お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第5話

 神浜市には魔法少女が多い。東西地域に分かれての歴史的な確執は古くから憎悪や欲望の温床となり、救いを求める無数の少女たちがキュゥべえと契約を交わしてきた。少女たちは狭い地域で切磋琢磨し、弱肉強食の中で揉まれた魔法少女は他の地域と比べて強力に育った。質、量ともに神浜市の魔法少女たちを超える地域はそうそうないだろう。

 

 そんな神浜市でもっとも幅を利かせているのが、西のベテラントリオと呼ばれる魔法少女グループだった。

 

 一人は七海やちよ。強力な固有魔法こそないものの、およそ二年半の経験で培った対応力で新西区の平和を守ってきた。現役のモデルとして活躍する美貌から、その方面でのファンも多い新西区のボスだ。

 

 もう一人は梓みふゆ。やちよとほぼ同じ時期に活動を始めた魔法少女で、チャクラムを用いた変則的な攻撃と幻覚の固有魔法が特徴だ。前衛のやちよが槍で突撃する後ろから、幻覚とチャクラムの投擲で支援する。その連携の恐ろしさは神浜市で三年間生き残っている現状が示している。

 

 そして最後の一人は由比瑞乃。参京区で経営する中華飯店万々歳の看板娘にして、いつ魔法少女になったかも定かでない大ベテランだ。ただし、肩書の割にはさほど有名ではない。

 

『参京区は初めて? じゃあぜひウチの中華を食べてってほしいな。かわいいウチの妹も紹介するよ!』

 

 と、鉢合わせした魔法少女全員が店と妹の宣伝に圧され、本人の印象が薄れてしまうためである。なお、実際に店へ連れて行かれた者の五割がリピーターになったとかどうとか。

 

 そんな神浜市の有力者三人が、深刻な顔で席に着いていた。

 

 場所は新西区駅前のバーガーショップ。瑞乃、やちよが隣り合って座り、対面にみふゆが掛けている。

 

 三人の目前にはそれぞれ注文したセットメニューがほかほか湯気をたてているが、瑞乃が醸し出す緊張感に呑まれてか、誰も手をつけない。

 

 三人の顔を知っている通りすがりの魔法少女は、険しい表情で黙り込む有力者たちを見かけ、顔を青くして耳をそばだてた。

 

 重苦しい緊張感の中、ついに瑞乃が口を開く。

 

「鶴乃が、一緒にお風呂入ってくれなくなった」

「はい、解散」

「お疲れ様でしたー」

「まてまてまてーい!」

 

 やちよとみふゆは席を立つ。盗み聞き勢はいっせいに白け、解散した。

 

 慌てて友人二人を引き止めた瑞乃は、必死の形相で悩みを語る。

 

「それだけじゃないよ!? いっつも朝起きたら布団に潜り込んできてたのに、今朝はむしろ布団と布団の間に距離空けて普通に寝てたんだよ! これは事件じゃんね!?」

「はあ……事件発生、なんて言うから何かと思えば」

「結局いつものノロケじゃないですか」

 

 三人が集まった目的は瑞乃のお悩み相談だった。「事件」などと大げさな言葉で釣られて三人集まればこれだ。

 

 ただ、それぞれの事情があり三人が顔を合わせる機会が減っていたため、ちょうどいいきっかけではあった。

 

 やちよとみふゆは再び腰を下ろす。

 

「なんかすっごく小さな声で『ヤダ』って言って、顔とか赤かったし……おしめを替えてたの私だよ? 今更恥ずかしがることないのに……」

「って言ってみたら反応は?」

「耳まで真っ赤になって『お姉ちゃんのアホっ!』て言われた」

「みっちゃん、デリカシーって言葉知ってます?」

「もちろん! 私たち魔法少女が内緒話でよく使う──」

「それはテレパシー」

 

 ツッコミも気にせず、瑞乃はおもちゃを手でいじる。セットメニューのおまけについてきたそれは、何かのアニメのキャラクター人形だった。スイッチを押すと『ほっほっほ』と笑い声が響く。

 

「一体どうしちゃったのかな? とりあえず、鶴乃の好きなこのアニメキャラグッズでご機嫌とろうと思うんだけど」

「もので釣ろうなんて浅はかね」

「だからわざわざみかづき荘じゃなくて、ここに集合したんですか……」

 

 有名なチェーン店であるこの店は、セットメニューに版権キャラのグッズを付ける期間がある。瑞乃の浅い作戦にやちよとみふゆはため息をつく。

 

 鶴乃の行動はそれほど奇特なことではない。単に一人の女の子として姉に甘えるのが恥ずかしくなってきただけだろう。いわば一人娘がお父さんの洗濯物を拒否するようになるのと同じ、かもしれない。

 

「鶴乃鶴乃鶴乃……」

 

 ただ、死んだ目で妹の名をつぶやく瑞乃にそんなことを言うのはためらわれる。

 

 やちよとみふゆはテレパシーで方針を共有してから、なぐさめ作戦を開始する。

 

「意識されてるんじゃない?」

「意識って?」

「好きな人に裸を見られたり、甘えたりするのって恥ずかしいじゃない。実の姉であっても」

「……やっち、さすがに」

 

 瑞乃はやちよから体を引いた。引きつった笑いを浮かべている。

 

「女の子同士、しかも姉妹関係でその発想は引く」

「やっちゃん、さすがにですよ?」

「ちょっとみふゆ!?」

 

 まさかの裏切りにやちよが目を丸くしていると、瑞乃は体をかき抱くように手を交差させた。

 

「そういえば修学旅行でお風呂に入ったとき、やっち私のことチラチラ見てたような……」

「そんなモノ牛みたいに揺らしてたら誰だって見るわよ!」

「あっ、認めた! みっふ、この人自分がムッツリだって認めましたよ!」

「大丈夫、ワタシはそんなムッツリやっちゃんも好きですよ?」

「はっ倒すわよあなたたち!」

 

 額に青筋を浮かべ、瑞乃の無駄に育った胸部をつつこうとするやちよ。芝居がかった悲鳴をあげる瑞乃に、ニコニコ楽しそうに笑うみふゆ。神浜市きってのベテラントリオが送る、平和な日常の一幕である。

 

 すったもんだの末、鶴乃もずっと幼いままではない、成長を受け入れないといけない、と結論がついた。内心分かっていた瑞乃も「そんなもんだよね」としぶしぶ納得し、ハンバーガーを貪る。

 

「この機会に話しておきたいんだけど……」

 

 やちよはついでとばかり、真面目な話を切り出した。魔女の不足についてだ。

 

 ここ最近、神浜市では魔女が不足している。魔女が落とすグリーフシードがなければ魔法少女のソウルジェムを浄化することができないため、問題は深刻だ。実際、不足したグリーフシードを求め他の区に侵入した魔法少女が、縄張り争いを起こす事件が発生している。

 

 やちよは同じ魔法少女同士で争いたいとは思っていない。もし困った魔法少女に出会ったとき、グリーフシードに余裕があれば、融通したいと考える。その方針をみふゆと瑞乃にも共有しておいた。

 

 といっても瑞乃は妹以外のことになるといい加減なので、ハンバーガーを貪りながら「うんうん」と分かった風にうなずいていただけだ。

 

「あら、そのバーガーは食べたことないわね」

「一口交換する?」

「ありがと、いただくわ。はむっ」

「食い意地ィ! 一口ってレベルじゃないよ!?」

「おいしい。瑞乃も、はい。……みふゆ? どうかした?」

 

 瑞乃とやちよがさらりとバーガーをシェアしていると、対面のみふゆから強い視線を感じる。見ると、みふゆはまばたきもせず据わった目つきでやちよたちを眺めていた。

 

「気のせいでしょうか。二人共、近くないですか?」

 

 やちよと瑞乃は隣がけて座り、肩が触れ合うような距離だった。

 

 指摘を受けたやちよはそっと距離をとるが、追及はまだ終わらない。

 

「ここに来たときも、流れるように隣同士で座りましたし……遠慮がなくなってる感じがします」

「い、いろいろあったのよ」

「いろいろ。そうですか、ワタシがいない間に二人きりで、いろいろあったんですね。二人だけで仲良しに、なったんですね……」

 

 いろいろ、とは例の追いかけっ子事件と、それに続いて遠慮がなくなったやちよと瑞乃の交流もろもろのことだ。

 

 けっして仲間はずれにしたわけではないが、一人だけ学校の違うみふゆは疎外感でおかしくなりそうだった。というかすでにおかしくなっていた。張り付けたような笑顔で「二人だけ、二人だけ……」と繰り返している。

 

 やちよは冷や汗を流し、こっそり横の瑞乃をひじで突いた。

 

 瑞乃もさすがにハンバーガー食べてる場合じゃないと気づいたのか、頭をフル回転させる。幸いなことに、万々歳にやってきた水名女学園の生徒からいい感じの情報を仕入れていた。

 

「そうだ、聞いたよ。みっふ、筝曲部のコンクールで全国に出たんだって? 動画で見たよ」

「本当? すごいじゃない!」

「ありがとうございます。そう言われると、頑張ったかいがありました。……そうそう、ワタシも聞きましたよ」

 

 みふゆは身を乗り出し、下からやちよたちを見上げるように、

 

「河原で汗だくになってイチャイチャしていたそうですね」

「ぎくっ」

「うふふ、変ですね。ワタシたち友だちなのに、聞いた聞いたって伝聞ばっかり……どうして直接お話できないんでしょうね?」

「あばばば」

 

 瑞乃はすでに追い詰められ、使い物にならない。妹と料理と戦い以外は割とダメダメな瑞乃にこれ以上を期待するのは酷だろう。

 

 極限まで拗ねたみふゆに対処するため、やちよはドリンクで一度口を湿らせ──

 

「じゃ、じゃあこれは知ってる!? 私この前男子に告白された!」

「ぶふぅっ!?」

「本当ですか!?」

 

 瑞乃のすさまじい話題転換に噴き出した。やちよはもちろん、謎の情報網を持つみふゆにも初耳のニュースだった。めんどくさい気配は消えたので、ひとまず安心して瑞乃が語りだす。

 

 瑞乃はクラス内カーストや性別のくくりを気にせず、気の向くままに誰にでも話しかける。見た目も割とよく、かといってやちよほど高嶺の花感がないので、あまり女子に耐性のない男子が交流すると「この女ワンチャン惚れてね?」と思春期特有の勘違いが発生しやすい。

 

 瑞乃に告白した男子はその典型例で、校舎裏に瑞乃を呼び出し一世一代の告白を敢行した。

 

「で、なんて答えたんですか!?」

 

 どこか不安げに、けれど恋バナに目のない女の子らしくみふゆが聞くと、瑞乃は胸を張った。

 

「『私は妹一筋なんで』」

「……」

 

 ドン引きである。

 

 やちよとみふゆはしばしの沈黙の後、「まあこういう子でしたね」と納得するとともに、名も知らない男子に黙祷を捧げた。その男子は「シスコン極めたり、か……」と言い残し、去っていったという。

 

「ふふん、男子に告白されて振ったの、このグループだと私が初じゃんね。どうよ、このモテ女のオーラは」

「どうやらまた物理的にマウントを取られたいようね」

「ごめんなさい」

 

 マウントを取ろうとしたところにやちよが釘を刺す。

 

 するとみふゆは貼り付けたような笑みを崩し、くすくすと自然な笑いを漏らした。

 

「本当、いつまでも変わりませんね、みっちゃんは」

 

 妹一筋で、すぐにマウントを取ろうとして、どこまでも自由気ままに動き回る。瑞乃は出会ったときから何も変わらない。

 

 その意を受けた瑞乃は目を瞬かせ、くしゃりと笑う。

 

「うん、私はずっと変わらないよ。死んで生まれ変わってもね」

 

 その笑顔を見たみふゆとやちよは妙な胸騒ぎを覚えたけれど、すぐに次のバカ話に花を咲かせて、それ以上気にすることはなかった。

 

 ベテラントリオの日常はどこまでも騒がしく、平穏である。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 そして平穏とはいつか崩れ去るのが常だった。

 

 久しぶりに三人揃ってのおしゃべりを存分に楽しみ、上機嫌な瑞乃が万々歳に帰ると、入り口の引き戸が勢いよく開かれる。中から大慌てでまろび出てきたのは愛すべき妹、鶴乃だ。

 

 鶴乃は今にも泣き出しそうな顔で瑞乃を認めると、すがりついて泣き出した。

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃんどうしよう!?」

「落ち着いて、大丈夫、お姉ちゃんがついてるから」

 

 しゃくりあげる鶴乃の背中をさすり、頭を撫で、焦る心を抑えながら落ち着くのを待つ。

 

 鶴乃は嗚咽で途切れ途切れになりながら、たった今仕入先から連絡が入ったと説明した。

 

 そこは今朝から祖父が食材の仕入れにトラックで出かけたところで、連絡の内容はというと。

 

「おじいちゃんが、倒れたって……!」

 

 万々歳の受難が始まった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 祖父は病院に運び込まれた後急激に容態が悪化し、息を引き取った。医者は老衰による急性心不全と死亡診断書に書き込んだ。

 

『自分のやりたいことを探して、大切にすればいい』

 

 今際のきわ、祖父は鶴乃にそう言い残した。由比家の栄光に固執せず、自分の幸せを見つけてほしいようだった。

 

『ぶっちゃけお前が勝つとは思わんかった』

 

 瑞乃にはそう言った。あの料理勝負は娘といい勝負をさせて父親の威厳を取り戻させようとしたものらしい。妹の前で姉が負けるわけないじゃん、と瑞乃は開き直った。

 

『お前は何でもできるが、なんでもやる必要はないんだ』

 

 必要があろうがなかろうが、瑞乃はやりたいようにやるだけだった。

 

 通夜と葬式では祖父の人徳によるものか多くの関係者が集まり、口々に哀悼の意を表した。鶴乃は沈んだ空気の中、何度も瑞乃の胸に顔を埋めて泣いた。由比家の栄光とそれを取り戻そうと奮闘していることは祖父から伝えられたもので、鶴乃は祖父と万々歳が大好きだった。

 

 だから祖父の遺してくれた万々歳が潰れてしまうことを、誰よりも悲しんだ。

 

 祖母と母親は祖父を失った悲しみのためか、もともとひどかった放蕩癖がさらに悪化。わずかな保険金と遺産にまで手を出し、遊興の限りを尽くすようになった。

 

 祖父の跡継ぎであるはずの父親は瑞乃との料理勝負で惨敗してから中華の大陸へ修行の旅に出ており、連絡がつかない。万々歳の経営を受け継ぐ大人は誰もおらず、子供でしかない鶴乃は泣いて悔しがるしかできなかった──

 

『お姉ちゃんにお任せあれ』

 

 しかし瑞乃は別である。

 

 なぜなら瑞乃は転生者であり、最強のお姉ちゃんだからだ。お姉ちゃんが妹の涙を見過ごすことは決してあり得ない。すぐさま万々歳再建計画が始まった。

 

 まずは祖父の遺したメモに従い食材の仕入れ先へ片端から連絡。時には直接仕入先を訪れてあいさつ回りを行い、顔をつないだ。大人たちは十五歳の少女が後を継ぐことに難色を示していたが、

 

『これを食らってから考えてください』

『バカな、うますぎる……!?』

 

 全力で質を追求した瑞乃の料理を味わい考えを一変させ、万々歳をこれからも支援し続ける確約を交わした。

 

 むろんうまくいくばかりではなかった。祖父が提供していた五十点の中華料理ではなく、大体九十から百点程度の料理を提供するようになったので、昔ながらの常連客の幾人かは「万々歳の味ではない」と酷評し、離れていった。

 

 それでも新生万々歳は純粋な味と接客の質によって多くの新規客を獲得し、参京区だけでなく市外にまで名を轟かせる有名店となった。

 

 祖父の死から一ヶ月後。

 

 変わらず元気な店長代理の声が、お昼の万々歳に響く。

 

「いらっしゃいませ三名様でよろしいですねお好きな席へどうぞ!」

「すみませーん、チャーハンセット二つとスタミナラーメン一つで、ラーメンはネギ抜きで」

「こっちはホイコーロー肉抜きくださーい」

「はいただいまァ!」

 

 厨房で中華鍋を振り回しながら新規客を声で案内し、おしぼりとお冷を届けるついでに笑顔を一つ。厨房への帰り道ではすばやく新規のオーダーをとって記憶し、火にかけた鍋をかきまぜつつもう片方の手で皿を洗ったかと思うと、中華鍋の方へ戻る。さらに盛り付け、食器の片付けなども平行して行う。

 

「す、すごい! 本当に噂通り、究極のワンオペだ!」

「残像が見えるぞ。あの子本当に人間か?」

「とりあえずSNSにアップだ。いいねのためには肖像権なぞクソ喰らえだ」

 

 無遠慮な客の撮影にもしっかり愛想笑いを返す。こうして撮影された常軌を逸するワンオペの動画がネットに出回り、新規が増える。最高の中華にハマったリピーターで売上が増えるという寸法である。

 

「お、おいしい……! でもウォールナッツだって負けてません、まなかが本気を出せばこのくらい……!」

 

 カウンターでチャーハンを頬ばりながらぶつくさ呟く女の子も、評判を聞きつけた一人だった。幅広い年齢層が集まりつつある。

 

 日中、学校に行かせている鶴乃の参戦は夕方からなので、必然的に瑞乃のワンオペだった。もちろん人間ができることではないため、魔法少女姿に変身して作業している。都合よく変身後の装束に中華っぽい雷紋模様があるせいか、変わった制服として受け入れられている。

 

「お姉ちゃんお待たせ! すぐに着替えるからね!」

「お帰りィ! とりあえず二番と六番の片付けと三番さんのオーダーよろしくゥ!」

「しゃっしゃー!」

 

 鶴乃が帰ってくると一気に作業量が減る。妹と比べ色素の薄いサイドポニーの茶髪を揺らし、仕事帰りのお客を姉妹でせっせともてなしていく。夜の客足は昼ほど多くはなく、ほどほどの忙しさで閉店時間を迎える。

 

 ラストオーダーをこなし閉店準備が済むと変身を解除し、伝票の整理や帳簿と向き合う時間がやってくる。鶴乃がお風呂に入っている間に魔力で強化した脳みそを使って最速で終わらせる。

 

「うーん……」

 

 帳簿の上にはかんばしくない数字が並んでいた。

 

 黒字なことは黒字なのだが、母と祖母の放蕩癖がとどまるところを知らない。由比家再興のための資金を貯蓄するには何年かかるのか分からない。

 

「宝くじでも当たれば一発なんだけど……」

 

 ついひとりごちると、後ろに気配。

 

 振り返れば、愛すべき妹が何やら神妙な表情で突っ立っていた。

 

「お、お風呂あいたよ」

「うん、ありがと。髪、かわかそっか?」

「ううん、自分でやる」

 

 瑞乃は肩を落とし、入浴セットを持って立ち上がる。すると、鶴乃は「あのさ」と思いつめた声をあげる。

 

「お姉ちゃん、無理してない?」

「ぜーんぜん。体力はまだまだ余裕だし、中学も出席日数は足りてるから。ちょっと忙しくなったけど、楽勝だよ」

「そっか……そうだよね! だってお姉ちゃんは、最強のお姉ちゃんなんだから!」

「その通り! お姉ちゃんにできないことはない! だから鶴乃は何も気にせず、お姉ちゃんを信じてね!」

「うん! お姉ちゃん大好き!」

 

 久しぶりに抱きついてきた鶴乃の表情はうかがえなかったけれど、きっと満面の笑みで安堵しているに違いない、と瑞乃は予想した。

 

 その日は数カ月ぶりに鶴乃と同じ布団で眠りにつき、深夜二時に目を覚ました。

 

 飲食店の仕込みにしたって早すぎる。目的は魔女退治だ。

 

「鶴乃に心配かけないように……」

 

 日中は魔女や使い魔の数が少なく、かといって夕方は忙しくて、夜の閉店後に出かけると鶴乃に心配させてしまう。必然的に睡眠時間を削って退治に出かけていた。戦いが長引くと睡眠時間は一時間未満になることもある。

 

 負担を感じない訳ではない。いくら魔法少女といっても魔力と体力は別物だ。不健康極まる生活習慣に成長期の体が耐えられる保証はない。しかし疲れを覚えるたび、

 

『君より辛い思いをしている人はいくらでもいるよ?』

 

 過去の残響が瑞乃の心に発破をかける。

 

 今の瑞乃は神浜市が誇る最古参の魔法少女だ。無力だったあの頃とは違う。莫大な魔力と魔法で常に体を強化していれば無理なことはないだろう。

 

 瑞乃は鶴乃が笑顔でいられるなら、何でもやる覚悟だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 春、定休日の万々歳。

 

 瑞乃は電話台に行儀悪く寄りかかりながら、声を落とした。

 

「うん、うん、そういうことだから。え? 無理なんてしてないよ。平気平気。そっちこそ、みっふと二人で無理しないでね。困ったことがあったらなんでも相談して。力に──切れちゃった」

 

 通話していたのはやちよだった。

 

 祖父の死後家の手伝いで中学三年の冬を休みがちになると、疎遠になってしまった。万々歳の事情やこれからのことを報告すると、途中で通話が切れた。

 

 瑞乃は電子音を流す受話器を無表情で見つめると、ゆっくりと台に戻す。

 

 するとカウンターの陰で話を聞いていた鶴乃が、猛然と食って掛かる。

 

「お姉ちゃん! 今の話、ほんとなの? 悪い冗談だよね?」

「わっ、鶴乃? 盗み聞きはよくないなあ」

「いいから! 冗談って言ってよ!」

「んー」

 

 本当だよ、と白状した。

 

 瑞乃は高等部への進学──高校生活を断念した。瑞乃が高校生になれば店を回す人員がいなくなり、由比家の収入が激減する。当然の判断だった。やちよとみふゆには出来る限り軽い口調で言ったものの、特にやちよが激しく動揺して、途中で通話を切られた。

 

 鶴乃はしばらく唖然としていたが、やがて目に大粒の涙が浮かぶ。

 

 それが溢れる前に、瑞乃は妹を抱きしめた。

 

「もー、なんで泣くの」

「だって、お姉ちゃん……やちよさんと学校に行くの、楽しみに……無理してないなんてウソじゃない! ウソつき!」

「無理はしてない。私は私のやりたいようにやってるだけ。いい、聞いて?」

 

 瑞乃としても、やちよとまた同じ学校に通い、時折みふゆと合流して青春するのが惜しくないといえばウソになる。ただ、今回の件は瑞乃なりのけじめでもある。

 

 そもそも瑞乃が父親に勝利しなければ、後継ぎは父親で決まりだった。経営は苦しくなっても、今のようなゴリ押し魔力式ワンオペ経営などやる必要はなかっただろう。

 

 だから、これは瑞乃なりの責任のとり方だった。よかれと思ってやってきた結果、万々歳を追い込んだことに対するけじめ。父親が帰ってきて、母親と祖母が放蕩癖を辞めるその時まで、全力で万々歳を守る。

 

 幸いにも瑞乃にはそのための力があるし、何よりお姉ちゃんである。妹の笑顔のためなら、お姉ちゃんは何でもできるのだ。

 

「鶴乃は心配しなくていいの。鶴乃の大切な場所は、私がぜーったい守るから」

「……っ!」

 

 鶴乃は何かを言いたげに口を開けたかと思うと、我に返ったようにうつむいて、蚊の鳴くような声で「うん」とうなずいた。

 

 こうした紆余曲折の末、由比瑞乃店長代理による万々歳のゴリ押し経営が始まったのである。


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