参京区、裏路地。賑やかしい商店街から一本通りを外れた細い道を、巴マミはフラフラとあてもなく進んでいく。途中、街角に微弱な魔力を感じたものの魔法少女だらけの神浜市では珍しくない。興味を失って、所在なく足を進めた。
進む先には何もない。帰るあてすらない。見滝原に戻れば顔を合わせたくない後輩たちと鉢合わせるかもしれないし、かといって神浜で頼れるツテは先程失ったばかりだ。
梓みふゆ。マミがこの夏を同じ屋根の下で過ごした魔法少女の先輩は、親友を救うためにワルプルギスの夜を利用する。マミはこれに賛成も反対もできず、しまいにはみふゆだけでなく所属する組織からも追放されてしまった。
みふゆと別れてからは小一時間その場に立ち尽くし、やがて覚束ない足取りで組織、マギウスの翼の拠点へと取って返した。みふゆやマギウスたちを説得し、伝説の魔女の招聘を阻止するためだ。かすかを助けるにしても犠牲を出すことだけは受け入れがたかった。
しかし大量の黒羽根と白羽根に入り口を塞がれ、中へ入ることすらできなかった。
『悪いね、巴さん。ここを通すわけにはいかない』
黒羽根のリーダーはそう言った。顔と名前を隠したその少女は、かつて由比瑞乃に救われた最初の人物だった。
『巴さん、裏切ったというのは本当だったでございますね』
『せっかくウチら、仲良くなれたと思ったのに……』
白羽根のリーダーは、断片的な情報のみ与えられているようだった。自分たちが何をしているのか分かっているの、とマミが睨みを利かせると羽根たちは一歩後ずさる。しかし黒羽根のリーダーだけは身じろぎもせず、逆に一歩踏み出してきた。
『知ってる。かすかさん……いや、瑞乃さんの命のことも。ワルプルギスの夜のことも』
『えっ、な、なんのことでございま──むぐっ!?』
話の腰を折る前に白羽根たちは黒羽根に退場させられ、入り口は黒一色に染まった。知っているならなぜ、とマミが迫る。リーダーたち黒羽根の初期メンバーは、かすかへの恩に報いるため組織に所属していたはずだ。
『そうだね。望まないことをしてまで助けるなんて、恩を仇で返すことになる』
だったら。とマミが反駁するのにリーダーの声がかぶさった。
『巴さん。本当に折れるってどういうことか、分かる?』
唐突な物言いにマミは眉をひそめ、黒羽根たちもローブの下から怪訝な視線を投げかける。構わずリーダーは語った。
『一度折れたら取り返しがつかない。呼吸してるのが申し訳なくて、何食べても罪悪感の味がして、生まれてきた後悔に夜な夜な魘され続ける。一生このままだと思ってた……だけどあの人だけは』
上ずった声と共にリーダーが強く踏み込む。言いしれぬ気迫に今度はマミが一歩引いた。
『同じ傷抱えたあの人だけは分かってくれた。変われない苦しみを、折れてしまった失望を。それでも生きる希望があるって、私たちに教えてくれた! 恩人なんてもんじゃない。あの人は私たちにとって──生きるための、よすがなんだ』
内面の発露に慣れていないのか、大声を出すのが苦手なのか、その両方か。リーダーの叫びは大きくなるにつれ声が震えて途切れがちになり、ローブの下にのぞく白い頬に涙が伝っていた。グループの頭としては情けない醜態である。
しかし、むき出しの心を全力で投げつけるような気概があったのだろう。マミは更に後ずさり、黒羽根たちはぎゅっと唇を引き結んでいた。彼女らの瞳に猛る光はグリーフシードよりもはるかに暗く淀んでいるが、同時に光っているようにも見えた。
リーダーが目元を拭うと、彼女たちは一斉に武器を構える。それは統一された羽根の武器である鎖ではなく、各々が願い事で得た本当の得物だった。
『帰ってよ、巴さん。刺し違える覚悟くらい、この場の全員あるよ』
希望を振りまく魔法少女は、希望の源たる覚悟が定まったとき無類の強さを発揮する。縋る希望も覚悟も不確かだったマミは黒羽根たちの気迫にたじろぎ、ただ無言でその場を後にした。
そうしてあてもなく神浜をさまよい、足を止めたのは大きな橋の半ばだった。参京区と新西区をつなぐ大橋で、欄干に寄りかかると川のせせらぎが目に入る。初秋の風が水面を波立たせ、柔らかな陽光がきらきら散っている。
「はぁ……」
欄干に肘をつきため息をつくマミの背中は、小さな迷子のようだった。
見滝原にも帰れない、マギウスの翼とも敵対した。かといって、かすかの命を救うことが間違いだとは断じて思わない。目的はともかく手段に賛同できないから、マミは宙ぶらりんな立場に陥ってしまったのだ。
物憂げに何度もため息をつきながら頭を抱える。かすかの命を助けたい。けれどその方法は許容しがたい。自身の願望と正義に板挟みになったマミの心中は、千々に乱れた思いばかりで収拾がつかない。
だから、隣の彼女に気づけなかった。
「なーにシケた面してんだよ」
力なく顔を上げたマミは、懐かしい横顔に目を見張る。長いポニーを風になびかせ、お菓子を咥えて欄干にヒジをつく彼女は、かつて袂を分かった仲間。
「佐倉さん?」
佐倉杏子である。
ーーー
巴マミはマギウスの翼に所属している。この情報を佐倉杏子が掴んだのは、ミザリーウォーターのウワサに巻き込まれた少し後のことだった。見滝原の魔法少女たちからそう聞かされた当初は、昔の師がどこかのチームに所属したとしか思わなかったが、マギウスの翼を少しずつ知るにつれ杏子の胸中は曇っていった。
魔女や使い魔のみならず、ウワサと呼ばれる怪異を飼いならし災いを振りまくマギウスの翼。あの正義を貫く巴マミがそんな組織に所属するはずがない。何かの間違いであると杏子は断定した。
したがって、杏子がミザリーウォーターの件を切り抜けた後も足繁く神浜市に通うこととなったのは、マミの情報とは関係なかった。マミが正義を曲げるはずはない。杏子はあくまでも、地元では枯渇しているグリーフシードを得るために神浜市へ通い続けたのであって、決してマミの行方と真相が気がかりだったわけではない。
こうして橋の上で苦悩しているマミを発見したのも、目とソウルジェムを皿みたいにしてマミの魔力を追っていた苦労が実ったわけでは断じてないのだ。決別した師がどこへ行こうが何で悩もうが知ったことではない。ただまあ知った顔を偶然見かけたから一応声をかけておこうと思ったに過ぎないのである。
誰にともなく杏子は面目を保ちつつ、隣のマミを盗み見た。
ひどく弱りきって生気がない。心中のモヤモヤが勢いを増すのを感じた。
「らしくないじゃないか。いつも先輩ヅラして余裕ぶってるくせにさ」
「……悪いけど、一人にしてもらえる?」
「……なんなんだよ」
眼中にないとでも言いたげなマミの態度に、杏子は顔をしかめた。風見野を縄張りとする杏子がなぜここにいるのかと聞く余裕すらないようだ。モヤモヤした気分が悪化し、テコでも動かない意地を固めた。
川面の揺らぎを眺める二人の後ろで、一台、二台と車が走り去っていく。一人にしてくれる気はない、とマミは悟った。杏子はマミがきっかけで契約を結んだわけではないため、気兼ねもさほど感じない。罪を告白するように、マミは口を開いた。
「私はこの町で真実を知った。それから、恩人ができたの」
辛い現実を知って打ちのめされ、全力で当たり散らしたこと。それを受け止めてくれた恩人と共にマギウスの翼で活動していたこと。そして、恩人の命と多数の犠牲の二者択一のことを語った。
「アンタが全力で当たってそいつ生きてんの? バケモンかよ」
「茶化さないでよ……」
杏子は鼻を鳴らし、口元のポッキーを揺らす。
「そんでアンタは、恩人を助けるのと関係ないやつを犠牲にするのとで悩んでるワケか」
「ええ」
「分かりきってんじゃねーか」
何気ない一言に、マミは目を丸くして顔を上げた。
「何かを犠牲にして誰かを救う。違うだろ。誰かのために戦って皆まとめて救う。それがアンタ──巴マミだろうが」
マミの話では魔法少女の真実もワルプルギスの夜のこともぼかされており、ひどく抽象的で杏子には全容がつかめない。それでもマミが決まりきった答えに悩んでいることだけは分かった。
一人のために多数を犠牲にするのではなく、その一人も多数もまとめて全部救済する。都合の良い夢物語のために全力を尽くす。それこそかつて杏子が師事した巴マミである。
「大体さ、考えてもみなよ。アンタがそんだけ高く買ってる人だろ? 犠牲だらけの方法で命が助かって、ソイツは救われたって言えるのか?」
「そ、れは……」
「分かってるんだろ。アンタは正義を捨てられない」
じゃなきゃアタシの立つ瀬ないだろーが、と。続けるはずだった言葉を苦虫みたく噛み潰す。しかしその思いは拗ねた横顔から明白で、マミはハッと息を呑んだ。
かつて師弟関係にあったマミと杏子が離別したのはなぜだったか。杏子が見出した生き方と、マミの決して譲れない正義が対立したからこそ、今の関係になってしまった。
その事実はすんなりとマミの胸中に沁み入り、収拾のつかない心の淀みをすべて吹き飛ばした。同時に明瞭となった思考が、選択を迫られたあの時の光景を思い返す。
『アナタの正義、見くびっていましたね』
引き金を引くことも変身を解くこともできなかったあの時、マミはどちらも選べなかったわけではない。ただ、あえてどちらを選ぶこともせず、第三の選択肢である自分の意志を貫いていたのだ。みふゆを殺さない、かすかも死なせない、神浜市を壊すことも許さない。すべてを守り通す自身の正義を選び取った。
「ありがとう、佐倉さん」
背中を押した杏子は、ぶっきらぼうにそっぽを向く。苦笑するマミの意思は固まっていた。
ワルプルギスの夜を討伐する。
そうすればみふゆが過激化する手段は失われ、組織は本来の穏便な解放作戦へと戻る。かすかの命を救う方法はその後で考えればいい。奇跡も魔法もあるこの世界に、一人の命を救う方法の一つくらいあって然るべきだ。きっとどうにかなる。
そのためには力が必要だった。マミは欄干から体を離し、ソウルジェムに意識を向ける。三分の一程度が穢れているもののまだ戦える。ワルプルギスの夜との決戦に向け、グリーフシードを調達するのには問題ない力が残っていた。
危険な戦いに杏子を巻き込むつもりはない。たった一人で伝説と戦う覚悟。マギウスの翼を完全に敵にまわしてしまう決意。
一変して闘志を漲らせるマミに杏子は笑みを浮かべ、あさっての方向へ声をかけた。
「で、お前らはどうすんだ?」
橋から町へと踵を返そうとしたマミは、杏子の呼びかけた面々と鉢合わせる。びしりと石のように動きを止め、お互いにぽかんと口を開けて目をパチパチさせた。
見慣れた見滝原の制服に身を包む三人の少女。リボンのツインテールに活発なショートカット、ボリュームたっぷりの三つ編みおさげの三人組。
「あ、あなたたち……」
「ほんとにいた……」
それぞれ鹿目まどか、美樹さやか、暁美ほむらである。マミが見滝原に残してきた大切な後輩たちだ。かすかを通して『心配しないで』と伝言を伝えてもらったので、まさか神浜にいるとは考えもしなかった。思考停止に追い込まれたマミは二の句が継げない。ほむらの左腕にちらついた奇妙な赤い糸さえ見逃してしまった。
そのスキに三人はマミへ詰めより、逃さないように両腕を取る。
「ま、マミさん、マミさんだ……!」
「もう、今まで何やってたんですか。探したんすよー?」
三人の後輩が口々に喜び、後ろで杏子がお菓子をむさぼっている。
そこで、ようやく思考停止していたマミの頭脳が動き出す。
最初に出てきたのは自虐と諦念である。
「鹿目さん、美樹さん、暁美さん……私を責めにきたのね」
「えっ?」
「分かっているわ。私はあなた達に宿命を背負わせてしまった。取り返しのつかないことをしてしまった! でも大丈夫、私がワルプルギスの夜を倒して、マギウスの翼も説得して、かすかさんだって助けて、絶対になんとか──」
「ちょちょっ、マミさん落ち着いて!?」
「宿命って戦うこと、だよね……?」
「ワルプルギスの夜?」
さやか、まどか、ほむらの順に首をかしげる。
「うちら、マミさんが心配で探しに来ただけなんですよ。ていうか何ですかあの伝言! 心配しないでとか言って、するに決まってるじゃないですか!」
かすかを介した伝言は確かにほむらから三人へと共有された。そうして所用で見滝原を離れていたさやかが合流するとすぐに、神浜へ通う日々が始まったのだ。
電波塔の件で顔見知りとなったみかづき荘を頼り、夏休みは新西区を中心に捜索の毎日。バケーション及び中央区北養区で活動していたマミとはニアミスを繰り返した末、ようやく今日が来た。とある占い娘の失せ人探しの占いによると、すぐそばに居ると出たので、半信半疑で探索したところ今に至る。
マミを見つけたことでようやく安堵し、泣き笑いを浮かべるさやかとまどか。その優しい態度を前に、マミはさらに自虐をこじらせた。
「魔法少女の宿命は、戦うことだけじゃないの……」
いつか真実を知ったとき、後輩は自分を責めるだろう。それなら今自分の口から言った方が、彼女たちにとっても都合がいい。すぐそこに咎を受けるべき先輩がいるのだから。
マミは懺悔するように、魔法少女の真実を語った。ソウルジェムのこと、魔女化のこと。キュゥべえに騙されていたこと。一言重ねるたびに三人の表情が曇り、すべて語ったころには失意のうちに立ち尽くすのみだった。
「そんなの、そんなのってないよ……」
「冗談、なわけないよね。たはは、参ったな……マギウスの翼が言ってた解放ってそういうことかぁ」
「……」
声を落とすさやかに、泣き崩れ、ほむらに支えられるまどか。三人の少女たちは真実に打ちのめされている。杏子は先程ぼかして伝えた話の辻褄が合い、衝撃を覚えつつ得心しているようだ。マミはじっと目を閉じ、苦痛の元凶としてなじられる覚悟を決めていた。今にも罵詈雑言が飛んでくるだろうと。
しかし程なくその予想は裏切られることとなる。
「だけど」
最初に立ち直ったのは、まどかだった。半べそをかきながらマミへ一歩近づく。
「なんで、私たちがマミさんを責めるの?」
「だ、だって、私があなたたちに魔法少女のことを教えたのよ? 私がいなければ鹿目さんは──」
「私はマミさんに助けられたんだもん! マミさんがいなかったらもう死んでますっ!」
涙まじりの怒声にマミの気勢が削がれる。
続いて、気まずげに頭へ手をやりながら、さやかがぽつぽつ切り出す。
「魔女になるとかどうとか、まだ全然整理ついてないけどさ。マミさんを責めることだけは、絶対ないよ」
「ど、どうして? 私のせいで──」
「奇跡も魔法もあるって教えてくれた。そのおかげで救われたヤツだっている。それに、私は自分の意志で契約したんだから。マミさんが責任感じることはないですよ。ていうか」
さやかは一度うつむくと、勢いよく顔をあげ一気に距離を詰める。瞬く間にマミの手がさやかの両手に包まれる。
「それよりむしろ夏休み潰れたことを悔やんでほしいんですけど! この夏、あたしらどんだけかけずり回ったと思ってんですかっ!」
「そうですよ! 今までどこで何してたんですか、マミさん!」
「マギウスでバケーション……」
「は?」
思わず正直になってしまうほど、さやかとまどかは優しかった。あれだけ悩んで自責の念を募らせていたことをそれよりと流されたことに、マミは言葉もなかった。
罪に向き合うのが怖いなら逃げていい。戦わなくてもいい、とかすかは言っていた。それも一つの優しさで、マミはたしかに救われていた。けれどこうして向き合ってみると、世界はマミが思っていたよりも優しくできていた。
後輩たちの顔がにじみ、鼻先がツンと痛む。前かがみになると優しいぬくもりが肩を包み、もっと視界がにじんできた。
「ごめん、ごめんなさい……ちょっと海に行って、お祭り楽しんで、海の幸に舌鼓を打っていたの」
「何をエンジョイしちゃってんのこの人!?」
「ケンカ売ってんのかマミテメー!」
「じょ、冗談だよね……?」
実は冗談ではないことなど露知らず、後輩たちは頼れる先輩の肩を抱き、手を握り、帰還を歓迎した。
長い間溜め込んでいた不安をいっぺんに吐き出したからか、涙を流してありがとうと言い続けた十数分のことをマミは数時間のように感じられた。ようやく後輩たちからマミが体を離すと、ほむらが「あのう」とおずおず声をあげる。
「さっき、ワルプルギスの夜って言ってましたよね……」
「……ええ。もうすぐ神浜にワルプルギスの夜がやってくる」
「何それ?」
顔を青くするほむらや目を細める杏子とは対照的に、きょとんとしているまどかとさやか。天変地異と同等の最強の魔女だと説明すると、二人そろって目を丸くした。
「そ、そんなヤバイやつがなんでここに!?」
「マギウスが人為的に呼び寄せようとしているの。解放の計画を加速させるためにね」
「……たくさん犠牲を出すってそういうことかよ。無茶苦茶だな」
冷静な杏子は納得しつつ
「そんな……たくさんの人を犠牲にしてまで解放されようなんて、間違ってる!」
まどかは断言した。魔法少女の真実を知ったことでマギウスの翼の目的は理解できたものの、やはりその手段は到底受け入れられるものではない。
「……ダメ元で言うわよ。神浜は戦場になる。急いで避難して」
「ご冗談!」
「いろはちゃんたち──神浜の人たちには夏休みお世話になったもん。放っておけるわけないよ。ねっ、ほむらちゃん!」
「えっ、あ、そ、そうだね!」
勇ましく答えた後輩たちにマミは苦笑を漏らす。たった数分のやりとりで、マミは三人のことを以前よりも深く理解していた。
「ま、あたしも縄張りを融通された義理があるからな。その分は手を貸してやるよ」
獰猛に笑う杏子。さやかが「なんで上から目線なのよー!」と食ってかかり、杏子が軽くあしらう。さらなる売り言葉買い言葉へ発展するのに先んじて、マミが制止をかけた。
「分かった。それならもう少し聞いてほしいことがあるんだけど……場所を変えましょうか」
気づけば橋のど真ん中で五人は長く話し込んでいた。通行人も普通にいることを思い出したまどかたちは気まずげに赤面し、新西区の方面へ橋を抜ける。ちょうどまどかたちが夏から世話になったというみかづき荘が近くにあるというので、そこへの道中でマミは語ることを決めた。自分がどうしてマギウスの翼に入ったのか。今まで何をしていたのか。そして──なぜマギウスが計画を加速させたのか。
たった一人の命を救うために、多数を犠牲に捧げる決断がくだされたこと。戦いの前に、その意志をくじく覚悟を決めてもらう必要がある。善良なまどかたちが話を聞いても一緒に戦う意志を保っていられる保証はない。
辛い選択を迫ることに心を痛めながら、マミは羽根として知り得たすべての情報を──
「えっ?」
共有するかに思われた、その時。
二本の錆びた刃がひらめいた。気の抜けた声を出したのはマミか、それともまどかたちだろうか。
錆びた刃は、マミの首を左右から挟んでいた。見覚えのあるその形状と、すぐ背後に息づく人の気配、魔力反応。
「悪いね、巴さん」
黒羽根のリーダーの声がした。ハサミの刃が首筋に食い込んでいる。
状況を理解すると同時、
「さようなら」
じょきん、とハサミが閉じられた。
ーーー
悲鳴が上がる。青ざめた顔で目に涙を浮かべるのはまどか、その隣でさやかとほむらは呆然と目を見開いていた。
もっとも早く反応したのは杏子だ。マミがうつろな目で膝をつくと共に変身し、駆け寄る。
「マミっ!」
すばやく杏子の間合いから飛び退る下手人には目もくれず、マミの身体を抱き止めた。ほどなく異変に気がつく。
マミの首はつながっている。間違いなく二本の刃が首の中心まで食い込むのを目撃したが、首どころか意識さえ落ちていない。マミは死人のように真っ青な顔で、首元をさすっている。
「おい、しっかりしろ!」
「さ、佐倉、さん……」
「マミさんっ!」
杏子がマミの肩を揺すっていると、まどかたちが弾かれたように後へ続く。ほむらもまどかの後ろから続くが、一足先に変身して下手人へ警戒の目を向けている。
マミと杏子は何度も切られたはずの首元をさすり、かすり傷ほどの損傷もないことを確認してやっと立ち上がる。そうしてほむらと同じ方向へ向き直る。
「いやぁ、都合が良かった。橋の上だとさすがに通報モンだからね」
特徴的な黒いローブに身を包んだ彼女は、黒羽根のリーダーである。巨大なハサミにヒジを掛けて寄りかかりながら、人差し指と中指でハサミを作り、よく見えるように開閉させる。
「私の固有魔法は離縁。家族だの友達だの、クソみたいな縁を弱めることができる。素質がゴミ過ぎて絶縁はできないんですけど」
「ああ? 何余裕ぶってんだよ。この人数相手にどうにかなると思ってんの?」
「はい、どうにかなりました。ねえ、巴さん?」
杏子をはじめ変身したまどかたちが武器を構えるものの、リーダーは飄々とした態度を崩さない。
マミはリーダーを強く睨みつけながら思考を巡らせ、ハッと息を呑んだ。
「おいマミ、どうした?」
「やられた……! マギウスの翼との縁を、切ったのね」
「はい、ちょきんと」
つい先程まで保有していたはずの記憶、情報がマミの頭から抜け落ちていた。数カ月間マギウスの翼で何をしていたのか、夏休みをどう過ごしたのか、具体的な部分にモヤがかかっている。目前の黒羽根がリーダーであることさえ曖昧だった。確かなことは、敵の固有魔法に不意打ちされ有用な情報を失ったこと。
状況を理解した杏子は舌打ちと共に納得する。考えてみれば、マミほどの実力者が組織の情報を持ったまま脱退するなどありえない。実際マミがフェントホープの所在地や各種ウワサの詳細などを明かせば、ワルプルギスの夜が呼ばれる前に先んじて拠点を攻めることも可能だった。マミ一人ならまだしも、見滝原チームやみかづき荘チームが合流すれば攻め落とすこともできただろう。
その対策に派遣されたのがリーダーである。
ハサミの持ち手から伸びる紅い糸をいじりながら、リーダーは言った。
「改めて、黒羽根のリーダーです。あのう、もうこっちの用件は済んだので帰りたいんですが、いいですか?」
「バカかテメーは。目の前に敵の情報源がいて、逃がすわけねーだろ」
「ですよねー」
額に青筋を立てる杏子。人を食ったような態度をやめないリーダーに、沸々とした感情が強まっていく。マミの首が落ちたかに見えた先程の光景を思い返すたび、槍を構える手に力が込められていく。
よっこいしょ、とリーダーが寄りかかっていたハサミから身を起こしたその時、世界から音が消えた。
「あ、対策してるので無駄ですよ」
「えっ!?」
ほむらによる時間停止である。ほむらと直接、間接的に接触していなければ、どんな存在であろうと動きを止め無防備を晒してしまう強力な魔法だ。
しかしリーダーは当然のように口を開き、ほむらの小盾を指差した。そこには赤い糸がリボン結びにされている。
「黒羽根の諜報部からあなたのことは聞いてます。念の為、縁結んどいて正解でした」
「と、とれない……!」
単純な結び目のはずだが、それもリーダーの固有魔法に含まれるのだろう。いくら引っ張っても拳銃の台尻で叩いてもびくともしない。ほむらはたまらず魔法を解除し、時間停止が効かないことを告げた。
マミは一段と表情を険しくして、油断なく銃を構えている。
「みんな気を付けて。この子……スキがない」
一段と空気が張り詰めた。立ち振る舞いから察してはいたが、経験も実力も段違いのマミからしてリーダーの実力は高いらしい。
リーダーは悠然とハサミを頭上へ持ち上げ、持ち手を左右へ強く引く。止め金が火花と共に弾け、一組の双剣として両の手に収まる。
その間隙へすかさずマミが撃ち込んだ。二つのマズルフラッシュと同時に、リーダーの両手へ弾体が迫る。
剣閃がまたたいてスパークが弾ける。弾丸を切って捨てたのだ。
ただ手を動かすだけで回避は可能だった。あえて切り捨てたのは威嚇の意が大きい。その目論見通り、まどか、さやか、ほむらの三人は一歩たじろいでいる。
リーダーはローブの袖に指を入れ、何かを探るような仕草を見せる。マミが新たなマスケット銃を手に目を細めるが、リーダーは動じない。
「まあ、待ってください。やり合うにしてもここじゃ人目につく。場所を変えましょう」
六人は、みかづき荘へ通じる細い路地で相対していた。橋の上よりも人通りは少ないとはいえ完全な無人ではない。
マミたちが逡巡する間にリーダーは袖口から緑色のキューブを取り出した。もしもマミが離縁によって記憶を薄れさせていなければ、全力でリーダーの行動を阻止しただろう。
リーダーがキューブに魔力を込めたとたん、視界が穢れと絶望に満たされていく。
「魔女の結界!?」
キューブの正体はアリナの結界であり、中身は強力な魔女である。キューブから解放された魔女は自前の結界をすぐさま展開して、六人を巻き込んだ。
『十中八九、君は負けるだろう。殺されることもありうる』
イキガミの魔女の傍らに佇むリーダーの脳裏に、マギウスの言葉が蘇る。
『けれど、万が一巴マミが立ち直り、見滝原の魔法少女たちと共に僕たちへ牙を剥いた場合、かすかが死ぬ』
浮ついた心が冷たく、平坦に均される。獣のように身を低くして、下半身へ力をためた。
『君のかすかへの忠心。それから、隠れた古参としての実力を見込んで命令するよ。巴マミを追跡し、必要とあらば──死ぬ気で時間を稼いで』
ハナから勝てるとは思っていない。死んでもおかしくない。だから命の限り時間を稼ぐ。ワルプルギスの夜を呼び、ただちにイブを孵化させ、かすかの命を救うための時間を。
地面を蹴る。弾かれたように加速し、魔女へ注意を向ける見滝原組へ突っ込んでいく。マギウスの言葉の後で、今度は懐かしい声が響いた。
『戦わなくてもいい。辛くなったら、いつだって逃げていいんだ。だからもうちょっと、生きてみよう?』
「どの口がっ」
どこにも居場所がなかった。生きている実感がなかった。誰も彼も綺麗事を抜かすばかりで、少女の肩を持つ者は誰もいなかった。
だけどあの人だけは違ったから。
「あなただって、生きるんですよぉっ!」
血を吐くように絶叫しながら、リーダーは捨て身の時間稼ぎへ身を投じるのだった。