【術】の勇者・フレアは怒りと憤りを覚えていた。
当初、彼女の目算では新たな勇者・ケヤルを迎え、勇者4人のパーティで魔王討伐へと向かうことを想定していた。
王国に所属するフレア以外の勇者は曲者揃い。
【剣】の勇者ブレイドは常軌を逸したサディストのレズビアン。
【砲】の勇者ブレットは少年趣味のゲイ。
「あれは駄目だな。気持ち悪すぎる」
ブレットの第一審査で、ケヤルは不合格であった。たしかにアレはフレアから見ても少年とは言い難い。
「あれは無理。気持ち悪すぎます」
ブレイドの第二審査で、ケヤルは不合格であった。たしかに、レズビアンから見れば男性ホルモンの爆弾は近くにいるだけで苦痛だろう。
フレアの構想していたフレア・ブレイド・ブレット・ケヤルの4人パーティは、戦力構図的に最高のパーティであったが、生理的な問題から結成不可であった。
だがフレアには、ケヤルと他2人の英雄がいれば魔王討伐に向かうことができる希望が残されていた。
ケヤルのクラスを鑑定したら、すぐにでもメンバーを厳選し、魔王討伐へ・・・
が、そんな彼女の計画は破綻した。
ケヤル:クラス【回復術士】。戦闘力を持たない役立たずのクラス。
『こんな屑が同じ勇者というだけで虫唾が走る』
だが、フレアの苦々しい思いとは裏腹に、新たな問題が生じ始めていた。
ケヤルには人望があったのだ。王宮の兵士たちが彼を慕っている。
下手をすればフレアとは別にパーティを組み、先に魔王を討伐してしまう恐れが出てくる。
それだけは何としても阻止せねばならない。
「なら、利用できるものを利用しなきゃね」
フレアはそう呟くと、ニタァと不敵な笑みをこぼし、近衛騎士隊長を呼びつけた。
「ケヤルさん? よかったらお飲み物はいかがですか?」
クラス鑑定を終えた夜、自室で休むケヤルの元にフレアが飲み物を手に訪れた。
「回復の力、凄まじいですね。【剣聖】の力は千人の兵士よりも上。今後の【剣聖】の功績はあなたの功績に等しいですわ」
フレアはケヤルを褒めながら、カチャカチャと紅茶の準備を始めた。
「私のお気に入りの紅茶ですの。良い香りでしょう?心が落ち着きますわ。どうぞお召しになって」
フレアに勧められ、ケヤルはティーカップを手に取った。
『この紅茶・・・何だったか? 覚えているような、覚えていないような・・・』
記憶の片隅に違和感を覚えつつ、ケヤルは紅茶を一気に飲み干す。その途端、目の前がボンヤリと揺らぎ始めた。
『なるほど、毒でしたか』
前の人生でも同じように、フレアから毒入りの紅茶を飲まされていたことを、ケヤルは失念していた。そしてその意識は闇の中へと溶けていった。
「・・・あとはコイツを手に握らせて」
ケヤルの手に誰かが触れている。その感触にケヤルの意識は徐々に晴れてきた。
薄目を開けると、そこには血まみれで横たわる亜人の姿があった。体中には拷問でも受けたような痛々しい傷。息も絶え絶えに、まもなく死が訪れるであろう。
目の前には近衛騎士隊長が座り、ケヤルの手にナイフを握らせている。
そして傍らにはフレアが、不敵な笑みを浮かべ状況を流し見ていた。
「何をしているのですか?」
突如飛び出したケヤルの言葉に、フレアも隊長も驚き飛び上がった。
「き、貴様! 毒で気を失っていたのではないのか!?」
隊長が飛び退くと、ケヤルは体を起こした。
「毒の量を甘く見積もりましたね。それにしてもこの状況・・・」
「起きてしまったなら、仕方ない。皆の者、勇者ケヤルが謀反を起こしたぞ!」
隊長の叫び声に、兵士たちが次々と部屋に飛び込んでくる。
「これは!?」
「勇者ケヤルに謀反の意あり。それを我々に知らせようとしてくれた亜人を殺害したのだ」
兵士たちに口早に語る隊長。ケヤルの手に握られたナイフ。そのナイフの大きさに合う亜人の傷。
「逆賊ケヤル、尋常にお縄につけ!」
「なるほど、嵌められましたか」
ケヤルはフルフルと顔を振り、フレアを睨みつけた。その殺気に一瞬怯むフレアであったが、取り巻きの兵士たちが囲む今、ケヤルに逃げ場はない。
フレアとしては、もし仮にケヤルをこの場から逃走されたとしても、反逆者の汚名を被せられればいいのだ。
「どうするケヤル? 大人しく捕まったほうが賢明よ?」
不敵に笑うフレアに、ケヤルは静かに両手を差し出した。
勝利を確信したフレアは、縛束呪文を唱えようと杖を取り出す。
「ここ最近、皆さんと鍛錬する中で、我も新たなユニークスキルを習得しました」
ケヤルはボソリとつぶやくと、その手をフレアに向けた。
「【聖筋肉領域】(ヒール)」
その瞬間、フレアの視界は暗闇に包まれた。
「な、何!? ここは、何処!」
困惑するフレアの視界に光が戻った時、その状況の全てが一変していた。
目の前に広がるのは見たことの無い部屋。
広々とした白い壁が続き、点々と何かの器具が置かれている。
『拷問器具!?』
フレアは戦慄したが、拷問器具にしては、どれもが見たこともない形状をしている。
「ここは聖筋肉領域です」
背後から突如聞こえてきたケヤルの声に飛び退くフレア。
「ケヤル! 貴方一体何を!」
フレアは攻撃呪文を唱えようと両手を構えた。だが、その意に反して体から魔力が込み上げて来ない。
「無駄ですよ。ここでは魔法の類は一切使用できません。そして、我への攻撃もまた無意味。我はケヤルが生み出した思念体に過ぎないのです」
ケヤルは腰に手を当て背中を見せつけて、天使が翼を広げたみたいな筋肉を作って言った。
事実、苦し紛れにフレアが殴りつけようとした拳は、ケヤルの体を通り抜けてしまった。
「何よここは、早く解放しなさい!」
「ここは固有結界の中の世界です。ある条件を達するまでは、我の意思でも解放はできません」
ケヤルは右手で左の手首を掴んで体の前に出し、体を斜め横に向けて胸の厚みを見せつけて言った。
「条件ですって?」
フレアの問いに、ケヤルは両腕を首の後ろに回し、腹筋と脚筋を見せつけるように言った。
「この空間からは、その者の体重の5%、筋肉量を増やさなければ出ることができません」
なんとなく、さっきからのケヤルの動きから、察することはできた。
筋肉量。フレアの体重を40kgと仮定して2kg。初心者が挑戦して約2~3か月かかる量である。
「そんな、鍛えなきゃ出られないなんて・・・」
「ですがご安心ください。ここには筋トレ用のアイテムが揃っています。我がパーソナルトレーナーとして付きますので問題ないでしょう」
両腕を曲げ、力こぶを強調しながらケヤルは、部屋に並ぶ各種筋トレマシンを指さした。
「もう、駄目。許してぇ、お願ぃい」
フレアの悲鳴がトレーニングジム(ではなく聖筋肉領域)に響き渡る。
「まだまだ。こんなもんじゃ何時まで経っても終わりませんよ」
ケヤルにダンベルを支えてもらいながらのリフトアップ。すでに両腕が乳酸でパンパンになっていた。
「そろそろ食事に致しましょう。筋肉作りにはゴールデンタイムにタンパク質摂取が欠かせませんからね」
「金たいむ・・・タンパク質?」
卑猥な想像に絶望を覚えるフレア。そんな彼女の目の前にケヤルが用意した太い肉の棒がそびえる。
「これを、咥えろっていうの!?」
「ゆっくりお召し上がりください。ドリンクもコチラに用意してあります」
そう言ってケヤルが出したのはジョッキ一杯分の白濁とした液体。
「嫌・・・そんな汚らわしいものを」
「プロテインですよ。グイッといってみてください。美味しいですよ」
口元にジョッキを押し付けられ、白濁液がフレアの喉に流れ込む。
「ゲホッケホッ。に、苦い」
「コーヒー味ですからね」
白濁しているのにコーヒー味。それはつまり、着色料無添加ということである。
「さぁ、頑張って理想のマッスルを手に入れましょう。安心してください。この世界の時間の流れは現実の流れよりも早くなっています。頑張り次第ですぐに出られますよ」
「すぐに?」
「ええ。トレーニングをしている間であれば、こちらでの1年が現実世界の1日となります。トレーニングを続けている間の話ですけどね」
フォフォフォと笑うケヤルに、フレアは絶望にも似た悪寒を感じずにはいられなかった。
一方その頃、現実世界では王宮の兵士が囲む中、王女・フレアの姿が忽然と消えてしまっていた。
突如として起きた不可解な出来事に混乱する兵士たち。
ただ1つ確かなのは、それがケヤルの手によって行われたという確信的な事実であった。
「き、貴様! 王女様を何処へやった!」
「ご安心ください。決して危害は加えてはいません」
フォフォフォと笑い傷ついた亜人を回復させるケヤルに、兵士たちは剣を構え警戒を強めた。
「亜人の傷が!? 貴様、何が目的だ! 何をしようとしている!?」
「今ですか? 回復術士ですから当然のことをしているだけです。それとも未来の話ですか? 我がどのような大人になりたいかというお話でしょうか」
何か話がズレている感覚に襲われながらも、兵士たちは次に発せられるであろうケヤルの目的に注目した。
「我は、この国のインナーマッスルになりたいと思っています」
意味が分からない。兵士の半分はそう思った。
だが『内部から支える筋肉になりたい』というものは、見方を変えれば『この国の中枢を牛耳るつもりだ』とも解釈できる。
「つまり謀反を起こすという事だな! 貴様!」
近衛騎士隊長は剣を振り回し、周囲に旋風刃を巻き起こした。
細かな真空鎌鼬がケヤルの服をザクザクと切り裂き、倒れた亜人にも同様に襲い掛かった。
「それは・・・いけませんね」
ケヤルは身を挺して亜人を守りながら、ギロッと兵士たちを睨みつけた。
殺気を放つ。その行為は戦いを経験した兵士であれば身に着けて当然のスキルである。
だがそれが究極ともいえるレベルで発せられた場合、殺気に当てられた者がどうなるのか、体験した者はこの国にはいなかった。
そして今、ソレは起こった。
始まりは1人の兵士。彼は突如として、彼に背を向けてケヤルを警戒していた隊長の、後頭部に拳を叩きこんだのだ。
「ガハッ」
衝撃で気絶する隊長。殴りかかった兵士は息を荒げ、次なる標的を探し始めた。
そして、その凶行を皮切りに他の兵士たちも奇行に走り始めた。
ある者は隣に立つ兵士を殺さんとばかりの勢いで殴り、殴り返され。
ある者は自らを容赦なく殴り始めた。
この惨状の中、兵士たちは“誰も錯乱してはいなかった”。
「止め!」
ケヤルの声がビリビリと部屋中に響き渡り、兵士たちはそこで手を止めた。
「安心なさい。“我は”貴方達を攻撃しません」
ケヤルの言葉に安堵の表情を浮かべる兵士たち。
事の真相は至極単純。
ケヤルから発せられた絶望的な殺気を前に、兵士たちは死を直感していた。
立ち向かったところで死。逃げたところで死。避けようのない死を前に、生還の唯一の可能性は『戦闘不能の状態になるまで自らを致傷させること』である。
『これ以上は戦闘不可能。私はもうケヤルと戦うことのできない怪我を負いました』とアピールするため。
「では我はこれにて失礼します。皆様、ご自愛ください」
ケヤルが亜人を抱きかかえると、彼の前にいた兵士たちは我先に道を開けていく。
こうして、ケヤルは一切の拳を振るうことなく王宮を後にした。