賑やかな星   作:彼岸花ノ丘

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飢餓領域16

「あああああああ……五臓六腑に染み渡るぅぅぅ……」

 

「何よ継実、その酒飲みみたいな感想は」

 

「はぐ! がつがつがつがつ……」

 

「こっちはこっちで子供みたいな食べ方してるわねぇ」

 

 くすくすと笑いながら丸焼きの魚を齧るモモ。彼女の視線の先では、小魚を頭から齧っているミドリがいた。継実もよく焼いた魚のハラワタを食べながら喜びに浸る。

 フジツボ達の猛攻を切り抜けた継実達だったが、危機は終わらなかった。何しろフジツボ達にエネルギーの殆どを奪われた状態で、もう何時餓死してもおかしくない状態だったのだから。遠退く意識のまま目を閉じた継実だったが、モモの往復ビンタで強引に叩き起こされ、休む暇もなく食べ物探しに協力させられた。休んだら本当に餓死しかねない状態だったので仕方ないのだが。

 幸いにして海には魚が多数存在し、獲物には困らなかった。ミドリが魚群探知機のように魚の居場所を特定し、モモが伸ばした体毛で魚を仕留め、継実がその魚を粒子ビームで焼いて美味しく調理する。最後の調理工程が必要か否かでいえば、普段であれば不要だ。料理なんてデメリットしかない ― 調理している間に猛獣が来たら折角の獲物が奪われてしまう。それに料理の匂いで猛獣を引き寄せかねない ― ので、実際普段はやっていない。しかし此度のように身体が酷い飢餓状態なら話は別。消化というのは非常にエネルギーを使うものであり、例えば人間の場合一日で消費するエネルギーの一割がこの消化由来といわれているほど。勿論最終的には食物から得られるカロリーの方が上回るので「食べるほど痩せる!」というロジックはまず成り立たないが……一時的に大きなエネルギーを消費するのは間違いない。

 加熱調理した食材は消化に優しく、少ないエネルギーで吸収する事が出来る。焼いた魚でまずはモモの体力を回復させ、モモが大量の魚を捕まえられるようになったら継実の体力を回復し、最後にミドリによく調理した魚を振る舞う。それが先の、三者三様の反応の理由である。

 

「はぐ、はぐぅ……んまいだなぁ~」

 

 ちなみにモモが仕留めて継実が調理した魚は、彼女達が乗っているマッコウクジラにも振る舞われている。マグロのような大型魚を渡しているが、この巨大な身体では果たしてどれだけ回復の手助けになった事か。

 

「大丈夫? あなたの大きさじゃ全然足りないと思うけど……」

 

「だなぁ。ボカァ君達が戦っている間に魚を食べてたから、大丈夫なんだなぁ」

 

「……え。あの時魚食べてたの?」

 

「だな。だってお腹膨らませていないと力も出ないんだな。やる事もなかったしなんだなぁ。まぁ、潜れないからあまり捕まえられなかったんだけどなぁ」

 

 心配して声を掛ける継実だったが、マッコウクジラからの返事に一瞬表情を強張らせてしまう。彼の言う事は至極尤もであり、全く以て正しいのだが理性的にはちょっと釈然としない。人間というのは合理性ではなく感情を重んじる生き物なのだから。

 

「だな。それよりそろそろ見えてきたんだなぁ」

 

 そんな感情は、より大きな感情に塗り潰されてしまうものだが。

 継実は食べていた魚を口に詰め込むと、マッコウクジラの頭の方へと這いながら向かう。モモも継実と共に向かい、夢中で魚を食べていたミドリは遅れてやってきた。

 地平線の彼方に小さく見える、『海じゃないもの』。

 マッコウクジラが前へと進むほど、その海じゃないものは具体的な形を継実達に見せてくる。濃い緑に覆われた森、真っ白な砂浜……どれもが陸地の特徴であり、尚且つその広さから迫ってきた陸地の広さが窺い知れた。

 ちょっとした小島なんかじゃない。れっきとした大陸だ。そしてこの地域に浮かび、継実達の進路上に存在する大陸なんて一つだけ。

 

「見えてきた……オーストラリア大陸だ!」

 

「長かった旅もいよいよ後半戦、というか終盤って感じねぇ」

 

「あれが次の目的地なんですね!」

 

 継実の声に反応し、モモとミドリもはしゃぎ出す。大海原でのピンチを超えて、懐かしさも一入といったところか。

 それと同時に継実の胸に込みあがってきたのは、ここまで自分達を運んでくれたマッコウクジラへの感謝。

 

「ありがとう、マッコウクジラ。あなたがいなかったらきっとこの海は越えられなかったよ」

 

「だなぁ。ボカァも一緒じゃなかったら、きっと寂しかったんだなぁ。短い旅だったけど、楽しかったんだなぁ」

 

 共に戦ってくれた事に対する継実の感謝に、マッコウクジラは旅への同行自体に感謝する。実際、彼ならば単身でもフジツボ達を返り討ちに出来ただろう。フジツボ戦に関しては継実達が一方的に助けてもらったのが実情だ。

 『対価』という観点に立てば、お喋り相手になるというだけでは到底足りない利益を継実達は得た。いや、そもそも継実達はあくまでもオーストラリアに行くまでの『乗り物』としてマッコウクジラに乗っていた訳で、話し相手という対価はそれに対するもの。こちらの命を守ってくれるというのは契約外の事だ。

 有り余る、そして本来受ける予定のなかった利益を得たらお返しをしないと、と人間である継実は思ってしまうのだが……だけど野生動物であるマッコウクジラはそんな些末事など気にしない。こうも堂々と無頓着だと、気にしてしまう自分がとてもちっぽけに思えて、じゃあそれで良いやという気持ちになる。自然の雄大さに甘えているだけともいえるが。

 

「(いや、やっぱり甘えっぱなしは良くないよね。ここは少しでもお返ししないと)」

 

 ふるふると顔を横に振り、自分の中の怠惰な考えを払う。野生動物的にはエネルギー消費が少なくなるため怠惰で結構だとは思うが、継実はあくまでも人間。それに心のわだかまりがある状態は精神的に良くない。

 返せるものはお喋りだけ。そのお喋りも大陸の姿が見えてきた今となっては、そう長くは続けられないだろう。ならばここはとっておきの、モモの恥ずかしい話(したら多分電撃スクリューパンチで胸に穴を開けられるが)でもしてやろうと継実は考えた。

 

「……あ。ボカァ、これ以上進めないんだなぁ。お別れなんだなぁ」

 

 が、直後にマッコウクジラからそんな言葉が。

 まだまだオーストラリアまで一キロはありそうな位置なのにお別れを言われるなんて思わず、継実は思わず身体を乗り出してマッコウクジラの顔を覗き込んだ。

 

「え!? なんで!? まだまだ陸まで遠いのに……」

 

「この先、結構浅くなっているんだなぁ。潮の流れもあるから、油断すると打ち上がっちゃうかもなんだなぁ。打ち上がるのは怖いんだなぁ」

 

 継実が問うと、マッコウクジラはそのように答える。どうやら座礁を気にしているらしい。

 ニューギニア島ではかなり陸地近くまでいたが、あそこは深くなっていた場所だったのか。潮の流れもあるようなので、マッコウクジラなりの基準があるのだろう。

 もう少し一緒に行きたい気持ちはあるが、恩返ししたい相手に無理強いなんて本末転倒だ。それにクジラが座礁した場合、自重で内臓が潰れるなど割と洒落にならないダメージを受けるという。命懸けで海岸線ギリギリまで来いなんてただの脅迫ではないか。

 彼に恩を返したいからこそ、無理強いなんて出来ない。

 

「……そっか。うん、そういう事なら仕方ない」

 

「今まで、本当にありがとうございました!」

 

 継実が納得を示し、ミドリが大きな声で感謝を伝えた。マッコウクジラは「だなぁ〜」という返事がきたが、その声が潤んでいるように聞こえる……のは継実の願望か。もっと長く居たいとは、きっとマッコウクジラも思ってくれているのだろう。

 

「それはそれとして、この距離の移動はどうする?」

 

 などと感傷に浸りたいところだが、モモの言葉で現実に引き戻されてしまう。じろっと継実はモモを睨んだが、モモはまるで気にしてない。

 実際問題だ――――島までの一キロ近い距離は。

 一キロとはいえ海は海であり、海洋生物達のテリトリー。オーストラリアの海に何が棲んでるかなんて継実はよく知らないが、トレス海峡のすぐ側には世界最大の珊瑚礁帯・グレートバリアリーフが存在している。それにトレス海峡自体にも珊瑚礁は存在していた。そして珊瑚礁といえば誰でも知ってる生命の宝庫。豊かな生態系の中を生き抜く、希少で野蛮で獰猛な生物がさぞやわんさかといる事だろう。

 日本から旅立つ時さえ、継実達三人だけでは一キロと進まずに引き返す羽目になっている。目の前の海中に広がっているだろう珊瑚礁を渡るとなれば、果たして百メートルも進めるか怪しいものだ。

 何か策を練らねばなるまい。

 

「……いやー、どうしたもんかなコレ」

 

 練らねばならないが、危険な海域を通過するのに小細工も何も通じる訳もなく。相性も悪いのだから打てる手がそもそも少ない。

 頭脳労働担当の継実から意見が出なければ、犬であるモモから秘策なんて出ず。宇宙人であるミドリも良い案はないようで口を噤む。

 うーん、と三人仲良く頭を抱える羽目になった。

 

「だなぁ。それならボカァが手伝うんだなぁ」

 

 そうした悩んでいたところ、マッコウクジラから声が掛かる。

 

「手伝う? でもこれ以上前には」

 

「行かないんだなぁ。でも手伝えるんだなぁ。ボカァの頭の方に来てほしいんだなぁ」

 

 そう言うとマッコウクジラは大きく身を仰け反らせて、海中に沈めていた頭を海上に出した。

 どうするつもりなのか、継実にはよく分からない。けれどもマッコウクジラの体勢も辛そうであるし、今まで何度も自分達を助けてくれた相手だ。継実は言われるがままマッコウクジラの頭の先に向かい、モモとミドリも継実の後を追って一緒に登る。三人揃ってマッコウクジラの頭の先にちょこんと座った。

 頭の先から見える景色は、中々綺麗だ。遠くに浮かぶオーストラリアもよく見える。とはいえマッコウクジラはこの景色を見せたかった訳ではないだろう。

 さて、一体何が起きるのか。

 

「じゃ、ばいばいなんだなぁ」

 

 その説明をする前に、マッコウクジラが別れを告げた。

 次の瞬間、継実達の身体が宙に浮いた。継実達の意志とは関係なしに。

 それと共に、全身が潰れそうなほどの衝撃が継実達を襲った!

 

「ぐぅぅっ!? こ、これは……!」

 

 苦悶の中で継実は直感的に理解した。自分達が、マッコウクジラの音波砲(弱)で吹っ飛ばされたのだと。

 振り返ればマッコウクジラは今も仰け反ったまま。海面に出た顔が自慢げに見えたのは、果たして錯覚なのだろうか。

 ちゃんと説明しなさいよ、と文句の一つも言ってやりたいが……しかしお別れを怒り顔で済ませるのも嫌である。何より今まで感じた事のない、猛烈な高速移動はきっと今しか味わえない。

 だったらこの超高速移動を楽しむ方が『合理的』というもの。

 だから継実は笑い、親指を突き立たポーズをマッコウクジラに示す。彼にそれが見えたかどうかは分からない。けれどもきっと伝わったと信じながら、継実は真っ正面を見据える。

 

「さぁ、いよいよ最後の大陸だぁ!」

 

 そして大きな声で喜びの雄叫びを上げた。

 大陸へと飛んでいく継実達を祝福するように、海原では一際大きな噴水が吹き上がるのだった。


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