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端的に言うと、キッドの申し出を中空知は断った。
あのままお互いの息が触れ合う距離では中空知が倒れかねなかったため、一度キッドは部屋から出て再び携帯で会話を始めた。
そしてワンコールして中空知が電話に出た一言目に言われたのだ。
『お断りします』
当然だろう。
見ず知らずの、しかも苦手とする男性から自分の物になれと言われて頷く人間はいない。
あれほど自信満々で上から目線な態度であったのに、断れらたのは相当恥ずかしい。
だが、キッドはさして気にした様子もない。
それどころか、むしろより良い獲物を見つけた狩人のような目をしている。
断られた後、中空知が拍子抜けするほどあっさり身を退いたキッドは、また妙な事を言い出した。
「なら、依頼は受けてもらえるかな?」
『依頼……ですか?』
電話越しからも伝わる中空知の怪訝な声。
中空知としては、最初の申し出がアレだったため、依頼と言われても警戒するのは当然だ。
だがまあ、先程の申し出よりはマシだろう。
そう考えた中空知の予想をキッドは見事に裏切った。
「峰理子を盗聴してくれないか」
あっけらかんととんでもない事を言い出すキッド。
自分の物になれと言った次には、違う女性を盗聴してくれ。
これだけ聞けば女性に見境のない変質者にしか思えない。
今ので中空知の警戒心は限界まで引き上げられた。
『なぜ峰さんの盗聴を?彼女は武偵ですよ』
「知ってるよ。だからこそ言ってるんだ」
相手が犯罪者ならともかく、武偵が武偵を盗聴するなんてよほどの事がないかぎりありえない。
武偵法に仲間を信じよとあるように、武偵同士の間には見えない信頼が確かに存在する。
盗聴は、その信頼を裏切る禁忌(タブー)だ。
「峰理子がしばらく学校にいなかったのは知ってるかい?」
『潜入捜査だったためと聞いてます』
「それは偽の情報。教務課が流したデマに過ぎない」
もし、この場に理子がいたら口が開かなくなっているか、慌て止めに入っただろう。
この男は何を言っているんだと。
自分だって情報を偽ってここにいるというのに。
「以前に起きたハイジャック。あれは理子の犯行によるもの。理子が学校にいなかったのは今まで逃げていたからだよ」
全く悪びれた様子もなく、キッドは理子を売る。
「学校に戻って来れたのは司法取引が行われたため。神崎・H・アリアか遠山キンジにでも訊いて見るといい。答えはしないだろうが、多少は言い淀むはずだから」
『貴方の話には証拠がありません。もし、それが事実だろうと、司法取引を済ました峰さんを盗聴する理由がありません』
動ずる事無くキッドの話を断ち切る中空知。
そのはっきりとした言葉にキッドは思わず笑みがこぼれる。
先程は近づいただけで、あんな可愛らしく慌てふためいていたというのに。
「あるんだよ、それが」
キッドは楽しんでいる。
この状況を。
地位も金も仲間も失った今、自分に残されたものは己の力しかない。
だからこそ、己の力だけでどこまでいけるか試したくなる。
これはあくまでそのファーストステージでしかない。
このステージを乗り越えるためにも、キッドは真実の中に嘘を混ぜ、嘘に中に真実を混ぜ、騙す。
「考えてもみなよ?峰理子が戻って来た時を狙ってきたかのように転校してきた俺。それにそのクラスはつい最近神崎・H・アリアが来たばかりだ。そこでまた新しい転校生、偶然にしては出来過ぎてるとは思わないか?」
キッドは休む事なく話し続ける。
堂々とした態度で、それが事実である事を疑わせないために。
「俺はただの転校生じゃない。教務課から再犯の恐れがある峰理子を監視するように依頼された武偵なんだよ」
『……』
「なんなら今から教務課に訊きに行こうか?俺は峰理子のために転校してきた人間だって」
もし、ここで中空知が訊きに行くと行っても問題はない。
なぜならキッドは間違いなく理子のためにこの学校にいるのだから。
もっとも、これはキッドが理子のためにいるのではなく、理子が理子自身のためにキッドを転校させたのだが。
………理子のなんらかの目的のために。
『……確かに転校の件は不自然ですね。近いうちにまた一人転校してくるようですし』
(……転校生だって?俺以外に?)
そうなると、確かに不自然な話だ。
この時期に、また新しい転校生。
気になるところだが、今は必要ないと判断し、頭の隅に置いておくことにした。
『わかりました。ひとまずは貴方の話を信じます。ですが―』
「まだ何か?」
『何故私なのですか。探せば私以上の人間はたくさんいます』
そんな事かとキッドは内心ほっとする。
ここまで話して断られでもしたら自身に損な情報を伝えていないとはいえ、流石にマズいと思っていたからだ。
「優秀な子って訊いて最初に名前が出たのは君だっただけ。けど、もう他の人間に頼むつもりはない」
『何故ですか』
「さっき言っただろう、俺の女にするって。もう決めたんだ」
『その話は断ったはずです』
「お堅いね」
肩をすくめる。
この言葉はまた直接会った時に伝えよう。
きっと面白い姿がみられるはずだと、中空知からしたらかなり迷惑な事を考える。
しかし、これでようやく協力者……協力者と言っていいかはわからないが、駒は手に入れた。
ただ相手の思惑通りに手の平で踊らされるのは性分じゃない。
キッドは電話を切ってから、一人夕焼けに染まる空を見上げる。
「さて、もう一仕事だ」
◆◆◆
中空知と別れた後、キッドは男子寮に帰らず再び学園に訪れていた。
そもそもキッドは赤の他人が待つ寮に帰るつもりはない。
既に日も落ち、校内には生徒の姿は見えない。
せいぜい教務課が職員室に数名いる程度だろう。
「早いとこ始めようか」
いくら装置の範囲内とはいえ、こんな時間までいつまでも学校にいたら怪しまれる。
キッドは早速目的の場所へと急いだ。
目的の場所にも人はいない。
キッドは誰もいない事を確認してから、掲示板に貼られていた紙を一枚剥がし取った。
「まさか武偵校にいるとはな。灯台下暗しというわけか」
キッドは剥がした紙を見つめて呟く。
その紙の文頭には『採血の再検査の知らせ』と書かれていた。
その他にも再検査に該当する生徒の名前や、日程。
そして再検査の担当者の名前も。
「あの時目にした時はまさかと思ったが、まさか本当にお前だとはな」
こんな時間に行動するのは、人目を避けるためというのもあるが、確証を得るために今までその担当者について調べていたりしたからだ。
そして、キッドの予想は当たっていた。
担当者の名前は救護科(アンピュラス)の非常勤講師、小夜鳴(さよなぎ)。
まだ二十歳ぐらいの青年であるのに、遺伝子学者でもあるらしい。
それと、関係ないが女子生徒からの人気もあるそうだ。
「理子が俺を出したのはこのためか」
意外な所で理子の目的を知れたキッド。
これで、キッドは理子の目的を知っているが、理子はキッドが自身の目的を知った事は知らないという構図が出来た。
ならば布石が打てる。
繋がれた鎖を引き千切るための布石が。
「いつまでも俺を思い通りに飼い馴らせるとは思わないんだな」
鎖で繋いでいたのが犬ではないと知った時にはもう遅い。
――犯罪者は今一度牙を研ぎ澄ます。
いづれ来るその時のために。