お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第7話

「ねえ、まなてぃー」

「人を海棲哺乳類みたいに言わないでください」

 

 北養区、洋食店ウォールナッツ。かつては上流階級御用達の洋食店として名を馳せた老舗の厨房で、瑞乃は泡立て器を慣れた手付きでかき回していた。菓子の類を作っているのか、厨房には甘い香りが充満している。瑞乃の隣ではまなてぃーと呼ばれた少女がむすっとしながら、手際よくイチゴのヘタを取っている。

 

 まなてぃーのクレームに瑞乃は首をかしげて、

 

「まなてぃーはお気に召さない? じゃあくるる、まなな、マナケインのどれがいい?」

「全部却下です! まなかには胡桃(くるみ)まなかって名前があるんですから。普通にまなかと呼んでください」

「下の名前呼び捨てとか距離近すぎて恥ずいじゃん!」

「あだ名呼びの方がもっと近いですっ!」

 

 あまり真剣に付き合っているとボケ倒されて疲れてしまう。まなてぃーもといまなかはため息を一つこぼして、ジト目で瑞乃をにらみつける。すると確かな経験を感じさせる瑞乃の洗練された動きが目についた。普段の言動もこれくらいきちんとしていればいいのに、と思わずにはいられない。

 

 五つも年齢が違う二人の関係が始まったのは、一ヶ月前のことだった。

 

 お昼のラッシュを乗り越え若干緩んだ空気の漂う万々歳。その平穏を打ち破る勢いでまなかが店に押しかけてきた。

 

『たのもー! ここのチャーハンのレシピを教えていただきたく参りました、胡桃まなかです!』

『産業スパイだ、であえであえ!』

『ちゃーらー!』

『きゃー!?』

 

 由比姉妹はまなかの勢いを押し返す圧で迎撃し、烏龍茶でおもてなししながら尋問したところ、まずレシピ狙いの産業スパイではないことが分かった。

 

 まなかは洋食店ウォールナッツ店主の一人娘で、父親の影響を受け料理を作ることが何より好きだった。幼いころから父親を始め先達の料理を味わい、模倣して自分の技術を磨き上げてきた。美味しい料理に出会うとすぐさま自分で味を再現し、技を盗むほどに研究熱心だった。

 

 そんなまなかが技を盗めなかったのが、万々歳のチャーハンだった。

 

 口に入れたとたん広がるごま油の香ばしい風味と、噛めば噛むほど味わい深くなるパラパラの米粒。さらにアクセントの刻みねぎと重厚な豚肉が加わって織りなす美味しさといえばまさに旨味の暴力で、かといってしつこすぎず後を引かない。出されたら出された分無限に食べられる仕上がりだった。

 

 何度挑戦しても同じ味にならない。じゃあ直接聞けばいいじゃない、と聞きにきたとか。

 

 事情を知った瑞乃は非常に気まずい表情で、真実を語った。

 

『ごめん……実はズルをしてるんだ』

 

 瑞乃は万々歳で料理を作るにあたり、けっして正当ではない手段で味を向上させていた。

 

 同じ失敗を二度としない生まれ持った要領の良さ、センス。自動的にあらゆる因果へ干渉しいい結果を引き寄せるご都合主義の魔法。そういった武器をはるかにしのぐ強力な方法を、瑞乃は所有していた。

 

『お姉ちゃん力、じゃんね』

『は?』

 

 お姉ちゃん力である。

 

 サイカワの妹を持つ最強のお姉ちゃんとしての自負と、妹の前で無様を見せられないプライドの二つからなる特殊な力だ。妹の笑顔と幸せを守るためには半端な料理は作れない。この覚悟が瑞乃に不可思議な力を与え、料理技術の向上に大きく影響していた。

 

『つまり鶴乃がいる時点で、私の料理は極限に達していたんだ……』

 

 瑞乃流料理の真髄を語ると、まなかはしばし沈黙して目をぱちぱち。お姉ちゃんったら、と照れる鶴乃とドヤ顔の瑞乃に対し、こう言った。

 

『日本語でしゃべってくれます?』

 

 真顔だった。

 

 小学生には少し分かりにくかったかもと瑞乃は反省し、お互いに都合のいいとき料理研究をしようと提案。現行万々歳のレシピはお姉ちゃん力の比重が大きいので公開しても問題なく、まなかとは料理仲間としてたびたび顔を合わせる仲になった。

 

 なお、まなかは「バカと天才は紙一重ってやつでしょうか……」とことあるごとに呆れている。

 

「で、さっき何を言いかけたんです?」

「んー、実は相談したいことがあって」

 

 かき混ぜていたボウルを置き、次の作業に取り掛かる瑞乃。その表情は珍しく憂いに満ち、瞳が不安で揺れている。

 

 らしくない料理仲間の様子にまなかは胸を張って応えた。

 

「どうぞ話してみてください。瑞乃さんにはお世話になっています。まなかが精一杯相談に乗りましょう」

「ありがとう。実は今朝気づいたことなんだけど──」

 

 瑞乃はしばしためらうように言いよどみ、やがて意を決して言った。

 

「私は変態かもしれない」

「……は?」

 

 目が点になるまなかを置いて、瑞乃はぽつぽつと語りだす。

 

 瑞乃は万々歳の厨房から裏方までワンオペで店を回しているので、営業日に鶴乃と触れ合えるのはほとんど業務上のやりとりにとどまる。だからこそ定休日を姉妹で仲良くのんびりできる日として大切にしていたのだが、最近はまなかとの料理研究が増え、鶴乃との交流の時間が減った。

 

 そのせいで不安になったのだろうか。

 

「今朝、鶴乃に聞かれたの。『お姉ちゃん、明日何の日か覚えてる?』って」

「鶴乃さんの誕生日ですよね?」

 

 明日は鶴乃の記念すべき誕生日だ。瑞乃が世界一愛している最高にかわいい妹の誕生日。その準備をするために、まなかとの料理研究に力を入れている。

 

 瑞乃はよどみなく作業を続けながら、「そうそう」とうなずく。

 

「そんな大事な日をお姉ちゃんが忘れるわけないよね。天地開闢の記念日を忘れても鶴乃の誕生日だけは絶対忘れないじゃんね」

「たとえが壮大過ぎてよく分かりませんが、そうですね。瑞乃さんが忘れたら事件です」

「でしょ? だからその、ありえなすぎて魔が差したというか」

 

 妹の誕生日を忘れるなどと、天地がひっくり返ってもあり得ない仮定。さらに、普段の鶴乃は瑞乃のウソや誤魔化しをたやすく見抜くこともあって、あえて瑞乃はこう返したという。

 

「『えーとなんだったかなー』ってとぼけたのね」

 

 すると、ものほしげにそわそわしていた鶴乃の表情が見る間に曇った。この世のすべてに絶望したかのように目から光が消え、曇天の空よりも暗い雰囲気をまとった。

 

「かわいそうじゃないですか。なんでそんな意地悪するんです?」

「うん、私もすぐ謝ろうとしたんだ。でも無理だった」

 

 妹にこんな顔をさせた姉がとる次の行動としては、すぐに発言を撤回し謝るのが正当だろう。しかし当時の瑞乃は正しい選択をしなかった。不可能だった、と表現するのが適切かもしれない。

 

 手元から目を離さないまま「どうしてですか?」と問うまなかに、瑞乃はバツが悪そうに告白する。

 

「鶴乃の曇った顔見てたらさ……あのね、変な意味じゃないんだけど──興奮しちゃって。ゾックゾクしちゃったのね」

「……は?」

 

 まなかは手を止めた。でなければ手元が狂いかねなかった。

 

 瑞乃は作業を止めないまま、非常に意地の悪い笑みを浮かべている。

 

「鶴乃っていつもひまわりみたいな笑顔で、本気で落ち込むことはほとんどないの。だからギャップっていうのかな、曇った顔見てたらゾクゾクキュンキュンきちゃって……うひひ……これって普通だよね? 変態じゃないよね?」

「変態! 紛う方なき変態ですよ!? ちょっ、今すぐ距離を取りたいんですけど!?」

「じゃああえて一歩近づいてみる」

「寄らないでくださいっ!」

 

 作業中のため逃げられないまなかは瑞乃に対し腰が引けている。変態は気持ち悪い笑みを貼り付けたまま半歩まなかに接近し、まなかは悲鳴をあげた。

 

「よしできた。こんな感じでいい?」

「へんた……あ、はい。いい感じです。後は型に入れて焼くだけですね」

 

 近づいたついでに作業の成果を確認してもらう。職人気質のまなかはすぐに切り替え、次の調理手順を指示した。

 

 指導通りに出来上がった生地を型に流し込みながら、瑞乃は言う。

 

「で、さっきの続きなんだけど」

「まだあるんですか……もうお腹いっぱいなんですが」

「いやいや聞いた方がいいよ。まなかのためにも」

「私のため……?」

 

 鶴乃曇らせ事件の告白はまだ終わらない。

 

 普段明るい鶴乃と曇らせ鶴乃のギャップにハートを射抜かれた瑞乃は、さらに魔が差した。この曇り空を最後まで曇らせたらどうなるのかしら、と。ただ涙の雨が降るだけには留まらないだろうと姉の直感が告げており、じゃあ何が降るのかと好奇心が湧いた。

 

 そうしていけない好奇心のままに、こう追撃したのだ。

 

「『さーて今日もまなかとの逢い引き楽しみだなー』って」

「ちょっとぉ!?」

 

 この追撃を受けた鶴乃は死んだ魚のような目で視線を巡らせ、ある一点で目を留めた。その先を追ってみると万々歳厨房の壁で、そこには大きな中華包丁が吊るされていた。

 

 鶴乃は包丁を見つめながら、ぼそりとこうつぶやいたという。

 

『まなか……まなかも私のお姉ちゃんを奪っていくんだね』

 

「というわけで、夜道では気をつけてねっ!」

「気をつけてねじゃないですよこの変態シスコン! 曇りのち血の雨じゃないですかっ!」

「ああっ、女子小学生に暴行を受ける中卒女子の図!」

 

 手元の正確性を維持しつつ足で瑞乃を蹴りつけるまなか。口と足で乱闘しながらも作業に一切の影響を出さないのはさすがの職人芸だった。

 

 そこでタイミングよくオーブンのベルが鳴る。予熱が完了したそこへ型にはめた生地を入れ、レシピ通りの時間を設定。用済みとなった調理器具を片付けると、焼き上がるまでは手持ち無沙汰になる。

 

 まなかはオーブンを見つめながら、腕を組んで唸った。

 

「うーん……」

「あ、一応言っとくけど冗談だよ? 鶴乃はいい子だから」

「知ってますよ。お姉さんと違って鶴乃さんは常識人です。そうじゃなくて」

 

 知り合って日の浅い由比姉妹のことを、まなかは信頼している。笑顔が曇りに曇った結果、お昼のドラマみたいなことにはならないと信じている。信じたい。

 

 気がかりなのは鶴乃の気持ちだった。

 

「鶴乃さんには本当に謝った方がいいですよ」

「へ?」

「大切な誰かに自分の誕生日を忘れられるって、普通に辛いです。瑞乃さんだって嫌ですよね?」

「いや、私はむしろ忘れてほしいかな」

「はい?」

 

 瑞乃は不思議そうに首をかしげている。まなかの真剣な助言も理解しきれていない。

 

「だって私なんかが生まれちゃった日だよ? 祝うどころか呪われても文句言えないし。忘れてくれた方がいいよ」

 

 なぜなら瑞乃は誕生日が苦手だからだ。

 

 瑞乃は自分自身が何より嫌いである。生まれた日を祝われる謂れはないし、呪われて然るべきだと考える。だから、意地悪された鶴乃の気持ちを思いやれない。

 

 まなかは数秒絶句した後、大きなため息をついた。

 

「……急に卑屈になられると、びっくりしちゃいますね」

「ご、ごめん、そんなつもりはなかったの。癖というか、なんというか」

 

 一ヶ月前、やちよとみふゆに怒られて以来のことだ。前世の卑屈さを親友に見られた影響か、瑞乃はふとした瞬間に、自己嫌悪が抑えられなくなる。過剰なほど自信満々な瑞乃が無意識に「私なんか」と卑下するので、周囲は困惑を禁じ得ない。

 

「別にいいです。ただし今度卑屈になったのを聞いたら、やちよさんに言いつけますから」

「やめて!」

「必死ですね」

 

 鶴乃にだけは絶対に弱い一面を見せないと誓っているためか、卑屈になるのはやちよ、みふゆ、まなかの前だけだった。みふゆは自己嫌悪の塊のような瑞乃を肯定し、なぐさめる。一方のやちよは「親友のことを悪く言うのはこの口かしら?」と静かにすごむ。その圧力たるや、十年以上命がけの戦いを切り抜けてきた瑞乃を恐怖させるほどだった。

 

 話は脱線し、怒ったやちよがいかに怖いかを力説しだす瑞乃。怒らせる方が悪いんでしょうとまなかが呆れているうちに、生地が焼き上がる。

 

 ふわふわスポンジ生地の間に、まなか監修のもと瑞乃が準備したホイップクリームと刻んだイチゴ、その他フルーツをサンド。生地のてっぺんにたっぷりとクリームを塗りつけ、ヘラで平面にした後イチゴを載せ、細かなデコレーションを入れていき、最後に大きなチョコレートの板を盛り付ける。

 

 王冠のように鎮座するチョコ板には、ホワイトチョコで文字が綴られていた。

 

『HAPPY BIRTHDAY TO TSURUNO』

 

「この手作りバースデーケーキとプレゼントがあれば、過去最高に喜んでくれるよ! ありがとうね、まなてぃー!」

「普段はこちらが教えてもらう側ですからね。このくらいはお安いご用です」

 

 まなか監修、瑞乃が調理を担当したお手製バースデーケーキ。まなかとの逢い引き、もとい洋菓子講座の成果が結実した瞬間だった。

 

 毎年鶴乃の誕生日はささやかなプレゼントと市販のケーキでお祝いしていたが、今年は洋菓子の知識もあるまなかという伝手もあり、瑞乃が一念発起。お菓子作りのイロハを学びながらお手製ケーキを作ることになった。このケーキとプレゼントがあればきっと喜んでもらえる。その慢心こそ、瑞乃に魔が差した原因かもしれない。

 

 瑞乃は完成したバースデーケーキを慎重に箱で包み、保冷バッグに入れる。手早く厨房の片付けと掃除を済ませると、あわただしく帰る旨を告げた。

 

「もう帰るんですか?」

「これからやっち、みっふとみかづき荘をデコんなきゃいけないんよ。明日はまなか、本当に来ない?」

「お店の手伝いがありますから」

「おっけー。では改めて」

 

 瑞乃は箱を脇に置き、居住まいを正して深く頭を下げる。

 

「ありがとうございました、まなか先生」

「……い、いきなり殊勝になんないでください」

 

 数日間洋菓子作りに付き合ってくれたお礼を言うと、まなかは恥ずかしげに顔を逸らす。

 

 瑞乃としては本当にいい経験になったことと助かったことの筋を通しただけだが、慣れていないまなかはみるみる頬を紅潮させていた。

 

 二三言葉を交わし、「鶴乃さんが喜んでくれるといいですね」と言って別れる。

 

 いそいそと去っていく様子からして、会場のデコレーションにも時間と力をかけるつもりだろう。妹のために全力を尽くす姿勢にまなかはくすりと笑って、

 

「いいなあ、鶴乃さん」

 

 小さくそうつぶやいた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 参京区から新西区への道中。由比鶴乃はこの世のすべてに絶望したかのような顔で、とぼとぼとみかづき荘へ歩を進めていた。

 

 今日は鶴乃の誕生日だ。年上の親友であるやちよ、みふゆがみかづき荘で誕生日会を開いてくれる。おめでたい日ではあるものの、鶴乃の表情が晴れることはない。

 

「お姉ちゃん……」

 

 知らずのうちに漏れる声。万々歳を出てから何度もお姉ちゃんと口に出している。しかしいくらつぶやこうとも、お姉ちゃんこと瑞乃が誕生日会に来てくれることはない。

 

『えーとなんだったかなー』

 

 初めてのことだった。昨日の朝、鶴乃が誕生日のことを尋ねると瑞乃は忘れていた。

 

 瑞乃は進学を断念してまで万々歳を守ってくれている。いつも忙しそうにしているからもしかすると忘れているかもと危惧していたが、本当に忘れられるとは思っていなかった。

 

『今日もまなかとの逢い引き楽しみだなー』

 

 聞いたとたん、経験のないドス黒い感情が鶴乃の心に渦巻いた。無意識に包丁へ目をやっていたことに気づくと、鶴乃は自分が嫉妬していると分かった。

 

 瑞乃はもう鶴乃だけの姉ではなくなっていた。魔法少女の先達としてやちよ、みふゆと仲が良く、料理人としてまなかとも仲を深めている。さらに鶴乃のまったく知らない不特定多数の少女とも親しくしている。

 

『瑞乃さん、いや瑞乃様! 本当にありがとうございました!』

『黒タマがなければ私たち今頃……』

『私たちみたいな才能なしに戦い方まで教えていただいて……』

『大げさだってば。一回同情した以上は最期まで面倒見るのが筋じゃんね。最期まで、ね』

 

 黒タマと呼ばれる何かをきっかけに付き合い始めたらしい少女たちは、よその区の魔法少女だった。ときに見滝原や風見野など、市外まで足を伸ばし様々な相談に乗っているようだった。強力な魔法少女として頼りにされる瑞乃は、力のない鶴乃が踏み込めない一面で、ただ眺めていることしかできなかった。

 

「いつからだろう……」

 

 溝ができたのはいつからか、と自問すればすぐに答えは出る。まだ祖父が存命だったころ、鶴乃が魔女の結界に巻き込まれたときの話だ。

 

 追い詰められた鶴乃が魔法少女の契約を交わそうとした瞬間、さっそうと瑞乃が現れた。禍々しい敵を圧倒的な力で蹴散らす瑞乃の背中と、その後抱きしめられたときの安心感。あの気持ちを思い出すとなぜか胸が高鳴り、まともに目も合わせられなくなってしまう。

 

 そうして少しだけ距離を取っていた間に、瑞乃は鶴乃だけの姉ではなくなっていた。鶴乃が知らない一面が増えていき、ついには鶴乃の誕生日さえ忘れてしまった。

 

「私が悪いんだ……」

 

 重い足取りで姉のいない誕生日会へ歩を進める。その面持ちといえば断頭台へ行進する罪人よりも暗く沈んでいた。

 

 瑞乃は万々歳の営業時間後も帳簿とにらめっこして唸っていることが多く、姉妹の間に交わされるやりとりは業務上のものが多くなっていた。だから姉とたくさん話せるはずの誕生日会をずっと鶴乃は楽しみにしていた。祝われる側だけれど、瑞乃のためにある仕込みも用意していた。

 

 ポケットの中に忍ばせたその仕込み(・・・)に手をやると、やるせなさが増す。もはや地に沈み込んでブラジルまで突き抜ける勢いの落ち込みっぷりに、通行人が二度見していく。

 

 みかづき荘にたどり着いた。おしゃれな庭と2階建ての家屋を前に、鶴乃はため息をつく。

 

 もう楽しみな気分ではないけれど、落ち込んでいればやちよとみふゆの気遣いが無駄になる。両手で頬を叩き、元気な自分を演じてインターホンを鳴らす。

 

『開いてるわ。入ってきて』

「お邪魔しまーす!」

 

 わずかに期待して玄関を見ても、姉の靴はなかった。

 

 心が折れそうになりながらもどうにか空元気を振り絞る。

 

 リビングの前で深呼吸し、意を決して扉を開くと──

 

「お誕生日おめでとう!」

 

 クラッカーの破裂音。おめでとうの垂れ幕と、どこか嗅ぎ慣れた料理の香り。眠たげな目元を緩ませるやちよと、触角アホ毛をピコピコ揺らしているみふゆ、そして──

 

「……ほっ!? お姉ちゃん!?」

「よく来た妹よ!」

 

 世界でたった一人の、姉の姿が目に入った。

 

 その瞬間、陰鬱な気持ちがウソのように吹っ飛ぶ。

 

「なんで……そっか、思い出してくれたんだね!」

「思い出す? 何言ってんの、鶴乃の誕生日を忘れるわけないでしょーが!」

「え、でも……」

「はい証拠ォ!」

 

 瑞乃がテーブルの上をびしっと指差す。そこには店で見るよりも三割増でいい香りを漂わせる料理の数々と、ろうそくの立てられたケーキがある。ケーキのチョコ板にはハッピーバースデーのメッセージと、デフォルメされた鶴乃の似顔絵が描かれており、相当の手間暇がうかがえた。

 

「半月かけてまなかと共同で作ったケーキだよ。今日思い出したんじゃ絶対無理なクオリティなんだから!」

「お姉ちゃん……!」

「鶴乃ぉー!?」

「ほら、泣いた」

「だから言ったんですよもう!」

 

 鶴乃は泣き崩れた。姉に忘れられたわけではなかった。自分だけのお姉ちゃんではなくなっても、間違いなくお姉ちゃんはお姉ちゃんで、自分はその妹なんだと、そう考えると涙が止まらなかった。

 

「私、不安で、でも今すっごく嬉しくて、うええ……」

 

 瑞乃は慌てながらティッシュをあてがい、やちよとみふゆは微笑ましげに姉妹を見守っている。瑞乃の『誕生日忘れたフリしてサプライズ大作戦』につきあわされた二人には、分かりきった結果だった。

 

 しばらく安堵の涙を流す鶴乃をあやしていると、ようやく落ち着く。ついに楽しいお誕生日会の始まりかに思われたが──

 

「お姉ちゃん?」

「ひえっ!?」

 

 鶴乃が光のない目で姉と向き合った。

 

「最初から覚えててくれたんだよね? じゃあなんで忘れたフリしたのカナ? 私すっごく寂しかったんだよ? わざわざ玄関の靴まで隠してさ」

「それはその……サプライズといいますか……」

「へぇー、そっか。サプライズかぁー」

「ご、ごめーん! ひっはらはいでー!?」

 

 嬉しさと怒り半々の笑顔で鶴乃は瑞乃の頬を引っ張り回す。

 

 お誕生日会がスタートしたのは、瑞乃の頬がすっかり赤くなった頃だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 和気あいあいとお誕生日会を楽しむ四人。料理を食べ、雑談を交わし、なんでもないことで笑い合う。あっという間に時間が過ぎて、作り過ぎかと思われた料理もほとんどが空になった。

 

 宴もたけなわの空気が漂いだした頃、やちよが「あっ」と声を出す。

 

「プレゼント、忘れるところだったわ」

「あ」

 

 いわゆるプレゼント贈呈だ。お誕生日会の最初に渡すはずだったが、鶴乃をなぐさめるのに気を取られ今まで忘れていた。

 

「ではワタシからはこれを」

「わあ、ゴージャスな豚さんだ! ありがとう!」

「なんと耳の先についているのは火打ち石なんですよ」

「どう使えと!?」

 

 みふゆから贈られたのは金ピカの豚の貯金箱だった。贅沢な色合いのせいで今にもお金が集まりそうな金運を感じる。耳の先にある火打ち石は本当に火をおこせるので、非常用にもなるかもしれない。

 

「じゃあ私からはこれね」

「現金!?」

「違うよお姉ちゃん」

 

 やちよから贈られたのは厚みのある茶封筒だった。目をむく瑞乃だが、知った顔の鶴乃にやんわり止められる。このプレゼントは鶴乃自らがやちよに希望したものだった。

 

 さっそく開封して封筒から出てきたものは、写真だった。瑞乃の。

 

「わ、私?」

 

 学校行事などでは、カメラマンが撮影した生徒の写真を購入できる制度がある。中学時代の修学旅行、体育祭、毎日の昼休みなどの日常を送る瑞乃が写されているので、おそらくそのルートの写真だろうと推測する。

 

「ん? なんで私の写真をこんなにやっちが持ってんの?」

 

 やちよがぷいとそっぽを向き、瑞乃は戦慄した。

 

「わあ、私の知らないお姉ちゃんがいっぱい! ありがとうやちよ!」

「……まあ鶴乃が嬉しいならいいか。最後、私からね」

 

 鶴乃が笑顔だったのでひとまずスルー。

 

 トリを務める瑞乃から贈られたのは、綺麗にラッピングされた小箱だ。

 

 上目遣いで「開けていいかな?」と聞かれたのに瑞乃がうなずき、中身があらわになる。

 

 箱に収まっていたのは、黄色い紐だった。鶴乃のイメージと髪色に合わせた色彩のサンライズイエローで、シンプルながら頑丈かつ上質な手触りが特徴だ。

 

 万々歳のへそくりを使って豪奢なものを用意することはできた。しかしあまりにお金をかけると遠慮して喜ばれないと判断した上でのチョイスが髪紐だった。

 

 はたして鶴乃の反応はというと、

 

「ほっ? これって……」

「か、髪紐だけど。どうかな?」

 

 なぜか絶句していた。

 

 もしや手抜きと思われたか。ファッションに興味のない瑞乃だが、仕事柄ファッションに詳しいやちよとついでにみふゆにも協力してもらい、選びぬいた髪紐だ。鶴乃の反応にむくむくと不安が湧く。

 

 同じくやちよとみふゆも不安を覚え始めたとき、鶴乃はポケットに手を突っ込む。そうして取り出されたのは、今開封したばかりの箱と同じような小箱だった。

 

 鶴乃は嬉しくてたまらないとばかり、満面の笑顔で箱を差し出す。

 

「お姉ちゃん、これ開けてみて!」

「え、これって……?」

 

 言われた通り開けてみれば、中身も同じく髪紐だった。ただし色合いは鶴乃のものと異なり、燃え上がる炎のようなオレンジ色だ。

 

「今年のお姉ちゃんの誕生日、万々歳がいろいろ忙しくて流れちゃったでしょ? だから今日一緒にお祝いしようって思ってたの。そしたらほとんど同じプレゼント選んでるんだもん。すっごい偶然だよね、ふんふん!」

「瑞乃、そうだったの?」

「みっちゃんは意地でも誕生日を教えてくれませんから……知ってたら私たちもお祝いしたんですが」

 

 瑞乃の誕生日は、高校進学を断念し本格的に万々歳を引き継いだ時期と重なる。その埋め合わせを今日するつもりで、鶴乃が準備していたのがプレゼントの髪紐だった。あまりお金をかけると遠慮して喜んでもらえないと踏んでの控えめなチョイスだった。

 

「お姉ちゃん、つけ合いっこしようよ!」

 

 姉妹はそれぞれの髪ゴムを外し、色違いの髪紐を結びつける。それぞれ左右で対になるサイドポニーに結い、腕を組んで並ぶ二人にやちよとみふゆは「似合ってる」と微笑んで、それを受けた鶴乃もまた、姉とのおそろいの髪紐に心の底から幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 

 鶴乃の笑顔を見た瑞乃は、覚悟を決めたように言う。

 

「鶴乃」

「なーに?」

「私を殴って」

「うん分かっ……ええ!?」

 

 瑞乃は自分を恥じていた。これほどまっすぐで健気な妹の笑顔を曇らせて悦に浸っていたことが恥ずかしくてたまらない。

 

 たしかに鶴乃はかわいい。笑顔が曇ったときのギャップともっと曇らせたい気持ちも否定できない。

 

 けれどやっぱり一番は、幸せそうに笑っている鶴乃だ。

 

 それを忘れていた罪悪感、無念な思い──早い話、妹がまぶしすぎて発狂寸前である。

 

「殺して、いっそ殺して、歪んだ私でごめんなさい……」

「みっちゃんが乱心です! やっちゃん!」

「任せて!」

「って、魔力ビンタは命に関わるからやめーい!」

「あっははは!」

 

 いつかのようにやちよがビンタを準備すると、正気に戻った瑞乃が逃走。色素の薄い茶髪ポニーを振り乱し距離を取る。

 

 にぎやかなみかづき荘に少女たちの悲鳴と笑い声が響きながら、緩やかに時が過ぎて行った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 騒がしくも楽しく、幸せな日常。

 

 その喧騒に紛れ、何かが軋む音がする。

 

 誰にも気づかれることなく、日常は終わりに向かっていた。


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