お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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エピローグ
かすかなるよすが


 中華飯店万々歳。大衆料理の味を徹底的に極めた極上の料理を、お値打ち価格で提供することで有名な飲食店で、参京区に知らない者はいない。お昼時にはしばしば行列ができ、テレビの取材も来たことがある。

 

 そんな万々歳と水徳商店街を挟んだ正反対の位置に、その店はあった。

 

 中華飯店『瑞鶴庵』。元は万々歳の厨房で働いていたスタッフが独立し、地元のツテを頼りに個人で始めた小さな店だ。細い路地にひっそりとたたずむそこは隠れた名店として日々経営している。広報を一切しない方針から売上はほそぼそとしているが、それでも十分な黒字を確保していた。

 

『いらっしゃいませー! 1名様お好きな席へどうぞ! 五目ラーメンセットお待ちどうでーっす!』

 

 鶴乃はその店で笑顔を振りまいている。おしぼりとお冷を出して、上がった料理をテーブルに届けて、食べ終えたお客を笑顔で送り出す。不思議なことに、厨房の中には墨で塗りつぶしたような暗黒が広がっている。

 

 外はどしゃぶりの大雨だった。傘を差しても効果が見込めないどしゃ降りだが、客足は途絶えない。次から次へ客が入ってきて鶴乃は考えるヒマもなかった。不思議なことに誰も雨具を持っておらず、なのにまったく身体を濡らしていない。

 

『なんでもいいからおいしいのちょうだい!』

『例の小説が完成したよ。ぜひ読んでほしい』

 

 店主は経験の長い魔法少女なので、お客にも魔法少女が多い。今やってきた灯花とねむも店主の知り合いだ。

 

 真っ暗な厨房の中からお子様ランチが二皿ぬっと出てきて、二人の前へ。灯花とねむは店主のチョイスに少しむくれたような顔をしたものの、一口食べてすぐと笑顔を咲かせた。

 

『アリナにも同じの、プリーズ』

 

 灯花たちとは一つ席を空けてカウンターに腰掛けたのは、アリナ・グレイだった。少し前の事件で暴走し最後には行方不明になった天才芸術家だ。

 

 続いてたくさんのお客がやってきた。鶴乃もよく知るみかづき荘チームの面々や、市内の魔法少女たち、見たことのない子たちもやってきて、店主と声を交わしていた。

 

 その間にも雨はどんどん激しさを増している。昼間にも関わらず、分厚い雲のせいで外は夜のよう。その暗がりを見ると胸のあたりがざわつき、鶴乃は慌てて目をそらした。

 

 接客対応をしているとあっという間に時間が過ぎ、ラストオーダーのお客が帰っていった。

 

 鶴乃は真っ黒な厨房に足を踏み入れる。

 

 異様な光景を不思議に思うこともなく、無邪気な笑みを浮かべて店主の背中へ飛びつくと、幻みたいにほんのかすかな温かみが感じられた。瑞々しい果実のような香りはどこか懐かしい。

 

 中華鍋を手入れしていた店主は手を止め、たぶん困り笑いを浮かべて振り返る。短めのサイドポニーと、山吹色の髪紐がなびく。鶴乃はひとしきり甘えてから、店主の顔を見上げた。

 

 そこには乱雑な黒の線が、ほつれた糸くずのように蠢いているだけだった。店主の声は聞こえない。店主の名前すら知らない。

 

 またこの夢だ、と。鶴乃はやっと思い出した。

 

 毎日繰り返し見る奇妙な夢。どこにもない変な店で鶴乃は店主と仲良く暮らしている。そこでは誰も雨に濡れず、不幸にもならない。どうか永遠に続きますようにと強く思う。

 

 けれどこの夢もまた、終わりに近づいている。

 

 店主は鶴乃に向き直って強く抱きしめる。鶴乃も同じく抱き返す。それから唐突に、店主は鶴乃を突き飛ばした。

 

 どうして、と聞く暇もない。鶴乃の目前で店主の左腕が血飛沫と共に吹き飛ぶ。続けて顔の、たぶん両目のあたりで鮮血が弾ける。

 

 鶴乃が手を伸ばしても、声を張っても届かない。眼前なのに遠いどこかで、店主はどんどん傷ついて──最後は大きな雷鳴と共に、灰の山になってしまう。真っ白なその灰すらも吹き散らされ、跡には何一つ残らない。

 

 鶴乃は暗黒にただひとり、ぽつねんと残されるのだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「鶴乃ちゃん? 鶴乃ちゃん、大丈夫!?」

「……ほっ?」

 

 遠い声に目を開けると、雲一つないカラリとした大空。続いて友人の心配げな顔と、よく似た面差しの少女が横からひょっこり顔を出す。

 

 環いろはと、環うい。鶴乃の友人であり、つい最近ようやく再会を果たした仲良し姉妹だった。

 

 鶴乃はあくびを一つして、今が学校のお昼休みであることを思い出す。ヒザの上にはお手製の中華弁当がある。

 

 学年の違ういろはとういと、屋上でお昼ごはんの待ち合わせをしていて、先に着いた鶴乃はベンチで二人を待っていた。いつの間にか眠っていたらしい。

 

「ふあぁ……ごめんごめん、居眠りしてた」

「それはいいけど……うなされてたよ」

「怖い夢でも見たんですか?」

「んー、まあそんなとこ」

 

 不気味で救いようがないのにいつまでも見ていたい変な夢。奇妙な感覚に首をかしげていると、いろはは困り顔で言った。

 

「鶴乃ちゃん、最近ちゃんと寝てる? お店の手伝いばかりで無理してるんじゃない?」

「余裕余裕! 最強の魔法少女に不可能は──ううん、ほんとはちょっと頑張り過ぎかも」

「やっぱり! お店が大事なのは分かるけど、一人で背負い込んじゃダメ。いざとなったら私たちも手伝うから、ね?」

「うん、ありがと」

 

 鶴乃の実家、中華飯店万々歳は鶴乃と父親の二人だけで回っている。祖母と母親は放蕩癖がひどく、手伝うそぶりもみせない。鶴乃は持ち前の体力で人一倍頑張っているが、無理がたたって眠くなったのかもしれない。

 

 三人はそれぞれお弁当箱を開け、手を合わせていただきます。仲良くお弁当をつついているうち、鶴乃はおかずを一つつまみあげる。

 

「ういちゃん、万々歳特製のシュウマイ食べる?」

「えっ、いいんですか?」

 

 目を輝かせるういにシュウマイを差し出すと、満面の笑みでぱくりと一口。ゆっくりと幸せそうに噛み締めた。万々歳の料理はかつて入院生活を送っていたういの元にも噂が届くほどの名声があるのだ。甘やかされる妹を前に、いろはは困り笑顔を浮かべている。

 

 緩やかで安穏とした時間が流れる。学校の授業、みかづき荘の様子など、他愛もない雑談に花が咲く。そんな中、ふといろはが言った。

 

「もう一ヶ月なんだね……」

 

 何から、とは言わない。鶴乃とういだけでなく、神浜市在住の魔法少女たちなら誰でも分かることだった。マギウスの翼事件から、である。

 

 マギウスの翼と呼ばれる組織は魔法少女の解放を謳って暴走し、神浜市をあわや廃墟へと変える寸前だった。その騒ぎを通して鶴乃は洗脳されウワサと合体させられたり、いろはは怪獣のようなサイズの魔女からういを救い出したりした。事件が連続する濃密な毎日から開放されてもう一ヶ月だ。

 

「あ、そうだ。今度マギアユニオンで集まりがあるんだけど、連絡網の子たちから一人代表が来てほしいの。鶴乃ちゃんから伝えてくれない?」

「了解っ! でもあんまり期待はしないでね? たぶんリア充の集まりになんて誰が行きますか、って言われると思う」

「あはは……」

「リア充、って何?」

 

 きょとんとする妹に、いろはは言葉を詰まらせている。その横で、鶴乃は私たちのことだよ、と即答した。

 

 事件には多くの魔法少女が巻き込まれ、それをきっかけに出来たつながりからマギアユニオンと呼ばれる組織が発足した。各地区の代表が集まって、魔女の情報共有やグリーフシードの融通などを図る互助組織だ。

 

 鶴乃はこれとは別の組織、よわよわ魔法少女連絡網とコネを持っていた。連絡網はかつて鶴乃がグリーフシードを恵んだ魔法少女たちが作り上げた組織であり、排他的だが鶴乃にだけは従順で──

 

「えっ?」

「な、なに、どうしたの?」

 

 鶴乃は思わず立ち上がっていた。

 

 何かがおかしい。

 

 連絡網と、鶴乃自身はいつ接触したのか。そもそもグリーフシードを恵んだことなんてあっただろうか。言いようのない違和感が鶴乃の心中を満たした。

 

『私の固有魔法は、魔法少女の希望を受け継ぐ力』

 

 脳裏で響くのは一ヶ月前、ワルプルギスの夜との決戦で力を振るった仲間、七海やちよの声だった。

 

 市内の魔法少女たちから二度の総攻撃を受けてなお健在なワルプルギスの夜に、最後のとどめを刺すにあたって、やちよは固有魔法を使い中核的な役割を果たした。

 

 神浜市の魔法少女たちの魔力が光り輝く球体へと圧縮され、やちよへと受け渡される。ワルプルギスの夜の穢れさえ凌駕するエネルギーの塊を、やちよ一人で扱うことはできないはずだった。

 

『受け継いだ希望を使えば、一度きりだけ実力以上の力が出せる。今まで私はこの力に支えられてきたけど、今が使いどきね』

 

 しかしやちよの受け継がれた希望が不可能を可能とする。黄昏時のような山吹色にきらめく魔力がやちよを守り、希望の集合体を巨大な一矢へと収束。これをいろはが射出することで、ワルプルギスの夜撃破に至った。

 

『お願い、みんなの力で神浜を、たくさんの思い出を守って!』

 

 鶴乃自身もこのとき、貫く一矢へと魔力を捧げた。夢中だったからか、今までまったく疑問に思わなかった。

 

 やちよは一体、誰の希望を受け継いでいたのか。

 

 あの山吹色の魔力は、誰のものだったか。

 

「……あれ? 私、なんで……」

 

 白昼夢を見ていたようだった。何か疑問があったはずなのに、もう思い出せない。まるで最初からなかったかのように。

 

 乾いた音が鳴る。空っぽになった弁当箱がヒザから転げ落ちていた。慌てて拾い上げ、不思議そうにしているいろはたちへ苦笑いを向ける。

 

「ごめん、気のせいだったみたい!」

「な、ならいいんだけど」

 

 その瞬間、またも疑念が湧く。

 

 山火事のように燃え広がった違和感は、いろはとういを視界に入れると爆発的に燃え上がる。幸せそうに肩を寄せ合い、笑い合う仲良し姉妹。お姉ちゃんと、妹。

 

「なんで……」

 

 心中に燃える炎は、嫉妬だった。

 

 そのことを悟った鶴乃は愕然として、逃げるようにまた立ち上がる。お弁当をそそくさとまとめ、ふらふらとその場を後にしようとする。

 

「鶴乃ちゃんっ? どうしちゃったの?」

「分かんない、分かんない……!」

 

 呼び止められても、分からない。なぜ突然黒い感情が湧いて出たのか。ソウルジェムを見なくとも、穢れで真っ黒になっているのが感じられた。

 

 いろはとういは、ただ姉妹で仲良くしているだけだ。生まれてからずっと一人っ子だった鶴乃には何の関係もない。どうしてこれほど二人を妬ましく思うのか分からず、ただ自分が汚い人間になったように感じられた。

 

 おろおろする二人を置いて鶴乃はあてもなく走り出し──

 

「あ……」

 

 ぶちり、と嫌な音が響く。

 

 手首からだった。鶴乃がずっと身につけている、お気に入りの紐。アクセサリーにしては太く厚い手首の紐が、千切れて地面に落ちた。

 

 またも違和感が鶴乃の心を焼く。自分はいつこの紐を買ったのだろう。ミサンガでもシュシュでもないこの紐を、なぜずっと身につけているのだろう。

 

 渦巻く疑念と違和感で動けないでいると、いろははその紐を拾い上げ、そっと鶴乃に差し出した。

 

「はい。大事なものなんでしょ?」

 

 震える手で受け取る。お風呂でも、寝る時も、魔女退治の時だって、外したことはなかった。経年により本来の山吹色は白くくすみ、あちこちがほつれている。今にもバラバラに千切れてしまうかに見えた。

 

「これ、どこで──」

 

 その時、不思議な感覚が沸き起こる。違和感ではなく既視感。鶴乃はこの紐を、自分ではない誰かが使っていたのを見た気がする。

 

 幸か不幸か、鶴乃の頭脳は既視感の元にすぐと思い当たった。

 

 黒く塗りつぶされた店主の顔。あの人はサイドポニーをこの髪紐で結っていた。

 

「う、うう……っ!」

 

 すとん、とヒザをつく。紐を強く握りしめて胸に押し当て、その場にうずくまった。

 

「鶴乃ちゃん!?」

「分かんない、思い出せない……っ!」

 

 すぐに肩を抱いてくれたいろはに、鶴乃はすがりつく。

 

「すごくすごく大事なことのはずなのに……みんなぐちゃぐちゃになって、すり抜けて、瞬いて、消えていく……なんでこんな気持ちになるのか、全然分かんない……っ!」

 

 血を吐くような鶴乃の慟哭に、絶句するいろは。それから痛ましげに目を伏せ、鶴乃をぎゅっと抱きしめた。ういも隣にかがんで優しく頭を撫でている。

 

 それでも鶴乃の心は癒えない。思い出せないあの人を想えば想うほど、空虚な絶望に気が狂いそうになるのだ。

 

 何一つ分からないまま、鶴乃の目から感情が溢れ出した。

 

 その勢いは夢で見た雨のようにとめどなく、ざあざあと降りしきる。雨足は強まるばかりで、曇った空はますます黒く、暗くなっていく。

 

 陰った空はもう晴れない。暗く冷たい雨が止むことは、いつまでもないだろう。

 

 いつまでも、いつまでも。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 とある少女がいつも手首に巻く、色褪せた紐。

 

 幾度も千切れてボロボロで、気を抜けば失くしてしまいそう。いつどこで手に入れたかも分からない、奇妙な品。

 

 けれど少女は、けっしてこれを手放さない。

 

 かすかなるあの人へつながる、たった一つのよすがだから。

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