脳が灼ける。
花鈴は自分が感じた感覚をそう表現するしかなかった。
宙を舞う鈴音の元に全力で走るが、間に合わない。
花鈴の目の前で鈴音が鈍い音を響かせながら地面に墜ちる。
受け身もまともにとれていない、明らかに意識が飛んでいる様子だった。
「すーちゃん!?すーちゃん!!?」
その身を抱き起こしながら花鈴が必死に呼びかけるが、返事はない。
ただ力は弱いが呼吸はしており、口から血を吐き出していることはなかった。
折れた肋骨が肺や心臓のような臓器を傷つけるようなことにはなっていないようだが、それでも危険な状態に変わりはない。
ただ意識は飛んでいてもその右手はしっかりと大通しを掴んだまま離さず、しっかりと力を込めて握っていた。
「は…はは…すーちゃんらしいね…。」
その様子を見て鈴音らしいと、花鈴は力なく笑った。
本当にかっこいい。
花鈴は軽く舌を噛んで自分の舌を傷つけた。
傷口から血があふれ、またたくまに口内を赤く染め、口の端から血が零れ落ちる。
初めてキスしたとき、こんな感じで噛まれちゃったっけと鈴音を眺めながら花鈴は顔を歪め、苦笑した。
同時にあの日の光景が花鈴の脳内に蘇る。
胸を朱に染め、力ない目を自分に向ける鈴音の姿を。
ドクン、と心臓が高鳴る。
鼓動はどんどんと速度を増し、全身に血が巡り、灼けた脳が燃えるように熱を持つ。
「…ああ…わかってるよ。」
花鈴は己の胸を、かつて姫斬りがこの身を貫いた胸の辺りを押さえ、何かに答えるようにつぶやく。
花鈴は鈴音に二度目のキスをした。
あの時とは違ったまだ熱い、鈴音の体温の残った唇にそっと自分の唇を重ね、血を流し込む。
同時に鬼が、目覚める。
灼け続ける脳の熱が逃げ場を探す様に額を裂き、その熱が形となったように一本の角が生えた。
その熱が伝播するように肌が灼け、朱色に染まる。
「さーて…。」
花鈴が唇を離す。
赤色が混じる糸を引いた唾液を花鈴がぬぐい、鈴音を地面に寝かせて立ち上がった。
「殺すか。」
癖ッ毛の女は自分の思い通りに事が進んだことに笑みを浮かべた。
世界は私を本当に見捨てていなかったんだ、歓喜が女の胸に満ち溢れる。
あの女にとどめを刺すべく肉人形が動く。
しかし屋上に突如乾いた破裂音の様な音が響き、肉人形の身体の一部が弾け飛んだ。
「チッ…下のやつらが、来やがったか…。」
屋上に通じる扉の前に新たな影が三つ。
花鈴、狂骨、化け猫のチームが合流したのだ。
事態を把握した狂骨がまず霊銃を発砲、それに少し遅れて化け猫が疾風の如く駆け、肉人形に接敵する。
肉人形が虫を払う様に化け猫に腕を振るうが、化け猫はまさしく猫のように身軽にその腕を飛び越え懐に潜り込む。
さらに飛び込んだ勢いそのままに地面を転がり、肉人形の股の下を潜り抜けながら大通しを一閃。
一刀両断とはいかずとも深手を負わせ、肉人形が膝をつく。
膝をついた巨体に向かって奔る影がもう一つ。
一体の肉人形を片付けた蟷螂坂だ。
蟷螂坂は先ほどの二の舞にはならぬと走りこんだ勢いのまま跳躍はせず、勢いを乗せた中段突きを打ちこむが、その打撃は軽く肉人形の身体を揺らせたのみ。
鈴音に深手を負わせてしまったことで心が乱れ、そのせいで妖力が不安定になり力を発揮しきれていないのだ。
「くぅっ…!?」
肉人形が立ち上がり、蟷螂坂に向かって腕を叩きつけた。
蟷螂坂は腕を交差させてそれを受け止めるが、その身体は宙に浮き吹き飛ばされる。
どうにか転ばぬように、たたらを踏みながら地面に踏みとどまるが、その動きは明らかに精彩を欠いている。
「蟷螂坂!あんたは下がってなさい!」
蟷螂坂に追撃が行かぬよう、肉人形の相手をしながら化け猫が叫ぶ。
「しかし……!」
「化け猫の言うとおりだよ、もう妖力も不安定だし、下がって。」
「…承知。」
化け猫を誤射せぬように位置取りを考えながら発砲する狂骨も化け猫に同意し、蟷螂坂はその言葉に従うことを伝える。
狂骨は化け猫のために牽制の銃撃を放つが、その銃撃もそれほど威力がない。
狂骨も消耗しており、集中力が衰えていることで霊力を綺麗に弾丸として形作ることができなくなっていた。
牽制としては問題はないが、決定的な一打にはなりえない程度の威力だ。
「ぐにゃっ!?」
肉人形の懐に潜り込んでいた化け猫が、体当たりによって突き飛ばされる。
そこを狙って肉人形が腕を振り回すが化け猫は突き飛ばされた勢いのままバク転して回避。
狂骨の元まで飛び退る。
「チッ…結構頑丈ねあいつ…。」
「あの雑魚のせいで無駄に疲れてなければともかく、今の状況だとね。」
「ま、弱音吐いてる場合じゃないわよね!」
軽く二人が息を整えるが、容赦なく肉人形が襲い掛かってくる。
狂骨が迫る肉人形の足を的確に数発撃ち抜き、姿勢を崩す。
そこに化け猫が大通しを振るおうとするが──
「にゃ!?」
赤い影が、稲妻のように化け猫の眼前を奔る。
ほぼ同時に肉人形の腕が両断されていた。
血しぶきをまき散らし、肉の塊が地面に墜ちる。
さらに稲妻が奔った。
赤い光の線を残像として宙に残し、肉人形から身体の一部が肉塊として切り離されていく。
最後に落雷の如く地面に一直線に光を残して、稲妻は消え去った。
そこに残るのは頭上から二つに両断された肉人形だったもの、そして鬼と化した花鈴であった。
ただただ茫然とその光景を眺めていた狂骨が、目を見開きながら口を開く。
「それが…姫斬りの力かい?」
「まーね、まだ思い通り使えないけど。」
やや恨めし気に姫斬りに視線を向け、花鈴が言う。
「本当、身勝手な奴に好かれちゃったよ…そのお陰で助かったんだけど。」
「そうだね、今はその力に感謝しないと…ありがとう花鈴ちゃん。」
「ま、いいってこと、それより、まだ片付けなきゃいけないものもあるしさ。」
そう言って姫斬りをある方向に向けて突き出し、その先に視線を向ける。
その先には今回の元凶である、癖ッ毛の女がいた。
女は刀の切っ先を向けられると腰を抜かし、その場にへたりこむ。
「ああ、そうだね…とりあえず拘束用の神域を──」
狂骨がそういった時には、花鈴が動いていた。
突きつけた姫斬りを上段に構え、一気に女に向かって踏み込み、そして、振り下ろした。
「…邪魔すんなよ、化け猫。」
「花鈴…なにやってんのかわかってるのあんた…!?」
振り下ろされた刃を、寸でのところで化け猫が大通しで受け止める。
花鈴は片手で無造作に姫斬りを振るったのみだが、それでも化け猫の体勢がぐらつくほどの圧倒的な圧力があった。
「言ったでしょ、こういう奴らには専用の施設があって…そこに収容するって。」
「それでなに?使えると思ったら利用するの?あんたらみたいに…。」
「利用って…ふざけるにゃ!」
力を込めて化け猫が姫斬りを弾き飛ばす。
「私らは晴明様の温情でここで自由にさせてもらってる…利用されてるなんて言うんじゃねえにゃ!」
その言葉を聞き、花鈴は冷たい目線を化け猫に向けて見ていた。
花鈴の視線に対し真っ向から化け猫が睨み返す。
異常な緊張感が漂う中、そこに割って入る声が響いた。
「なんなんだよぅ…なんなんだよお前ら…。」
癖ッ毛の女だった。
目の前で突如喧嘩を始めた二人に対し困惑するように頭を振りながら振り絞ったように言う。
「もぅいいだろ!殺すんだろ!どうせ死刑になるんだ!あんだけ殺したんだ!殺せよ!殺せ!」
自供するように人を殺したことを叫び、狂ったように頭をかきむしる。
その様子を見てさらに苛立った様子の化け猫が眉をひそめながら女に視線を向けた。
「はぁ…殺さないわよ、だから安心しなさいって…。」
「嘘だ!やっぱりみんなみんな私が嫌いなんだ!この世界は私が邪魔なんだろ!お前らなんなんだよ!化け物ども!化け物まで使って私が邪魔だから、この世界に必要ないから殺しに来たんだ!死神だ!殺せよ化け物!」
「うっせえ…こいつ。」
まくしたてるような早口に花鈴も眉をひそめた。
「あのさー、せっかく一度私が殺しそこねたんだからさ、ありがたく生きとけよ…。」
「何様だよ化け物が…!」
「三度目はねえかんなー。」
気の抜けた花鈴の声が響く。
文字通り、気の抜けた声。
殺気もなにもない。
まるで友達に何気ない言葉を投げかけるような自然な言い方だった。
ずぶり、と女は右肩に違和感を感じた。
何かが身体の中に入り込む異物感、一瞬遅れて一気に異物が熱を帯びた様に肩が焼かれ、燃え上がるような痛みが広がった。
姫斬りの切っ先が軽く、女の肩に突き刺さっていた。
乳白色の刀身に、一筋の朱が流れ、同時にその血を吸った姫斬りが上気するように微かに赤くなった。
意識の隙間をつく動きに、反応できなかった化け猫が一拍遅れてそれに気づく。
「花鈴!!!!!」
「殺してないよ、大丈夫でしょこれくらいさ、どうせ──」
花鈴は化け猫に視線を向けず、女を文字通り見下す様に見下ろしながら姫斬りを引き抜き、言葉を続ける。
「こいつも妖怪でしょ?」