エヒトルジュエの力によってこの世界に転移した一行の中で唯一の成人で、南陽高校の社会科教師である畑山愛子、彼女の精神状態は不安定の極みと言っても過言じゃ無かった。
それも無理は無いだろう、まずいきなりトータスという今までの常識が通用しないファンタジーな世界へと引きずり込まれた挙句、敵対種族との戦争に参加して欲しいと要求されたのだ、勿論それに対してふざけるな!と啖呵を切ったものの、
ならばせめて傍で生徒達を守る!と決意したは良いが、自らの天職は作農師、非戦型である一方でその希少さ、有用さから戦闘とは無縁の、農地改善や開拓という任務を言い渡され、生徒達とは離れ離れになる事が決まってしまう。
それでもハジメの勧めに従ってその任務を引き受け、遠くで戦っているだろう生徒達の事を思いながらも自分達の発言力を高める為に一生懸命働き、各地の農村や未開拓地を開拓して回った愛子、それが一段落して王宮に戻った彼女を待っていたのはそのハジメと、自分と同じ人を好きになった女子生徒達の訃報、ハジメの親友である幸利及び彼らと少なからず因縁のあった檜山達小悪党組が行方不明になったという報だ。
この報せを聞いた時、愛子の心は絶望感に押しつぶされて卒倒、目を覚ませばそれが夢では無い事を思い知らされ、後悔の念が渦巻き、自分を責めに責めた。
何故ハジメからの想いを、自分のハジメへの想いを受け止めず、彼と付き合わなかったのか、何故強引にでも戦争参加を押し留められなかったのか、何故一緒に戦闘訓練に参加しなかったのか、何故、何故、何故…
然し、そんな彼女を引きずり出した者がいた。
「ハジメさんは、貴方がそうやって悲しみに暮れる事を、教師としての責を放棄する事を望まれたのですか!?違うでしょう!貴方が動かねば、貴方の生徒である彼らを誰が守るのですか!?」
そう喝を入れつつ、愛子達と同様にハジメ達の死という事実にショックを受けている生徒達を守る為、護衛にする様掛け合うべきだと、リリアーナが説得に来たのだ…両眼を赤くし、涙の跡を残したままで。
その如何にも泣きはらした後だと言わんばかりなリリアーナの、そんな彼女が気丈に振舞いながら自分を説得する姿を目の当たりにした愛子は頭をガツンと殴られた様な衝撃を覚えた。
リリアーナだって浅からぬ縁だったハジメ達が、もしかしたら自分と同じく想いを寄せていたのかも知れないハジメが亡くなった事が信じられず、然しそれが現実だと思い知らされて絶望し、自分と同じく深い悲しみに耐えられず涙にくれていたのかも知れない。
にも拘わらず、このままで良い訳が無い、こんな状況をハジメは望んでいないと悲しみを押し殺す様に愛子を説得、彼女が立ち直るよう動いたのだ、これじゃあどっちが教師しているか分からない。
そんな彼女の説得で目が覚めた愛子は、ハジメ達が転落する様を目の当たりにした事で『死』という圧倒的な恐怖を思い知って立ち上がれなくなった生徒達、それを良しとせず彼等に戦闘訓練を引き続き受けさせようとする教会及び王国関係者の動きを知り、もう後悔はしない!と言わんばかりに真っ向から立ち向かった、自分の立場、能力を盾にして生徒に近寄るな、これ以上追い詰めるなと声高に叫んだ。
ハジメの勧めを受けて必死に取り組んだ成果が出ていたのもあってか、愛子との関係が悪化するのは不味いと考えていた教会及び王国関係者は、その要求に渋々従った、彼女は勝利をもぎ取ったのだ。
戦闘訓練への参加を拒否する生徒達への働きかけは無くなり、その代わりにリリアーナからの勧め通り、自分自身の護衛に参加させる事が認められ、そのメンバーに玉井淳史らのパーティが参加した。
尤もそんな愛子の奮闘に心震わせ、唯でさえ高かった人気が更に高まり、何としても愛子を守って見せると彼らが奮起、したのは良いがその頑張りが斜め上に働いていくのは予想外だったが。
何はともあれ、今は何とか教師としての強い責任感から表向きは気丈に振舞っている愛子だが、その心中はハジメ達を失った事による悲しみが深く深く刻まれたままだった。
------------
「清水、一体何処行ったんだろうな」
「この街の近辺も結構探し回ったけど、見つからないね…」
「仕方ないよ、南雲っち達を目の前で失ったんだもん、正気でいられる訳無いよ…」
「ふざけんじゃねぇよ檜山達め、俺達を守る為に必死こいた南雲達をあんな目に遭わせやがって!」
大陸の北に広がる山脈地帯の麓に位置する湖畔の町ウル、数日前からこの町に赴任した愛子とその護衛の一行、そのうちハジメ達が奈落に転落した一件を切っ掛けに愛子の護衛となった淳史達のパーティは、身辺警護を兼ねて愛子の仕事を手伝う一方で、何人かがハジメ達と同じ日に行方不明となった幸利の捜索をしていた。
これまでに赴任した町でも同様に捜索していたもののその身柄はおろか手掛かりとなる物も一向に見つかる事は無く、此処ウルの町周辺でもまた同じ、一向に見つからない幸利の身を案じる一方で、その原因となったと言える檜山達への怒りを募らせていた。
その際、クラスはおろか学校関係者の大半から嫌悪され、恐れられているハジメについて言及があったが、その口振りは何処か好意的な物、どう聞いても嫌っているとは思えない物だった。
実を言うと彼ら5人は他のクラスメートとは違いハジメを嫌悪しておらず、寧ろその夢に向かってストイックに鍛錬する真面目さ、頭で考えるより先に手を差し伸べられる優しさ、どんな存在に対しても臆せず立ち向かう勇敢さを知っており「男として理想的な存在」と一目置いていたのだ。
では何故他のクラスメート同様彼を避けていたのかと言うと、関わると自分がいじめの標的にされるとかいうありがちな物では無く「お近づきにはなりたいけど、仲良くなろうとしたら命が幾つあっても足りない」という危なっかしさからである。
確かに転移前の時点で、見ず知らずのおばあちゃんと子供を守ろうとして不良に突っかかったり、檜山達や天之河との諍いが多発したり(全部と言って良い位原因は檜山達にあるのだが)とトラブルだらけなハジメ、巻き込まれる可能性は普通にあるとの考えから、彼らは遠巻きに憧れるだけだったのである。
それは兎も角、依然として幸利の捜索が実を結ばない事に悄然とする、今日の捜索担当だった淳史と宮崎奈々、菅原妙子の3人だったが、こんな姿を愛子達には見せる訳にはいかない、ハジメ達を失い、幸利が行方を眩ませた事に深く傷ついているのは愛子なんだと切り替え、彼女達が待っている宿――この街で一番の高級宿『水妖精の宿』へと戻った。
レストランとなっている宿の1階部分、その最奥の最早指定席となりつつあるVIP席にて待っていた愛子達に促されるまま座り、その日の夕食に舌鼓を打った。
「ああ、相変わらず美味しい~異世界に来てカレーが食べられるとは思わなかったよ」
「まぁ、見た目はシチューなんだけどな。いや、ホワイトカレーってあったっけ?」
「いや、それよりも天丼だろ?このタレとか絶品だぞ?日本負けてんじゃない?」
「それは玉井君がちゃんとした天丼食べた事無いからでしょ?ホカ弁の天丼と比べちゃ駄目だよ」
「いや、チャーハンモドキ一択で。これやめられないよ」
此処ウルの町は稲作が主流で、地球の、それも日本で作られている様な米が主食となっており、近くのウルディア湖でとれる魚、山脈地帯でとれる山菜や香辛料等の食材が豊富な事から食される料理は日本と殆ど変わらない、此処水妖精の宿でも日本で出される様な米料理が目玉メニューとして出されているのだ。
そんな美味しい料理で一時の幸せを噛み締めていた一行に、
「皆様、本日のお食事は如何ですか?何かございましたら、どうぞ遠慮なくお申し付け下さい」
「あ、オーナーさん。いえ、今日もとても美味しいですよ。毎日、癒されています」
この宿のオーナーである初老の男性――フォス・セルオが近寄って声を掛ける。
それに代表して愛子がにっこり笑いながら返答、フォスも嬉しそうに微笑むが、次の瞬間、申し訳無さそうに表情を曇らせた。
何時も微笑を絶やさないフォスとは思えない表情に何事かと思った愛子達、その訳は、
「実は、大変申し訳ないのですが、香辛料を使った料理は今日限りとなります」
「えっ!?それって、もうこのニルシッシル*1食べられないって事ですか!?」
材料の入荷が滞り、一部メニューが今日限りとなってしまったからだ。
「はい、申し訳ございません。何分、材料が切れまして。何時もならこの様な事が無い様に在庫を確保しているのですが、ここ一ヶ月ほど北山脈が不穏と言う事で採取に行く者が激減しております。つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして、ますます採取に行く者がいなくなりました。当店にも次にいつ入荷するか分かりかねる状況なのです」
「あの、不穏って言うのは具体的には?」
「何でも魔物の群れを見たとか。北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所です。山を一つ越えるごとに強力な魔物がいる様ですが、わざわざ山を越えて迄こちらには来ません。ですが、何人かの者がいるはずのない山向こうの魔物の群れを見たのだとか」
「それは、心配ですね…」
まさかの知らせに愛子を始め、皆が沈んだ様子で顔を見合わせた。
フォスも食事中にする話では無かったと謝罪し、場の雰囲気を盛り返そうと新たなる知らせを話した。
「しかしその異変も、もしかするともう直ぐ収まるかも知れませんよ」
「どういう事ですか?」
「実は、今日の丁度日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索の為、北山脈へ行かれるらしいのです。フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者の様ですね。もしかしたら、異変の原因も突き止めてくれるやも知れません」
この状況を打開してくれるかも知れない冒険者の存在に一行の表情も明るい物となる、殊に当初から護衛として愛子に同行していた教会の神殿騎士達は、その存在が如何に重大なのを理解していたらしく「ほう」と感心半分、興味半分の声を上げた。
フューレンの支部長となればギルド全体でも最上級クラスの幹部、その指名依頼を持ち掛けられるとなれば相当所ではない実力者の筈、戦闘を生業とする者同士、好奇心をそそられ、脳内では有名な金ランクの冒険者がリストアップされた。
尤もその冒険者達は、実力者と言えば実力者ではあれどそのランクは2つ下の黒(それも指名依頼を問題なく受けさせる為に特例で上がった)なのだが…
「おや、噂をすれば。彼等ですよ。騎士様、彼等は明朝には此処を出るそうなので、もしお話になるのでしたら、今のうちが宜しいかと」
「そうか、分かった。しかし、随分と若い声だ。金に、こんな若い者がいたか?」
噂をすれば影が射すと言うべきか、その冒険者達が会話しながら一階へと降りて来たのを耳にしたフォスが来訪を知らせる、一方の神殿騎士達はリストアップした金ランク冒険者の中に今聞いた声の持ち主がいない事に若干困惑した様に顔を見合わせた。
「ハジメさん達の故郷の味、どれ程の物なのか今から楽しみですね」
「…ん、実際はちょっと違うと思うけど、予行練習にはうってつけ」
「あはは、まあ其処はね。でもまさか、異世界で米料理にありつけるとは思わなかったよ」
「だよね、ハジメ君。此処だとパンとかの洋食が殆どだったからね」
「ええ。然も此処の米料理、見た感じ日本で出される物と殆どそっくりね」
「これは味の方にも期待出来るわね。ユエ、シア、よーく味わって食べると良いわよ」
一方、その声を、話の内容を聞いた愛子達の心臓は一瞬にして飛び跳ねた。
今何と言った、少年を何と呼んだ?
少年の、後の方で話していた少女達の声は、あのクラスメート達の声に似てはいないか?
いや、似ている何て次元では無い、ハジメへの想いを抱いていた愛子にとって、ハジメへの畏敬に近い憧れを抱いていた淳史達にとって、聞き間違える事の無い、その声の主は…!
「は、ハジメ君…!」
「愛子…!」
そう思い立った愛子の行動は早かった。
三方を囲まれ、唯一店と繋がる部分もカーテンで仕切られた実質個室状態な彼らの席、そのカーテンを勢いよく開き、声の主を見やると、それはやはり彼女達が想像した存在だった。
髪の色は白っぽくなり、筋肉質だったり女性として魅惑的だったりと体形が変化し、その体型を思いっきり強調するかのようなボディスーツを身に纏ってはいるが、彼らと同じ様な恰好をした見知らぬ女の子2人も一緒になってはいるが、間違いなく彼らはあの日、オルクス大迷宮の奈落に消えて行ったハジメ達だったのだ…!
「ハジメ君!」
「愛子!」
その姿を認識した愛子は脱兎の如く飛び出し、ハジメのもとへと駆け寄った。
ハジメの方も愛子の存在に気づき、感極まった様子で彼女を呼びながら手を差し伸べ、
「良かった…本当に、良かった…!」
「ただいま、愛子…!」
2人は、抱き合った。