「全く、あの木偶の坊……最後だってのに……いっつもいっつも嫌味ばかり……」
ぶつぶつと、延々と悪態を吐きながら継実は草原を歩く。肩を怒らせ、表情は般若が如く歪んでいた。爽やかな朝日も、涼やかな風も、今の継実の気持ちを解すには至らない。
何しろこの不機嫌さはコミュニケーションにより生じたもの。同じくコミュニケーションでなければ、早々解決などしやしないのだ。
だから、という訳ではないのだろうが……右隣を歩くモモが話し掛け、左隣に居るミドリがニコニコ笑いながら耳を傾けてきた。
「随分不機嫌ねぇ。やっぱりお別れは寂しかったのかしら?」
「……別に。ようやく顔を見ないで済むから清々したぐらい。元々アイツに顔なんてないけど」
「そうなのですか? でも継実さん、涙が出ていますよ?」
「なっ!? で、ででで出てる訳ない!」
「うん。出てないですよ、嘘だから」
狼狽えた継実に、ミドリがあっさりと種明かし。継実は顔を真っ赤にして、何かを言おうとして口をぱくぱく……開閉するだけで声は出てこない。この姿にモモは堪えきれなかったのかゲラゲラと笑い、ミドリもくすくすと口許を手で隠しながら笑う。
捻くれたところを笑われて、継実は顔を一層赤くしていく。
そのまま怒り狂う事が出来れば継実としても楽だったのだが、自分が考えていた以上に継実の気持ちは不安定になっていたようで。
怒りを通り越して、ぼろりと涙が零れた。一滴漏れたら、まるで栓が弛んだかのように止まらなくなる。今度はモモとミドリが慌てる番になった。
「……あー、ごめん。からかい過ぎたわ。そうよね、寂しかったわよね」
「ぐすっ……だっで。アイヅ、アイヅぅ……」
「クスノキさんも本当は寂しいですよ。そうでなかったら、最後にあんなケンカを売ったりしませんから。ね?」
「……うん」
こくりと頷きながら、継実は涙を拭う。
ミドリの言葉を信じた訳ではない。七年間も付き合いがあれば、あのクスノキがどれだけ『人間味』がないか分かるというもの。七年間一緒に暮らした人間だろうと、今日出会ったばかりの小鳥だろうと、関心の強さは殆ど変わらない。継実との別れに対してもどうせ何一つ感じていないか、労働力の喪失を心底嘆いているだけだ。
けれども、もしかするとミドリの言う通りかも知れないと、ほんのちょっとは思えた。なら、そう信じたって良いだろう。
もしもクスノキと再会する事になって信じていたものが間違いだったと分かれば、なんだこの野郎と言いながらぶん殴れば終わり。二度と会えないなら……それが真実になるのだから。
「元気になりましたか?」
「……少し。あと、お腹空いた」
「ああ、泣いたらお腹空きますもんね……朝、あれだけ食べたのに」
「まぁ、良いんじゃない? お腹が空くのは元気の証よ。それにどうせそのうち何処かで食べ物は必要になるんだし……初めての狩りが予定より早まったところで、問題なんてないわ」
「それもそうですね」
二人で話し合っていたモモとミドリが、同時にぴたりと足を止めた。涙を止める事に意識が向いていた継実は、二人より送れて立ち止まる。
二人ともどうしたんだろう? 継実の脳裏を過ぎった疑問は、顔を上げたのと同時に吹き飛んだ。次いで獰猛で、鋭い笑みが自然と浮かぶ。
継実達の目の前に広がるのは、住み慣れた草原ではない。
高さ五十メートル、いや、七十メートルはあるだろうか? 熱帯雨林の樹木さえも凌駕しかねない、巨大な木々が視界を埋め尽くす。されど此処に生えている木々は、ブナやクヌギ、サクラにキリなど、日本にあるものばかり。当然だ。此処は日本の関西圏なのだから。
これこそが草原と外の世界の境界線。
南の方角を埋め尽くす大森林であり、継実達がこれより横断する、初めての冒険の地だ!
「ついに来ましたね。ところで、何か美味しそうな匂いとかします?」
「うーん、獣臭さは相当濃いわね。それとなんか、甘ったるい匂いがするわ」
「甘ったるい匂い? 何か、変な動物でもいるのでしょうか」
「いや、これは動物のものじゃなさそう。というか昔、うちのご主人が生きてた頃に家で嗅いだ覚えがあるわね。なんだったかな……」
モモとミドリは森を前にしながら、色々な話を交わす。如何にも雑談のようであるが、しかし二人とも表情は強張り気味。モモは臨戦態勢へと移り、ミドリも警戒心を強めていく。
口を閉ざしていた継実も同様だ。この先に広がる森に足を踏み入れるのなら、どれだけ警戒しても物足りない。
ミュータントと化した植物達は、本来ならばあり得ない大きさにまで成長していた。それもこの七年という、あまりにも短い時間で。おまけに地面には草原のように無数の草まで生い茂っている。本来森の中というのは木々の葉で光が遮られ、下草は殆ど育たないもの。この下草達も一本残らずミュータントで、僅かな光でも逞しく生きているのだろう。
そんな驚異的植物達に囲まれた世界が、果たして七年前と同じような状態を保っているだろうか?
否だ。国家すらも滅ぼしかねない力があちこち飛び交う草原で暮らしてきた、継実達はそれを知っている。命でひしめく森の中なら、一層恐ろしい事になっているに違いない。
此処から先は未知の領域。一歩でも踏み出せば、『ぬるま湯』であった草原とは比にならない洗礼が待ち受けているだろう。
だが、覚悟はとうに決まっている。
「……行くよ!」
「OK!」
「あたしも準備万端です!」
改めて問えば、二人の家族も威勢の良い返事をする。ならば何を躊躇う必要があるというのか。
本調子を取り戻した継実は力強い一歩と共に、森の中へと踏み入った
瞬間、継実の身体は空へと飛んだ。
ただしその飛行は継実の意思によるものでは非ず。突如として足に加わった、強烈かつ素早い力が理由である。継実はろくな反応も取れず、足だけが引っ張られた事で一瞬にして宙ぶらりんに。
自分が草むらの中に仕掛けられていた罠を不用心にも踏み付け、その結果足に白い糸がぐるぐると巻き付き、上へ引っ張られていると継実が気付いたのはそれから数瞬後の事。
「チキチキチキチキチキ!」
そして樹上にてその糸をゆっくりと手繰り寄せる、体長二メートルほどのハエトリグモに気付いたのは、更にもう少し経ってからだった。
「ぎにゃああああああっ!? クモ!? クモおおおおおお!?」
「いきなりの洗礼ね! とりあえずコイツを仕留めましょ! 今日のおやつよ!」
「は、はい!」
いきなり食べられそうになる継実に対し、まだ攻撃を受けていないモモとミドリは若干余裕。逆に喰ってやるとばかりに、やる気を滾らせる。
モモは近くの木に爪を立て、颯爽と登っていく。ハエトリグモはモモの接近に気付いたようで、身体の向きをモモの方へと向けた。
継実にとって、これは好機。
「このぉっ!」
素早く、迅速に。指先に力を集め、粒子ビームを放つ!
溜め込んだエネルギー量は決して多くないが、それでも放てば国の一つ二つを焼き尽くせる熱量だ。産毛に覆われた気味の悪い身体など、易々と貫通する。
筈だったが、ハエトリグモの身体は粒子ビームは呆気なく
否、正確には異なる。継実は己の目でハエトリグモの体表面を凝視したところ、びっちりと糸が巻かれている事に気付いた。粒子ビームを跳ね返したのは、ハエトリグモの身体ではなくこの糸である。
クモの糸は『普通の生物』だった頃から極めて頑強で、同じ太さの鋼鉄の五倍も強く、伸縮性にも富んでいるという高品質なものだった。ミュータント化と七年間の進化により、より強度が増したとしてもおかしくない。そして粒子ビームは実のところ熱攻撃でも光攻撃でもなく、光速に等しい速さの粒子をぶつけるという『物理攻撃』である。
つまり、継実はコイツと相性が悪い。恐らく猛烈なまでに。
「……も、もももモモ!? 電気! 電気撃ち込んで!」
「おうよ! 喰らえ!」
悲鳴染みた声で助けを求めれば、すぐさまモモは電撃をハエトリグモに向けて放つ。雷数十発分の電撃を前にしてハエトリグモは一瞬身動ぎしたが、秒速二百キロにもなる雷撃を躱すほどの速さはなく。
電撃は見事直撃し、ハエトリグモの全身に流れる。流石に耐電性まではなかったようだと、継実は己の目で得た情報から判断した。
なお、効果がないと分かったのは、また少し後なのだが。
確かにハエトリグモの体表面にある糸を電気は流れた――――敢えて流したのだ。糸と身体の間には隙間があり、糸に流れた電流はハエトリグモの皮膚には届かなかったのである。そして電気は糸を伝わり、お尻が付着している樹木へと流されてしまう。
電気というのは、流れやすいところへと流れるもの。逆にいえば流れやすいものと難いものがあると、流れやすい方にどっと集まる。雷がジグザグ軌道を描きながらも一本の線で落ちるのは、そこが流れやすい場所だからだ。
つまり電気が流れやすい糸を纏うハエトリグモの身体に、モモの電気は届かない。
「あ、ヤバい。これ私の天敵だわ」
電気を流してすぐ、モモはこのハエトリグモとの相性の悪さを理解した。襲われている側である継実は顔を青くする。
「ちょ、ちょおぉーっ!? ミドリ! ミドリ助けてぇ!」
「へぁ!? え、あ、あたしですか!? え、ぁ、て、てりゃあー! ……………あ、駄目です。脳内物質弄ろうとしたら、なんか電気っぽいものに邪魔されて通じないです」
「うん! 知ってたぁ!」
残るミドリの奮戦は効果なし。何故当然のように脳内物質の制御に対策を施しているのかは謎だが、一撃必殺の技で簡単には倒れてくれないようだ。
「チキチキ、チキチキ!」
継実達に対抗手段がないと察したようで、ハエトリグモは意気揚々と糸を巻き取っていく。モモが追撃の電撃を放つが、最早身動ぎすらしない。
このままでは、喰われる!
「ぐっ……だったら、らぁ!」
周りを頼れないと理解した継実が取ったのは、自分の足を己の手で掴む事。
そしてそのまま
ただしこれは粒子テレポートではない。アレをやるには頭が痛くなるほどの演算を、それなりの時間を掛けてやらねばならない。体力や精神力は兎も角、ハエトリグモはこちらを一気に引き寄せようとしており、もう時間が足りなかった。故にこれは本当に、力尽くでの『切断』。
トカゲの尻尾切りと同様の、自切である。
「ふっ!」
「ヂギッ!?」
糸の巻き付いた右足を、継実は膝から下で切断。四十キロ程度の『重石』が失われた反動で、膝下が勢い良くクモの顔面へと飛んでいく。至近距離という事もあって、ハエトリグモは継実の足を顔面から受けた。ダメージにはなっていないだろうが、ちょっと驚いたのかハエトリグモが声を上げる。
継実は落ちながら失った足を再構築。粒子操作能力を応用すれば、身体の粒子を寄せ集める事で欠損の修復が可能だ。とはいえこれは全身の身を少しずつ削るようなもので、かなり消耗が大きい。
モモも地面に下り、継実の傍に立つ。ミドリも少なからず動揺しながら、継実の後ろに陣取った。フィアの時に編み出した、自分達の戦闘陣形。継実は自分達の立ち位置、そしてハエトリグモの様子を窺いながら思考を巡らせて
「あっちに逃げろぉー!」
森の奥目指し、全力で逃げ出す事を選んだ。
当然である。全員にとって相性最悪な奴に、足一本持っていかれた程度で済めば御の字。戦うなど論外なのだから。
「よっしゃあぁー!」
「ひぃーん! 待ってくださぁーい!?」
モモとミドリもそこは分かっていて、継実と一緒に逃げていく。ハエトリグモが三人を追ってこなかったのは、継実の足を一本与えた事で少しは腹が満たされたからか。
通行量としては安くない。しかし安全に抜けられたならこれで良い――――継実はそう思っていた。
そう、今はまだ。
確かに安い通行料だろう。この一回だけで済めば。されど此処は豊かな森林地帯。生き物がひしめく、美しい生態系が形作られた土地である。
腹ペコの肉食生物が、ハエトリグモ一匹の筈がなかった。