お姉ちゃんは何でもできる【完結】   作:難民180301

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第8話

 誕生日を楽しんで以来、由比瑞乃は最強になった。

 

『私も高校には行かずにお姉ちゃんのお手伝いするよ!』

『たわけ!』

『たわっ!?』

 

 以前なら声に詰まって泣き出してしまうような鶴乃の提案にも強気で言い返し、半ば強引に言いくるめ妹の将来性を確保した。

 

 唯一の弱点だった妹のおねだりにさえ対抗できるこの強さも、誕生日がもたらした恩恵である。

 

 魔法少女の強さはメンタルに左右される。

 

 魔法の元となる魔力を生み出すのが魔力であり、感情の振れ幅が魔力を生むため、ネガティブな感情によりメンタルが不安定になれば弱体化してしまう。逆にポジティブな感情によりいい意味で振れ幅が大きくなると強くなる。

 

 この点で言うと、誕生日会を楽しんだ瑞乃はまさに最強と呼ぶにふさわしい状態だった。前世を思い出して卑屈になりかけていたものの、妹のかわいさを再認識することで心が持ち直した。鶴乃の笑顔を見るためならどんな無理でも通す決意。妹の笑顔を想い、オレンジ色の大切な髪紐で髪を結ったなら、出来ないことは何もない。

 

 魔女退治、力のない魔法少女たちのサポート、全力ワンオペ。一切のそつなく完璧にやりとげる毎日。

 

『こんなにしっかりした娘がいたら、何もやることないわね』

 

 母と祖母はそう口をそろえ、虚ろに笑った。実際問題はなかったので、瑞乃は口をつぐんだ。

 

『お姉ちゃん、あのさ……』

『何暗い顔してるの。大丈夫、お姉ちゃんは何でもできる!』

 

 曇った表情の鶴乃を元気に説き伏せ、ますます頑張ってみせた。瑞乃は常に活き活きしていて、当初は心配していた周囲さえ活力でねじ伏せた。

 

 頑張れば頑張るほどうまくいく。失敗を恐れる必要はない。だから、もう何も怖くない。

 

 そうして一年が過ぎた頃のある日。

 

「いっ、た……!?」

 

 深夜、使い魔の結界にて。

 

 瑞乃は使い魔に苦戦していた。直撃を受けた腹部がじわりと熱を帯び、呼吸が出来ずに視界がかすむ。

 

 特に強力な相手ではない。精神攻撃や幻惑など、厄介な搦手を使われたわけではない。神浜市では最弱と呼んで差し支えないレベルの使い魔に、瑞乃は手を焼いている。

 

「げほっ、ごほ……さっきのあれがフラグだったかな」

 

 急所に迫る使い魔の攻撃を横っ飛びで回避しながら、瑞乃は先程の不吉な体験に思いを馳せる。

 

 万々歳を閉めた後、帳簿をつけながらお茶を呑んでいたときのことだ。いつも使っている湯呑に亀裂が入った。ごく小さなものだったのでセロテープと接着剤で無理やり補修したが、中身の圧力に耐えきれず、湯呑は自壊して粉々になってしまった。

 

 愛用しているものが壊れるフラグを察知しつつも、瑞乃は気にせず深夜の街に繰り出した。フラグだろうがなんだろうが、ねじ伏せるのがご都合主義だ。それが転生者の特権だから、とタカをくくっていた。その結果が大苦戦である。

 

「力、入んない……っ!」

 

 魔力は充実している。穢れもそれほど溜まっていない。しかし夢の中で足が空回りするように、体が思うように動かない。

 

 かといって見つけた使い魔を逃すのは瑞乃の矜持に反するため、紙一重で攻撃を躱しながらチャンスをうかがう。回避と牽制の攻撃に徹しながら、長年の経験と勘で使い魔の動きを見極めていく。

 

「使っちゃうかな……?」

 

 温存している手札を切るために、バチバチと装束の雷紋模様を帯電させる。

 

 しかしその必要はなかった。幾度目かも分からない攻撃を見切り、弾いたところに完璧なカウンターを叩き込むことができた。

 

 使い魔の結界は消えた。深夜の路地裏に、瑞乃は一人荒い息をついている。割れるような頭痛と世界が波に揉まれているようなめまい、強烈な眠気が瑞乃を襲い、立っているのもやっとだ。

 

 裏メニュー用のグリーフシードを一つか二つ調達する予定だったが、これでは戦いにならない。全力で身体能力を強化してもかろうじて手足が動く程度だ。

 

 明日も朝が早い。鶴乃に心配をかけないように、今日は早く戻って寝ようと決める。

 

 フラフラとソンビのような足取りでどうにか万々歳にたどり着く。深夜とはいえ誰にもその姿を見られなかったことは、瑞乃にとって都合が良かった。

 

 しかしそんなご都合主義もカバーしきれないほど、瑞乃は弱りきっていた。

 

「いっ!?」

 

 万々歳の勝手口を通り、階上へ上がろうとしたところ、階段につまずいてしまう。転倒した拍子に頭を打ち、意識がもうろうとする。

 

 おまけに大きな音を立ててしまい、

 

「お姉ちゃん!?」

 

 階上から、パジャマ姿の鶴乃が顔を見せる。血相を変えて瑞乃に駆け寄った。一年近く都合良くも隠し続けてきた深夜徘徊が、この瞬間に露見する。

 

 どうしてこんなに調子が悪いのか。生まれ変わったはずなのに、どうして悪い結果になってしまうのか。自分自身に深く落胆した瑞乃の視界が歪んでいく。

 

 ブラックアウトする最後の瞬間に見えたのは、涙目でお姉ちゃんと叫び続ける鶴乃の曇った顔だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「過労ですね。二、三日ゆっくり休めば良くなるでしょう」

 

 沈んでは浮かびを繰り返す意識の中、瑞乃は淡々とした声を聞いた。嗅ぎ慣れないよそのシーツの匂い、空気。重いまぶたを開いてみれば真っ白な天井が見え、視界の端にひらめく白衣が見えた。同時に最後の記憶を思い出し、病院に運び込まれたのだろうと察しがつく。

 

 ベッドの脇からくぐもった泣き声が聞こえる。きっと愛する妹だろう。過労で倒れたことを心配し、悲しんでくれているに違いない。すぐに笑顔を取り戻すため、瑞乃は重い体を総動員して起き上がる。

 

 そこにいたのは、チャイナ服の中年オヤジだった。

 

「いや誰ェ!?」

「アイヤー、娘よ。苦労をかけたアル!」

「娘って、え、ウソ、父!?」

「アイヤー!」

 

 オヤジは瑞乃と鶴乃の実の父だ。瑞乃に料理勝負で完全敗北したショックにより中華の大陸へ修行の旅に出て以来音信不通だったが、ようやく修行を終えて帰ってきたところ、娘が過労で倒れていた。ご近所に聞くと義理の父も死去し、なんと二人の娘が店を守っていたというから、父は己の不甲斐なさに男泣きしている。

 

「アイヤー!」

 

 すっかりチャイナにかぶれて胡散臭いことこの上ないが、修行を終えた父はかつての父ではない。万々歳を回すのに十分な料理の腕と胆力を身に着けた新生父である。彼は涙を拭い、店は任せて休むアル、と瑞乃に言った。

 

「でも半端な腕じゃ逆効果に……」

「こいつを食らうアル」

「おいしい!」

 

 父が差し出したタッパーを受け取り、中の料理を口に運ぶと、瑞乃は親指を立てた。これなら今の万々歳でも十分通用する。父は厨房に一人で立てる人材として育っていた。

 

「瑞乃!」

「は、母と祖母!?」

 

 続いて駆け込んできたのは母と祖母。瑞乃と鶴乃が稼いだ収益をひたすら散財し続けてきた二人だが、娘の過労を受け心を入れ替えたらしい。これからは万々歳の一員としてきちんと稼業に協力する、と涙ながらに語った。最初からそうしてよ、と言いかけたのを瑞乃はこらえた。

 

 瑞乃は家族が苦手だ。どうしても前世を思い出してしまうから。特に両親のことは父と母としか呼べないほど敬遠している。

 

 それでも万々歳を支える──すなわち鶴乃を笑顔にする手伝いをしてくれるなら、大歓迎だった。

 

 母と祖母はこてこてにチャイナかぶれした父に引きつった笑みを浮かべながら、部屋を出ていく。娘をねぎらい、涙を流す家族たちに演技の色は見えなかった。瑞乃のゴリ押しワンオペはもう必要ないだろう。

 

「やっちゃったなぁ」

 

 ぽつりとひとりごちる瑞乃。今にも泣きそうな鶴乃の顔が脳裏をよぎった。

 

 無理をしているつもりはなかった。普通の人間にできないことだろうと、魔力で身体を強くすればたいていの不可能は可能にできる。魔力と体力は別物だが、体力が尽きても自動発動の『ご都合主義』により、限界を超えて働くことができる。

 

 しかしおよそ二年間、ほぼ休みなく瑞乃は限界を超えて活動してきた。膨大な魔力とご都合主義で賄えないほど疲労が蓄積し、倒れてしまった。きっと鶴乃ややちよ、みふゆに心配をかけてしまっただろう。

 

「みんなに心配を……心配を……」

 

 チラ、と病室の扉を見る。

 

 数分間待っても動く気配はない。静かなベッドサイドにもお見舞いの品はない。

 

「……えっ? お見舞いは? 鶴乃は、やっちとみっふは?」

 

 ここに来て瑞乃は最低かつ最悪の考えに至る。

 

「なんで誰も私のこと心配してくれないの!?」

 

 瑞乃はかまってちゃん体質である。倒れて心配をかけることを悪いとは思う。しかし心配されないならされないでひどく落ち込む。

 

 面会謝絶? 過労で倒れた程度で? 誰からも愛されてない?

 

 嵐のように荒れ狂う不安の念で真っ青になりながら、瑞乃は一人で百面相をしている。まさかやちよとみふゆが親友と呼んでくれたのも夢だったのでは、と泣きそうになった時、扉が動いた。

 

「瑞乃さん! 大丈夫ですか!?」

「だから誰!? しかも多い!」

 

 入ってきたのは名前も知らない三人の少女だ。

 

 一応そのうちの一人の少女には見覚えがあった。彼女は元気にツッコミを入れる瑞乃の姿を前に、ほっと息をつく。

 

「よかった、元気そうですね」

「私たち、瑞乃さんの裏メニューに救われたんです」

「忘れられてるとは分かってたんですけど、心配でいても立ってもいられなくなって。あ、リンゴむきましょうか?」

「あ、うん、いただきます」

 

 彼女たちは、瑞乃の同情に救われた魔法少女たちだった。

 

 裏メニューによる格安価格でのグリーフシード販売。それだけでなく、瑞乃は戦いに自信のない魔法少女に簡単な講習を実施していた。力なき魔法少女に手を差し伸べる慈悲深い人として瑞乃を慕うグループの代表が、見舞いにやってきたのだ。

 

「ごめんなさい。私たちが面倒をかけたせいですよね……」

「これからはもっと私たちだけで頑張りますから。瑞乃さんはゆっくり休んでくださいね」

「待った、待った」

 

 肩を落とす少女たちに、瑞乃は向き直る。

 

「私に気を遣ってあなたたちが無理したら、そっちのほうが寝覚め悪いよ。これまで通り、困ったことがあれば遠慮なく相談して」

「でも……」

「いいから。こっちもこれからちょっと暇になりそうだからさ」

 

 一度同情した以上は徹底的に付き合うのが瑞乃なりの筋である。押しに弱い少女たちにぐいぐい詰め寄って了承させると、少女たちは頭を下げて、退室していった。

 

 再び取り残される瑞乃。

 

 時間は夕刻、一般的に放課後と言われる時間帯だ。鶴乃、やちよ、みふゆがいつ来てもおかしくない。瑞乃は三人が来るのを今か今かと待ち構え、物欲しげに扉を見つめていた。

 

「来ないじゃんねぇ……」

 

 しかし来ない。もっとも心配してくれそうな三人の誰も来ない。

 

 やっと扉が動いた頃には、もうとっくに瑞乃の我慢が限界を迎えていた。

 

「瑞乃、入るわよ」

「……ぐうぐう」

 

 やちよとみふゆがやってきた。

 

 瑞乃はシーツを頭から被り、わざとらしい寝息を立てていた。まるで拗ねた子供だ。

 

 二人はベッドサイドに置かれたお見舞いの品を見ると、瑞乃のご機嫌を察した。顔を見合わせ、ほっと息をつく。

 

「……はあ、ひとまずいつもどおりで安心したわ」

「倒れた、と聞いたときは本当に心臓が止まるかと思いました」

「……ごめん。わぷっ」

 

 バツが悪い瑞乃はシーツから顔を出し、気まずげに目を逸らす。すると、やちよがすかさず瑞乃の身体に抱きつく。みふゆもベッドにすがりつくような姿勢になった。瑞乃からは二人の表情は見えなかった。

 

「裏メニューのこと、さっきすれ違った子たちに聞いた。あなたがすごい魔法少女だってことはよく知ってる、でも──無茶しすぎよ、バカ」

「お店の経営に加えて他の子たちの面倒まで見ていたなんて……そんなの、倒れるに決まっています」

「私たちに出来ることがあれば何でもやるわ。だから約束して。もう一人で無理しないって」

「……ごめん」

 

 心配される喜びなんて、欠片もなくなっていた。親友二人の震える声を前に、瑞乃はただ謝ることしかできなかった。やちよが不満を表明するように、抱きしめる力を強めた。

 

 両親がその気になってくれたので、負担が減ることを伝えると二人はいくばくか表情を和らげ、言葉少なに退室していった。

 

 瑞乃は本当に大切な誰かに心配をかける辛さを初めて味わっていた。言いようのない罪悪感で今にも心がはちきれそうだ。もしも鶴乃が号泣しながら病室に入ってくれば、その瞬間に瑞乃の魂が弾けるかもしれない。

 

「お姉ちゃん」

「つるっ!?」

 

 などと考えているときに鶴乃の声がしたので、瑞乃はベッドの上で跳ねた。幸い鶴乃の声は奇妙に落ち着いており、瑞乃が弾け飛ぶことはなかった。

 

 しかし瑞乃が声の方向へ目をやると──心臓を破りかねない勢いで、心拍が跳ねた。

 

 鶴乃は手に、一枚の紙を持っている。

 

「つ、るの……それ……」

「これ? 宝くじだよ。一等の、八億円の当たりくじ」

「うん、そっちじゃなくて……」

 

 瑞乃が凝視していたのは、宝くじを握る鶴乃の手。左手の中指にはめられた指輪だ。

 

 見覚えのある形状と、そこから漂う魔力、覚悟を決めたような鶴乃の勇ましい顔つき。瑞乃は言葉を忘れたように呆然と口を開けている。

 

 鶴乃は姉の視線を受け、左手のひらを開いてみせる。すると指輪が輝いて、魔法少女の証たるソウルジェムへと姿を変えた。

 

「私も魔法少女になったよ」

 

 静かに、宣言するように、鶴乃が告げる。

 

「お父さんもお母さんも戻ってきた。願い事でたくさんお金も用意したし、私も戦えるようになったの。今までずっとお姉ちゃんが頑張ってきた分、今度は私がお姉ちゃんを頑張って支えるよ。だからお姉ちゃんはもう、無理をしないで」

「そっか」

「相談できなかったのはごめんなさい! でも私、どうしても我慢できなくて──」

「大丈夫、分かってる。鶴乃は私のために覚悟を決めたんだよね。お姉ちゃん嬉しいよ」

「……お姉ちゃん?」

 

 沈みかけた太陽の光が、窓から差し込んでいた。瑞乃の顔は逆光で陰になっている。

 

 鶴乃が目を細めていると、瑞乃はぽすんと仰向けになる。

 

「ごめん、まだちょっと疲れてるみたい。眠くなってきちゃった」

「あ、う、うん。じゃあまた明日くるね。着替えとかいろいろ準備してくる」

「ありがと、よろしく」

 

 そのまま寝息を立て始めた姉に鶴乃は首を傾げながら、病室を出ていく。

 

 瑞乃は疲れていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「おかしいな。君は妹が魔法少女になることに反対していたじゃないか。どうしてそんなに落ち着いているのかな」

「出たなセールス星人」

 

 瑞乃が夜中に目を覚ましたとき、まず目に入ったのは無機質な赤い瞳だった。

 

 キュゥべえは瑞乃の無駄に育った胸部に猫のように頭を乗せ、のんびりくつろいでいる。

 

「今後の参考に教えてほしいな。どうして君は動揺しないんだい?」

 

 瑞乃は鶴乃に普通の女の子として生きてほしかった。魔法少女となって戦いの運命を背負い、やがて魔女になる末路など迎えてほしくなかった。

 

 しかし鶴乃は、大切な姉を支えたいがためにキュゥべえと契約を交わしてしまった。鶴乃を間接的に契約させたのは瑞乃といえる。キュゥべえの統計学的な推測では、このパターンで契約すると瑞乃が相当に動揺するはずだった。

 

 その予想に反して瑞乃は一眠りしたらもう落ち着いている。

 

「簡単なこと。私には『ご都合主義』があるんだ!」

「どういう意味かな?」

 

 瑞乃が勝ち誇った笑みで語るのは固有魔法のことだった。因果に干渉しあったことをなかったことにできる魔法。その気になれば鶴乃のソウルジェムを借り、因果を操作してすぐにでも契約を無効化できる。確実な解決策があるからこそ、瑞乃は一時的な動揺だけで済んだ。

 

「なるほど。僕が君の固有魔法を把握していないこと。契約で目減りしたエネルギーに比べ、神浜市の魔法少女と魔女の数が異様に少ないこと。いろいろと納得できたよ。それほどの固有魔法を使えるなんてね」

「……怒った?」

「いいや。でも、卵を潰されると困るよ。できれば止めてほしいな」

「善処します」

 

 疑問を解消したキュゥべえは四足で立ち上がり、ゆらりと煙のように姿を消した。いくらキュゥべえでも怒るかもしれない、と内心警戒していた瑞乃は息をついて、力なく天井を見上げる。

 

 鶴乃は魔法少女になった。契約に至るまでの願い、祈り、気持ち。様々な鶴乃の思いを無駄にはできない。だからすぐには魔法少女を辞めてと言えない。

 

 けれど鶴乃が魔法少女の真実に絶望した時、心折れて魔女になってしまうその時は、問答無用でご都合主義を行使する。それが瑞乃なりの精一杯だった。

 

『中身がダメダメじゃ意味がない』

 

 いつか誰かに言われた言葉が反響する。

 

「ダメダメじゃない。私は転生した。何をしても失敗ばかりの私じゃない……」

 

 胎児のように身を丸め目を閉じる。過去の自分はもう死んだ、今の私はなんだってできると、壊れたスピーカーのように繰り返しながら、瑞乃は眠りに落ちて行った。

 

 軋む音に、気づくこともなく。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 新西区、里見メディカルセンター。充実した医療設備と豊富な人材による手厚い医療で評判のそこは、市内外問わず総合病院として広く知られている。病棟の突き当りには患者や見舞い客が談笑するラウンジが設けられ、広々とした空間で人々が憩いの時間を送っている。

 

 そんなラウンジの隅の椅子に腰掛けながら、鶴乃は絶望していた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 うわごとのように何度もつぶやいているのは、大好きな姉のことだった。

 

 鶴乃の姉、瑞乃は過労で倒れ、ラウンジからほど近い病室へ運び込まれた。意識のない姉の姿を思い出すたび、鶴乃を強い後悔の念が襲う。

 

 鶴乃にとって、瑞乃はなんでも出来るヒーローだった。料理も接客も鶴乃が物心ついたときには大人よりもうまく出来ていて、父が料理の腕に嫉妬していたほどだった。父が出奔し祖父が死去してからは、瑞乃一人で万々歳を守ってきた。その上、魔女や使い魔と呼ばれるとても危険な怪物と戦い、人々を守っている。鶴乃とも友だちであるやちよとみふゆは「私たちが知る中で最強の魔法少女」だと太鼓判を押していた。本当になんでも出来る自慢の姉だった。

 

 しかしそれはただの思い込みだったのだ。

 

 鶴乃はベッドで眠る瑞乃の姿を前に、愕然とした。

 

 鶴乃は大きかった瑞乃の背丈をいつの間にか追い越していた。瑞乃の身体は鶴乃の記憶よりもずっと華奢で、大きな中華鍋を振り回しているとは思えないほど小さな手をしていた。

 

 こんな身体でずっと無理をしていたのだと思うと、鶴乃は気づけば病室を飛び出していて、ラウンジでうなだれていた。

 

「私のせいだ……」

 

 瑞乃に無理をさせたのは自分だ、と鶴乃は自責する。

 

 祖父から聞いた由比家の栄光に憧れ、それを取り戻すために店を開く祖父を尊敬した。瑞乃は興味がない様子だったが、鶴乃に合わせるように店を手伝うようになった。

 

 それだけでも鶴乃は瑞乃に思いを押し付けた責任を感じるが、極めつけは一年前の春のことだ。

 

『高校に行かないなんて、悪い冗談だよね……?』

 

 瑞乃は万々歳を守るために高校進学を断念した。

 

 無理をしてないと強がりの笑みを浮かべる姉に、鶴乃は言葉を呑み込んだ。あの時きちんと自分の気持ちを告げていれば、姉が倒れるほど無理をするようなことはなかったかもしれない。そう考えると胸が痛くなり、自然に涙が滲んだ。

 

「う、うええん……」

 

 嗚咽を漏らす鶴乃。

 

 場所が場所だからだろう。周囲の患者や見舞い客たちは遠巻きになって、痛ましげに鶴乃を見つめている。いつもならすぐになぐさめてくれる瑞乃は、ベッドの上で眠っていた。それを思い出すとますます鶴乃の心が痛みを増す。

 

「大丈夫ですか?」

 

 すると、優しい声がかかる。

 

 鶴乃が顔を上げると、見たことのない制服姿の少女が、ハンカチを差し出していた。

 

「私、環いろはって言います。事情は分かりませんけど……お話して楽になることも、あると思いますから……」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 環いろはは神浜市外に住む中学一年の女の子だ。

 

 友だちはとても少ない。まともに話が出来るのは、里見メディカルセンターに入院している妹とその友だち、両親くらいのものだ。いわゆるコミュ障のぼっちと呼ばれる人種である。

 

 しかし誰かの役に立ちたい思いと、困っている人を捨て置けないお人好しの気性にかけては、右に出るものはいない。

 

 だからこそ、ラウンジで一人嗚咽を漏らす制服姿の女の子を、見過ごすことができなかった。

 

 妹のお見舞いを済ませた帰り道、女の子の隣に寄り添う。

 

「由比鶴乃さんですね、よろしくお願いします、由比さん」

「鶴乃ちゃん」

「え?」

「由比さんより、鶴乃ちゃんがいいな……」

「わ、分かった。よろしく、鶴乃ちゃん」

「うん……話、聞いてくれるかな?」

 

 鶴乃は訥々と涙の訳を語った。中華飯店万々歳のこと、祖父のこと、なんでも出来る姉のこと。自分が気持ちを呑み込んだせいで、姉が倒れてしまったこと。

 

「その気持ちって? 今からお姉さんにそれを伝えることは、できないの?」

「無理だよ、そんなの!」

 

 鶴乃の気持ち。あの日姉に告白できなかった本当の気持ちとは、けっして口に出していいことではなかった。

 

「私ね、万々歳は大好きだけど、いつの間にかお姉ちゃんの方がもっと大事で、大好きになってたの。だから、お姉ちゃんが無理するくらいなら万々歳が潰れてもいい、って言おうとした。最低だよね? 私が万々歳を好きだからお姉ちゃんが必死で頑張ってきたのに。そんなこと言ったら、お姉ちゃんの今までの努力を全部踏みにじっちゃう……」

 

 姉は鶴乃の笑顔を守るために万々歳を全力で守ってきた。しかし鶴乃は自分のために頑張ってくれる姉のことを何よりも大切に思うようになっていた。姉が無理をせずにただ笑顔でいてくれるなら、他の何もいらないと思えるほどに。

 

 けれど鶴乃は姉の頑張りを誰よりもそばで見てきた。その努力をすべて踏みにじる覚悟がないから言葉を飲み込み、姉は無理を続けて身体を壊した。

 

 互いを思いやる故のすれ違い。

 

 事情を知ったいろはは声を詰まらせ、目を伏せる。

 

「私はお姉さんの気持ち、分かるなあ」

「え?」

「私にも妹がいるの。環ういっていうんだけど……お姉ちゃんってね、妹の前だとかっこつけようとするんだよ」

 

 できないこともできると強がり、無理なことも平気平気と虚勢を張ってやり通す。倒れるまで頑張るのはやりすぎだが、姉とはそんな不器用な生き物だと、いろはは照れ笑いをこぼす。

 

「もし私がお姉さんの立場なら、鶴乃ちゃんが本当の気持ちを言ってくれない方が辛いと思う。鶴乃ちゃんが一人で泣いて、こんなに悩んでるって後で知ったら、お姉ちゃんはすごくショックだよ」

「で、でも……」

「お姉さんを傷つけちゃうのが怖いんだよね?」

 

 鶴乃はこくりとうなずいた。本当の気持ちをぶつける覚悟がない。たとえそのせいで後でもっと深く傷つけるかもしれないと分かっていても、ふんぎりがつかない。

 

「じゃあ、お姉さんを支えてあげて」

 

 妹のためならお姉ちゃんは何でもできるし、できてしまう。だから無茶をしてしまうのは仕方がない。それをすぐに引き止めたり、手を取り合って協力したりできるように、すぐそばで支えてあげて、といろはは言った。

 

「そばで、支える……」

「その通りだ、由比鶴乃」

 

 するとタイミングを図ったように、白い獣が現れた。いつの間にかラウンジからは人が消えている。

 

 一見謎の白いタヌキもどきにも見えるキュゥべえの登場に、いろはは目を丸くした。

 

「な、何この子? タヌキ?」

「ボクはキュゥべえ。ボクの姿が見えるということは、環いろは、君にも素質があるみたいだね」

 

 けれど先に、とキュゥべえは鶴乃へ水を向ける。

 

「由比鶴乃。君の姉は魔法少女として、かなりの無茶を重ねている」

「そ、そうなの!?」

「ああ。力のない魔法少女にグリーフシードを恵み、新人に戦い方を教え、その上で自分のグリーフシードは深夜に確保している」

「さすがお姉ちゃん、優し……え、深夜!?」

「そう。君が寝ている間にね」

 

 鶴乃は唖然とした。誰にでも優しい自慢のヒーローは、誰よりも身を削って戦っていた。知らなかった自分が恥ずかしかった。

 

「けれどボクと契約すれば、君は姉の隣に立てる。無理をしないよう支えてあげるには、格好の立場だよ」

「そっか、確かに。しかも願い事まで叶えてくれるんだよね」

「ああ。なんでも一つだけ叶えてあげられるよ」

 

 まさしく渡りに船。この時点で鶴乃の中で契約すること自体は確定されており、残るは願い事を何にするかだった。今すぐ由比家の栄光を取り戻す、と一瞬だけ考えたものの却下。それこそ姉が必死で積み上げてきたこれまでを否定する行為だ。

 

 悩んでいるそのとき、過去の姉のぼやきがリフレインする。

 

『宝くじでも当たれば一発なんだけど……』

 

 帳簿とにらめっこしていた姉の言葉だ。

 

 そうと決まれば一直線。鶴乃は高らかに願い事を宣言した。

 

「宝くじで一等を当てたい!」

 

 こうして鶴乃は魔法少女となり、姉の隣に並び立つことを決意する。

 

 思いやるがゆえのスレ違いが発生していることなど露とも知らず、姉妹は坂道を転げ落ちていく。


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