あぎりさんの過去にあった恋愛話を聞こうとするやすな。あぎりは返答に困りつつも、少しばかり思い出を振り返ってみることにした。

1 / 1
あぎりさんの恋愛話を完全妄想で膨らませて書き上げました。何気にやすニャよりも長くなってしまいましたが、お付き合いしてくれたら嬉しいです。


第1話

忍者の恋は毒の味

 

 

 

「あぎりさんって、好きな人とか恋人とか居なかったんですか?」

 

 学校での昼休み。あぎりは部室にやって来たやすなと二人で昼食を食べていた中、唐突に出されたやすなの問いかけに少しばかり反応に困り、少し遅れてうーんと唸った。  

 

 ちなみに今日ソーニャは本人いわく一身上の都合での欠席である。やすなにとってはこれほど退屈な事は無く、せめて昼食時だけでも話し相手が欲しいと言う事で、忍者同好会の部室にやって来ていた。取りあえず困る様な事では無かったので、あぎりは快く承諾してやすなを迎え入れた。

 

 そんな中、唐突に出したやすなの話題に、あぎりは少しばかり返答に困った。いきなりの恋バナと言う奴である。まぁやすながこんな事を聞いてくる理由は思い当たる節が一つしかないからあぎりはすぐに納得した。

 

「突然ですね~。ソーニャの事ですか~?」

「あいやぁまぁその、もし聞かせてもらえるなら今後の参考にと」

「うふふ、乙女ですね~。それでしたらこちらの秘伝の惚れ薬をお勧めしますよ~」

「んー、やっぱりこう言うのは実力勝負がいいと思ってますからねー。あ、でも一応買います」

「毎度どうも~」

 

 やすなから小銭を受け取って、あぎりはそうですね~と、頬に指を当てる。自分の数ある告白された記憶から、最もやすなの求めている物に近い物を探す。そして、一番古い記憶の中にそれが見つかって、思いかえした。

 

「告白は何度もありますけど、そうですね~」

「おお! やっぱりあぎりさんってモテるんですね! スタイルもいいし容姿端麗だし!」

「まぁ忍者ですから~」

「で、恋人とか居たんですか!?」

「それはですね~…………」

 

 

 

 

「ご、呉織さん! 俺と付き合ってください!」

 

 ああ、またか。あぎりは自分に告白してくる男子に対してため息が出た。いや、告白自体は今に始まった事ではない。もう月に数回ほどの頻度で色々な男が声を掛けて来ていたから、今更、と言った感じである。

 

 しかし、この人物に関してはかれこれ何回もアタックを受けている。他の男子には、他に好きな男が居るとか、恋愛に興味が無いとでも言っておけば諦める物なのだが、この男子、あぎりと同じクラスにいる男子に関しては全く諦めずにあぎりの気を引こうと接してきていた。

 人間である以上、それ恋愛感情が湧くのは当然だと言えるからあぎりは理解しない訳ではない。この時はまだどちらかと言えば嬉しく感じる方だったのだから、交際と言う物にも少なからず興味はあった。

 だが、既に殺し屋という立場にいる以上、それも叶わないだろう。ともかく彼には申し訳ないが、諦めてもらうためにあぎりは大きくため息を吐いて、また断る方針を取る事にした。

 

「何度も言っているのですが、私は恋愛でのお付き合いというのはどうしても興味を持てないので、あなたを恋愛対象として見るのは少し……」

「それでも、それでも呉織さんを振り向かせてみます! だからどうか僕と付き合ってください!」

「そう言われましても……あなたは確かにいいクラスメイトですが、それ以上の関係になるのは私としてはどうも受け入れがたくて……」

「お願いです! もう毎晩呉織さんの事しか考えられないんです!」

「うーん、そうは言われましても……私とあまり親密になるとあなたには不利益な事が……」

 

 何度も断っているのだが、ここまで来るとなかなかしつこい、と言うのがあぎりの本音だった。しかし、その一方でここまで自分に興味を持つ人間は初めてだったから興味もある。あぎりの心がほんの少しだけ揺らいで、じゃあ、と言葉を続けた。

 

「じゃあ、もう少しばかり考えさせてもらってもいいですか? 期限は最長で一週間。それまでにはこちらもしっかり考えてお返事させていただきますので」

「も、もちろんです! 一週間と言わずに一年だって待ちます!」

「それはどうもありがとうございます。では取りあえず、私の連絡先を教えますね。ただ、返事が出来る事は少ないと思いますよ」

「十分です! ありがとうございます!」

 

 そう言って、男子生徒は何回も頭を下げて去って行った。あぎりは手を振りながらそれを見送り、参りましたね~、と呟いた。

 連絡先を教えたのは素直に引き下がらせるためである。ああでもしないとひたすら礼しか言わなくなりそうだったからだ。なに、どうせ仕事用じゃない方なのだから問題ないだろう。さて、これからどうしようか。

 

 とにかく、一度自宅に帰る事にして昇降口へと足を向ける。何か急に疲れたような気がして、少しばかり足取りが重くなっていた。

 

(ひとまず保留にしてはみましたが、断ってもまたアプローチしてくるでしょうね。いっそ付き合った方がいいのでしょうか? しかし殺し屋である以上恋愛なんて……)

 

 そう考えながら、あぎりは上履きから下靴へと履き替えて、学校から出て行く。一応、組織にこの事を報告しておいた方がいいかもしれないと思い直して進路を変え、回り道することにした。

 

 

 

 

 その結果、上層部から交際せよ、とまさかの返答が来た。あぎりもさすがに驚きを隠せなかった。何故なのかと返答したら、潜入している身分である以上、より自然体を装うために恋人関係の一つや二つを作れ、とのことだった。

 

 ただし、本気の恋愛はご法度であるとは言われた。まぁ当然だろう。本気の恋人を作って人質にでもされたら話にならない。殺し屋に情は必要ないのである。今まで情を持って死んでいった同業者たちを、あぎりは何人も見て来た。

 あぎり自身も、元からそのつもりだった。礼の男子には申し訳ないがやるならお遊び程度にしておこうと決めていた。

 

 それから数日して、あぎりは男子生徒を放課後教室に呼び出して、自分が交際する意を伝えることにした。

 約束した時間の五分前に指定した教室に入ると、既に彼は教室の中で落ち着かない様子であぎりの事を待っていた。

 

「お待たせしました~」

「ご、呉織さん!」

 

 ガタッ、と机を揺らしながら男子は立ち上がり、直立不動となってあぎりに向き直った。そこまで硬くならなくてもいいのに、と内心思いながら極力向こうが落ち着きそうな声色で優しく語りかけた。よく見れば顔が強張っている。少し怖くなっているくらいだった。

 

「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。私はあなたと交際する事にしましたから」

「えっ…………つまりそれって……」

「はい、あなたの恋人になると言う事です。ただ、こちらとしてはあまり周りに知られたくないので出来れば内密に」

「ありがとうございます!」

 

 と、生徒は詰め寄ってその両手を強く握りしめて涙と歓喜の表情が入り混じった状態であぎりの目を見つめていた。そこまでして嬉しいのかと、少しばかり不思議で、彼女には理解できない。だが、その目は本物で、否定しようのない物だったと言うのは本当だった。

 

 

 

 

 交際を始めてからと言う物、学校内に呉織あぎりがついに交際を始めたと言う噂が広がっていた。これはこれで逆に目立つのではないのだろうかとあぎりは少々不安になったが、今のところ任務に支障はなかったから特に問題無しと言うことにしていた。

 ただ、噂について聞かれたりすると対応に困った。今まであぎりにアタックを掛けて来た他の男子からは一体相手は誰なんだと詰め寄られてしまった。あまり不用意に言うと向こうにも迷惑かも知れなかったし、事を大きくしたくないからどうにかはぐらかしていた。

 

(これじゃあ逆に目立っているのでは……上も一体何を考えているのやら)

 

 あぎりはため息を吐きながらも、それでも恋人関係になったからにはそれ相応の付き合いをしなければならないから、時折り道中で待っている男子と一緒に帰ったりはしていた。

 

 今日も学校が終わって、いつも通りの帰り道を歩く。この先の角を曲がった先にあるコンビニが待ち合わせの場所である。ここ数日のパターンからして、二日に一回は居る確率が高い。昨日は居なかったから恐らく今日は待っているだろう。

 そう予測してコンビニの中に入ると、予想通りドリンクコーナーに彼は居た。真剣そうな面持ちで自分の分と、恐らくあぎりの分と思われる飲み物を探していた。一体どういう物が好みなのだろうかと言ったところだろう。あぎりは音もなく背後にそっと忍びより、少し悪戯しようとふっと耳元に口を近づけると、こう囁いた。

 

「私は渋めのお茶が好きですね~」

「うわぁ!?」

 

 文字通り飛び上がった男子は、そのままひっくり返りそうな勢いで後ずさりして、あぎりはそのリアクションに思わず吹きこぼしてしまった。面白い反応だ。

 

「ご……呉織、さん?」

「クスクス……ごめんなさい、ちょっと真剣そうだったので悪戯したくなりました」

 

 面白半分、申し訳なさ半分と言った表情になり、それを見た男子はそのあぎりのミステリアスな笑顔の魅力に引き込まれ、顔が熱くなるのを感じてしばしの間思考が回らなくなってじっとあぎりの顔を見るだけになってしまった。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いいえ! 大丈夫です! 渋いお茶ですね、だったら和菓子もどうですか!?」

「和菓子いいですね~。ですけど、今はどちらかと言えばクリーム系のスイーツが食べたい気分ですね~」

「あ、なら近くの公園に美味しいクレープ屋さんがあるですよ! そこでどうです?」

「ではお言葉に甘えて御馳走になります~」

 

 ちゃっかり奢ってもらう約束を取り付けたあぎりは、レジに向かう男子を見ながら、そこまでして自分の何がいいのだろうかと少しだけ疑問に思う。ここまで粘られたのは初めてだったし、一体自分の何がそこまで彼を引き寄せたのだろうかと考えたが、答えは見つからなかった。

 

「呉織さん、行きましょうか」

「ああはい、ではご案内よろしくお願いしますね~」

 

 

 

 

「それで、恋人とかいたんですか!?」

 

 わくわく、わさわさと目をあ輝かせているやすなである。あぎりはそんな彼女の瞳を見て、ああ彼と似ているなと思い出す。一瞬自分に恋人が居た事を教えようかと思ったが、恐らくこれはやすなの求めている物ではないだろうから、あぎりはあえて嘘を吐いて誤魔化した。

 

「いや~、残念ながら恋人まではいきませんでしたね~。お仕事もありますから~」

「うーん、やっぱりきついんですかね……」

「そんなことはありませんよ~。職場結婚と言うのも少なからずありますから~」

「その組織って会社か何かなんですかね……」

「あ、所でそろそろ昼休み終わりますけど大丈夫ですか~?」

 

 つん、とあぎりが指差した方に目を向けると、時計の針がそろそろ昼休みが終わると言う事をその針で示し、やすなはそれを見てまずいと思い、大急ぎで残っていた弁当を腹の中に入れると、素早く収納して立ち上がった。

 

「あわわ、遅れちゃう! じゃあどうもあぎりさん、お話しありがとうございました!」

「いえいえ~、またいつでも来てくださいね~」

 

 ドアを開ける際に、あぎりに軽く手を振って、それに応えるとやすなは廊下を小走りで走っていき、あぎりはそれを見送って軽く息を吐くと、自分の思い出にもう一度耽る事にした。

 

 

 

 

「お好み焼き味のクレープが流行りかと思いましたよ~?」

「いやぁ面目ないです。間違えたかと思ってすごく焦りましたよ」

 

 公園で手ごろなベンチに座り、二人で買ったクレープを食べる。道中近道しようとして変な森を突っ切ったり、間違えてお好み焼屋さんに出てきたりしたが、すぐ近くにクレープ屋もあったのでどうにか事なきを得た。

 

 あははと少し緊張した面持ちの彼は、誤魔化す為に大きめの一口でクレープを口に頬張り、お茶を口に入れてやっぱり緊張の混じったため息を吐いた。

 

「あまり硬くなりすぎると体に良くありませんよ? もっと気を抜いてください。別に多少の失敗でも私はあなたの事を嫌いになったりはしませんよ」

「ああ、はい……周りの目とかも少なからず気になったりで……他の男子からの恨みがちょっと」

「そうですね~、今まで何人も振ってきましたからね~」

「呉織さんはなんで俺と付き合う気になったんですか?」

 

 組織の意向です。なんて言えるわけないので、あぎりは少し考えるそふりを見せて、適当にそれらしい理由を思いついて答えた。

 

「そうですね~、今まで告白して来た中であなたが一番真剣だったから、ですかね。あと気まぐれもあります。幻滅しましたか?」

「いえいえそんな! 気まぐれでも十分嬉しいです! 後悔させないようにしますから!」

「ふふふ、頑張ってくださいね。私のガードは結構硬いですよ?」

「その方が燃えますから、大丈夫です!」

 

 ああ、本当にこの人は自分の事が好きなのかと、あぎりは心底感心した。どれ、面白そうだから少しばかり真面目に付き合ってみようか。そんな興味に駆られて、あぎりは一つ切り出してみた。

 

「それでしたら、今度の休日空いていますか? よろしかったら一緒にお出かけでも如何かと思いまして」

「え、お出かけ、ですか? 例えばどこに?」

「んー、そうですね~。ここは一つ王道で遊園地などはいかがでしょうか?」

「なるほど~。いいですね。ってそれってつまりデートですか!?」

「そう言うことになりますね~」

「行きます行きます! ご一緒させてください!」

 

 目がきらきらしている。男の子なのにまるで女の子みたいに目を輝かせていた。不覚にもちょっとかわいいと、あぎりは思ってしまった。

 

「では決まりですね~。時間と待ち合わせはどうしましょうか?」

「えっと、朝の八時半に、駅前集合でどうです?」

「それくらいなら大丈夫ですよ~。では当日、お待ちしてますね~」

 

 この時の彼の顔を、あぎりはよく覚えていた。その時の笑顔だけ、時折り夢に出るくらいであった。今思えば、あぎりはこの時点で変わっていたのだろう。恐らく、これが一番のトリガーだったに違いないと、断言できた。

 

 

 

 

 やすなが教室に入った時、予鈴まで残り三分と言ったところだった。ギリギリセーフ。何とかなったと軽く浮き出た汗をぬぐいながら自分の机の方を見ると、その手前に見覚えのある金髪とツインテールが目に入り、やすなは感極まってついさっき学校に来たソーニャにダイレクトで飛び込んだ。

 

「ソーニャちゃぁあーーーん!!」

「ふんっ!」

「べっし!!?」

 

 両手を大きく広げ、挙句の果てには唇を尖らせてその頬にキスをする勢いでやすなはソーニャに向かってダイブし、そして問答無用でお約束の顔面に拳をめり込ませて完全に沈黙した。

 

「うるさい奴め。もっと静かに出来ないのか」

「おぼぉ……顔がへこんでる……」

 

 ぐぬぬ、とやすなはへこんだ顔をどうにかして引っ張り出して、両手で異常が無いかと確認すると、改めて目を輝かせながらソーニャの首に手をまわしてキャーキャーと跳ねまわった。

 

「よかったー! 今日ずっと一人かと思ってたから嬉しいよ!」

「仕事が早く終わったからな。あまり休みすぎて留年なんてしてもシャレにならないし」

「んー、でもそれなら私も一緒に留年して、ソーニャちゃんと一緒に居られるからそれはありかも」

「私はご免だがな」

「ぶーぶー、いけずー」

「で、どこへ行ってたんだ? あぎりのとこか?」

「せいかーい。恋バナって奴をしてきたのだよ!」

「なんでそんなまた」

「いや、これからの参考にしようかと」

「何のだ」

 

 まぁいいからいいから、とやすなは空になった弁当箱を鞄に戻して、ソーニャと向き合う形で座り直すと、さっきまでしていたあぎりとの会話を簡単に説明した。

 

「でももったいないよねー、あぎりさんなら恋人とか作れること間違いないのに」

「? 一応あいつには居たぞ」

「…………へっ?」

「いやだから、実際あいつには居たぞ、恋人って奴」

「そそそそそれはマジっすか、ソーニャちゃん!?」

「顔が近い。確かに居たぞ。見た事もある」

「もー、ならあぎりさんなんで教えてくれないのかな~。恥ずかしかったのかな?」

「……たぶん、違う」

「じゃあなに? 教えてよ」

「…………あまりいい話じゃないぞ」

 

 そう言うソーニャの目は、明らかに乗り気ではなかった。その表情が何を意味しているのか、流石にやすなでもなんとなく察しが行った。明らかに何か嫌な雰囲気を感じる。これは聞くべきではないのだろうと脳内の滅多に働かない警告ランプが光った。しかし、彼女の持つ多大なる好奇心がそのランプを叩き割り、やすなを突き動かすとごくりと唾を飲み込みながら口を開いた。

 

「聞くか?」

「うん……なんかちょっと怖いかもだけど」

「さっきも言った様にいい話じゃない。当初はお遊びとして組織の命令で付き合ってたんだ。恋愛ごっこでもした方が自然体だってな」

 

 

 

 

 デート当日、あぎりは待ち合わせの駅にバスケットを抱えて向かっていた。服は制服で行こうかと一瞬考えたが、流石にそこまでするのは見栄え的にどうかと思ったから普通の私服を選んだ。シンプルに真っ白なワンピースの上に、軽く上着を一枚着て、麦わら帽子をかぶっていた。個人的には悪くないと思っている出来だ。さっきからすれ違う数人の男性が振り向くのを感じていた。

 

 時刻は八時二十分と、約束の時間よりも少し早めの到着。ちょうどいいくらいであろう。約束の駅の改札口付近で彼の姿を探し、そしてやはりあぎりより早く彼は駅の券売機前で時計をしきりに確認しながら周囲を見回し、彼女の姿を見つけると花が咲く様な笑顔になって手を振った。

 

「呉織さん、おはようございます!」

「おはようございます~。いつも早いですね~」

「いえいえ、男子たる物、これも一種の礼儀ですから!」

 

 そう言うと、彼はあ義理の今日の服を見ておお……と言った表情になり、上から下まで目線を動かすとぐっと拳を作って感極まっていた。分かりやすい。

 

「すごく似合ってますよ、呉織さん! いつもとイメージ違います!」

「うふふ、ちょっと気合入れましたよ~。あなたも中々似合ってますよ~」

「あ、ありがとうございます! あ、よかったら荷物持ちましょうか?」

「いえ~大丈夫ですよ~。これはお弁当ですから私が持ってます。お昼までのお楽しみですよ?」

「お弁当まで、ありがとうございます!」

 

 さっきから礼を言ってばかりだなと思いながらも、あぎりはそれじゃあ行きましょうかと券売機に向けて歩こうとしたが、既に男子は往復分の切符を購入していて、それをあぎりに差し出した。ものすごく気がきく人だと、あぎりはまた改めて感心した。

 

 電車に揺られること数十分、目的地の遊園地最寄り駅に到着し、二人は駅に降り立って改札を抜けてバス停へと向かい、時刻表を確認すると、ベンチに座って次の到着まで待つ。

 

「今日はいい天気ですね~」

「そうですね。少し曇りそうだって言ってましたけどそんなことなかったですね」

「一応傘も持って来たんですけど荷物になっちゃいました」

 

 参りましたとお手上げの仕草をして、あぎりはクスッと笑みを浮かべる。彼はあぎりの事を精一杯楽しませようとしているのだとよく分かった。今日は素直に楽しもうか。そう思っていると、遊園地行きのバスがやって来て二人の前で停車し、ドアが開いた。

 

 

 

 

 遊園地に着いてからは、これと言って大きなイベントは無かったが、取りあえず典型的なデート内容だった、とでも言えば十分だろう。取りあえずお化け屋敷に関しては、あぎりよりも彼の方が叫んでいた。と言うか、あぎりは気配で大体の仕掛けやトラップの場所を把握していたから驚く事は無かった。伊達に忍者屋敷に住んでない。

 

 ゴーカートに関しては危なっかしい運転で何度も壁にぶつかりそうになったが、あぎりの忍法壁よけの術で危なっかしい場面の回避に貢献している。おかげで事故を起こす事もなく無事にゴールする事が出来たし、ちょっとだけスリルを味わう事も出来た。

 

 ジェットコースターに関しても似たようなもので、あぎりは普段から飛んだり落ちたりするのは当たり前なので、今更どうということは無いと思ってはいたが、彼の方が叫びを上げてあぎりにがっしりとしがみついて来て、終わった時には涙目になっていたからハンカチをそっと貸してあげたりもした。

 

 そうやっている内にお昼の時間になって、遊園地のはずれにある芝生のエリアで持ってきたレジャーシートを広げ、あぎりは弁当を取り出してお茶をそっと入れた。

 

「これ呉織さんが作ったんですか!」

「ええ、昨日の夜に作ったのものあるので、少し味が落ちているかもしれませんが」

「ありがたく頂きます!」

 

 律儀に割り箸を横に割ると、両手を合わせていただきますと一言。どれにしようか少し迷ったのかしばらく弁当箱を見つめて、取りあえずから揚げを一つ掴んで口に運んだ。

 あぎりの唐揚げを口に入れた瞬間、男子はまるで今自分がここに天国にいる様な、いや実際彼にしてみれば天国同然の状況なのだろう。顔が面白い。まるで花畑の中で花を摘んでいる少女の様だ。

 

「お味はいかがですか?」

「手作りの……味がします……!」

「手作りですから~」

「いや、本当においしいです! 呉織さんいつでも嫁入りできますよ!」

「あらら~? それは結婚してほしい、と言う事でよろしいんですか?」

「ふぁっ!? い、いやそう言う意味ではなく、あいやでも将来的にはやはり結婚も視野に入れたいとは思ってますけど、ああごめんなさいまだ付き合って短いのにもう結婚なんてあばばば」

 

 面白い。まるで漫画の様な反応を素でやってくるのだからまったく退屈しなかった。さて、その内パンをくわえさせて曲がり角で待ち伏せでもしてもらおうかなと考えるが、幼馴染では無いから少し違うだろう。ここはラッキースケベ方式で言ったらどうなるのだろうか。うむ、いい反応をしそうだ。

 

 意識を彼に戻すと、それはもうものすごい勢いで片端からあぎりの弁当を腹に詰め込んでいた。いい食いっぷりだ。気付けばもう完食寸前の域まで来ていた。さて、おかわりを用意して正解だったなとあぎりは二つ目の弁当箱を取り出した。

 

「おかわりはいかがですか~?」

「頂きます!」

 

 眩しい。目がものすごく光っていて、一体彼は一般人で例えるならどんな心境で弁当を食べているのだろうかとつくづく思う。まぁ、喜んでもらうのはいい物だ。あぎりも自分の分を口に入れて、味加減を伺う。うむ、今日は良い出来栄えだ。今回制作した秘伝の調味料は成功だ。今日のレシピは覚えておこう。

 

 あぎりは箸を進めながら、おかわりを完食した彼に更にもう一個食べるかと聞くとまた、いただきますと青年は盛大に目を輝かせて三杯目を腹の中に投下した。

 

 

 

 

 昼食後も遊園地をふらりふらりと歩き回り、気が付けば太陽は沈み始めて茜色に染まり、あんなに透き通った青色をしていた空も、まるで目を閉じるかのようにその色をあかねと濃紺、そして漆黒と色を変えていた。

 

 あぎりは一人遊園地出口付近のベンチに座り、そんな風に顔色を変える空を眺めていた。本当にいい景色だ。色々な国に行ってきたが、やはり日本の景色が一番いい。素晴らしきかな我が故郷。組織に入る上で色々な物を捨ててきたが、生まれを捨てるまではあぎりはしなかった。

 

 時計を確認すると、帰りのバスまでもう少しばかり時間が残っていた。ちなみに今あぎりが一人で何をしているかと言うと手洗いに向かった彼を待っている。少し距離があるのか、少しばかり戻りが遅かった。なに、時間はまだあるのだからいいだろう。

 

 と、のんびり呆けていようかと思っていた時だった。正直あぎり自身、こんな展開があるとは思っていなかったからある意味予想外と言えたが、いざ実際に直面すると本当にある物なのだなと実感した。

 

「お嬢さーん、今お一人かなぁ?」

 

 ふと意識を前方に向けてみれば、まさに絵に描いたかのような柄の悪い不良三人組がニヤニヤしながらあぎりの事を見つめていた。

 

「いえー、私の恋人を待ってますのでー」

「えー? こんなかわいい子置いて何してるのかな~? まるで連れて行ってくださいって言ってるような物じゃね?」

「そうそう、そんな待たせてるやつより俺らと来た方が何も待たずにいつでもずっと楽しめるぜ?」

 

 なるほど、言う事も漫画の典型パターンそのまんまである。正直に言うとあぎりはこの手の集団に遭遇した回数は両手両足の指全てを使っても足りないくらいだったから、いくらでも対処できた。いつもなら適当にあしらっていたが、あまりしつこいと半殺しにするくらいはしていた。長い事の経験から、恐らくしつこいパターンだろう。さて、新しい秘伝の巻物でも試そうか。そう思っていた矢先に、これまたいいタイミングだとつくづく感じる、さながらヒーローアニメ的展開が訪れた。

 

「や、やめろ! 俺の呉織さんに手を出すな!」

 

 あぎりと不良グループの間に、戻って来た彼が手を広げて割り込み、立ち塞がった。なんとも、あぎりも少しばかり驚く展開だった。まさか本当に来るとは思っていなかったからだ。

 

「あぁーん、なんだお前? 見ろよ震えてやがる」

「根性無しが、三対一で勝てると思ってんのか?」

「ちょっとどいてもらおうか、俺らお前じゃなくて後ろのお嬢さんに話しかけてんだ」

 

 そしてこの返答。事実は小説より奇なりとはよく言った物だ。今まで一人でこう言う場面に直面していたからこのパターンは新鮮だった。ちょっと前までなら、少し見物して適当に助太刀しようと思っただろう。

 

 ただ、今日は少しばかり気分が違った。なんとなくだが、この三人組にやたらと腹が立っていた。

 

「お、お前らこそどけ! 呉織さんは俺の彼女だ、お前らなんかが話す義理は無い!」

「てめぇが決める事じゃねぇんだよ!」

 

 真ん中にいた一人が拳を作り、あぎりを守ろうと立ち塞がっていた彼の顔面を殴り飛ばす。ぐふっ、と言う呻き声が聞こえ、大きく体が揺らぐ。それを見て、あぎり一瞬自分の頭が煮えたぎるような感覚に陥って仕込んだ毒を塗りたくったクナイを握りそうになるが、倒れ込むかに見えた彼は足に力を入れて耐え抜き、ぎろりと三人を睨みかえした。

 

「確かに俺が決める物じゃないかもしれない……けど、どの道呉織さんは俺を選ぶに決まってる、お前らなんてお呼びじゃないんだよ!」

「こいつ、かっこつけやがって。半殺しにしてやる!」

「呉織さん」

 

 少しだけ首を曲げ、彼はあぎりに小さく語りかけた。

 

「逃げてください。時間なら稼げます」

「ですが、それではあなたが……」

「いいんです、呉織さんが無事ならそれで……」

「ごちゃごちゃうるせぇ!」

 

 ごっ、と硬い何かがぶつかる音がした。見れば彼の顔面に不良グループ三人の一人の拳が叩きこまれ、そのままの勢いで倒れ込むも、容赦なく二人目が腹に蹴りを入れ、更に頭を踏みつけられた。

 一般人が耐えられるような衝撃じゃないのにはあぎりも気づいていた。そして、そのままあぎりを守ろうとした男は力なく地面に転がりこみ、最後にもう一発入れられた蹴りで意識を失った。

 

「けっ、大したことねーっての」

「口だけならどうとでも言える小物じゃんかこいつ」

「さーて、邪魔者は居なくなりましたよお嬢さん? あまり抵抗しないで付いて来ていただきたいんだけどなぁ?」

 

 ケラケラと笑いながら歩み寄る三人。あぎりの瞳の先には、あたかも人形のように倒れこんだ、自分を好きだと言った青年。お遊びのつもりとは言え、れっきとした恋人。その彼がぼろ雑巾を投げ捨てるかのように扱われて倒れていた。

 

 何かが沸騰して、理性と言う鍋が内部の圧力に耐えられなくなって爆発した。

 

「…………そうですね。よく分かりました」

 

 あぎりは一歩前に進み、男たちは「ひゅー」と口笛を吹いた。素直になったのだと思ったのだろう。当然と言えば当然だ。こんな所を見せつけられたら誰だって怖気づいて従うしかなくなるだろう。だが、この男たちは知らなかった。

 

 この呉織あぎりと言う人間が、殺し屋という職業を持ち、そして人間と呼ぶには程遠い、最凶レベルの残忍さを持った忍者である事を、知らない。

 

「あなたたちが、どうしようもない汚物だと言う事が、本当によく分かりました」

 

 その目は、偽りも何もない、ただひたすらに純粋な怒りと、そしてそれと入り混じる明確な殺意を持った、液体窒素よりも冷たい瞳だった。

 

 その日、あぎりは初めて感情に身を任せて本性を現した。本能が赴くままに、本能が示すとおりに、そのすべてに従って自分のやるべき任務を遂行した。そしてその任務は証拠一つ残さない、完璧な内容で完了し、そして最悪な任務だったと、後のあぎりは思いかえしていた。

 

 

 

 

「うっ……あれ、ここは……」

 

 彼が目を覚ましたのは、それからしばらくしてのことだった。空は既に暗闇に包まれていて、分かるのは街灯の少ない光だけ。そして頭がやたらと痛くて、体にも少し傷を負っている感覚があった。

 

「目が覚めましたか~?」

 

 その声と同時に、あぎりの顔がにゅっと現れて、青年は思わず「わっ!」と声を上げるが、体がまだ動くなと叫びを上げて、飛び上がりそうになった体を強制的に停止させた。

 

「あいたた……あちこち痛いです……」

「まだ動かないでくださいね~。顔とか腫れてたり、あちこち擦り傷もあったりしてますから~」

 

 そう言いながら、あぎりは濡らしたタオルでそっと腫れている頬をさすって、軽く直接触れて具合を確かめてみる。少しばかり治りが遅そうだ。取りあえず持ってきておいた湿布を取り出し、適当な大きさに切りとってそれを貼り付ける。

 あぎりが顔の手当てをする度に、彼女の吐息、艶やかな髪の毛が彼の顔に触れる。なにより顔が近い。思春期真っ盛りの男子にはなかなか刺激的である。そして今気づいたが、さっきから後頭部に感じる抜群の柔らかさと硬さを兼ねそろえた物、これは間違いなくあぎりの太ももである。

 

 なんたる幸せ。そして緊張しない訳が無い。あぎりの膝枕状態で手当てをしてもらい、時々顔に触れる吐息、髪の毛、そして年の割には立派なバストが迫り、心臓が高鳴る。少しあぎりがかがむ度に触れそうになるその胸が危なすぎて、どうしたらいいのか分からなくなってとにかく目を閉じ、どうしてこんな状況になったのか聞くことにした。

 

「と、ところであいつらは……」

「ああ、あなたが一発殴られた後、何やら体を揺らしながらも圧倒的な力を見せつけて撃退してましたよ~?」

「え、ええ? 全く覚えてないんですが……」

「あれですね、酔拳って奴でしょう。あれに似た物なのではないのでしょうか?」

「お、俺ってそんな隠れた才能持っていたんだ……」

「かっこよかったですよー? 一切無駄のない動きで相手を翻弄してました~」

 

 次に額に出来た擦り傷に消毒液を染み込ませたティッシュを軽く当てて、少しばかり滲んでいる血を拭き取ると、絆創膏を取り出してぺたりと張り付けた。

 

「あれ~、少し顔が熱いような気がしますが、熱でも出したんですか~?」

「い、いや! 何でも無いです!」

「ふーむ、何かあってはいけないので一応熱を計りますねー」

 

 こつん、と額と額をぶつけて体温を測る。うむ、確かに少しばかり体温は高めだろう。とは言うが、熱があると言うほどでもない。どちらかと言うと興奮の部類だろう。素直でよろしい。

 

「うーん、熱は無いみたいですね。取りあえず大丈夫そうでなによりです。歩けますか?」

「は、はい。ひとまずは大丈夫だと思います」

「それはよかったです。ただ、残念ながら駅に向かうバスの時間を過ぎてしまったので、駅まで歩きになってしまいました。大丈夫ですか?」

「いえ、どうという事はありませんよ。逆に言えば呉織さんともう少し長くいられるんですから」

「うふふ、前向きですね。歩けるなら早めに行きましょう。遅くなるといけませんからね」

 

 立てますか? と言うあぎりの問いに、彼は「大丈夫です」と言いながら少し名残惜しそうに体を起こし、地面を足に着いて立ち上がってはみるが、すぐによろりと体が大きく揺れてその背中を軽く押さえて支える。

 

「す、すいません……」

「いえいえ、まだ無理はしないでくださいね~?」

「あはは、ゆっくりいきますよ」

 

 少々おぼつかない足取りだが、それでも彼はしっかりと歩みを進め、あぎりもそれを見て安心すると、そのまま隣に寄り添うようにして歩みを進めて、いつも様に彼に話しかけた。

 

 そして、その一方でさっきの自分を思い出す。あんなに怒り狂ったのは久しぶりだった。どうしてああなったのかなんて分からない。ただ許せなかった。自分の事を大切に思ってくれている人間を傷つけられるのが許せなくて、心の奥底が煮えたぎるような感覚に襲われ、気付いたら全てが終わっていた。

 

 あぎりとしての感覚は、彼はまだ友人、と言ったところなのだが、何か危害が加えられるような事があるなら守ってやりたいとは思うようになってた。

 

 だが、あぎりは気付いてない。そう思ってしまった時点で、自分が一つ、また一つと情を募らせ、恋と言う奈落の底へと歩みを進めている事に。それに気が付いたとき、あぎりは良くも悪くも大きく進むことになった。

 

 

 

 

 その後も、彼との関係は続いた。一緒に帰る回数も二日に一回からほぼ毎日になり、デートの回数も増え、学校内でもよく一緒になるようになった。学校内の騒ぎも落ち着き、今度は保健室の教師が不倫しているかしていないかの話題で持ちきりになり、あぎりの交際についての話題は霧の様に消えていた。

 おかげで大分過ごしやすくなっていた。周りからの目が遠のいたことにより、昼休みに一緒に屋上で昼食を食べたり、帰り道に商店街やゲームセンターに立ち寄ったりして遊び、休日は映画、ショッピングモール、動物園や水族館、夏には海に行ったりもした。

 

 映画ではあぎりの趣味と彼の趣味が実は一致していたり、ショッピングモールではお互いの行きつけの店に立ち寄ったり、動物園では実は彼が鳥好きでオウムや九官鳥についてものすごく詳しかったり、海に関してはあぎりの完成されたスタイルの凶悪さに、彼は本気の鼻血を出してしばらく止まらなかったりと、色々な知らない事があって、その度に彼もあぎりも笑い合った。

 

 ただ、彼が少し奥手なのもあるのだろうか。中はいいのだが、その先の進展がどうにかして誰も居ない所で手を繋ぐとこまで行くことはできたが、それから先に進む事が無く、あぎりとしてはもう少しがっつり来てもいいのに、と思う次第であった。

 

 それでも、二人でいるときは楽しくて、まるで本物の恋人同士の様に打ち解けて行くのは幸せだった。が、自分はあくまでカモフラージュのためにやっていると言う事を忘れそうになり、それでいて自分のあり方に悩む日が少なからず増えていた。もし叶うなら、組織を抜けてただの人間として生きていく事も…………。

 

「っ!」

 

 そこであぎりははっと目を覚ました。どうやら少し転寝をしていたようで、教室内には誰も居なかった。

 春に受けた告白から早い物で、夏をお通り越し、実りの秋もあっという間に駆け抜けて、今は冬。日が落ちる速さも増して、教室内は大分薄暗くなっていた。今日はたまたま二人一緒に帰らない日だった。彼は用事があると先に帰り、あぎりも私用があったから学校に残っていた。少しだけ寂しい気がして、携帯の画面を開く。通知なし。少しだけそれが寂しい気がして、あぎりは携帯を制服のポケットにしまうと、椅子から立ち上がって帰る事にした。

 

 今日は寒い。まだ冬に入って一月目だと言うのに、吐く息が真っ白になってしまう。今日はマフラーを持ってきて正解だったと、あぎりは鞄の中から赤いマフラーを取り出して首に巻きつけて、昇降口から抜け出すと、突き刺すような冷たい空気があぎりを襲った。

 

(本当に寒いですね。さすがにスカートでは少し厳しい気が……)

 

 正門を抜けて、適当に街へと足を向ける。一人でふらふら歩くのもいいだろう。もうじきクリスマスだし、彼に何か買ってあげるのも悪くないかもしれない。今日は下見、と言うことにしておこう。

 

 無意識のうちに、あぎりは軽く鼻歌を歌いながら歩みを進め、上機嫌で商店街に入ると、並んでいる店舗のクリスマス特集の品々を見つめて吟味する。他にいい物はあるだろうかと探索すると、ペアのネックレスが目に入った。

 

 そのネックレスは、ごく平凡なクリスマスシーズンに合わせた雪の結晶を象った物だった。あまりこの手の物は買ったことなかったが、彼なら喜んでくれるかもしれないと思い、あぎりはこのセットを購入することにした。

 

 値段はそんなに高くは無かったが、恐らくそのまま帰れば気になり続けていただろうから、これでいいだろう。

 

 店員からネックレスの入った袋を受け取ると、あぎりは店から出て行って商店街から抜け出す。空を見上げると、少しばかり雲行きが怪しくなっていて、雨か雪が降るかもしれないと思った。と、そのタイミングでポケットの携帯が鳴ってそれを取り出す。ただ、鳴ったのは仕事用の方で、プライベート用では無かった。つまり、組織からの連絡と言うことになる。

 

 なんだ、とあぎりは少しだけ嘆息して携帯を開き、通話ボタンを押しこんで受話器を耳に当てた。

 

「はい、呉織あぎりです。ええ、そうです。今は商店街に。…………え」

 

 スピーカーの向こうから聞こえたのは、いつかはこうなるであろうと思っていた事で、そしてその一方で現実になって欲しくないと思っていた事が、現実に起こった瞬間。あぎりは、受話器をとりこぼしそうになり、自分が今まで夢に溺れすぎていたのだと自覚し、さながら目が覚めた気分になった。

 

「…………了解しました」

 

 

 

 

 組織からの一報。それは、敵対する組織からの交渉という名目の脅迫だった。内容は、あぎりの所属している組織が以前回収した、機密データの引き渡しである。もし、必要に応じなければ、あぎりの恋人を殺すと言う物だった。

 それだけではない。要求にはあぎり一人で来させることが条件の一つとして要求され、それがつまりどう言う事かと言うと事実上あぎりも人質にされる事になる。敵にしてみれば呉織あぎりと言う存在は厄介な物で、実際これまでに彼女が上げて来た成果は他の組織から見れば脅威その物であった。極端に言えば、彼女一人で半端な組織の一つを潰す事が出来るだろう。

 

 相手の思惑としては機密データの回収ついでに暗殺する、と言う物なのだろう。正直な話として、彼を切り捨てて要求を無視すれば痛くもかゆくもない内容だ。しかし、そうはいかない理由があった。

 

 敵側の組織の、重要幹部が自ら直々に現れる、と言うのだ。もしもこれが本当の事であれば、逆にチャンスとも言えた。あぎりが一人で潜入し、敵の幹部を消せば、統制のバランスを失って組織内で闘争が起きて自滅する。上層部はそれを見越して、あぎりに幹部の暗殺を命じたのだ。

 裏の組織間での取引である以上、嘘の可能性も否定できなかったが、あ義理を消したいと思っている向こうの思惑なら、それくらいしてもおかしくは無いだろうと言う結論に達した。

 

 敵側の要求した時刻は、午後十時ジャスト、街の廃ビルの最上階であぎり一人で来いという内容。そして、あぎりはその指定されたビルに、時刻通りに到着し、古びた階段を上る。約束通りビルには一人でやって来た。辿り着いた最上階の天井は長年の放置によって耐えきれなくなって崩落し、ぽっかりと穴が開き、そのさきに空が見える状態だった。

 

「…………約束通り、一人出来ましたよ」

 

 一見、誰も居ないように見える最上階フロアに声を掛け、あぎりの声が響いてすぐに溶けて消える。素人目からしてみれば誰も居ないように見えるだろう。だが、あぎりは感じていた。自分の周囲360度にある殺気を。恐らく、崩落した壁の隙間や天井から、無骨な銃身が自分を狙っているだろう。

 

「待っていたよ、君がかの有名な呉織あぎりかね」

 

 暗闇の中から声が現れ、その主がゆっくりと現れる。雲の隙間からのぞかせる僅かな月明かりから見えるその顔を確認し、現れた人物は間違いなく敵組織の幹部だとあぎりは認識した。そして、その先には幹部の盾にされたあぎりの彼もまた、引きつった表情で現れた。

 

「ご、呉織さん……!」

「ふむ、取りあえずは本人と言う事で間違いないか。見た所しっかり一人の様だな。褒めてやろう」

「お褒めに預かり光栄です。それで、人質には何もしていませんね?」

「もちろんだ。まぁそれも君の返答次第だがな」

 

 あぎりは、幹部の目を見て察した。恐らく、素直にデータを渡しても潜んでいるスナイパーで二人一緒に葬り去るつもりだ。ならばもうこの幹部の暗殺は決定事項となった。

 問題は彼である。両手首を手錠で縛られ、その先には鎖が伸びて、幹部の左手に繋がっている。向こうもプロだ、不穏な動きをすれば即射殺だろう。それに、電話を受けてから直接来たため、まともな装備もないから切り離して救出すると言う事も難しい。

 

「ご、呉織さん! こいつらやばいです、俺たちが関わったりしちゃだめな奴らです、逃げてください!」

「これはこれは、紳士的な青年ではないか。しかし、君も既に我々と同じような人物と関わっているのだよ」

「そんな知り合いなんていない!」

「居るじゃないか、目の前に」

 

 ニタリ、と笑みを浮かべながら幹部はあぎりを見つめ、その視線を追いかけた彼はあぎりを見て、「そんな……」とさながら絶望を見たような表情になった。事実、絶望に等しかっただろう。

 

「嘘ですよね、呉織さん! あなたがそんな人なんて!」

「…………」

「呉織さん、答えてください!」

「…………ええ、そうです。私はとある組織の殺し屋です」

「!?」

 

 彼の表情が変わっていくのが手に取るように分かった。その表情が絶望で満たされていくのを、あぎりは黙って見ていた。胸が痛い。出来ればこのまま、何事もなく終わってくれればよかったのに。彼には、知られたくなかった。

 それでも、あぎりは表情一つ崩さずにただ黙って彼の目を見つめ、じっくりと暗殺プランを練り上げていく。そして、プランを練り終えて、あぎりは気付かれないように歯を食いしばった。

 

 「ごめんなさい。今まで隠してきて。これが今まで誰からの告白に応えなかった理由です」

「そんな……そんな冗談やめてくださいよ!」

「あなたの交際を受け入れたのは、より自然体を装うためです。適度に人間らしい事をした方がまだ怪しまれないですから」

「じゃあ俺の事は……俺の事は遊びだったって言うんですか!?」

「……そうかもしれませんね」

 

 そう答えたあぎりの声は、少しだけ裏返りそうになっていたがどうにかしてこらえた。

 

「でも、今はそれが問題ではありません。事実上あなたも私も人質なんですから」

「その通り。そろそろ本題に入りたいのでな。要求の品を見せてもらおうか」

 

 あぎりは指定された通り、懐から機密データの入ったUSBメモリーを取り出し、その手に持って見せる。もちろん、これだけでは本物かどうかなんて分からないのだから、小型の端末に差し込んで画面を表示させる。幹部は、「ふむ」と唸った。

 

「間違いないだろう。ではそれを渡してもらおうか」

 

 チャキ、と金属同士のこすれる音がした。あぎりの視線の先に、黒光りする鉄の塊。人を殺す為に生れた銃火器。大きさこそ、族に言うハンドガン程度の物だったが、人一人、いや二人を殺すには十分すぎるだろう。

 

 だが、あぎりは素直に応じる事は無かった。ここではいわかりましたと渡すなんてアホのする事だ。ただでは渡さない。こちらにも抵抗の意思があると言う事を示す為に、要求を出した。

 

「失礼ですが、先に渡して殺されるのはご免です。ここはひとつよくある話で、人質の解放を優先的にしてもらえますか? もちろんタダでとはいきません。あなたの欲しいデータ、途中までお届けしましょう」

 

 あぎりは端末ごとUSBを床に置くと、そのまま滑らせ、それはやがて自分と幹部の中間地点で止まる。

 

「彼を開放してください。お望みの品と交換です。彼には自分の足でこちらまで来てもらいましょう」

「ほう、考えたな。いいだろう、さぁ行くがいい」

 

 一瞬であぎりは何か仕掛けて来る事を察知した。こんなにあっさりと人質を解放する奴が居るだろうか。否である。申し訳程度に銃を突き付けたままではあるが、本命は周囲に展開しているスナイパー達だろう。

 

 彼の拘束が解かれた。ただし、手錠はそのまま。恐る恐ると言った様子で一歩進む。あぎりは無表情でそれを見つめる。仕掛けて来るのを待っている。敵が動いた時が勝負だ。

 

一歩一歩と、歩み寄る彼はあぎりの事をじっと見つめてどうにか平静さを保とうとしていた。あぎりは表情一つ変わらない。彼女が今、どんな任務を背負っているのかも彼は知らない。

 

 そして、あぎりの投げた端末の横を通り過ぎ、もう数歩で彼女に届くと言う所まで来た時。あぎりはそこでほんの少しだけ唇を釣り上げて我って見せた。それを見てどれほど救われたのだろう。彼もまた助かったのだとそう思った。

 

 直後、何かが突き抜けるような鈍い音がして、あぎりが固まった。固まって、頭から血を流していた。表情が固まったまま、一瞬だけ彼の目を見てそのままくらりと、糸の切れた人形のように倒れ伏して、ピクリとも動かなくなった。

 

「…………呉織、さん?」

 

 後頭部に、銃弾の跡が残っていた。そこから流れ出る赤い液体が、月明かりに照らされてゆっくり広がっていく。一体何が起きたのか全く理解できなくなった。あまりにも非現実的な光景すぎて、まるで自分が本当にそこにいる気がしなかった。

 

「ふん、意外とあっけなかったな」

 

 こつ、こつ、と後ろから近づく足音。体が震える事しかできなかった。もう何なのだこれは。訳が割らない。本当に日本で起きている事なのだろうか? こんなの映画の中の様な話じゃないか。なぜ彼女が、あぎりが頭を撃ち抜かれてしまうのか。まったく理解できなかった。

 

「彼女もまた、情のあるただの人間だったと言うことか」

 

 端末を拾い上げおのれの成果に満足しながら、幹部はまだ呆然としている彼に目を向けると、ゆっくりと歩み寄って銃口を後頭部に突き付けた。

 

「君も辛いだろう。すぐに恋人の所に送るさ。なーに、苦しくなんてないさ」

 

 カチ、と金属同士の擦れ合う音。ようやく、自分もあぎりと同じ運命をたどってしまうのだと気付いた時、急に怖くなって体が震えだした。だが、震えて入るのに全く動いてくれなかった。そう言う時に限って、体の五感は極限的に性能が上がり、やたらと鮮明に声が聞こえた。

 

「さようならだ」

 

 その声が鼓膜に触れた、その時だった。小さく「ボンッ」という爆発音がして、幹部が驚きの声を上げるのが聞こえた。

 恐る恐るようやく動くようになった首を曲げると、男が手荷持っていた端末から煙が上がり、その画面は黒コゲになって割れていた。

 

「くそっ、やはりダミーだったか。あるいは破壊してまで守ったか…………だがまぁいい、呉織あぎりの暗殺は完了した。これだけでも十分な成果……」

「誰の暗殺が完了したのでしょうか~?」

 

 その場に、間の抜けたような声が響き渡って、幹部の顔が一気に強張った。彼もまた、血を流して倒れているあぎりに目を向ける。二度と動くはずのない彼女の体が、のらりくらりと立ち上がり、ふぅと息を吐きながら額から流れている血をハンカチで拭きとった。

 

「バカな!? スナイパーから脳天を撃ち抜かれたのだぞ、生きているはずが無い!」

「スナイパー? ああ、あなたのお仲間の事ですか。それならもうとっくに」

 

 パチン、と指を鳴らす。周囲の崩れた壁に隠れていた十名規模の狙撃手がまるで物の様にコンクリートの地面に落下し、誰一人として生き残っていなかった。皮肉な事に、全員が同じくスナイパーによって正確に頭を撃ち抜かれていた。

 

「なっ……こんな事が!? ここの周囲には狙撃できる場所なんて無いはずだぞ!」

「そうですね~。並みの狙撃手なら無理ですね。一番近くて3280ヤード(約三キロ)の地点に行かないとここは狙えませんね。ですが、私の知り合いには4000ヤードからでも狙撃が出来る人が居ますので~」

「そんな、そんな情報は無いぞ! ありえん!」

 

 知らなくて当然である。あぎりの立っている場所から、後方に約三キロ。ビル群の一際背の高いタワービルの屋上給水塔の隣に、真黒な夜間狙撃用スーツを身にまとい、スナイパーライフルH&K PSG-1を構えているソーニャが、スコープ越しに事の行く末を見ていた。あぎりが端末を放り投げた時点で、既に周りを囲む狙撃手全員を狙撃していた。

 ソーニャの情報が無いのは当たり前である。気付かれる前に、全員殺してきたからだ。

 

 本当ならもうこの時点で幹部の脳天を撃ち抜くことだってできた。しかし、それはあぎりから止められていて、事実上ソーニャの仕事はこれで終わりではあった。しかし、上層部は万が一あぎりが命令違反を起こすのに備えて待機せよ、との命令が出ていた。

 

「くっ……だが、まだだ!!」

 

 幹部は、落ちていた鎖を思い切り引き、彼を無理矢理立ち上がらせるとそのこめかみに銃口を押しつけて、裏返りそうな声で叫ぶ。

 

「データの回収は失敗したが、せめて貴様には大人しく死んでもらうぞ! こいつの命と引き換えだ!」

 

 まったく、お笑いだ。そんな下手なB級映画の様な要求を出すなんて、本当にこの男が幹部なのだろうか。所詮、前線に出ない輩など、この程度だったと言うことだろうか。

 

「知っているぞ、貴様は殺し屋として致命的なミスを犯していると言う事を。殺し屋に必要のない、情を持っている事を知っている。貴様にこの男を殺すことは…………」

 

 どす、と何かが突き刺さる感触がした。

 

「何か言いましたか?」

 

目の前には人質の頭しか見えないのに、真正面から腹を貫かれている状況だった。そんな馬鹿な。この忍者は本当に情が無いとでも言うのか。

 

 視線を下に向けると、月夜に照らされて、赤く染まっていく刃が反射した。その刃は人質であるあぎりの恋人の腹から伸び、そのまま急所を貫通していた。いつの間に。刀を抜いたそぶりなんて無かった。第一、どこに隠し持っていたのだ。いや、それ以前に人質もろとも殺しに掛るなんて。仮でも、自分の恋人だと言うのに。

 

「あく……ま……め…………」

 

 ずっ、とあぎりは日本刀を引き抜くと二人の人間は力なく倒れ込み、急所を貫かれた幹部はその直後に絶命した。

 

 あぎりはそれを見届けると、彼のほうに向きなおり、歩み寄ってしゃがみ込む。虚ろになっているその目を覗きこみ、丁寧に抱え上げると優しく声を掛けた。

 

「……まだ、息はありますね」

 

 腹部から流れ出る血は、その量を増やしてあぎりの制服を赤く染め上げていく。雲が月を覆い、ただでさえ暗い夜がさらに暗くなり、より一層冷え込んでくる。

 

「呉織……さん……」

 

 かすれるような声で、彼はあぎりの名を読んだ。もう目が見えないのだろうか。右手をゆっくり上げて、あぎりの顔を探るようにして空を掴む。そっと手首を握り、自分の顔にまで導く。

 

「ごめんなさいね。肝臓をやられています。もう助かりません」

「…………」

「これも命令なんです。一般人が組織の事を知れば、度合いによっては殺さなければならない。あなたが敵に何か吹き込まれていた場合、こちらにとって非常に不利益になる事があるんです。だから、救助の可能性は最初からなかったんですよ」

 

 今回の作戦。敵側組織幹部の暗殺。組織からはそうとしか伝えられていなかった。何が言いたいのかと言えば、人実の救出作戦は無いと言うことだ。関わったのがあぎりだけならまだしも、敵の幹部に捕まったとなれば、自分たちに不利益な情報を吹きこまれている可能性も否定できない。

 そして、理由はもう一つあった。変に人質にこだわれば、要らぬ情が生まれて任務に大きな支障が出るのは目に見えている。そんなことすれば要らぬ雑念が生まれ、集中力が無くなるリスクが生まれる。その救助時のリスクを抱えるより、人質もろとも暗殺した方が効率がいい。そう言うことだ。

 

「あなたとの恋愛ごっこも、これでお終いですね。安心してください、あなたの身の回りの人物の安全は保証します」

「…………やっぱり……呉織さんは、優しい……ですね」

「…………」

「あなた、は……嘘を吐くのが上手、です……で、も……今回は、分かりやすい……」

 

 白い何かが、体に降り注ぐ。冷たい、冷たい雪だった。しんしんと雪が二人に降り注ぎ、顔に付着して固体から液体となり、あぎりの頬を伝って彼の頬に降り注ぐ。

 

「……私の事、恨んでますか?」

 

 あぎりの問いかけに、彼は力なく横に首を振った。

 

「嬉し、かった……あなたと……一緒で……」

 

 大きく咳き込み、その口から赤い液体が噴き出してあぎりの体を赤く染めていく。腹部からの出血も、もはや目を向けるのにも勇気が居るレベルに達していた。

 

 あぎりは、懐からさっき買ったネックレスを取り出すと、彼の首にそっと回して繋ぎ、その胸に溶ける事のない雪の結晶がわずかな光を反射した。

 

 

「私の、最初で最後のプレゼントです」

「あぁ……素敵、ですね……」

 

 ぎゅ、と胸に置かれたペンダントを握りしめると、彼は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「呉織、さん……楽しかった……です……」

「……私も、なんだかんだで楽しかったです。新しい事が色々見えて、本当に楽しかったです。だからどうか安らかに」

 

 そう言うと、あぎりは自分の顔をそっと近づけ、彼の重たくなった頭を軽く持ち上げると、そのまま自分の唇を押しつけるような形で口づけた。

 

 もう、彼の唇に生気はほとんどなかった。死ぬ直前の人間の唇。これほどまでに悲しい物があったのか。あぎりは、最後の最後まで彼に教えられた。人が死ぬ時の寂しさ。自分がやっている事は、こんなにも悲しかったのか。もしかしたら、知らない方が良かったのかもしれない。

 

 唇を離すと、もう彼の呼吸は虫の息程度の物になっていた。目はもう見えていないだろう。それでも、口だけはまだ動けたことに驚いた。

 

「あいし……て、ます……あ……ぎり、……さ…………」

 

 それから、彼が動く事は二度となかった。目は半分開いたまま、体は冷たくなって雪の冷気に晒され、降り積もる雪にゆっくりとその身を沈めていく。

 

「……やっと、名前で呼んでくれましたね」

 

あぎりは開いていた彼の目蓋を手でそっと閉じると、もう一度抱きしめて哀悼の意を表する。任務完了。無線機を開き、本部からの回収要請を出して部隊の到着を待つ。その間、ずっと雪は降り続け、あぎりの紫色の髪の毛を白く染めていった。

 

 

 

 

 彼の死因は、通り魔に巻き込まれた、と表向きの理由が発表され、学校では黙祷が捧げられ、地域のニュースでも通り魔に注意と報道されるようになったが、実際にそんな犯人が居る訳もなく、一週間程度で彼は世間から忘れられ、いつもの日常が戻りつつあった。

 

 あぎりは、彼の葬儀に参加した。彼と付き合っていた恋人として参加し、家族からは歓迎され、涙ながらに感謝された。あぎりは、「そんなことは無い」と頭を下げ、最期まで葬儀に参加し、火葬まで見送った。

 

 組織の上層部は、彼の家族に十分な支援の準備を整え、あぎり経由で補償を送る決定と、万が一他の組織が手を出さないようにしばらく警戒がしかれるようになった。

 

 これで、もう終わりだ。組織からは別地域への移動を言い渡され、来年にはソーニャと同じ場所に行くことになっていた。

 

 その前にと、あぎりは彼の墓にやって来ていた。せめて寂しくないように、比較的新しく出来た墓地に立派な墓が建てられた。墓には、まだ新しい花束が複数添えられており、家族か友人の誰かが来ていたのだろう。

 

 あぎりもまた、花束を添えて線香を立て、火をつけると手を合わせて一礼。物言わぬ墓石は、じっとあ義理に冷たい視線を降ろしている。

 

 返事のない墓石は、あぎりを見つめ続ける。返事なんて来る訳ないか。あぎりはくすりと笑うと、目を開いて墓標を見つめて微笑んだ。

 

「巻き込んでしまってごめんなさいね。けど、あなたの事は結構好きでしたよ。今まで情を持たないで生きて来た私が言うんです、本当ですよ」

 

 曲げていた足を延ばして立ち上がり、軽く服を手ではたくと、それでは、と会釈して立ち去る。ざわざわと木々が揺れる音がして、あぎりは立ち止る。誰も居ない墓地に一人、あぎりは立ち尽くす。その右手はゆっくりと握られ、やがて拳になる。その拳はわなわなと震え始め、それは全身に伝染して行く。

 

 あぎりは、それをこらえてもう一歩歩き出そうとしたが、動かない。唇が震えて異様に喉が渇く。気持ちが高ぶってる。よくない、早く、早く帰らないといけないのに。体がそれを拒絶していた。感情のダムに亀裂が入る。一つでは無い。二つ、三つ、四つと増え、その亀裂が一つになった時。

 

 あぎりは、涙を浮かべながら振り向き、駈け出した。もう、人間としての感情を殺す事なんて出来なかった。

 そのまま彼の墓まで戻り、その冷たい墓石にすがりついて声を上げて泣いた。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 

 ずっと我慢してきた。冷酷な人間になろうとしていた。情など必要のない、殺し屋になろうとしていた。けど、慣れなかった。あぎりは泣いた。自分の冷酷さをその日初めて呪った。一生守りたいと思っていた男を、自らの手で殺した事を大きく悔いた。そんなことが出来るなんて人間じゃない。自分は、彼に接触するべきでは無かったのだ。

 

 せめて、彼があぎりに近づかなければこんなことにはならなかった。いやでも断り続ければよかった。恋人になんてならなければよかった。

 

「愛してました! あなたのこと……本当はっ……! 本当は愛してました!! 本当にっ……本当にごめんなさい!!」

 

 あぎりは泣き叫んだ。人生で初めて泣き叫ぶと言う物を経験した。誰も居ない墓地に、あぎりの叫び声が響き渡る。涙は後から後から溢れて来る。今まで流した事のなかった涙と言う物が、滝の様に流れ落ちる。

 

 あぎりは誓った。もう人は愛さないと。彼だけを、自分の心の中で生かし続けようと。情なんてそんなものもうどうでもいい。自分は自分の好きなように生きてやる。こんな事はもうこりごりだ。

 

 あぎりは、一日中そこで泣き続け、結局一晩をそこで過ごした。この半年の思い出を振り返り、自分の見た事、感じた事、それらはあぎりにとって今後の自分を大きく左右する物になるのは間違いなかった。楽しかった、嬉しかった、自分をここまで愛してくれた人物はいなかった。それが嬉しくて、失った事が悲しすぎた。そして、夜が開けて落ち着くと、この先自分がどうあるべきかと考え、そしてその結論を見出したらまたここに来ようと決めた。

 

 あぎりは立ち上がり、その場を去る。次に来るときは、笑って来よう。そうしないと、彼も嬉しくないだろう。忍者呉織あぎりとしてではなく、恋人として訪れよう。あぎりは、そう胸に誓っていた。

 

 

 

 

「これがあぎりの恋人の話だ。聞いていい物じゃないだろう」

 

 結局、全てを話すのに放課後まで時間が掛ったソーニャだった。やれやれ、やっと終わったと思うも、意外とやすなが静かだったから、何事かと目を開けて見てみると、目の前には両方の目にぐしゃぐしゃと涙を溜めこみ、鼻水をずるずる啜るだらしない姿のやすながそこにいて、思わず「うわっ」と声を上げた。

 

「あぎりざんにぞんな話があっだなんでぇ……ずびび、がなしすぎるぅう!!」

「よ、寄るな! 汚いだろうが!」

「うわぁああああん! あぎりさぁああああん!!」

「ええい泣くな! めんどくさい泣くな!!」

「あぎりさんに会いに行くぅうぅう! あぎりさんどこですかあぁあああ!」

 

 机椅子を吹き飛ばす勢いでやすなは立ち上がると、そのままの顔で教室を飛び出して廊下を全力疾走で駆け抜けていく。ったく、どこに行くんだろうかとソーニャはため息を吐きながらやすなの分の鞄を手に持つと、その背中を追いかける。まぁ、ちょうどいいだろう。あぎりは今日、用事があったはずだ。タイミングのいい、用事に。

 

 

 

 

 そこは、いつ来ても静かで、それでもどこか人の気配を感じ、現にそこには多くの人々が眠り、時の流れに身を任せて自分の名を完全に忘れ去られるのを待っていた。ざわざわと静かに木々が風に揺らされ、そこに眠る死者たちに安らぎを与える。あぎりは、死者の魂を起こさないように歩き、お目当ての墓石にたどり着いた。

 あぎりの真上を、あぎりの九官鳥が飛び、「彼」の墓の上に着地すると「ワタシデス、アギリデス」と喋り、あぎりの足元から以前空き地で拾った忍者猫がとてとてと現れ、墓の前でぺたりと座った。

 

「…………お久しぶりです。元気にしてましたか?」

 

 あぎりは優しくそう問いかけると、雨風に晒され、少しばかりくたびれた墓石を見つめる。あまり人は来ていないのだろうか。線香の場所を見れば、最近に添えられた形跡は無かった。ほんの少し来ないだけで、墓と言う物はこんなにもくたびれてしまうのか。あぎりは、少しだけ悲しくなった。

 

 落ち葉や埃で汚れたお墓を、あぎりは軽く掃除してやる。掃除道具一式を持ってきておいて正解だった。一体どれくらい掃除されてないのかは分からないが、少なくとも夏あたりからは誰も来ていないだろう。

 

 大方の掃除を終えて、花、軽い食べ物を備えると、水鉢に水を張って、墓石に水をかける。その次に、線香を立て、ろうそくに火をつけると、そのまま合唱した。

 

 今日ここに来たのは、自分がこの先どうするのか決まったからだ。この先、自分が何のために生きるか。そのための理由を見つけたと、彼に報告するためだった。

 

 あぎりの九官鳥も、忍者猫も大人しくあぎりの隣に並んでじっと墓石を見つめる。二匹とも、あぎりの心は理解していた。

 

 あらかた合唱を終えると、あぎりは目を開けて墓石に刻まれた名前を見つめ、そっと声をかける。

 

「……私、決めました。この先どうするのか、この先何をすべきなのかを」

 

 あぎりは、ポケットから写真を取り出す。いつだったか、忍者同好会の部室で撮ったやすなとソーニャとの写真。あぎりは、彼女たちの純粋さを守ろうと決めた。

 あの二人は真っ直ぐだ。やすなはともかく、ソーニャでさえも純粋な心を持っていた。やすなと出会ってから、ソーニャの心は少しずつ洗われていき、そしていつの間にかやすなの事を想っていた。恋を知らないソーニャにとって、正攻法しか攻めることしか知らない。それはつまり、純粋に真っ直ぐにやすなを見ている言うことだ。

 

 やすなもまた、ソーニャの正体を知っても表情一つ変えずに、彼女に接し続けた。どうしてそうなったのかは分からないが、恐らくではあるが運命的なものを感じていたのだろう。

 

 あぎりは、二人を見つめ続けて、彼女たちを少し昔の自分と照らし合わせてた。懐かしく感じる一方で、またあの事が繰り返されるかもしれないと危惧した。もう、あんな目には誰も合わせない。

 

 だから、あぎりはあの二人を守ろうと決めた。気付かなくてもいい。あの二人には幸せになってもらいたいと、あぎりは想っていた。

 

「まったく、殺し屋なのにこれではまるで駄目ですね。私もまだまだ甘いようです」

 

 ぴたり、と手を墓石に当てる。ひんやりと冷たい感触が皮膚を伝い、じっくりと体温を奪っていく。また目を閉じて、二人の作った思い出を一つずつ丁寧に思い出す。どれも温かくて、心が落ち着いていく物だった。

 

「…………?」

 

 あぎりの猫が、ふと彼女の後ろに視線を向けた。あぎりでもなく、墓石でもなく、彼女の背中をじっと見つめる。そして、その視線の先には猫にしか見えない何かが映っていた。それがなんなのか、誰も知る由は無い。しかし、その何かはゆっくりとあぎりの背中に触れると、彼女を包み込むようにして動かなくなる。猫は、それが人間の陰だと気がついた。

 だが、邪悪さは感じない。生のないものなのに、温もりを感じる。優しく、労るようにしてあぎりの背中を包み込むその陰。それに触れたくて、あぎりの足元にすり寄り、彼女の足に顔をこすりつける。

 

「心配してくれるのですか? ふふ、ありがとう」

 

 すり寄った猫を撫でようと、あぎりがしゃがみ込んだ。と、その時だった。

 

「あぎりさぁああぁぁあああんっっ!!」

 

 墓地一体を貫くような声が響き渡り、あぎりが声のした方に目を向けると、両方の目一杯に涙を浮かべながら全力疾走で突っ込んでくる折部やすなの姿が見え、そのあまりにも凄まじい勢いに思わずたじろいでしまったくらいだった。

 

 そしてやすなはその勢いのたっぷり乗った飛び込みをあぎりは真正面から受け止め、勢い余ってその場に尻もちを着いてしまった。

 

「や、やすなちゃん?」

「うぇえぇえ、あぎりさぁあぁん、あぎりさんにそんな過去があったなんて知らなかったんですぅう!!」

 

 この一言で、この事態のだいたいの察しがついた。そして、少し遅れてやって来たソーニャを見て、呆れたため息をつきながらあぎりは口を開いた。

 

「ソーニャ……あなた……」

「すまんな。つい口が滑った。お前の事をだいたい話したらこうなった」

「…………まったく、余計な事ですね」

 

 ふふ、とあぎりは泣きじゃくるやすなの頭をよしよしと撫でてやる。相変わらずうわんうわんと泣くやすなは、声をひしゃげながらもこう言った。

 

「あぎりざん……わたしだぢがいまずがらぁ……寂しくなんかさせまぜんがらぁ……!」

 

 そう言うと、またやすなはあぎりの豊かな胸に頭を押しつけて、涙も鼻水も容赦なく流して泣き叫ぶ。一体どこからそんなに溢れて来るのだろうかと不思議でならなかった。

 

 ソーニャに目を向けてみれば、私は助けないぞと言う少しだけ意地の悪い顔。制服が大絶賛浸水して行くのだが、全く勘弁してほしい。

 

(本当に、この子たちと居ると退屈しませんね。だから私は大丈夫です。いつかそっちに行くまで、どうかもう少し時間をください。この子たちの事、守ります。守りきってあなたの所に行きます。だから、もう少しだけ。もう少しだけ見守ってくださいね)

 

 あぎりは、久しぶりに心から笑った。今と言う時間が幸せで、充実していて、一人じゃない。そう思うだけで心が軽くなる気がした。ありがとう、私の大事な恋人。新しい道を開き、大切な物を教えた人。最初で、最期の異性の恋人よ。どうか安らかに。

 

 

 

 

 

 おわり

 





 ここまでの閲覧ありがとうございました。キルミーベイベーあぎりさん短編第二弾でした。今回は2万字超える事無いだろうと思って書いていたら結局2万超えました。長い!

 あぎりさんについての情報などは全くなくて、果たして彼女は一体どんな人間なのか。恋愛をしていたらどんなふうになっていたのか。あぎりさんに恋する男子生徒の一人や二人だっているだろうと思い、この作品に行きつきました。あぎりさんの恋人はあなたです。

 あまり世界観を崩し過ぎるのもよくないと思っていたので、男子生徒の名前は無いです。読者の皆さんの名前でも当てちゃってくださいな。

 実のところ、あぎりさん短編はもう少し寂しい終わり方をしようかなと思っていたのですが、そこは我らのキルミーベイベー。重すぎもよくなく、みんな仲良くを重視してやすなとソーニャに掛けつけてもらいました。本当はあぎりさんの猫が「彼」の幽霊を見て、二人で寄り添って終わり、という内容でした。でもにぎやかなのがいいですね。

 さて、次回作の予定は今のところありません。が、一応やすニャであと二つほどネタがあります。やすニャシリーズもまだソーニャが完全にデレてませんから、完結させるべきではあるなーと思ってます。

 では、長くなった後書きもこの辺で。キルミーベイベーの今後の発展を祈って。




 追伸。フィギュアは死んでも買いに行きます。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。