりと濁りきった目でアリナを睨めつけた。その声は機械のように平坦で、顔は能面のようだった。

 

『作品とかウワサとか、マギウスとか解放とか……全部どうでもいい。それよりアリナ、だっけ。あんたさ──お姉ちゃんの匂いがする』

 

 鶴乃のただならぬ雰囲気に、アリナはかすかのことを思い出した。名前を変えて妹の元を離れ、マギウスの翼として活動している少女と、それを追う妹。陳腐だが実にエモーショナルで、アリナの興味を惹いた。

 

 だからついみかづき型に口元を歪め、徹底的に煽ろうと考えた。

 

『ああ……由比瑞乃だっけ? そりゃ匂いもするヨネ、さっきまで会ってたんだカラ』

『やっぱり、お姉ちゃんはあなたたちに……!』

『会いたい? 会いたいヨネ? アリナ的には別に問題ないケド……原型留めてなかったらソーリー?』

 

 今は鶴乃の姉ではなく六野かすかであることを、アリナ的な悪意で包んだ言い回しだった。後ろで黒羽根、白羽根たちと戦っているみかづきチームの面々は顔をしかめ、『そんな言い方、ひどいよ!』と憤慨している。

 

 一方の鶴乃はというと、無言でうつむいていた。

 

 ただ、その場の全員に聞こえるほどの音が、鶴乃のどこかから発せられた。ブチリ、と太い何かが切れる音だ。

 

 それが聞こえるやいなや、鶴乃の体は宙に浮かんでいた。背中から生えた巨大な化物がバルーンのように鶴乃と連結し、滞空している。

 

 怪物の名はドッペル。魔法少女が魔女化する代わりに生み出す感情の写しであり、解放の証でもある。発現者によって千差万別の形を取り、鶴乃のそれは油を撒き散らす巨大豚だった。

 

 光のない目で鶴乃が一対の扇を振るうと、それに応じてドッペルが油を散布する。ヘリポートがぬるぬるした油に満たされ、揮発した油が充満する。

 

 が、油だけでは終わらない。豚の耳をよく見てみると先端部に火打石がついている。

 

 さらに鶴乃の表情を見ると、アリナへの純真な殺意以外に何も浮かんではいない。『やめなさい鶴乃!』とどこか遠くで聞きながら、アリナはその視線にゾクゾクした快感を覚え──次の瞬間、ヘリポートは爆発した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

『番組の途中ですが、先程入ってきたニュースです。神浜市中央区、セントラルタワーのヘリポートが炎上しています。近隣住民の証言によりますと、爆発するような音がしたとの情報もあり、警察は事故と放火の両面で捜査を──』

「おー、すごい。全国ニュースだ」

「カッとなる方も悪いけど、むやみやたらと煽るのもどうかと思う。自業自得だよ、アリナ」

「あっ、見て見て! ベランダから燃えてるの見えるよ! ヘリコプターも飛んでる!」

 

 アリナの話を聞きながらテレビをつけるとそれらしいニュースが放送中だった。ベランダから見えるセントラルタワーのてっぺんがオレンジ色に輝いてるのを見つけ、灯花は網戸を開け外へ駆ける。蚊が入ってくるからと苦言を呈するねむと灯花が小競り合いを始めた。ベランダからは夏の緑が香る暑気が忍び込んでくる。

 

 ねむに自業自得と評されたアリナは涼しい顔で杏仁豆腐を味わっていた。すでにアフロは魔力を流して元のストレートに戻してある。魔法少女の体は魔力さえあればいくらでも融通が利くのだ。

 

「で、何かコメントはないわけ? かすか」

「アフロ似合ってたのに」

「は?」

「冗談、冗談」

 

 余裕綽々のかすかに、マギウスの面々は目をぱちくりさせている。

 

「由比鶴乃に手を出せば打首獄門。そんなルール作ってる割には、リアクション薄いヨネ?」

「何その新選組隊規が発酵して爆発したみたいなルール」

「かすかが作ったんじゃないのー?」

 

 知らないよと灯花に返し、謎のルールについてスマホの翼連絡網から調べてみる。わずか数秒で複数人から返信があり、黒羽根のリーダーが勝手に制定・流布したことが分かった。

 

「あの子か。まったく、変な肩書きのことといい……」

 

 かすかの立場を進言したのも彼女だった。一番目から五番目の翼は? と半畳を入れたが結局語呂が決め手となって採用された。今回のルールも同様だろう。あまりの過保護ぶりにかすかは嘆息する。

 

「ウチの妹はそんなにヤワじゃないし、やちよがそばにいる。変なルールはいらないよ。ていうか敵対してる現状、こんなルールあったらやりにくいでしょ」

「あなたがいいなら別にいいケド。それより、あのクレイジーシスターどうにかしてほしいワケ。あなたのこと探してるみたいだったカラ、スカウトするなり説得するなり、手はあるヨネ?」

「ないヨネ」

 

 きっぱりと言い切った。

 

「鶴乃はまっすぐな優しい子だから。私が説得に行っても逆に辞めてって言われるよ。魔法少女の真実を知っても」

「……真実を知っても? それなのにアナタは、妹を解放しようってワケ?」

「エゴだけどね。つってもさ、残り少ない時間で、鶴乃のためにできそうなことっていえば、そのくらいしかない、じゃんね」

 

 そもそも鶴乃に宿命を背負わせたのはかすか自身なので、結局これもマッチポンプだ。かすかの行動、選択はまさしくエゴの塊である。そうと分かっていても、やらずにはいられない。残された時間は少なく、選択を迷う余裕はないのだから。

 

 言葉にすることで改めて覚悟を確認すると、マギウス三人組とマミがぽかんとしている。みふゆは痛ましげに目を伏せている。臨時ニュースを報道するテレビの音だけが、リビングに空々しく響く。

 

 やがてベランダの窓を閉め、灯花が切り出した。

 

「残り少ない時間、って。かすか、体が悪いの?」

 

 あ、と声が出た。

 

 取り繕うより早く、ねむが続く。

 

「前々から気になっていたけど、その左腕と左目。どんな病気であれ、かすかほどの魔力があれば瞬時に完治するはずだ。現に僕と灯花の病気も、魔法少女になったその日完治したんだからね」

 

 でもそうしないということは。

 

「……私が全力で繋ぎ止める魔法を使っても、左腕は動かないままだった。もしかして、かすかさん……」

 

 つい先程までかすかの左腕にリボンを巻き付けていたマミが、声を掠れさせる。お通夜のように重い沈黙。

 

 反面、うっかり口を滑らせたかすかはこれまた軽い口調で。

 

「違う、違う! ほら、アリちーのアフロだって直ってるでしょ? 魔法少女の体は何でもあり。みんなが想像してるのとは違うから。いろいろと事情があるの」

「じゃあ、残り少ない時間って……?」

「それはその、マギウスの三人がこうして集まれる時間ってこと」

 

 灯花の不安に揺れる瞳がかすかを見上げ、すその部分をぎゅっと掴んでいる。かすかはなんてことのないようにさらっと答えてみせた。

 

 マギウスの三人は解放計画に不可欠な存在だ。アリナの結界、灯花の変換、ねむの具現。一つが欠ければシステムは機能しなくなる。しかしそれぞれ天文物理学、文学、芸術の分野で天才的な活躍を見せる三人なので、こうして計画に集中できる期間は割と貴重だ。

 

 かすかはその点を指摘したのだ、とあくまでも主張した。

 

「……じゃあいいワケ。それより今度のバケーションだけど、アリナ的には──」

 

 アリナが強引に話題を変えると、全員が乗っかる。あまりに非現実的で救いのない考えを、その場のメンバーたちはただの憶測として切って捨てた。

 

 まさかかすかの命が、後わずかしか残されていないなどと。

 

 みふゆと当人を除き、誰も現実とは思えなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 深夜、寝静まったみかづき荘にて。個室が集まる二階の階段からリビングへ、環いろはが下りてくる。柔らかな色彩のボーダー柄のパジャマに見を包み、もこもこしたスリッパ。困ったように眉を下げて、両手は艷やかなロングヘアをいじっていた。

 

「うう、まだ頭がごわごわする……」

 

 いろははつい数時間前、アフロだった。いろはだけでなく、みかづき荘在住のメンバーは一人を除き全員アフロにされた。

 

 その原因はドッペルだ。メンバーの一人がドッペルを発現し、常人であれば灰さえ残らず蒸発する火力の炎上攻撃を敢行。リーダーのやちよとベテランのかなえがとっさに防御に回ったおかげで全員アフロで済んだ。魔力をうまいこと頭髪に巡らせることで元の髪質に戻ったけれど、いろははしつこく残るアフロ気分で寝付くことができず、なんとなくリビングへ下りてきた。

 

 リビングが面する立派な庭では、夏の虫たちがリンリンとささやかな輪唱を上げている。窓際に吊るした風鈴を夜風が揺らし、軽やかな音を立てた。

 

 特にやることもないので、マグカップにホットミルクでも入れようかと棚へ足を向ける。

 

 すると、キッチンのカウンターに誰かが腰掛けていた。

 

 いろはと同じくパジャマ姿。暗いリビングの中、キッチンの照明だけにぼんやり照らされている。

 

「鶴乃ちゃん?」

「……いろはちゃん? 眠れないの?」

「う、うん」

 

 由比鶴乃。ドッペルが暴走し、敵味方問わずアフロにした張本人だ。

 

 初めてのドッペルで体力を消耗し、ヘリポートを炎上させた後からずっと気絶していた。

 

「体はもう平気?」

「平気平気。それよりごめんね、カッとなって迷惑かけちゃった」

「……ううん。仕方ないよ。私だってあんな言い方されたら、すごく嫌だもん」

 

 二人の頭に、アリナの言葉がよぎる。

 

 鶴乃が探す実の姉、由比瑞乃。アリナが言うには原型を留めていないかもしれない大切な人。

 

 鶴乃と同じく妹を探しているいろはからすれば、もしも妹を引き合いに出してあのような言い方をされれば、きっと鶴乃のように激高していたと確信している。だからアフロにされたことを責める気はまったくない。

 

 ホットミルクを淹れる。「鶴乃ちゃんも飲む?」と聞くとうなずいたので、二人分淹れて隣り同士で座った。

 

 ふと鶴乃の手元に目をやると、写真立てがある。鶴乃よりも色素の薄い茶髪の少女が、鶴乃の後ろから首元に手を回して、二人共満面の笑みを浮かべている写真。二人の両隣にはそれぞれやちよとみふゆが寄り添って、微笑を浮かべている。四人はとても幸福で満ち足りているように見えた。

 

「この人が瑞乃さん?」

「……うん」

 

 鶴乃の声が詰まった。

 

「私の十五の誕生日のときの写真でね。お姉ちゃんと私と、みふゆとやちよの四人でよくつるんでたんだ。知ってる? このメンバーだとやちよししょーってよくいじられ役になってたんだよ」

「あのやちよさんが!? す、すごいグループだったんだね」

 

 誕生日から始まって、試作品の試食会、やちよとみふゆ、瑞乃の間の修羅場、夏祭りでナンパされた瑞乃がホイホイついていこうとしたエピソード、万々歳の屋台でみかじめ料を請求されるとやちよがガンを付けて追い払った話、金魚すくいや射的で無駄な才を発揮し根こそぎ瑞乃の異名がついた話など。鶴乃が語る思い出の一つ一つが、泡沫のごとく宙に浮かんでは消えていく。

 

 どれだけ幸福であっても、過去には戻れない。満ち足りた世界は崩れてしまった。その寂しさが分かるからこそ、いろはは話を一つ聞くたびに胸が締め付けられる気持ちだった。

 

 ひとしきり語った鶴乃は数秒間黙り込んだ後、ぽつりと言った。

 

「お姉ちゃんは、マギウスの翼にいる。六野かすかとして」

「えっ」

 

 鶴乃は聡明だ。その頭脳は時として、断片的な情報を最短距離で答えに導いてしまう。どれだけ残酷な答えであろうとも。

 

 口寄せ神社で現れた六野かすかのこと。マギウスの翼で六番目の翼として働く幹部、六野かすかのこと。みふゆから漂う姉の匂いと、アリナから嗅ぎ取った新鮮な姉の匂いのこと。

 

 何より大きかったのは、直接かすかと対面したことだ。顔を隠そうが声音を使おうが、魔力を変えようが見たことのない武器を使おうが関係ない。たとえ名前を変えたって分かる。ウソをついたり誤魔化したりすることは致命的に苦手だったから。

 

 由比瑞乃は、六野かすかである。

 

「お姉ちゃんは勝手だよ……いつもいつも一人で全部抱え込んで、本当に辛いときは誰にも言わずに我慢して、何でもできるから大丈夫って強がりばっかりでさ……なんで、なんで……」

「鶴乃ちゃん……」

 

 幸せな思い出に、ぽたりぽたりとしずくが落ちる。

 

「私に心配かけたくないとか、気を遣わせたくないとか。そういうのが一番辛いんだよ……相談してよ、頼ってよ……」

 

 いろはに背中をさすられながら、静かなリビングに嗚咽の音を響かせた。

 

 やがていろはにすがりついて鼻をすすると、「ありがと」と体を離す。

 

「ごめんね。いろはちゃんだって大変なのに」

「気にしないで。私だってお姉ちゃんだもん。鶴乃ちゃんはもっと頼っていいんだよ」

 

 鶴乃は再び湧き上がる感情をどうにか押さえて、力なく立ち上がった。

 

「決めた。お姉ちゃんと直接話す。話したらきっと分かってくれる。みふゆにも戻ってきてもらって──絶対、取り戻すんだから」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日、みかづき荘のメンバーに鶴乃の推理が共有された。

 

 やちよは半ば察していたようで、沈痛な面持ちで黙り込む。かなえは鋭い目元をさらに細め、鶴乃と決意を同じくする。メルも同じく決意しようとしたところ、瑞乃をよく知らないフェリシアに絡まれアタフタ。新メンバーであるさなにも瑞乃について説明がなされた。

 

「さなちゃん、何か知ってる?」

「え、えっと……」

 

 二葉さなは、マギウスの翼が管理するウワサに囚われていた。

 

 何か知っているかもと鶴乃が聞いてみると、非常に気まずそうな顔で目を逸らしている。

 

「いいよ、ゆっくりでいいから。まとまったらいつでも言って」

「は、はい。その、大変言いにくいんですけど……」

「んだよ、さっさと言えよー」

「コラ、フェリシア!」

 

 じれたフェリシアがやちよに叱られたところで、さなは衝撃の事実を口にする。

 

「夏休み、です」

「えっ?」

 

 ウワサの結界内で作業をしていた黒羽根たちの会話を、さなは聞いていた。その会話の一部は以下の通り。

 

『ねえ、夏休みどこいく?』

『北海道とか行ってみたいなぁ』

『マギウスの方々も太っ腹だよね。9月頭までちゃんと夏休みくれるなんて』

『こんな暑苦しいローブで炎天下動いてたら、熱中症になっちゃうもん。よかったー』

『瑞乃様の提案だって聞いたよ』

『誰それ?』

『私は神浜から出るの怖いなぁ』

 

「と、いうわけでですね……しばらくマギウスの翼は、何もしないと思います……」

 

 朝からうるさいセミの大合唱が庭から響いてくる。窓から差し込む朝日が暑気を運び、じわじわと室温を上げていく。

 

 世間は夏真っ盛り。主に中高生で構成されるマギウスの翼が夏休みをとることは、必然だった。

 

 考えてみれば当たり前だったが、これから決戦と意気込んでいた面々が肩透かしを食らった気分になることもまた必然で、

 

「ええ〜……?」

 

 不満とも安堵ともとれない気の抜けた合唱が、蝉しぐれに重なったのだった。


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