賑やかな星   作:彼岸花ノ丘

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新たな世界09

 草原を、涼やかな風が駆け抜ける。緑色の絨毯が波打ち、さぁさぁと優しい音色を奏でた。

 春らしい程良い涼しさを持った風は、浴びたものに爽やかな気持ちを抱かせるだろう。野生の世界でその爽やかさに浸る余裕など早々ないが、爽やかとはつまり身体にとって好適な条件という事。食べ物を探して動き回る上で、この風は非常に好ましい。

 天気も白い雲が幾つか漂う普通の晴れ。早い時刻のためまだ昇りきっていない太陽の輝きは、程良い熱を宿している。ゆっくり体温を上げるのに最適な強さだ。それでいて気温を上げるほど強くもないので、木陰や草陰の中はとても涼しい。日向に出て上げ、日陰に入って下げる事で、最も適した体温を簡単に維持出来るだろう。超生命体にとっては体温調節など簡単な事だが、楽に出来る環境ならそれに越した事はない。

 つまるところ、今日は動くになんら支障のない気候。

 ――――にも拘わらず、生き物の姿が殆ど見られない。主にネズミや虫のような小動物達が。

 

「……引き籠もるべきだったか」

 

 住処であるクスノキから数キロ歩いた先の草原に立つ継実は、ぽつりとそう独りごちた。

 

「だねー。危険なのもそうだけど、これじゃあ獲物も見付からないわ」

 

「え? 危険なんですか!? な、何が……?」

 

 傍を歩いていたモモが同意し、継実達の後ろを付いてきていたミドリが慌てふためく。別に今は安全よ、とモモが伝えた事でミドリは胸を撫で下ろしていたが、安堵するには早い。

 どうやら小さな生き物達の殆どは、なんらかの気配を察知しているらしい。そしてそれが危険なものだと判断し、物陰などに隠れていると思われる。

 モモが感じていた違和感と小動物達が感じたものと同じなのか、はたまた別の何かがあるのか。生憎全知全能の力など持っていない継実にそんな事は分からないが、現状認識を多少改め、なんらかの脅威が存在するのだと考える必要がありそうだ。

 そうなると問題なのは、これからどうするか。

 

「(……()()()()がどうかと言えばっと)」

 

 チラリと、継実が視線を向けたのは地平線近く。

 遙か遠く居たのは、親子連れのシカだった。小鹿の方は暢気に草を食んでいるが、親の方は継実達の存在に気付いているのかこちらに視線を向けている。ただしそれ以上の事はしておらず、特段苛ついている気配もない。シカは小動物達と違って、なんらかの気配について左程脅威には感じていないようだ。

 つまりその気配の脅威度は、小動物以上シカ未満と言えるだろう。

 ……なんとも微妙なところ。というより、継実達の大きさがこの草原の中では微妙な立ち位置なのである。虫やネズミと比べれば遥かに巨大だが、大人のシカやイノシシと比べると半分ぐらいの体重しかない。虫達からすれば恐ろしい存在でも継実達なら踏み潰せる相手かも知れないし、シカにとっては雑魚でも継実達からすると()()()()()()()という可能性もあるのだ。

 草原の他の生物を参考にしようにも、継実達に次ぐ大きさの生き物はもうキツネとタヌキぐらいしかいない。どちらも体重は十キロに満たない程度。モモよりは大きいが、継実と比べれば随分と小さい生物である。脅威の力量を推し量るには、ちょっと使い辛い指標だった。

 

「どうする継実? もう帰る?」

 

「うーん」

 

 モモからの問いに、継実は少し考える。

 考えていると、何処からともなく「ぐぅ~」という音が聞こえてきた。

 聞き慣れない物音。よもやこれが気配の正体かと一気に警戒心を強め、継実はモモと共に音がした方へと振り返る。

 そこに居たのは、ミドリだった。

 

「……………へぁ!? え、私のお腹鳴って……あ、お腹が空きました!」

 

「あ、うん。そうなのね」

 

 恥ずかしがるでもなく、堂々と空腹を訴えるミドリ。継実とモモは共に脱力し、警戒を解いた。

 どうやらミドリはお腹がぺこぺこらしい。

 空気を読まない、と言えばその通りだし、クスノキならば【動物というのは本当に非効率ですわね。これだけ光も空気も十分あるのにエネルギーが足りないなんて】と植物らしいおちょくり方をするだろう。されど継実は、腹の音に苛立ちなんて覚えない。空腹は動物にとって当然の生理反応であり、何より元気の証だ。

 出来る事ならたらふくごはんを食べさせてあげたい。胡散臭い話とはいえ、行き倒れたらしいのだから尚更である。

 

「うん。まだ帰らないで、もう少し食べ物を探そう」

 

 そのためにも、継実は食べ物探しの続行を選んだ。

 継実の方へと振り返ったモモは、拒否感などは見せていない。が、少し意外そうに目を瞬かせる。

 

「あら、今日は随分勇敢ね。何時もなら安全優先なのに」

 

「え? あ、もしかしてあたしのためですか? あの、そんな無理はしなくても……」

 

「大丈夫。私もお腹空いてるし」

 

 遠慮してくるミドリに、継実はそう理由を伝える。決して嘘ではない。燃費の悪い身体は、今日も何時も通りの食事を欲しているのだから。

 それにモモは勇敢と評したが、何も勇気を振り絞って決断した訳ではない。継実なりに、安全だと考えた根拠がある。

 モモ自身の態度だ。

 

「(モモがあまり気にしてないって事は、モモよりは小さな脅威なんだろう)」

 

 なんらかの気配を察知しているモモだが、しかしあまり気に掛けている様子もない。普段より少しピリピリしているものの、普通に会話が出来る程度には落ち着いていた。

 人間と違い『オオカミ少年』になる事を恐れないモモは、本当に危険だと思えばこちらの都合などお構いなしに訴えてくる。そうでなくても、あからさまに警戒心を強め、くだらないお喋りに興じる余裕などないだろう。

 つまりモモは感じ取った気配を大した脅威だと思っていないのだ。別段おかしな話ではない。モモの体重は僅か四キロ。継実から見ればとても小さいが、昆虫達からすれば体重差一千倍超えの大怪獣、ネズミから見ても百倍も巨大なモンスターだ。小動物達には絶望的な存在でも、モモからすれば手頃なオモチャという事は十分あり得る。

 一応、本当は物凄く強いのにモモが誤認している可能性もあるが……その場合相手はかなり遠くに居る筈だ。わざわざ自分達の下に来るとは思えないし、来そうならさっさと逃げれば良い。

 事態がどう転んだとしても、危険性は低い筈だ。

 

「一応、モモは何時も以上に周りの気配を探っておいて。少しでも違和感があったら教えてほしい」

 

「ほーい。ま、それでなんとかなるわよね」

 

「ミドリも、出来たら周りを注意して。もしかしたら、モモと相性の悪い生き物かも知れないから」

 

「は、はい! が、頑張ります!」

 

 二人にそれぞれ役割を指示すれば、元気な返事が返ってきた。継実は満足げに頷いてみせる。

 勿論継実とて何もしない訳ではない。むしろ一番大切な役割を担うつもりだ。

 その役目を果たすため、継実はその場に座り込む。

 

「? あの、どうしたのですか?」

 

 しゃがみ込んだ継実を見て、不思議そうに首を傾げるミドリ。本当ならちゃんと説明してあげたいが、残念ながらそれは後回し。勝負は既に始まっているのだ。

 草むらに潜む獲物――――ネズミとの対決は。

 

「ミドリ。今日のごはんもネズミなのと、私はモモみたいに上手には焼けないから、生で食べてね」

 

「えっ」

 

 今日の『献立』を伝えると、ミドリの笑みが強張る。ミドリは昨日モモから余りのネズミを渡されて食べていたが、思いっきり吐き出していた。どうやらお味がお気に召さなかったらしい。

 確かに、あまり美味しいものではない。世界的には食べているところもあるようだが、それは食用に品種改良されたものであり、この辺りを駆け回っているアカネズミの類ではないだろう。そもそも生で食べるものではないし、衛生的にも色々問題がある。

 継実も初めて食べた七年前は、一口含んですぐに吐き出したものだ。されど今ではもう、そんな事は起こらない。焼いた方が好みだが、生でも何匹だって食べられる。

 ……慣れたので。

 

「あ、あの、あたしあの生き物はなんか生理的に色々キツくて」 

 

「大丈夫よ。昔は継実も死ぬほど嫌がっていたけど、今は慣れたから。アンタもそのうち慣れるわ」

 

「いや、それって慣れるまでは死ぬほど嫌って事じゃ」

 

 ミドリが何か反論しようとしていたが、継実は無視する。

 大人しく食べるならそれで良し。もしも食べないなら、無理矢理口に押し込むまでの事。昨日は吐く事を許したが、今日からは許さない。

 家族愛というのは、甘やかす事だけではないのだから――――

 

 

 

 

 

 結論を述べるならば、ミドリの適応力は継実の予想よりも高かった。

 

「あ。見た目に慣れたら、なんか美味しい気がしてきました」

 

 太陽が天頂で輝くお昼時を迎えた頃。ネズミの(はらわた)をしゃぶり、口許を赤黒いものでべたべたにしながら、ミドリは感想を述べる。

 現在ミドリが食べているのは、今日五匹目のネズミだ。一匹目は逃げようとしたところを捕まえ、生の肉を口に放り込んで噛ませた。二匹目は生皮を剥いだものを手に乗せ、食べるまでじっとモモと一緒に見ていた。

 そして三匹目は、少し躊躇いながらも自ら食べて……五匹目に到達した今では先の発言をするほど。最初の渋りは何処へやら、すっかりネズミの味を気に入ったようである。

 

「おー、こりゃ継実より野生生活の適性はあるかもね。継実ったら慣れるのに一年ぐらい掛かったもの」

 

「うっさい。アンタと違って小学生女子はか弱くて繊細なんだから」

 

 バリバリとネズミの頭を噛み砕きながら話すモモに、仕留めたネズミの毛を毟りながら継実が反発。ミドリは口許を手で隠していたが、ぷるぷる震えているため笑っている事がバレバレだった。

 笑われた事にムッとなる継実だが、その顔にはどうしても笑みが浮かんでしまう。

 昨日の情けなさから色々不安だったが、適応の早さという得意分野がちゃんとあったようだ。適応が早いのはとても有益な事。何しろたった七年でゴミムシが数メートルもの巨体を手にするような、七年前からしたら出鱈目な進化が起きているのだ。最早異常は何処にもなく、全てが正常(起こり得る)。急速に変化していく世界の中なら、彼女の優れた適応力が役立つ日は遠からず来るだろう。なんとも頼もしい話だ。

 勿論謎はますます深まった。モモという頼れる家族と一緒に暮らしていた継実でさえ、イモムシやネズミ、カエルなどを主な食糧としている。その中でもネズミは弱くて数が多く、それでいて肉と脂肪分が豊富と、衛生面以外は良い事尽くめの食材だ。それを食べずに、彼女は一体何を食べて生きてきたのか。

 しかしそんな事はどうでも良い。ミドリはこの地で共に暮らす家族。昔の生き方を知っていればフォローもしやすいが、知らなくてもなんとか出来る。適応力が高いのならば、尚更だ。

 

「もぐもぐ……ん。さてと、どうする? 私はもう十分食べたけど」

 

 ネズミの背骨を噛み砕いて飲み込んだモモが、思案していた継実にそう尋ねてくる。

 継実は少し俯かせていた顔を上げ、モモとミドリを交互に見た。モモは満足げに腹を擦り、ミドリは小さなげっぷを出す。モモは言葉通り、ミドリも雰囲気からしてそこそこ腹は満たされたようだ。かく言う継実も五匹のネズミを丸ごと平らげた。

 しかし、こんなのは朝食ぐらいでしかない。やはりモモが感じた気配により警戒心が高まっているのか、普段よりもネズミ達が見付け辛く、全員分の『朝食』を確保するのに昼まで掛かってしまった。正直にいえば、継実のお腹はまだまだ空き気味である。

 明日もたくさん獲物が獲れるとは限らないのだから、このまま昼食の狩りを続けるのも選択肢の一つだろう。獲物は捕まえ辛いものの皆無ではなく、努力は無駄には終わるまい。

 されど継実はそろそろ退き際と考える。

 ……妙に、首筋がぴりぴりするのだ。生物達の気配に疎い自分が、である。

 

「……うん。そろそろ帰ろう。夜にお腹が空いたら、クスノキの近くでなんか捕まえれば良いし」

 

「それもそうね。お腹いっぱいにはならなくても、小腹が満たせれば眠れるし」

 

「あたしは皆さんの意見に従います。どうすべきか、まだよく分かりませんから」

 

 モモとミドリの同意を得て、継実は早速住処へ帰ろうとする。方角と距離はちゃんと覚えているが、念のため広範囲を探査すべく意識を集中。住処のクスノキの存在を記憶通り南南西三・二キロ地点に確認し、ではそちらに向かおうと右足を前に出した

 その時である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

 最初に反応したのはモモ。しかし継実が呆けていた訳ではない。モモの方が反応速度が早かったというだけの事。

 モモが空を見上げ、継実も後を追うように空を仰ぐ。空に広がるのは青い空と白い雲、それに眩い太陽。

 そしてもう一つ、黒い点。

 

「? どうしましたか?」

 

 何も気付いていないミドリが尋ねてくる。が、継実は口を閉じたまま。今は余計な思考を割きたくない。モモも同じく黙っていた事から、継実と同意見のようだ。

 継実は能力を用い、黒い点の『映像』を拡大。その正体を見極めようとするが、しかしどれだけ拡大しても黒い点のまま。解像度を上げてみたが、特段変わらない姿が目に映る。

 つまり、本当に黒い点なのだ。

 正体は一体なんだというのか。少なくとも鳥や虫の類ではない。というより地球上のものではないらしい。継実が感じる感覚が確かなら、その黒い物体の高度は約三千キロ……宇宙空間に出てしまっているのだから。そして黒い物体はどんどん地球に接近し、その存在感を強めていく。

 これらの情報から、一つの事実を計算出来る。黒い物体の『強さ』が如何ほどのものなのか、という事だ。そして計算は継実の得意技。すぐに答えを導き出せる。

 恐らくあの黒い物体の実力は、()()()()()()()()()()

 

「(ああ、本当に『遠かったから弱い力のように感じた』んだ……やらかしたな)」

 

 自分の判断ミスに気付くも、後悔する暇もありはしない。

 秒速十八キロ。

 隕石に匹敵する速さで大気圏を突破してきた『黒い点』は、継実達目掛けて直進していたのだから――――


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