「よう…かい?私が…?」
女が茫然としたように言う。
そして肩から噴き出す鮮血に気づき、そこでようやく自分の受けた傷に気づいたかのように顔を歪ませた。
「あ、あああ…血…ぃ…え?」
しかしその血はすぐさま止まり、傷が徐々にではあるが目に見えて塞がり始める。
それは彼女が既に人ではない存在になったことを示している証拠であった。
「ち、ちが…私は…私はそんな…いやあああああああ!!!」
悲鳴を上げながら左手で顔を覆い、土下座するように額を地に擦りつけ、そのままがくがくと痙攣したように震えだす。
刀が刺さったというショックか、それとも痛みによって虚勢が剥がれたのか、分からないが尋常の様子ではなかった。
その様子に化け猫は戸惑い、何か声をかけようとするが何もできず、花鈴はただただ女を見下していた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…。」
呪詛のように女が謝罪を繰り返す。
遅れて三人の元にやってきた狂骨もその場面に戸惑い、視線を化け猫と花鈴の間を泳がせる。
「二人とも…これは…。」
「死にたがってたから、血を見せてやったらこの様。」
つまらなそうに花鈴が言った。
姫斬りも先ほどまでは上気したように微かに赤らんでいた刀身をすっかり元の乳白色に戻し、その姿はまるで不機嫌なように鈍く、青白くさえ見えた。
本来ならば拘束用の神域を発動させ、特殊な薬剤によって意識を断ったのち専門の施設に引き渡すのだが、さすがにこのような状態ではそうしてよいのか判断に困る。
「っ…っぉぉ…ぇ…えええぇ。」
呪詛が途切れ、呻き声と同時に周囲に酸味が混じった臭気があふれた。
女が嘔吐した。
女は自分が吐きだしたモノを見ると何かに怯えるように顔を上げ、再度嘔吐した。
嘔吐しては吐きだしたモノに怯え、また吐き出す。
やがて胃液まで吐き出し、何も吐くことができなくなったところで女はようやくその呪縛から解かれ、その場から逃げるように尻を向けてはいずり、地面にうずくまった。
その姿にたまらず狂骨が声をかける。
「ね、ねぇ…その君…。」
「…殺して…ください。」
尻を向けたまま、先ほどの様な狂乱した様子ではなく、落ち着いた声色で女が言った。
「自分で死ぬの…怖いから…殺してください。」
「え、えぇ…。」
「こ、この女ぁ…。」
狂骨が再度困ったように眉をひそめ、化け猫がピクピクとこめかみの血管を浮き出させる。
「リーダー、こいつとっとと眠らせようよ、私が花鈴の前にそいつ殺しちゃうかもしんないわ。」
「やっぱ殺す?」
「だから殺すにゃっつってんだろ!!!」
一見矛盾する様なことを化け猫が花鈴に叫ぶ。
「そう…殺すなんて言わないで…花鈴。」
「すーちゃん!」
化け猫の言葉に同調するように、鈴音の声が響いた。
鈴音は蟷螂坂に肩を借り、だらだらと汗を流しながらも表情を変えずに花鈴の元まで歩いてきた。
「大丈夫…じゃないよね、すーちゃん。」
「大丈夫だよ、お陰様で…。」
スッと、鈴音は自分以外の血で濡れ紅く染まった唇を拭う。
その唇はどこか妖しさがあり、その所作を見た花鈴は微かに頬を赤く染めた。
「もう…殺すなんてこと、花鈴はしないで。」
「すーちゃん…。」
「花鈴は、そんなことするような子じゃないから…。」
その言葉に、花鈴がぴくっと反応する。
「そんな子じゃないって…私は私だよ、すーちゃん。」
「違う…だから、やめて…。」
滅多に表情を変えない鈴音が、苦しそうに、悲しそうに、目を細めながら言う。
その表情をみて花鈴は鈴音から目線を外し、自分の手に持った姫斬りを一瞥してから、観念したように姫斬りを体の中にしまい込んだ。
同時に花鈴の姿が鬼に変化した状態から普段と変わらない、花鈴の姿に戻る。
それを見た鈴音は安堵したように息を漏らし、頷いた。
「ありがとう、花鈴…ごめん。」
「…うん、すーちゃんも…心配させないで。」
「ああ…。」
「うん…みんなもごめん、頭冷やしてくる。」
花鈴はみなに背を向け、そう一言謝罪の言葉を残し、その場を去ろうとする。
そんな花鈴を一瞬化け猫が止めようとしたが、やめた。
無駄に声をかけないほうが良いと判断したのだろう。
蟷螂坂と狂骨も同じく止めない。
四人がその場に残された。
女はその場に変わらずうずくまり、亀のようにまるまったまま動かない。
「…この女、捕まえないん…ですか?」
「いや…その…この様子だから。」
「あぁ…。」
その姿を見ながら鈴音は狂骨の言葉に頷く。
そして肩を借りていた蟷螂坂から身体を離し、そっと近寄り、パーカーのフード部分をひっつかんだ。
さらに力づくで地面から引っ張り起こし、顔と顔を突き合わせる。
「…なに?」
女が空虚な瞳で鈴音を見る。
見ると言っても視線は定まっておらず、焦点もあっていない。
その顔を、鈴音は思いっきりしばいた。
ビターン!と思い切り掌が頬を打つ音が響きわたる。
凄い音であった。
餅を思い切り地面に叩きつけたような、柔らかくも激しい音。
思わず受けた一発に女がキョトンとした顔をすると、鈴音はパーカーから手を離し、地面に女を下した。
「ふぇ…?」
「一発、これでおあいこ。」
「一発って…。」
思わず女が力なくではあるが笑う。
「それで…さっきの君と別人みたいだけど…何があったの。」
「…思い出したから…全部。」
うなだれながら女は言い、言葉をつづけた。
「多分私、もう死んでた。」
「死んでた…?」
「うん。」
鈴音の問いに女が答える。
女の言葉に首をかしげて鈴音は狂骨に視線を向けると、狂骨が頷く。
「多分だけど、後天的に妖怪になったんだと思うよ…。」
「そうですか…言われてみれば、私もそうですし。」
「私も元は多分だけど、普通の猫だったからね、同じよ。」
狂骨の言葉に鈴音が言われてみればと納得し、化け猫も頷く。
花鈴も姫斬りの力によって、鈴音もその血を分け与えられて人ならざる力を得た。
そんな彼女たちを見て女がため息を吐く。
「なんだ…同じようなの、いたんだ…もっと早く知ってたら…なぁ。」
そう言って自分の世界にこもるように膝を抱える、そうして女はポツリポツリと話し始めた。
「私…昔から変なのが見えたんだ…。」
「変なの?えっと…あー君は…。」
「…ユリカ…黒崎ユリカ…。」
狂骨の言葉に女──ユリカは自分の名前を伝えた。
「幽霊とか、そういうの…まぁそのせいでいじめられたし、親もまともにとりあってくれなかったけど。」
「親…か。」
鈴音がユリカの言葉に小さく呟くように言った。
「それでも、まぁおじいちゃんが仲良くしてくれたんだけど、死んじゃってさ…しかも、余計な幽霊だのなんだの見えるのに、死んだおじいちゃんは見えないの。」
自嘲するようにユリカが言った。
「それでさ、きっと力が足りないんだって変な儀式とかにのめりこんだらますますいじめられて…親とも話さなくなって…でも、それでよかったよ、あの頃は。」
そしてそこまで話したところでユリカは息をのみ、少し間をおいてから続ける。
「で、ある日さ…まぁいつも通りいじめられてたんだけど、食わされたんだよ…。」
「食わされた?」
「たしか、毛虫。」
鈴音が首をかしげると、思い出したくない、わざと薄めた記憶を掘り起こしてユリカが答えた。
「もう、覚えてないけど、その日の夜にお腹を壊してさ、多分熱もあったんじゃないかな…でも家にいたくないし、次の日無理やり学校に行ったんだけど…。」
どんどんとユリカの顔が青ざめていく、そして呼吸を荒くしながら言った。
「登校中に倒れたんだよ、そのまま上手く動けなくなったところで吐いて、吐いて…息ができなくなった、ゲロにおぼれたんだよ私。」
先ほど自分の吐いたものに異常な恐怖感を示したのはそれかと狂骨はユリカの言葉に納得した。
「もう苦しさとかより、いじめてたやつを殺してやるって、死んだら殺してやるって、そんな風に思いながら気失って…起きたらこの力に気づいた。」
言いながら、ユリカは自分の掌を眺めた。
「最初は死んだ虫を動かせることに気づいて、そのうち小さい動物の死体を…それで、死体を混ぜこんだり、いろいろできるようになった。」
そこでユリカは目を見開き、怯えではなく興奮したように息を荒くする。
「この力はプレゼントだと思ったんだ、今までクソみたいな人生を送ったことに対してのプレゼント…こんな人生ぶっ壊せる、世界を変えられる力!」
そこまで言ってユリカは突然茫然としたように口を開いたまま止まり、目を閉じた。
「でもあんたらの言葉でわかったよ、私はあの時ようかいってやつになったんだ…死んでさ…まぁ、思い出したよ…全部。」
「全部…今まで話したこと、忘れてたのか?」
「うん…蓋したみたいに…思い出したくなかったのかな…でも、さっき変な刀で刺されて、思い出せた…なんでかわかんないけど。」
ぺたりと地面に座り込んだままユリカは言った。
「後は…ひたすら力を…この力を凄いものにするんだって…それで生きてきた。」
「…そして見つけたのが…この場所?」
「うん、この場所は私の力を一番使える場所と思ったから…。」
その言葉に鈴音は納得した。
彼女の力が自身が死んだことに由来する力、黄泉返りに起因するとするならば、このような場所はとっておきの場所なのだろう。
「まぁ…結局さ、こんなことになっちゃったけど…もう、どうしようもないし…。」
「…。」
「殺しちゃったよ、人…この場所が奪われるんじゃないかって思って、それと、人の死体が使えれば、たくさんの死体があればもっと強い力が手に入るって。」
「それで、死にたいと…?」
「うん…もうさ、取返しつかないし。」
「ふざけるなよ、お前。」
冷たい声色で、鈴音が答える。
「お前…それで花鈴──妹に手を汚させる気だったのか?」
「なんだよ…あいつ、別に…私のこと殺したがって──」
「花鈴はそんな子じゃない…。」
「だ、だって──」
「黙れよ…。」
先ほどまで、話を聞く姿勢を見せていた鈴音の声色が一気に変わり、冷酷とさえ受け取られそうな冷えた声で自分の言葉をユリカに突きつける。
その有無を言わせない迫力に何も言い返せないユリカは口を閉ざし、ダンゴムシのように膝を抱えた。
その様子を見て鈴音は少し考えるように視線を宙にやり、ゆっくり口を開く。
「本当に死にたいなら自分で死ねばいい、生きたがっているなら…素直にそう言えばいい。」
「…!?」
「どうなんだ…?」
鈴音の言葉に、ユリカが抱えていた膝を解き、戸惑う様に視線を泳がせ、表情を歪ませた。
「死にたくないよ…。」
「…。」
ぼろぼろと、涙を流して。
それでもしっかりとした口調で、ユリカは言った。
「生きたいよ…もう嫌だよ、あんなの…苦しくて、息、苦しいのに、助けてくれなくて…嫌だよぅ…。」
「…そうか。」
鈴音はその言葉を聞くと、背を向け、ユリカから視線を外して狂骨と化け猫に目を向けた。
「もう、大丈夫だと思います…。」
「あの…ごめんね、鈴音ちゃん、こういうのは私たちの仕事なのに。」
「いえ、見習いでも…もう事務所の一員ですから…。」
「ふふ、そっか。」
鈴音の言葉に、狂骨が小さく笑みを浮かべる。
「きっと、鈴音ちゃんみたいな人間がいるおかげで、私たちも生きてるからさ。」
「…。」
「鈴音ちゃんが仲間になってくれてよかったよ。」
ポンと、狂骨が肩を鈴音の叩く。
そして捕獲用の注射器を懐から取り出し、ユリカに近づいて、そして注射器をしまった。
注射器の代わりに彼女に差し出されたのは狂骨の手。
「君は、生きてもいいんだよ、私も同じ妖怪だから保証する。」
「えぐっ…はぃ…。」
ユリカは狂骨の手を取った。
長い、長い一夜。
鈴音と花鈴の初めての仕事が、ようやく終わった瞬間であった。
「なぁ、美味かったか、さっきのは。」
少女は語りかける。
胸の内に語るように、胸を押さえて問いかける。
「…そうかよ、まぁ、力をくれるなら私はこれくらいしてやるって。」
静寂が包む中、独り、語る。
胸の内に語り掛ける。
「あの三人のは…待ってくれって、私もわかってるからさ、あの三人は自分で気づいてないみたいだけど、けっこう重いの持ってるの。」
何かの、声ではない何かの問いかけに応えるように、複雑そうに表情を歪めながら少女は言う。
「怒るだろうな…きっと、でも赦してくれるよね…きっと…。」
「ねぇ、すーちゃん。」